48. 偶然を装った計画
ローゼン商会の応接室。
長机の上には、詰所の帳票やシフト表。
照らし合わせながら議論が進む。
ティモが額に手を当てながら、震える指で帳面をめくった。
「……ここです。入れ替えが行われたと考えられる時期、倉庫の詰所に残っていた記録。三人のうち誰かが当番に入っている日が、断続的に……」
カイルが視線をシフト表に落とし、冷静に答える。
「茶葉や砂糖の袋をいくつか差し替える程度なら、一人でも可能です。……ですが酒樽は違います」
ジークが笑いを混ぜて補足する。
「だろうな。十数キロの袋と違って、樽は重てぇ。最低でも二人は必要だ」
メルシェ指で示す。
「シフト表と入出庫記録の突き合わせ。——酒樽が動いた日には、三人が揃って詰所に出入りしている時間帯が確認できます」
ライゼルが低く唸った。
「つまり……偶然ではなく、協働だったと」
ティモが身を乗り出す。
「でも、その時間帯には別の職員もいたはずです。気づかれずに樽を入れ替えるなんて……」
「隙を突いたんだろう」
ライゼルが即座に断じた。
「荷が集中する混雑時間。視線は帳票と搬出の確認に奪われる。そこに三人が組めば、樽を動かすのは可能だ」
ジークが大げさに腕を広げてみせる。
「台車ひとつで堂々とすり替えられる。混雑時にゃ全部見ちゃいねぇ」
ティモは眉を寄せ、震える声で続けた。
「じゃあ……三人で十分、ということですか?」
カイルは頷き、淡々とまとめた。
「小物は一人で。樽は三人揃えば十分。逆に言えば、他に協力者がいた確証は今のところありません」
「だが」
ライゼルの声が鋭くなる。
「シフトの穴を突いて入れ替えた以上、内部の作業工程に熟知していたことは間違いない。……外部者が偶然潜り込めるものではない」
メルシェが冷静に補足する。
「入れ替え対象は便ごとの一部。共通点は、三人の勤務シフトに重なる便。外部協力者の痕跡は検出できず」
ジークが腕を組み、顎をしゃくる。
「ってことは、消えた三人がやっぱり実行犯って線が濃いわけだ」
ライゼルが静かに答える。
「奴らがどう動けたかを数字で示す。——可能だったと立証する必要がある」
カイルが頷き、光板を閉じた。
「倉庫の一区画を空けたのもそのためです。実際に同じ条件で、入れ替えを再現する。人数、時間、必要な手順を洗い出せば……奴らがどうやったか、明確になります」
ジークがにやりと笑い、拳を鳴らした。
「泥棒稼業の答え合わせってわけだ。面白ぇじゃねぇか」
メルシェは端末を操作し、静かに告げる。
「再現検証——明朝開始予定。対象手順:樽入れ替え。——計測項目、準備完了」
*
翌朝、ローゼン商会の倉庫。
その一角、仮設の検証区画。
受付台、集積用の棚、出庫口、台車、伝票の束。
実際の詰所の流れを切り取ったように並べられている。
冷たい空気の中に緊張感が漂う。
「準備、整いました」
職員の報告に、カイルが軽く頷く。
カイルは一歩下がって全体を見渡した。
「ここから先は推測ではなく、時間、動き、痕跡……どこまで現実的かを確かめます」
ジークが腕をぐるぐる回し、肩を鳴らした。
「盗人の真似事ってのも気分が悪ぃが……やってみりゃ見えてくるだろ」
ティモが強く頷く。
メルシェは端末を起動し、光板に検証条件を映した。
「試行一。条件:実行者三名、混雑を想定。計測開始の合図で動きます。——三、二、一、開始」
ジークが台車を押し出す。
「ティモ、通路塞げ」
短く言われたティモはすぐに集積棚の前へ歩み出た。
職員役の動線を塞ぐ。
そのわずかな隙に、ジークとライゼルが酒樽を台車から下ろした。
台車の車輪の軋みと同時だったため、音はほとんど紛れた。
メルシェの声が飛ぶ。
「二十五秒経過。物品移動一件、視線の流れに乱れなし」
ジークとライゼルが本物の樽を積み直し、自然に通路を進める。
動作は自然。まるでただ運搬しただけにしか見えない。
「五十六秒、終了。痕跡は樽のズレ二センチ。気づく者は少数」
メルシェが冷静に読み上げた。
ジークは大きく息を吐き、額をぬぐった。
「……まぁ、出来ちまうな。三人で」
カイルが短く頷く。
「成立。ただし精度は不十分。次だ」
メルシェの声が倉庫に響く。
「試行二。条件追加——通路に荷物あり。遮蔽物を想定。三、二、一、開始」
ティモは先程と同様に、集積棚の前で職員役の動線を塞ぐ。
通路に置かれた荷が邪魔をし、ジークとライゼルの動きが止まる。
無理に台車を押し込み、樽の縁が棚に当たった。
乾いた音が倉庫に響く。
その瞬間、職員が振り向いた。
ティモが顔をしかめる。
「今のは……気づきそうです」
メルシェが手を下ろした。
「七十二秒。異音検知。職員役一名が振り返る。成功率は低」
ジークは舌打ちし、樽を戻した。
「塞がれた通路に突っ込むのは無理があったな」
ライゼルは淡々と補足する。
「先に通路を確保してから動く必要がある。後追いで隠そうとすれば必ず音が出る」
カイルは記録を閉じ、冷静に結論した。
「成功率は五割程度。状況次第で露見する危険があります」
ティモが不安げに口を開く。
「じゃあ……やっぱり三人じゃ難しいんでしょうか」
ジークは肩を竦めて笑った。
「いや、工夫すりゃいける。もう一度だ」
試行三。
今度はティモが先に動いた。
狭い通路の中央へ台車を斜めに構え、自然な流れで進路を抑える。
職員役の動線が緩やかに逸れ、視線もそちらへ流れた。
ジークとライゼルはその陰で素早く樽を入れ替えた。
台車の軋み、衣擦れの音。
どれも通常の運搬作業にしか聞こえない。
「四十七秒、終了。痕跡なし。視線の乱れなし」
メルシェの声が落ちる。
ジークが指を鳴らした。
「よし、これなら文句ねぇだろ」
カイルは頷きながら、帳面に記す。
「三人、成立。条件は事前に通路を抑えること。偶然ではなく、準備が必要です」
ライゼルが静かに補足する。
「つまり、彼らは計画的にやっていた。場当たりではない」
倉庫に短い沈黙が落ちた。
冷たい空気が、確信を帯びて締めつけてくる。
倉庫の窓から差し込む朝の光が、木箱や袋の影を濃くする。
カイルが手を組み、全員に告げる。
「次は監視を置いた場合です。」
ジークが大げさに腕を回し、にやりと笑った。
「つまり正面に目がある状況だな。泥棒役としては一番やりづれぇ」
ティモは喉を鳴らし、帳面を握りしめる。
「……お願いします」
メルシェは端末を操作し、冷静に条件を読み上げる。
「試行四。監視一名を配置。視野角は正面扇形六十度。合図で開始します。——三、二、一、開始」
通路の正面に監視役が立った。
視線は鋭く、まっすぐ台車の動きを追っている。
ジークはわざと大声で言う。
「おいティモ、荷札が剥がれてんぞ!」
声に釣られて監視役の視線がわずかに外れる。
その瞬間、ティモが帳票を広げ、監視役の注意を引いた。
「確認をお願いします。次の便に影響します」
その隙に、ジークとライゼルが同時に動いた。
二人がかりで持ち上げ、台車の影に滑り込ませる。
「せーの!」
ジークが囁き、ライゼルの合図で本物を積み替える。
——その時。
樽の縁が棚に軽く当たり、コツンと乾いた音が響いた。
監視役の首がぴくりと上がる。
ティモの背筋が凍りついた
「っ……!」ティモが小さく声を漏らす。
だがジークは平然と樽を叩き、豪快に笑った。
「おーい、こいつ底が緩んでるぜ! 見ろ、板が欠けてやがる!」
監視役は顔をしかめ、視線を落とした。
その一瞬でティモが伝票を差し出し、話を繋げる。
「確認しておいてください」
監視役の注意は完全にそちらへ移る。。
メルシェが淡々と読み上げる。
「九十秒。成功。ただしリスク大。異音に依存したごまかし。成功率、三割以下」
ジークは額の汗を拭い、苦笑した。
「いやぁ、やっぱ見張りがいると難易度跳ね上がるな」
ライゼルは静かに頷く。
「偶然に頼る隙は持続しない。常に二手三手を打っておく必要がある」
*
「試行五、条件を変更します」
メルシェが画面を切り替える。
「監視一名、かつ通路の混雑を追加。接触者二名を配置」
カイルが短く告げた。
「始めてください」
ジークは台車の後ろに片手をかけ、にやりと笑う。
「『事故』が起こりそうな予感がするな。」
ライゼルは台車を横付けし、意図的に通路を狭めた。
通るためには、迂回せざるを得ない。
ティモが横を抜けようとした瞬間——
「わ、すみません!」砂糖袋をわざと落とした。
大きな音に、監視役と接触者の視線が一斉にそちらへ向く。
「今だ」ジークが声を潜めた。
二人がかりで樽を持ち上げる。
重みで腕がきしむ。
ライゼルが低く言う。
「合わせろ——今だ」
「よっしゃ!」
息を合わせ、滑らかに本物を台車に載せ替える。
擦れる音が一瞬走ったが、ティモが「大丈夫です!」と声を張ったのに紛れる。
監視役はそちらに気を取られ、怪しむ様子もない。
ライゼルは静かに位置を整え、ジークが肩で息をしながら笑った。
「……ふぅ、決まったな」
ティモは拳を握りしめた。
「三人でも……十分に出来た。監視がいても……」
「監視がいても成立。ただしリスクは跳ね上がる」
ライゼルが視線を落とし、低く結んだ。
「偶然ではなく、計画的に注意をずらしていたと考えるべきだ」
ジークはにやりと笑い、額を指で叩いた。
「人間の目なんざ、案外当てにならねぇもんだな」
メルシェが冷静にまとめる。
「六十二秒。成功率、七割。条件:動作の一部を事故に偽装すること」
カイルが頷く。
「……つまり、彼らは偶然を装いながら、全てを計算していた」
倉庫に重い沈黙が落ちる。
冷えた空気が、三人の実行犯の姿をまざまざと浮かび上がらせていた。
カイルが息を吐き、全員を見渡した。
「手口の再現は成立。三人で十分に可能だった。」
ティモは唇を噛み、深く頷いた。




