51.甘い差し入れ
ギルド内の休憩室。
その机の上に、籠が一つ置かれていた。
布の端には、見慣れぬ印。
布をめくると、パンと焼き菓子の詰め合わせ。
甘い香りがふわりと漂う。
「おいおい、今日はずいぶん豪華じゃねぇか!」
ジークが最初に椅子へ腰を下ろし、当然のように籠に手を伸ばした。
カンナが目を丸くする。
「え、えっ……差し入れ、ですか? こんなにたくさん……!」
「ありがてぇ話じゃねぇか」
ジークがパンをひとつつまみ上げる。
その勢いに、レイチェルが即座に睨んだ。
「勝手に手を出さない! 送り主の確認もしてないでしょう!」
「いいじゃねぇか、毒見だ毒見」
ジークは大げさに胸を張り、口に放り込んだ。
「……お。うめぇ」
メルシェは小首を傾げ、印をじっと観察している。
「印は……不明瞭。」
「つまり、誰からかは分からないってことですか?」
カンナが不安げに声を漏らす。
ジークがパンを頬張ったまま笑った。
「ま、気になるなら後で出所を追えばいいだろ。今は食っとけ。腹減ってんだろ?」
レイチェルが眉をひそめ、口を開きかけた。
「未確認の食品は——」
ジークはパンをもう一つ取ろうとする。
その手を、レイチェルが容赦なく叩いた。
「こら!」
「いってぇ!」
ジークが手を引っ込める。
カンナが手をあげ、真剣な声で言った。
「えっと……全員で公平に分けるべきだと思います! 順番とか、くじ引きとか……」
ジークは豪快に笑った。
「おいおい、くじでパン選びか? 子供かよ!」
「子供扱いしないでください!」
カンナが真っ赤になって抗議する。
メルシェはパンの断面をじっと観察し、淡々と告げた。
「分け方を巡る摩擦は時間の無駄です。——質量基準で均等化するのが合理的です」
「……質量基準?」
カンナがぽかんとする。
「一つずつ重量を測り、総重量を人数で割る。個人割り当てを決定すれば、不満は残りません」
メルシェは端末を取り出し、計算画面を立ち上げた。
ジークが大げさに額を押さえた。
「おいおい、パンの量り売りかよ!」
「合理的です」
「合理的ですじゃねぇよ!」
レイチェルは大きく息を吐き、籠を抱え直す。
「……分かりました。じゃあまずは目録を作ります。誰が何を食べたか、きっちり記録を残して——」
「おい、役所仕事にすんなよ」
ジークが笑いながら横から手を伸ばす。
だがその手は、レイチェルの鋭い視線にぴたりと止まった。
「……」
「……」
——その空気を割るように、扉が再び開いた。
入ってきたのはライゼル。
淡々とした足取りで机に近づき、差し入れに視線を落とす。
「……揉めているのか」
「俺は悪くねぇ!」ジークが叫ぶ。
「俺が食おうとしたら横からレイチェルが——」
ライゼルはため息を吐き、椅子に腰を下ろした。
「……俺は後でいい」
「おお、ライゼルは心が広いなぁ!」
「順番を譲っただけです」
「広いだろ!ほら!」
「……論理の飛躍です」
淡々と突っ込まれて、ジークはがっくり肩を落とす。
その隙に、カンナが籠からクッキーを一枚取り上げた。
「やった! 私もゲット!」
「おい!」
ジークが叫んだ瞬間、休憩室の外から笑い声が漏れた。
廊下を通りかかった職員達が、開いた扉の隙間から覗き込んでいたのだ。
「なにしてんだあの人たち……」
「差し入れの取り合いw」
カンナが慌てて扉を閉めようとする。
「ちょ、見てないで仕事してください!」
外からは「お前らこそ仕事しろ!」と即座に返ってきて、休憩室は爆笑に包まれた。
*
「量り、持ってきました!」
カンナが両手で抱えてきたのは、郵便用の頑丈な秤。
ジークが頭を抱える。
「おいマジで量るのかよ!」
「公平が一番です!」
カンナは真剣そのもの。
レイチェルも涼しい顔で頷く。
「文句が出ない形に落とすのが、窓口の知恵よ」
メルシェは端末に分配シートを立ち上げる。
「各個人の割当重量を算出。」
秤にパンが載り、紙に数字が並ぶ。
「待って待って!」カンナが手を挙げる。
「同じパンでも中身が違うかも。中にレーズン多いのと少ないの、あるじゃないですか!」
「レーズンの個数カウント、追加」
メルシェの指が冷酷に走った。
ジークが天井を仰ぐ。
「頼むから戦地の記録みたいにするな」
ブドウの粒がひとつ、ふたつ、数えられていく。
レイチェルが淡々と仕切る一方で、ジークは横から香りだけ確認しては、即座に睨まれるのを繰り返した。
そこで事件が起こる。
机の脇に置いた菓子箱。ふたが“すっ”とミリ単位で閉まり直った。
「……今、誰か触りませんでした?」
沈黙。
メルシェの指が、空中で止まる。
「——減っています」
全員の視線が、矢のようにジークへ。
「減らしてねぇ! 俺の名誉のために言うが、減らしてねぇ!」
「なら、犯人は別にいるわね」
レイチェルが静かに、しかし怖い声で告げた。
「名乗り出なさい。甘味は逃げないけど、私の機嫌は逃げるわ」
カンナがおずおずと手を上げかけ、途中で引っ込め、また上げた。
「……すみません、箱が可愛いなって思って、開け閉め……だけ……でも食べてないです……嗅いだだけです……」
*
一通りの計量と記録が済んだところで、今度は配布方式で揉めた。
レイチェルは「割当重量に基づき選択順を決める方式」。
メルシェは「価値点(香り・見栄え・希少度)を導入したポイント制」。
カンナは「くじ引きは夢がある」と主張する。
ジークが頭をかく。
「頼むから戦場みたいな真剣さで菓子配るなよ……」
そこで、椅子が静かに引かれた。
ライゼルだ。
彼は立ち上がり、籠に手を伸ばすと、ひとつのパンを割った。
ぱきん、と小気味よい音。
半分を皿へ、半分を別の皿へ。
続いて菓子も、すべて等分に切っていく。
誰も止めなかった。
止める暇もなく、目の前で乱れのない均等が出来上がっていくからだ。
メルシェがわずかに目を瞬いた。
「手作業での分割誤差……ほぼゼロ。——職人技です」
ジークが頬を掻く。
「器用だな……」
「戦地では、食い物の分け方で喧嘩が起きる」
ライゼルは淡々と続ける。
「切り分ける者が最後に選ぶ。——それで、誰も文句を言わない」
メルシェはふっと口角を上げ、皿を並べ直した。
「採用します。切った人が最後に取る」
カンナは等分された皿を見て、両手を合わせた。
「ありがたく、いただきます!」
*
最初のひとかじり。部屋に柔らかい音が広がる。
噛めば、外側は軽く弾け、中から温い蒸気がふわり。
ジークが「ほー」と鼻から息を抜く。
「これ、ただの白パンじゃねぇな。蜂蜜、ちょい入ってる」
「香りの残り方からして、酵母がいい品質」
メルシェは菓子をほんの小さく齧り、あっさり結論を置く。
「成分比、砂糖は細かい」
カンナがそっと笑う。
「……おいしいって、安心しますね」
ジークはパンの端をライゼルの皿にぽん、と置いた。
「切り分け代。手間賃」
「受け取らない」
「いいから受け取れ。最後に選ぶんだろ?」
ライゼルはほんのわずかに目を細め、無言でそれを口へ運んだ。
*
半分ほど食べ進めたところで、ライゼルの手がふと止まった。
「そういえば誰からの差し入れだ?」
ジーク以外の全員の手が止まった。
「え……」
「……あれ?」
「確認、していませんでした」
カンナ、レイチェル、メルシェが顔を見合わせる。
全員の表情が強張った。
沈黙。
視線が机上の籠と、残りの菓子に集まる。
ライゼルが静かに息を吐き、鋭い眼差しで全員を見渡した。
「分からないものを口にするのは、軽率だ。」
四人は思わず背筋を伸ばした。
言葉は穏やかだが、叱責の重みがはっきりと乗っていた。
「……すみません」
「気を取られてました……」
「記録、怠慢でした」
小さく頭を下げる声が重なる。
ジークだけがもそもそと口を動かし、最後のひとかけらを頬張っていた。
「……お前は反省してるのか?」
ライゼルの視線が突き刺さる。
ジークは肩をすくめて、悪びれもせず言った。
「だって、もう食っちまったし」
「……」
再び全員の視線が突き刺さり、ジークは慌てて両手を上げた。
「わ、分かった! 次から気をつけるって!」
メルシェが、籠の横にあった畳まれた包装紙を広げる。
小さな紙片が、折り目からひらりと滑り落ちた。
潰れ気味のインクで、たった一行。
——「迅速な対応に感謝。甘い物で礼。」
署名はない。
かわりに、小さな三角の印。
見覚えがある。
先日の酒屋の店先の木札と同じ形。
「匿名にしてるつもり、なんでしょうけど」
レイチェルが苦笑する。
ジークは鼻で笑った。
「匿名のつもりなら木札のマーク隠しとけっての」
メルシェが紙片を見つめ、短く結ぶ。
「甘い物で礼。いい言葉です」
カンナはそっと紙片を戻した。
「今度、こちらからもこっそりお礼……してもいいですか?」
「こっそりはやめなさい。正式にやるの」
レイチェルが即答する。
「でも甘い礼返しは、悪くないわね」
ジークが手を上げた。
「じゃあ俺はしょっぱい礼返し行ってくる。樽で」
「それはやめなさい」
一斉に止められて、ジークは肩を竦めた。
*
午後。
窓口はまた、いつもの忙しさへ戻っていく。
差し入れの籠は空。
包装紙は片付けられた。
小さな紙片だけが引き出しの隅に眠った。
外の石畳を、荷馬車の車輪ががらん、と鳴らしながら通り過ぎる。
遠くで子どもの笑い声、近くで誰かのくしゃみ。
カウンター越しの「次の方どうぞ」に、ほぼ同時の「はーい」が重なる。
カンナが受領印を押しながら、ぽつり。
「甘いもの食べたら、仕事が捗る気がします」
「血糖値による一時的な……」
メルシェが始めかけ、レイチェルに袖をつままれて短縮される。
「——落ち着き効果」
*
夕刻。
一日の終わりの疲れが、甘い後味でほんの少しだけ和らいでいた。
ジークが背伸びをし、空を見上げる。
「よし、甘い礼の返礼、しに行くか」
「正式にやるのよ?」
レイチェルの釘。
ジークは親指を立て、にやり。
「もちろん。——ついでに毒見もな」
「だから毒見を口実にするな!」
三人四様の突っ込みが重なって、笑いが起きた。




