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45. 入れ替えの痕跡

午後のギルド会議室。

窓越しに差す光が、机に広げられた帳簿や資料を白く照らしていた。


静かな空気の中、扉が軽く叩かれる。


「失礼します」


職員に先導されて入ってきたのは、カイルとティモ。

きっちりした服装に身を包んだカイルは落ち着いた足取り。

ティモは帳面を抱えてやや緊張した面持ちで後に続く。


ジークが軽く片手を挙げた。

「おう、わざわざ来てくれたか。……まぁ座れよ」


ティモはジークの気さくな声に少しだけ肩の力を抜いた。

カイルは礼を示し、静かに腰を下ろす。


「昨日の件を受け、商会内で追加の調査を行いました。その結果を共有いたします」

カイルは机の上に封の切られた書簡と数枚の紙束を置いた。


メルシェは無言で端末を立ち上げ、入力を始める。


ジークが椅子の背にもたれ、にやりと笑う。

「おう、早ぇな」


ライゼルは無言で頷き、促す。

「聞こう」


「まず、ジークさんからご指摘いただいた酒の件について調べました」

「ほう」

ジークが片眉を上げる。


カイルが淡々と続ける。

「実際に納品先を回ったところ、最近味が落ちたと感じていたという証言を得ました。」


ティモが緊張した声で重ねる。

「さらに……納品された樽を確認したところ、確かに刻印に違和感がありました。並べて見比べれば分かる程度ですが、焼き直しされたような浅い印でした」


メルシェが目を細める。

「つまり、抜かれたわけでも、混ぜられたわけでもなく……」


「入れ替え」

ライゼルが言葉を継いだ。


カイルは頷き、資料を閉じる。

「はい。ジークさんの発見がなければ、この視点には至れなかったでしょう」


ティモは悔しそうに帳面を握りしめた。

「……倉庫での点検は徹底したつもりでした。でも、数が合っていれば……」


「気が付きにくい」

メルシェが冷静に補足する。

「制度的盲点。視覚と数量だけに依存した検証では防げません」


ジークは豪快に肩をすくめた。

「俺だって偶然気づいただけさ。にしても……ろくでもねぇやり口だな。一番目立たねぇ」


会議室に短い沈黙が落ちた。

午後の日差しが机の影を濃くする。


カイルは紙束をめくった。

「そして、ここからが本題です。——酒だけではありませんでした」


室内の空気がわずかに動いた。


ライゼルが目を細める。

「……続きがあるのか」


「はい」カイルは頷く。

「調査の過程で、他の納品先からも証言が集まりました」

カイルが静かに言葉を重ねる。

「茶葉、香辛料、砂糖。いずれも『味が落ちた』『香りが弱い』『溶けが悪い』など、定量化しづらい苦情が中心です」


ティモは慌てて帳面をめくり、震える声で読み上げた。

「三ヶ月ほど前から、少しずつ増えていました。ただ……担当部署が異なっていたため、個別の小さな苦情として処理されていて。これまでは特に問題視されていなかったんです。しかし全体をまとめ直したところ——」


言葉が詰まる。

緊張の沈黙を、メルシェの端末音が埋めていく。


深く息を吸い、ティモははっきりと告げた。

「例年よりも明らかに頻度が高かったのです」


「……なるほどな」

ジークが頭をかき、苦笑を混ぜる。

「バラバラに聞けば、ただのハズレや仕入れ元のせいって思っちまう。」


ライゼルが短く頷く。

「狙いは分散。小さな綻びとして散らせば、全体像は掴みにくい。」


メルシェは指先で画面を走らせ、淡々と告げる。

「確認済みの品目——酒、茶葉、香辛料、砂糖。全て〈入れ替え〉可能対象。三ヶ月間で品質低下の体感クレーム増。」


ジークが低く笑う。

「最初は小物から始めて、だんだんでかいもんに手ぇ出してきたってことか。昨日の樽なんざ、その延長線ってわけだ」


カイルの表情は険しい。

「ええ。つまり——相手は段階を踏んでいる。すり替えやすい小物から、大胆な樽へ。……目的が単なる利得か、商会の信用そのものを揺さぶるものか。」


ライゼルは視線を窓に移し、低く結んだ。

「試していたのかもしれないな。小さく揺さぶり、反応を探る。次はさらに大きな仕掛けを狙っていたのかもしれない」


重い沈黙が一瞬だけ落ちた。


ジークが鼻を鳴らす。

「……実行犯らしき奴等は残ってねぇ。だがら“何のために”“誰が”やったのか。」


ライゼルが短く言う。

「狙いは二つに収束する。利得か、破壊だ」


カイルが静かに頷く。

「利得面からは上等品を下級品に差し替えて差額を抜く可能性。ただ、我々の会計では不自然な利益は出ていません。となると―」


メルシェが引き取る。

「破壊、つまり信用失墜が主目的の可能性が高いでしょう。定量化しにくい風評を蓄積し、評価を落とす。取引解消が数件出れば、連鎖的に崩れます。」


ジークは指で卓をとん、と叩いた。

「つまり数は合ってるのに味が落ちたって声を点々と撒けば、『あの商会は雑だ』って噂が勝手に育つ。汚ぇが、効く手だ」


沈黙。窓の外で、鳩が羽音を立てる。


ライゼルが視線を上げた。

「では次だ。誰が得をする?」


ジークが椅子の背に肘を掛け、片手で髪をかき上げた。

「金を抜くだけなら、もっと楽なやり口がある。数を合わせて、見栄えだけ整えるなんざ手間がかかりすぎる。……わざわざそんな真似をするのは、別の狙いがあるからだろ」


メルシェは指先で画面をなぞりながら、淡々と告げる。

「信用失墜を狙うなら、長期的に小規模を積み重ねるのが効率的です。数回であれば偶然と処理されます。——しかし長期的、複数品目に跨れば、やがて評価として定着します」


ライゼルが無言で頷き、カイルへ視線を向ける。


カイルは僅かに息を整え、言葉を選んだ。

「競合商会が仕掛けている可能性も否定できません。あるいは……密輸組織。正規の流通に検品の穴を作り、それを常態化させるために、まずは我々の信用を削ぐ。そうすれば、後は彼らの思うままに流通を利用できる」


ティモが帳面を握り直し、小さく息を呑む。


ジークが椅子の背にのけぞり、指を折った。

「よし、まずは現物を押さえるのが先決だな。怪しい酒や茶葉、砂糖……納品先から今ある分を回収して保管しようぜ」


カイルが頷く。

「ええ。証拠として確保しておけば、後で突き合わせが可能です」


メルシェが端末を操作しながら静かに続けた。

「次は比較検証。回収品と正規品を並べ、刻印や封印、味や香りの差を調べます。質的差異は数字に落とせば明確になります」


ティモが帳面を握りしめる。

「じゃあ、納品リストと配送便を突き合わせます。どの便からおかしくなったのかを洗い出せば……」


「いいな」

ライゼルが短く返す。

「タイムラインを作れば、手を入れられた隙が見える」


メルシェが画面を指でなぞる。

「さらに、手口の再現も必要です。どの程度の時間と人数で入れ替えが可能かを確認すれば、行方知らずの三人以外に協力者がいなかったかも見えてくるでしょう。」


ジークがにやりと笑う。

「そんじゃ後は現場聞き込みだな。酒場や倉庫の当番、運搬人。酒と一緒に噂も回ってくるもんだ」


カイルは深く頷いた。

「お願いします。……本物の所在も追いましょう。差し替えられた以上、本物はどこかに流れているはずです。闇市場か、別の商会か」


ライゼルが全員を見渡し、低く結んだ。

「——まとめるぞ。

一、現物の回収。

二、比較検証。

三、帳票と配送便の突き合わせ。

四、手口の再現。

五、聞き込み。

六、本物の所在追跡。」


「おっけー」

ジークが軽く肩を回す。

「やることはっきりしたな。逃げた連中の背中は見えねぇが、足跡は残る。拾えばいい」


「……これ以上、商会の信用を削がせはしません」

カイルの静かな決意が、会議室の空気を引き締めていった。


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