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42. 偽りの在籍

午後のギルド会議室。


窓越しに射す光が、机の上に並ぶ書類を白く照らしていた。

光は穏やかだったが、集まった顔ぶれの表情は固い。


「隣国の商会に照会していた件、回答が届きました」

カイルが丁寧に一礼し、封を解いた書簡を置いた。


ティモは帳面を胸に抱え、肩にぎこちない力が入っている。


ジークが椅子を軋ませ、気安く手をひらひら。

「堅くなんなって、ここは取り調べ室じゃねぇ。」


ライゼルは無言で頷き、カイルに促した。

「聞こう」


カイルは中身を一度だけ素早く目でなぞり、簡潔に言葉を紡いだ。


「内容を要約すると——」

カイルが視線を走らせ、静かに言葉を継いだ。

「ラドという人物は確かに在籍していました。勤務態度も特に問題なく、記載の通り直前まで働いていた、とのことです」


「……じゃあ、履歴そのものは間違ってなかったってことか」

ジークが身を乗り出す。

「嘘っぱちだったってわけじゃねぇのか?」


カイルは短く頷く。

「ただし——」

用紙を指で叩く音が重く響く。

「この返答を得る過程で、商会が本人の親族へ確認を取った結果、ラド本人は“死亡していた”と判明しました」


室内の空気が一瞬で固まった。


メルシェが端末を操作しながら、淡々と区切る。

「——在籍記録〈有〉、勤務態度〈可〉。ただし……死亡記録〈有〉」


ティモの喉が小さく鳴る。

帳面の角が、指の中できゅっと歪んだ。


ジークの笑みが薄くなる。「……いつだ」


「7ヶ月前——我々の商会に来る一月前です」

カイルは視線を落とさず続ける。

「こちらが行方を探していると強調したため、特別に確認を取って下さったようです」


「つまり」

ライゼルが低く繰り返す。

「履歴に記された直前まで隣国商会に勤務という記録は、事実。——ただし、履歴書にそれを書き込んだ提出者本人は偽者」


ジークが鼻を鳴らした。

「……死んだ翌月に履歴書つきのラドが現れたって寸法か」


ティモが顔を上げる。

「照会書にあった外見的特徴……似てるんです。僕の知ってるラドさんだって思うぐらいに」

声は震えているが、言葉は崩れない。


カイルは二通目の薄紙を取り出した。

朱の押印。

「照合結果——肖像素描の一致率〈高〉。ただし、死亡確認が取れている以上、向こうは似ているが別人の可能性が高いと結論しています」


ジークが肘で卓をとん、と突く。

「……たまたま、なのか。乗っ取るために——」


ティモが息を呑む音が響く。


「断定は避ける」

ライゼルの声が空気を締め直す。

「今必要なのは、事実の縫い合わせだ」


「——事実の整理を行います」

端末を指先で操作しながら、メルシェが声を落とした。


「まず、隣国商会の回答により、履歴記載と勤務実態は一致。——〈在籍有〉、〈勤務実績有〉」

細い指先が画面をなぞり、項目が淡く光る。

「次に、親族への確認を経て、当該人物は〈死亡済〉と判明」

区切るたびに、硬質な響きが室内を打つ。


ジークが腕を組み、椅子をぎしりと鳴らした。

「在籍してたのも事実。でも死んでるのも事実。……そんじゃ今までカイルの所で働いていたラドは、一体誰だよ?」


「偽者」

メルシェが迷わず返す。

「本人を名乗り、履歴を利用していた。事実上、それ以外の説明は成り立ちません」


「だよなぁ」

ジークは片手で髪をかき上げ、大きく息を吐いた。


ティモは黙ったまま帳面を抱え直し、視線を落としている。

緊張で白くなった指の節が、革表紙に沈む。


「なんでわざわざラドの名前を使った?」


ジークの言葉にメルシェがすぐさま応じる。

「外見的特徴が一致していたため、履歴をそのまま利用できた可能性が高いです。本人に酷似していたなら、隣国の商会に照会された場合も偽物である事は発覚しずらいです」


カイルが短く頷く。

「通常の照会では、わざわざ親族に現状確認までは入れたりしません。」


「そこまで似てるっていうのもな。偶然か、それとも——」

ジークの口元が笑みに歪む。

「誰かが用意したものなのか」


空気がひやりと沈む。


「……そこは推測に過ぎません」

メルシェが静かに返した。


カイルは全員を見渡した。

「隣国商会からの照会結果は、ここまでです。……あとは、ギルドとしてどう追うか」


会議室に再び沈黙が落ちた。

窓の外、午後の光がゆっくりと傾き始めている。


ライゼルが低く口を開いた。

「本物の死の真相については、今の時点では断定できない」

机の上の書簡に目を落とし、言葉を区切る。

「ただ、身元を偽ってまで潜り込んだ以上——目的があったはずだ」


ジークが鼻を鳴らす。

「だよな。遊びでそんな事する奴はいねぇ」


メルシェが端末を叩き、短く告げる。

「——判明している事実はニ点」

淡い光の画面に項目が浮かぶ。

「一、荷物への偽装行為。

 二、北の関与を装った痕跡偽装。」


ティモが唇を噛み、言葉を絞り出す。

「……狙いは……?」


「そこから先は推測だ」

ライゼルが指を折りながら、淡々と続けた。

「ひとつは——“何かを混ぜる”ため」


「混ぜる……?」ティモが顔を上げる。


「そうだ。正規の依頼に紛れて、禁制品や危険物を運び込む。荷札や証紙が揃っていれば、誰も疑わない」


ジークが顎に手を当て、笑みを消した。

「たとえば毒薬とか、兵器とか……普通なら検められるもんだな」


「ふたつ目」ライゼルは言葉を重ねる。

「“何かを抜く”。荷に忍ばせてある金や宝石、あるいは文書。偽装で一部を抜き取っても、すぐには気づかれない」


「あり得るな」ジークが指を鳴らす。

「荷ってのは流れがでかい分、細けぇとこまでは目が届きにくい。上手くやりゃ何度かはごまかせる」


ライゼルは頷き、続けた。

「三つ目は……“両方”。混ぜることと抜くことを同時に狙う。混乱を利用して痕跡を消すのは難しくない」


「……」ティモは言葉を失ったように俯く。帳面の角が、強く握られすぎて白く歪んでいる。


だがライゼルはそこで言葉を止めなかった。

「さらに——商会そのものの信用を落とすため、という可能性もある」


「商会の信用を?」ティモが小さく眉を寄せる。


ジークが目を細める。

「そうだ。荷に細工が見つかれば、取引先からの信頼は一気に揺らぐ。商会が扱う品が疑われれば、それだけで契約は飛ぶ」


メルシェが即座に入力した。

「〈目的候補〉

 一:禁制品などを“混ぜる”

 二:価値物や情報を“抜く”

 三:両方を行う

 四:商会の信用を失墜させる」


「これだけ並べりゃ十分だろ」ジークが腕を組む。

「どれも“潜り込まなきゃできねぇこと”だ」


ティモが堪え切れずに声を上げた。

「でも……ラドさんは! あの人は……!」

拳を握り締め、俯いた顔を上げる。

「僕にとっては、一緒に仕事をしてきた仲間なんです。偽者だったなんて……信じたくない」


ジークが息を吐いた。

「ティモ。信じたくねぇ気持ちは分かる。でもな、これだけは間違いねぇ」

彼は指を一本立て、真っ直ぐに言葉を落とす。

「お前が知ってるラドは、商会を利用してた。……それが事実だ」


ティモの唇が震え、帳面を抱く腕がきしむ。


メルシェが短く告げる。

「事実と感情は切り分けなければなりません」


「……ああ」ライゼルが頷く。

「感情で事実を捻じ曲げれば、次を見誤る」


会議室に重い沈黙が流れた。

外の陽光は橙に傾き、窓枠に長い影を落とす。


ジークが椅子を軋ませ、両腕を組んだ。

「じゃあ整理だ。ラドって野郎は偽者。目的は荷。混ぜる、抜く、信用を落とす……どれもやれる位置にいた。——これで合ってるな」


「はい」カイルが静かに頷く。

「ただし、それ以上は今の時点では推測の域を出ません」


ライゼルは視線を窓へ向け、夕映えに染まる空を見た。

「……次に考えるべきは“どう追うか”だ」

声は低く、しかし確かな重みを帯びていた。


ジークが腕を組み直し、椅子をぎしりと鳴らす。

「逃げた連中の行方は、まだ掴めてねぇんだろ?荷物の方はどうだ。何か分かった事はあるか」


カイルが首を振る。

「商会の倉庫を再点検しています。証紙や荷札に不審な改ざんがないか、逐一照合をかけていますが……現時点で決定的な証拠は出ていません」


ジークが舌打ちした。

「証拠が残ってねぇってのも、逆にきな臭ぇな。……狙いがあったはずなのに、形が掴めねぇ」


その言葉にティモの肩が震える。

「じゃあ、ラドさん——偽ラドは、一体……何のために……!」


その声が室内に響き、しばしの沈黙を生んだ。


やがて、ライゼルが低く言った。

「——そこに、答えはない。少なくとも今は」


ティモの顔に、悔しさがにじむ。


だが、メルシェは即座に補足した。

「事実から辿る限り、“商会の信用を落とす”意図は強く疑われます。偽装が発覚すれば、取引先の信頼は喪失。長期的に見れば、それだけで活動基盤を削げます」


ジークがにやりと口を歪める。

「つまり……“荷を狙う”のは口実で、本命は“商会潰し”って線もあり得るわけだな」


カイルは静かに視線を落とし、言葉を選んだ。

「……だとすれば、背後にいるのは個人ではありません。商会を狙うほどの利害を持つ相手。組織、あるいは別の勢力……」


ライゼルの瞳が鋭く細められる。

「誰かが動いている可能性は高い」


ティモは震える声で呟いた。

「じゃあ……ラドさんは、そのための……ただの……」


「駒だ」ジークが断言した。

「死んだ奴の名前を借りて、似た顔した奴を潜り込ませる。手の込んだ真似だが、結局は“捨て駒”だ」


ティモが唇を噛み、目を伏せる。


ライゼルは彼に静かに言った。

「駒であっても、狙いは現実にあった。——だからこそ見抜き、潰さねばならない」


その言葉に、会議室の空気がわずかに引き締まった。


メルシェが端末を閉じ、淡々と告げる。

「優先すべきは二点。〈荷の再調査〉と〈偽ラド一派の行方追跡〉」


「おう、任せろ」ジークが肩を回し、笑みを浮かべる。

「走り回んのは得意分野だ。あいつらがどこに潜ってても、必ず尻尾を掴んでやる」


「ただし無闇に追うのは禁物だ」ライゼルが制した。

「敵の背後に組織があるなら、動き方ひとつでこちらが不利になる」


窓の外では、夕日が街を朱に染め始めていた。

会議室の机に落ちる影も長く伸び、重く交差している。


ジークが腕を組み、ぽつりと呟いた。

「……本物を殺したのか、死を利用したのか。どっちにしても、胸くそ悪ぃ話だ」



会議はそこで区切られた。

残された書簡が、まだ答えの出ない謎を突きつけるように机上に残る。


だが一つだけ確かなことがあった。

——偽ラドの影を追うことが、次の一歩である。


それぞれが立ち上がり、静かに会議室を後にした。

窓から差し込む夕光が、その背を赤く染めていた。

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