50. 利得と破壊
霜月二十八日、朝。
ローゼン商会の応接室。
前日と同じ顔ぶれが揃う。
窓から差し込む冷たい光が、重厚な机の表面を淡く照らしている。
ティモが報告をまとめるように口を開いた。
「……聞き込みをしました。でも、結局決定的な証言は出ませんでした」
声は硬く、悔しさが滲んでいた。
「倉庫の職員は日々の業務に追われています。あの日の動きなんて“細部までは覚えていない”……そういう答えばかりでした」
ティモは帳面をめくりながら続ける。
「視線も、ほとんど帳票や搬出便の確認に向けられていたそうです。通路の奥や集積棚の影まで注意していた者はいませんでした」
重い沈黙。
それを破ったのは、ジークの低い息だった。
「……つまり、うまく死角を突かれたってわけだな」
ティモは小さく頷いた。
ライゼルが瞳を細める。
「都合よく証言が出てくるはずもないか。混雑の中で起きた日常の一部——その程度に紛れ込ませたのだろう」
ティモが悔しそうに唇を噛んだ。
*
カイルが静かに息を吐き、別の帳面を取り出した。
「私の方では、商会の繋がりを使って同業者に当たりました」
漆黒の瞳が淡く光り、全員を見渡す。
「市場の流通。地方の卸問屋。仲買人。……どこを探っても、我々の商品が流れた話しは出ませんでした」
メルシェがが端末から視線をあげる。
「正規の流れには乗っていないと言うことですね」
「俺の方では、情報屋に闇市場を探らせた……が」
ジークが椅子に背を預け、鼻で笑う。
「闇市場にも影も形もなかったぜ。」
ライゼルの目が鋭さを増す。
「正規にも裏にも出ていない……となると」
メルシェが端末を操作し、光板に文字を映した。
「流通痕跡ゼロ。……つまり、本物がどこに行ったかは不明のまま」
指先が淡い光をなぞる。
ティモの拳が小さく震える。
「……無駄、だったんでしょうか」
カイルがゆるやかに首を振る。
「無駄ではありません。見つからなかったという結果も、またひとつの情報です」
その声音は柔らかいのに、不思議な圧を帯びていた。
「——ここまでで掴んだ断片を整理しましょう」
全員の視線が、再び机上の帳票に集まった。
ライゼルが資料に視線を落とす。
「……まず現物の回収は完了。茶葉、砂糖、酒、いずれも袋や刻印に差異あり。中身は必ずしも粗悪ではないが、確実に入れ替えは成立している」
ジークが腕を組み、皮肉混じりに吐き捨てる。
「味の落ち方は微妙でも、袋や刻印が違うってんならもう黒だろ。遊びじゃ済まねぇ」
メルシェが端末を操作し、項目を並べる。
「次に比較検証。茶葉=縫製粗い。砂糖=結晶粗大。酒=刻印浅い+風味劣化。三件一致。——偽装手口の共通性、確認」
「帳票と配送便の突き合わせも終わったな」
ライゼルの声に、ティモが頷く。
「はい。該当する便は三人の当番と重なっていました。……つまり内部犯行の可能性が極めて高い」
ジークが肩を竦め、笑う。
「やっぱあの三人で決まりって線が濃いな。姿消してるのも臭ぇし」
カイルはその言葉を受け止めながらも、冷静な声で制した。
「決めつけは早いでしょう。……ただ、彼らが最有力候補であるのは事実です」
*
全員の視線が自然と集まる。
ライゼルが改めて口を開く。
「そして——聞き込み、所在追跡は成果なし。」
ティモが小さく俯く。
「……市場にも、闇にも、出てこなかった」
カイルが頷き、落ち着いた声で補足する。
「取引記録も、流通の影もない。どこにも痕跡を残していないです」
「不気味だな」
ジークは机を軽く叩き、声を落とした。
「売らねぇなら、何のためだ」
カイルが頷く。
「普通なら売り払うはずです。利益にならないのなら、なぜ入れ替えたのか」
ティモは小さく声を震わせる。
「遊び半分……?いや、そんなはずは」
「前も話に出たが……」
ライゼルが腕を組み、ゆっくりと頷く。
「ひとつは——まだ試しだった可能性。
もうひとつは——商会の信用そのものを狙った可能性」
ティモが顔を上げる。
「試し……」
「そうだ」
ライゼルは端的に続ける。
「茶や砂糖は価格が低い。利益目的でわざわざ替える意味は薄い。……だが本当にやれるかの検証としては最適だ」
メルシェがすぐに補足した。
「試行。条件確認。小規模に差し替え、発覚までの時間を計測。——十分に合理的です」
「悪ぃジョークだな。しかも……」
ジークが低く笑う。
「これが試しなら、本命は別って事だ」
ティモが息を呑む。
「本命……?」
「高額品、希少品、武具や魔道具……。」
ライゼルの声は低く鋭い。
「倉庫の流れに紛れ、重い酒樽ですら入れ替えられると証明した。ならば次は——もっと価値あるものを狙う」
ティモが不安げに続ける。
「……じゃあ、信用破壊っていうのは」
ライゼルの目が鋭く光った。
「商会の名前を汚す。信頼を削ぎ落とす。……数を重ねれば、ローゼンは危ういという噂は勝手に広がる」
メルシェが端末を操作し、光板に二つの項目を映し出す。
【利得】/【破壊】
「仮説一。利得目的。上等品と下等品を差し替え、差額を得る。ただし現状の価格差は小さい。闇市場に流した痕跡もゼロ。利益率は低い。
——茶葉、砂糖、酒と難易度を上げていき、本命は高額品。」
「仮説二。信用破壊。商会の信頼を削り、取引を不安定にする。
——繰り返し重ねれば、“ローゼンは危うい”という噂が広がる」
光が揺れ、冷たい影が浮かび上がる。
カイルが小さく頷いた。
「取引先は不安を抱けば、いずれ離れます。利益よりも信用を奪う方が、よほど痛手になります」
ジークが鼻を鳴らし、拳を軽く打ち鳴らした。
「最初から信用狙いなら……余計タチが悪ぃな」
メルシェが淡々と補足する。
「利得は副次的。主目的は“信頼の切り崩し”。——現状の最有力仮説です」
ジークが机に拳を置き、声を低める。
「で、問題は“誰が背後にいるか”だ」
ライゼルが頷く。
「三人だけで完結する話ではない。内部に詳しいとはいえ、消えた後の逃走経路も、潜伏先も掴めない。……必ず後ろ盾がいる」
ティモは震える声で続けた。
「後ろ盾……商会を狙うほどの力を持つ存在……」
カイルはしばし沈黙したのち、言葉を選ぶように口を開いた。
「商会同士の競合……かもしれません。あるいは、より大きな意図を持った者たちか」
その声音は淡々としているのに、不思議と圧があった。
ジークが鼻を鳴らす。
「競合がちょっかい出すにしちゃ、やり口がまどろっこしいぜ。もっと楽に潰せるだろ」
メルシェが全員を見渡し、結んだ。
「いずれにせよ——背後を突き止めなければ終わりません」
*
応接室に、湯気の消えかけた茶が五つ。
ジークが背もたれをぎぃと鳴らし、天井を仰いだ。
「——で、実行役の三人はいない。けど別の手は来るかもしれねぇ、っと」
メルシェが端末をくるりと回し、光板に短い行を並べる。
「可能性——①別手口での信用攻撃、②別人材の潜入、③三名の再投入(低確率)。対処——監視網再設計」
「言い方が怖ぇんだよ。もっとこう、『見張り強化します!』でいいだろ」
ジークが苦笑する。
「要点は同じです」
メルシェはきっぱり。
カイルが柔らかな笑みで場をまとめた。
「方針を分けましょう。表と裏。守りと攻め。——私から」
視線を皆に流し、落ち着いた声で続ける。
「商会は体制を再構築します。検品手順を段階化、二重封印・二人承認・現物照合の三点セットを標準化。そして取引先へ追加説明と謝罪の巡回。納得のいかない先には契約見直しも含めて、こちらから条件を提示します。信用回復のため最善を尽くします」
ティモが小さく拳を握る。
「倉庫と配送は僕が再点検します。詰所の死角、台車の導線、当番の重なり……監視を一段階上げます。交代時の引き継ぎもチェックリスト化して、必ず第三者確認を入れます」
ライゼルが頷いた。
「よし。俺は消えた三人の足取りを洗い直す。」
「裏は俺だな」
ジークが椅子を蹴って立ち上がるしぐさをしかけ、カイルの視線に気づいて座り直す。
「……落ち着いてるっての。情報屋の線を深掘りする。港の酒場、荷運びの宿、借金筋。三人が消える前に“誰と飲んだか”を辿れば、尻尾の一本くらいは拾えるさ」
メルシェがさらりと差し込む。
「“誰と飲んだか”は高精度な相関指標。採用します」
「お前、たまに俺のこと実験動物みたいに言うよな?」
「対象=データ。敬意は払っています」
「そこじゃねぇ!」
くすり、とカイルが笑う。
「表は私、裏はジークさん、足跡はライゼルさん。現場はティモ、設計はメルシェさん。役割は明確です」
ティモが顔を上げた。
「……でも、次は同じ手口じゃないですよね。別の形で——」
ライゼルが短く言葉を継ぐ。
「揺さぶってくる。噂、書付、数字の穴、あるいは偶然。信頼は一発で崩れないが、千の小石で崩れる」
「千の小石か」
ジークが指をぽきぽき鳴らす。
「だったらまとめて蹴散らしてやる」
*
「取引先には、誤魔化さず、遅れず、隠さず。都合の悪いことほど、最初に私から伝えます」
ジークが横目で見た。
「……それ、敵からすると一番やりづらいな」
「意地悪を言う相手ほど、先に丁寧に話せば静かになります」
カイルは仮面めいた微笑を崩さない。
ふと、窓の外を鳩が横切った。羽音が一度だけ、薄く響く。
静けさの中、ライゼルが結論を置く。
「三人の影の背後を掴むまで、終わりじゃない」
ティモが深く息を吸い、吐き、こくりと頷いた。
「必ず、黒幕を見つけましょう。……商会の名前を、僕たちの手で守ります」
「よく言った、坊主」
ジークがにやりと笑い、拳で軽くティモの肩を叩く。
「後ろに隠れてるやつ、根こそぎ引きずり出してやろうぜ」
メルシェが端末を閉じる音が、乾いた拍子木みたいに響いた。
「計画、同期完了。各自タスク配布しました。——動けます」
カイルは椅子から立ち、静かに一礼する。
「表の窓口は私が請け負います。」
ジークが力強く頷いた。
「裏と足跡は任せろ。……表と裏、同時に動かしてこそ、盤は回る。」
その言い回しに、カイルの目が細くなる。
「盤、ですか。では——ここからが本番ですね」
応接室の扉がきしみ、冷えた廊下の空気が流れ込む。
立ち上がった影が、それぞれ違う方向へ伸びていく。
湯のみの底に残った茶が、わずかに揺れた。
誰かの手が触れたわけでもないのに。
——まだ、終わっていない。
その“わずかな揺れ”だけが、部屋に残った。




