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50. 利得と破壊

霜月二十八日、朝。


ローゼン商会の応接室。

前日と同じ顔ぶれが揃う。


窓から差し込む冷たい光が、重厚な机の表面を淡く照らしている。


ティモが報告をまとめるように口を開いた。

「……聞き込みをしました。でも、結局決定的な証言は出ませんでした」  


声は硬く、悔しさが滲んでいた。

「倉庫の職員は日々の業務に追われています。あの日の動きなんて“細部までは覚えていない”……そういう答えばかりでした」


ティモは帳面をめくりながら続ける。

「視線も、ほとんど帳票や搬出便の確認に向けられていたそうです。通路の奥や集積棚の影まで注意していた者はいませんでした」


重い沈黙。

それを破ったのは、ジークの低い息だった。

「……つまり、うまく死角を突かれたってわけだな」


ティモは小さく頷いた。


ライゼルが瞳を細める。

「都合よく証言が出てくるはずもないか。混雑の中で起きた日常の一部——その程度に紛れ込ませたのだろう」


ティモが悔しそうに唇を噛んだ。



カイルが静かに息を吐き、別の帳面を取り出した。

「私の方では、商会の繋がりを使って同業者に当たりました」


漆黒の瞳が淡く光り、全員を見渡す。

「市場の流通。地方の卸問屋。仲買人。……どこを探っても、我々の商品が流れた話しは出ませんでした」


メルシェがが端末から視線をあげる。

「正規の流れには乗っていないと言うことですね」


「俺の方では、情報屋に闇市場を探らせた……が」

ジークが椅子に背を預け、鼻で笑う。

「闇市場にも影も形もなかったぜ。」


ライゼルの目が鋭さを増す。

「正規にも裏にも出ていない……となると」


メルシェが端末を操作し、光板に文字を映した。

「流通痕跡ゼロ。……つまり、本物がどこに行ったかは不明のまま」

指先が淡い光をなぞる。


ティモの拳が小さく震える。

「……無駄、だったんでしょうか」


カイルがゆるやかに首を振る。

「無駄ではありません。見つからなかったという結果も、またひとつの情報です」

その声音は柔らかいのに、不思議な圧を帯びていた。

「——ここまでで掴んだ断片を整理しましょう」


全員の視線が、再び机上の帳票に集まった。


ライゼルが資料に視線を落とす。

「……まず現物の回収は完了。茶葉、砂糖、酒、いずれも袋や刻印に差異あり。中身は必ずしも粗悪ではないが、確実に入れ替えは成立している」


ジークが腕を組み、皮肉混じりに吐き捨てる。

「味の落ち方は微妙でも、袋や刻印が違うってんならもう黒だろ。遊びじゃ済まねぇ」


メルシェが端末を操作し、項目を並べる。

「次に比較検証。茶葉=縫製粗い。砂糖=結晶粗大。酒=刻印浅い+風味劣化。三件一致。——偽装手口の共通性、確認」


「帳票と配送便の突き合わせも終わったな」

ライゼルの声に、ティモが頷く。

「はい。該当する便は三人の当番と重なっていました。……つまり内部犯行の可能性が極めて高い」


ジークが肩を竦め、笑う。

「やっぱあの三人で決まりって線が濃いな。姿消してるのも臭ぇし」


カイルはその言葉を受け止めながらも、冷静な声で制した。

「決めつけは早いでしょう。……ただ、彼らが最有力候補であるのは事実です」



全員の視線が自然と集まる。

ライゼルが改めて口を開く。

「そして——聞き込み、所在追跡は成果なし。」


ティモが小さく俯く。

「……市場にも、闇にも、出てこなかった」


カイルが頷き、落ち着いた声で補足する。

「取引記録も、流通の影もない。どこにも痕跡を残していないです」


「不気味だな」

ジークは机を軽く叩き、声を落とした。

「売らねぇなら、何のためだ」


カイルが頷く。

「普通なら売り払うはずです。利益にならないのなら、なぜ入れ替えたのか」


ティモは小さく声を震わせる。

「遊び半分……?いや、そんなはずは」


「前も話に出たが……」

ライゼルが腕を組み、ゆっくりと頷く。

「ひとつは——まだ試しだった可能性。

 もうひとつは——商会の信用そのものを狙った可能性」


ティモが顔を上げる。

「試し……」


「そうだ」

ライゼルは端的に続ける。

「茶や砂糖は価格が低い。利益目的でわざわざ替える意味は薄い。……だが本当にやれるかの検証としては最適だ」


メルシェがすぐに補足した。

「試行。条件確認。小規模に差し替え、発覚までの時間を計測。——十分に合理的です」


「悪ぃジョークだな。しかも……」

ジークが低く笑う。

「これが試しなら、本命は別って事だ」


ティモが息を呑む。

「本命……?」


「高額品、希少品、武具や魔道具……。」

ライゼルの声は低く鋭い。

「倉庫の流れに紛れ、重い酒樽ですら入れ替えられると証明した。ならば次は——もっと価値あるものを狙う」


ティモが不安げに続ける。

「……じゃあ、信用破壊っていうのは」


ライゼルの目が鋭く光った。

「商会の名前を汚す。信頼を削ぎ落とす。……数を重ねれば、ローゼンは危ういという噂は勝手に広がる」


メルシェが端末を操作し、光板に二つの項目を映し出す。

【利得】/【破壊】


「仮説一。利得目的。上等品と下等品を差し替え、差額を得る。ただし現状の価格差は小さい。闇市場に流した痕跡もゼロ。利益率は低い。

——茶葉、砂糖、酒と難易度を上げていき、本命は高額品。」


「仮説二。信用破壊。商会の信頼を削り、取引を不安定にする。

——繰り返し重ねれば、“ローゼンは危うい”という噂が広がる」


光が揺れ、冷たい影が浮かび上がる。


カイルが小さく頷いた。

「取引先は不安を抱けば、いずれ離れます。利益よりも信用を奪う方が、よほど痛手になります」


ジークが鼻を鳴らし、拳を軽く打ち鳴らした。

「最初から信用狙いなら……余計タチが悪ぃな」


メルシェが淡々と補足する。

「利得は副次的。主目的は“信頼の切り崩し”。——現状の最有力仮説です」


ジークが机に拳を置き、声を低める。

「で、問題は“誰が背後にいるか”だ」


ライゼルが頷く。

「三人だけで完結する話ではない。内部に詳しいとはいえ、消えた後の逃走経路も、潜伏先も掴めない。……必ず後ろ盾がいる」


ティモは震える声で続けた。

「後ろ盾……商会を狙うほどの力を持つ存在……」


カイルはしばし沈黙したのち、言葉を選ぶように口を開いた。

「商会同士の競合……かもしれません。あるいは、より大きな意図を持った者たちか」


その声音は淡々としているのに、不思議と圧があった。


ジークが鼻を鳴らす。

「競合がちょっかい出すにしちゃ、やり口がまどろっこしいぜ。もっと楽に潰せるだろ」


メルシェが全員を見渡し、結んだ。

「いずれにせよ——背後を突き止めなければ終わりません」



応接室に、湯気の消えかけた茶が五つ。


ジークが背もたれをぎぃと鳴らし、天井を仰いだ。

「——で、実行役の三人はいない。けど別の手は来るかもしれねぇ、っと」


メルシェが端末をくるりと回し、光板に短い行を並べる。

「可能性——①別手口での信用攻撃、②別人材の潜入、③三名の再投入(低確率)。対処——監視網再設計」


「言い方が怖ぇんだよ。もっとこう、『見張り強化します!』でいいだろ」

ジークが苦笑する。


「要点は同じです」

メルシェはきっぱり。


カイルが柔らかな笑みで場をまとめた。

「方針を分けましょう。表と裏。守りと攻め。——私から」

視線を皆に流し、落ち着いた声で続ける。

「商会は体制を再構築します。検品手順を段階化、二重封印・二人承認・現物照合の三点セットを標準化。そして取引先へ追加説明と謝罪の巡回。納得のいかない先には契約見直しも含めて、こちらから条件を提示します。信用回復のため最善を尽くします」


ティモが小さく拳を握る。

「倉庫と配送は僕が再点検します。詰所の死角、台車の導線、当番の重なり……監視を一段階上げます。交代時の引き継ぎもチェックリスト化して、必ず第三者確認を入れます」


ライゼルが頷いた。

「よし。俺は消えた三人の足取りを洗い直す。」


「裏は俺だな」

ジークが椅子を蹴って立ち上がるしぐさをしかけ、カイルの視線に気づいて座り直す。

「……落ち着いてるっての。情報屋の線を深掘りする。港の酒場、荷運びの宿、借金筋。三人が消える前に“誰と飲んだか”を辿れば、尻尾の一本くらいは拾えるさ」


メルシェがさらりと差し込む。

「“誰と飲んだか”は高精度な相関指標。採用します」


「お前、たまに俺のこと実験動物みたいに言うよな?」

「対象=データ。敬意は払っています」

「そこじゃねぇ!」


くすり、とカイルが笑う。

「表は私、裏はジークさん、足跡はライゼルさん。現場はティモ、設計はメルシェさん。役割は明確です」


ティモが顔を上げた。

「……でも、次は同じ手口じゃないですよね。別の形で——」


ライゼルが短く言葉を継ぐ。

「揺さぶってくる。噂、書付、数字の穴、あるいは偶然。信頼は一発で崩れないが、千の小石で崩れる」


「千の小石か」

ジークが指をぽきぽき鳴らす。

「だったらまとめて蹴散らしてやる」



「取引先には、誤魔化さず、遅れず、隠さず。都合の悪いことほど、最初に私から伝えます」


ジークが横目で見た。

「……それ、敵からすると一番やりづらいな」


「意地悪を言う相手ほど、先に丁寧に話せば静かになります」

カイルは仮面めいた微笑を崩さない。


ふと、窓の外を鳩が横切った。羽音が一度だけ、薄く響く。


静けさの中、ライゼルが結論を置く。

「三人の影の背後を掴むまで、終わりじゃない」


ティモが深く息を吸い、吐き、こくりと頷いた。

「必ず、黒幕を見つけましょう。……商会の名前を、僕たちの手で守ります」


「よく言った、坊主」

ジークがにやりと笑い、拳で軽くティモの肩を叩く。

「後ろに隠れてるやつ、根こそぎ引きずり出してやろうぜ」


メルシェが端末を閉じる音が、乾いた拍子木みたいに響いた。

「計画、同期完了。各自タスク配布しました。——動けます」


カイルは椅子から立ち、静かに一礼する。

「表の窓口は私が請け負います。」


ジークが力強く頷いた。

「裏と足跡は任せろ。……表と裏、同時に動かしてこそ、盤は回る。」


その言い回しに、カイルの目が細くなる。

「盤、ですか。では——ここからが本番ですね」


応接室の扉がきしみ、冷えた廊下の空気が流れ込む。

立ち上がった影が、それぞれ違う方向へ伸びていく。


湯のみの底に残った茶が、わずかに揺れた。

誰かの手が触れたわけでもないのに。


——まだ、終わっていない。

その“わずかな揺れ”だけが、部屋に残った。


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