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54.窓口の役割

ギルド窓口は、いつも以上にざわついていた。

依頼票を手にする者はほとんどいない。

代わりに並んでいるのは、冒険者や町人の「愚痴」や「相談」ばかり。


「な、なんだか……今日は人が多いですね」

カンナが帳簿を抱えたまま、窓口の行列を見回す。


レイチェルは眉をひそめ、カウンター越しに前に出た。

「次の方、どうぞ。……はい、依頼書を」


ところが差し出されたのは、一枚の紙ですらなく、ただ必死な身振りだった。

「お、お願いします! 隣の家の鶏が夜明け前から鳴いて……眠れやしません!」


レイチェルの声が低くなる。

「それは……ご近所トラブルであって、ギルドに依頼する案件では——」


「いえ、記録します!」

カンナが慌てて羽根ペンを走らせた。

「えっと、『隣家の鶏が早朝から鳴きすぎて困っている』……」


横でメルシェは端末を起動し、淡々と打ち込む。

「分類:依頼未満。タグ:【生活騒音】。統計に追加」


「統計取ってどうすんだよ!」

笑いながら現れたのはジークだった。

「俺が鳴き声より先に起こしてやろうか? 夜明け前に大声で“おはよー!”って」


書類の束を片手にひらひらと振る。

「レイチェル。昨日の報告書、届けに——」


「ちょうどいいわ、手伝って。」

「は?」

「はい、そこの椅子に座って。」

「おい待て、俺は窓口担当じゃ——」

「空いてるんだから働いて。」


問答無用で腕を引かれ、ジークは窓口の椅子に押し込まれた。

「……なんで俺、鶏の苦情処理してんだ?」



次の来訪者は、土で汚れた服の若者だった。

「すみません!井戸に靴を落としちまって……取ってほしいんです!」


「……靴?」

「ええ、底が抜けかけの靴で……でもまだ履けるんで」


レイチェルがこめかみを押さえる。

「それ、子供に頼んでも拾えるでしょう。」


ジークはもう大笑いしていた。

「ははは! 依頼料より靴の方が安いんじゃねぇか?」


「でも……井戸が深くて」

「井戸の管理者に相談してください。」


カンナはそれでも真剣にメモを取っていた。

「えっと……『井戸に靴を落とした。救出希望』……」


メルシェが即座に打ち込み、冷静に告げる。

「分類:【拾得物】。難易度=低。コスト:依頼料<対象物価値」


「それもう依頼じゃないって言ってるでしょう!」

レイチェルの声が響いた。



三人目は酒の匂いを漂わせた中年冒険者。

「俺の仲間がよぉ、ツケ払わずに毎晩酒場に来やがるんだ。どうにかしてくれ!」


「それは酒場の店主が解決すべき問題です。」

レイチェルの言葉に、男は両手を広げて訴えた。

「でも俺が連帯保証人みてぇに思われて、ツケ回されるんだよ! あの野郎、強くて誰も文句言えねぇし!」


ジークは豪快に肩を揺らして笑った。

「なら腕相撲で決着つけろよ。勝った方がツケを払う、ってな!」


「そ、それは依頼解決じゃないです!」

カンナが慌てて割り込み、レイチェルが机を叩いた。

「ここはギルドの窓口。酒場の取り立て代行じゃありません。」


その一方でメルシェは端末にさらりと記録していた。

「分類:【債務問題】。タグ:酒場・連帯責任。解決難度:高。——対応不可に設定」


「設定しない!」

レイチェルの声が再び響いた。



気づけば窓口前の人だかりはさらに膨らんでいた。

——依頼というより、ただの愚痴や生活相談。


「ねぇ、今日の窓口……」カンナが青ざめた顔で呟く。

「……冒険者ギルドって、便利屋みたいになってませんか?」


ジークは大笑いしながら両手を広げた。

「いいじゃねぇか! 『ギルド=万能』って評判になったら依頼倍増だぜ!」


レイチェルは天を仰いだ。

「評判になっても……便利屋扱いじゃ信用が地に落ちるわ。」


メルシェは淡々と結論を置いた。

「——窓口、実態=社会雑音処理機関」


「やめてぇぇ!」

カンナとレイチェルの悲鳴が重なり、窓口は朝から混沌に包まれた。


その様子は、すぐに掲示板に書き込まれる。


——窓口は、依頼とは名ばかりの“日常騒音”に振り回されていた。



昼頃になると、窓口の前はさらに騒がしくなっていた。

冒険者の列と町人の列が入り混じり、怒鳴り声や笑い声まで飛び交う。


「次の方、どうぞ。」

酒場の前掛け姿の店主が息巻いて現れた。


「聞いてくれ!昨夜、酒場から椅子が盗まれたんだ!」


「椅子……ですか?」カンナが目を丸くする。


「そうだ、四脚だ! 酔っ払いどもが帰るときに持ち帰ったに違いねぇ!」


「それは“盗難”というより……」レイチェルが頭を抱えた。

「常連が勝手に……持って帰っただけでは?」


「返せって言ったら“家で使うから便利だ”だと! 冗談じゃねぇ!」


ジークが腹を抱えて笑った。

「ははは! そりゃもう“持ち帰りサービス”だな!」


「笑い事じゃありません。」

レイチェルが机を叩いた。

「椅子は店の備品でしょう。依頼書を書いて正式に届け出てください。」


「紙なんかいらねぇ、今すぐ取り返してこい!」

店主が叫び、窓口は一瞬ざわめいた。


メルシェは冷静に打ち込む。

「分類:【持ち帰り椅子】。解決難度=返却交渉。発生頻度:酒場系7件/今月」


「そんなにあるんですか!?」カンナが絶叫した。


「酒場=高リスク環境」メルシェは即答。


「やめて!」レイチェルの悲鳴がまたひとつ積み重なる。



次に現れたのは、小柄な老婆だった。

「夜中に……幽霊が出るんだよ!」


「ゆ、幽霊!?」

カンナが顔色を失う。


「そうさ、裏路地の井戸の脇に白い影が……ひゅうぅって!」

老婆は腕を震わせながら身振りで訴えた。


ジークの目が輝いた。

「おお、出たな! よっしゃ俺が行って捕まえてやろう! 幽霊相撲、第一番だ!」


「そんな軽いノリで行かないでください!」

カンナは半泣きでジークの袖を掴む。


メルシェは首を傾げ、端末に数字を映した。

「統計。『幽霊目撃談』の実態:猫=67%、酔っ払い見間違い=22%、風=11%」


「た、統計!?」カンナは余計に混乱する。

「でも、その残りの2%は……!」


「未確認」メルシェがあっさり言い切る。


「やめてぇぇ!」カンナが机に突っ伏した。


レイチェルは深く息を吸い込んだ。

「とにかく、依頼書にしてからです。依頼書なしでは動けません。」


ジークはにやにや笑いながら肩をすくめる。

「じゃあ俺が書いてやるよ。“幽霊捕獲依頼:報酬は成仏”ってな!」


「成仏は依頼報酬にできません!」

レイチェルが即座に叩き返す。



次の相談者は、丸太のような腕をしたパン職人だった。

「聞いてくれ! パンを買った客から“中が空洞だ”って突き返されたんだ!」


「空洞?」カンナが首を傾げる。


「外はふっくらなのに、中が空! 俺の名誉が地に落ちる!」


ジークは大笑いして椅子を叩いた。

「ははは! 新しい菓子じゃねぇか! “空洞パン”!」


「笑い事じゃありません!」

パン職人は顔を真っ赤にして叫ぶ。

「あれは失敗作だ! 膨らみすぎて空気が……でも陰謀だと言う奴まで出てきて!」


メルシェは淡々と打ち込む。

「分類:【食品空洞】。陰謀論発生確率=高。掲示板炎上リスク:上昇」


「そんな統計出さないでぇ!」

カンナが頭を抱えた。


レイチェルは首を振る。

「これは製造過程の問題です。ギルドでは扱えません。」


パン職人は机を叩いて泣き叫ぶ。

「俺のパンは陰謀じゃないんだああ!」


ジークは腹を抱えて笑い転げる。

「陰謀パンwww “空洞は敵の仕業”ってか!」


——その日の午後、掲示板は案の定、祭りになっていた。


窓口の混乱は収まるどころか、街全体に拡散していった。



午後。

窓口の混乱を一通りさばき終えた四人は、ようやく休憩室に戻ってきていた。


机の上には冷めた茶。

全員が椅子に沈み込み、ため息が同時に漏れる。


「……はぁぁぁぁぁ……」


カンナが机に突っ伏し、髪の毛をばさりと広げた。

「窓口って……万能すぎませんか……?」


その声は、完全に疲弊した少女のものだった。


レイチェルがぴしりと指を立てる。

「違うわよ、本来は依頼を捌く場なの。鶏がうるさいとかパンが空洞だとか、そんなのはギルド案件じゃないの。社会全体の愚痴や相談を片っ端から受けてたら、体制が破綻するわ。」


「でも……みんな困ってるんですよねぇ……」

カンナが潤んだ目で抗弁する。


「困りごと=依頼、って短絡すんなよ」

ジークは椅子をぐいと倒して仰向けになり、だらしなく笑った。

「まぁいいじゃねぇか。暇しねぇ分、退屈はしねぇしな」


「そういう軽口が一番火に油を注いでるの。」

レイチェルが鋭い視線を飛ばす。


メルシェは茶をひと口啜り、静かに結論を落とした。

「窓口=社会雑音の調停機関。……定義的に正しいです」


三人の視線が同時に突き刺さる。


「「「やめてぇぇぇ!」」」



しばし沈黙が続いた後——。

ジークが退屈そうに辺りを見回し、部屋の隅の棚に目を止めた。


「ん? この壺なんだ?」


「触らないでください」

レイチェルが即座に制止する。

「忘れ物保管箱よ。窓口に届けられたけど持ち主が現れなかった物を一時的に置いてるだけ」


「ほぉ〜。……じゃあ確認だけな」

「開けるなって言ってるの!」


制止もむなしく、ジークはふたをぱかりと開けた。

次の瞬間——。


「っっっくっさああああああああ!!」

鼻を突き破る刺激臭が室内に充満した。


「ちょっ……ちょっと!」

レイチェルが涙目で叫び、鼻を押さえる。


カンナは顔を真っ赤にして泣き笑いになりながら机に突っ伏す。

「うぅぅ……し、死ぬぅ……!!」


メルシェは臭気に眉ひとつ動かさず、端末にさらさらと打ち込んだ。

「臭気成分=発酵由来。おそらく漬物系。——熟成期間過多」


「分析してる場合じゃないです!」

カンナが叫んだ。


ジークは鼻をつまみながらも豪快に笑った。

「ははっ!この匂い、逆に食欲湧いてこねぇか?」


「湧くかぁぁぁ!!」

怒号が重なり、休憩室が一時修羅場と化した。



夕刻。

一日中続いた“依頼未満”の相談ラッシュも、ようやく終わりを迎えていた。


窓口の空気は、まるで戦場帰りの兵舎。

ジークは椅子にのけぞり、足を机に投げ出す。

「……今日は働きすぎた……」


「働いたんじゃなくて、騒ぎを増やしたのよ」

レイチェルがぴしゃりと切る。

書類を片付ける手は速いが、その顔は明らかに疲弊していた。


カンナは机に突っ伏し、髪の毛をぐしゃぐしゃにしながら呻いた。

「……もう、幽霊とか空洞パンとか、嫌です……」


「統計的には幽霊=猫率六七%」

メルシェが端末を閉じ、冷静に結論を残す。


「……その数字が出る方が怖いのよ!」

レイチェルが吠えると、ジークは腹を抱えて笑った。

「はははっ! いやぁ、いい一日だったな!」


「どこがですかぁぁぁ!」

カンナの突っ込みが、休憩室から聞こえた悪臭騒動を思い出させ、全員の顔に微妙な疲れ笑いが走った。



ちょうどその時、重い扉が軋む音。

夕陽を背に、ライゼルが歩み入ってきた。


「……妙に騒がしかったな」

低い声。


一瞬、室内の空気が固まった。

次の瞬間——。


「お前がいれば止められた!」

「ライゼルさんいれば止められた!」

「あなたがいれば止められた!」


ジーク、レイチェル、カンナが同時に叫ぶ。

メルシェまで、無表情のまま小さく頷いていた。


ライゼルはわずかに首を傾げただけで、それ以上は何も言わなかった。

無言の視線が淡々と室内を一巡し、やがて夕陽の光の中に溶けていく。


疲労困憊の窓口に、静かな沈黙が落ちた。


——窓口は、今日も“本来業務以外”で手一杯だった。

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