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35.物々交換の検証、ではなく弁当交換会

昼下がりの休憩室。


包みを広げる音。

湯気の立つ茶の香り。

忙しい午前を終え、それぞれ昼食を手に一息。


カンナが勢いよく立ち上がった。

「はいっ! 提案です! 今日は皆で弁当交換会しませんか!?」


不意打ちの声に、場の空気が一拍ずれる。


「弁当交換会?」

ジークがにやりと笑って身を乗り出した。

「おう! いいじゃねぇか! 俺の特製“肉まみれ弁当”を食わしてやるぜ!」


「……絶対茶色一色でしょ」

レイチェルは渋い顔。

長いため息をつく。

「どうせ止めても始まるんでしょ。……好きにしなさい」


「さっすがレイチェルさん! 理解が早い!」

カンナは胸を張って親指を立てた。


「理解じゃなくて諦めよ」

口元にはわずかな笑み。


ライゼルは静かに茶をすする。

「……賑やかだな」

低い声は淡々としている。

しかしどこか和らいでもいた。

「まぁ、悪くない。互いの味を知るのも、一つの交流だろう」


「ほら! ライゼルさんも賛成です!」

カンナが勢いづく。


メルシェは箸を置いた。

「……交換、ですか」

首をわずかに傾け、静かに問い返す。

「つまり、物々交換の試行……検証、という扱いでしょうか」


カンナがぽかんと口を開けた。

「け、検証って……いやいや! ただのお楽しみですよ!」


ジークは腹を抱えて笑い出す。

「おい、メルシェ。弁当で実験すんなよ! 俺の肉が試薬みてぇに聞こえるじゃねぇか!」


「……食品は栄養資源です。共有により多様性が確保されるのは事実」

メルシェは真顔で答えた。


「そういう事じゃないですっ!」

カンナの突っ込みが響く。

休憩室に笑いが広がった。


机の上に次々と包みが並べられた。

布をほどく音が重なる。

色とりどりの中身が現れた。


「じゃーん! これが私の愛情たっぷり弁当です!」

カンナが胸を張って披露したのは、やけにカラフルな弁当。

卵焼き、プチトマト、星形に切られたニンジン。

だが、その中央に鎮座しているのは——巨大な唐揚げが山盛り。


「……愛情、っていうか揚げ物への執念だな」

ジークが呆れ顔で鼻を鳴らす。

「けど悪くねぇ! 肉は正義だ!」


「ジークさんにだけは言われたくありません!」

カンナが頬をふくらませる。


案の定、ジークの弁当箱は茶色一色。

肉の照り焼き、焼肉、ソーセージ。

仕切りに申し訳程度の漬物が一切れ。


レイチェルが眉をひそめた。

「……本当にお肉しかないわね。血管が詰まりそう」


「気にすんな。肉で作られた体は肉で補給すりゃいいんだ」

ジークが豪快に箸を突っ込む。


「理屈になってない」

レイチェルは冷ややかに返し、自分の弁当を広げた。

整然と詰められた白飯、焼き魚、煮物。

落ち着いた色合いは、彼女の性格そのままだ。


「おー、さすがレイチェルさん。健康優良、見た目も綺麗!」

カンナが感嘆の声をあげる。


「……普通なだけよ」

レイチェルは肩をすくめ、箸を取った。


その隣で、ライゼルが黙って弁当を開く。

中には素朴な黒パンと、干し肉とチーズ。

「……質素だが、腹は持つ」

短く言い添える。


ジークが目を剥いた。

「おいおい、遠征中の保存食じゃねぇか! 休憩室でまで戦場かよ!」


「慣れているものが、一番落ち着く」

ライゼルは淡々と返し、茶をすする。


最後に、メルシェが自分の包みを開いた。

中身は——白飯、ゆで野菜、焼いた白身魚。

彩りはあるが、やけに機能的で無駄がない。

「栄養価と消化効率を優先しました。……冷めても味の劣化が少ないです」


ジークが吹き出す。

「出たよ、完全に“作業用燃料”じゃねぇか!」


カンナが慌ててフォローを入れる。

「ち、違います! ほら、見てください! 彩りも綺麗で、ちゃんとおいしそうです!」


「味覚に配慮はしました」

メルシェは首を小さく傾げた。

「しかし、基準は午後の業務に差し支えないかどうかです」


「やっぱり業務基準!」

カンナがずっこけ、ジークが腹を叩いて笑った。


レイチェルは小さくため息をつきながらも、箸を取り直す。

「……まぁ、交換会なんだから、食べてみましょうか」


五人は弁当を回し合い、それぞれの一口を口に運んだ。

小さな感想が飛び交う。


「お、唐揚げうめぇ!」

「お肉美味しいですっ!」

「この煮物、優しい味ですね」

「……パン硬い」

「白身魚、淡白で食べやすい」


賑やかな声に、休憩室は穏やかな熱を帯びていった。


「カンナの唐揚げ、衣が厚すぎないか?」

ジークが二口目を頬張りながら眉をひそめる。


「えっ、そこがポイントなんです! サクサク重視!」

カンナが胸を張る。


「中身より衣で腹膨らませる作戦か。やるな」

ジークが茶化すと、カンナが机をばんっと叩いた。

「ちがいます! ちゃんと中もジューシーです!」


「……油分は多めですね。午後の消化効率低下が懸念されます」

メルシェが冷静に補足を入れる。


「ぐっ……! メルシェさん、それ言わないでください!」

カンナが肩を落とすと、ジークが追い打ちのように笑った。

「ほら見ろ、数値で刺されると説得力あるだろ」


「納得してる場合じゃありません!」


場が笑いで揺れる。



「じゃあ次、ジークの焼肉はどうだ?」


レイチェルが箸でひと切れ摘んだ。

噛んだ瞬間、脂がじゅわっと広がる。

「……重い」

短評一言。


「おい!?」

ジークが椅子をきしませる。


「だが旨味は強い」

ライゼルが低く補った。

「戦闘後に摂取すれば即効性は高い」


「……フォローになってるようで全然ならない」

ジークが肩を落とす。


「要は“体力馬鹿専用弁当”ってことですね」

カンナがちゃっかり突っ込みを入れる。

再び笑いが起こった。


「レイチェルさんの煮物、これ落ち着きますね」

カンナがほっこりした顔で口に運ぶ。


「味が優しい」

ライゼルも頷く。


ジークは腕を組み、にやりと口端を上げた。

「だが地味だな! 見た目華やかさゼロ!」


レイチェルの目が細く光った。

「……何か言いました?」


「いえ、味わい深くて最高です!」

ジークは慌てて手を振った。

その必死さに、机を囲む空気が和らぐ。


ライゼルの黒パンに手を伸ばしたのは、カンナ。

「うわっ、硬っ! 歯が折れる!」


「噛めば噛むほど旨味が出る」

ライゼルはさらりと返す。


「いや、噛んでる間に顎が死にますって!」

カンナが必死に抗議する。


ジークもかじってみて、顔をしかめた。

「……これ、武器になるぞ」


「実際、使った例もある」

ライゼルが平然と返す。

一同の手が止まり、一瞬沈黙。


次の瞬間、ジークが大爆笑。

「マジかよ!? パンが武器とか聞いたことねぇ!」


「食料兼備品。合理的だ」

ライゼルは一切表情を変えなかった。

その真顔にまた笑いが広がる。


レイチェルが箸で白身魚を摘み、口に含む。

「……淡泊だけど、調味の塩梅が絶妙。これなら飽きが来ないわ」


「ありがとうございます」

メルシェは深々と頷く。


ライゼルもメルシェに視線を向け、一言。

「……悪くない」


ジークが大げさに叫ぶ。

「いやいや! もっと感想あるだろ! “うまい!”とか“最高だ!”とかよ!」


ライゼルは首を振った。

「……言葉は少ない方が伝わる」


「伝わってねぇんだって!」

ジークの突っ込みが響き、笑いの波がもう一度広がった。


カンナも口に運び、目を丸くした。

「えっ、全然青臭くない! 美味しい!」


「下処理で栄養素を保持しつつ、匂いを抑える方法を——」


「ストップ! メルシェさん、作り方講座になってます!」

カンナが慌てて手を振る。


ジークは白飯をかき込みながら呟いた。

「……うまいけど、なんか“味わって食う”ってより“数値的に摂取する”感じだな」


「そうです」

メルシェは即答した。

「食事は燃料補給ですから」


「やっぱり業務基準!」

三人同時に突っ込みが飛び、休憩室が笑いに包まれた。


休憩室は弁当の香りと笑い声で満ちていた。

唐揚げの衣の音、煮物の湯気、黒パンの衝撃音。

その全部が混ざり合い、不思議な一体感を生み出していた。


「交換会……悪くないですね」

メルシェが小さく呟く。


その一言に、みんなの表情が一瞬だけ和らいだ。

次の瞬間には、またジークの笑い声が響き、空気はさらに賑やかになっていった。



「……で、残ったのは」

ジークが腕を組み、机の上を見下ろす。


皿や弁当箱はほとんど空。

唐揚げは一瞬で消え、レイチェルの煮物も「健康的だな」と茶化されながら普通に平らげられた。

メルシェの弁当は「正確すぎる配置」にみんなが興味本位で箸を伸ばし、気づけば完食。


ただ一つだけ、ぽつんと残っている。


「……黒パン」

カンナが眉を寄せる。

皿の上には、硬そうな色合いの黒パンが二切れ。


「おいライゼル、最後に残すなよ」

ジークが鼻を鳴らす。

「さっきから誰も手をつけねぇじゃねぇか」


「仕方ない」ライゼルは静かに答えた。

「保存性が高く、日持ちする。……人気が出る要素ではない」


「人気投票みたいに言うな!」

ジークが机を叩いて笑う。


カンナはおそるおそるパンをつまみ上げた。

「……でも、栄養はあるんですよね?」


「もちろんだ。硬いが、腹持ちは良い」


「じゃ、じゃあ私が……」と口にしたものの、カンナは一口かじってすぐ固まった。

もごもごと咀嚼したあと、水をがぶがぶ飲む。

「ご、ごめんなさいっ……! 美味しいんですけど、歯が……!」


「味より先に歯が負けたか」

ジークが大声で笑い、カンナは涙目で首を振る。


「……栄養効率は高いです」メルシェが冷静にフォローを入れる。

「ただし、咀嚼に要する労力が多く、作業前の摂取は非推奨です」


「フォローになってねぇ!」

ジークがすかさずツッコむ。


「どうするんだ。まだ一切れ残ってるぞ」

レイチェルが苦笑交じりに視線を落とす。


机の中央で、黒パンは存在感を放っていた。

誰も手を伸ばさない。


「……押し付け合っても仕方ないな」

ライゼルが静かに手を伸ばし、残りを掴んだ。


「お、本人が行くのか」ジークが目を丸くする。


「当然だ。これは俺の昼食だ。……食べきるのが筋だろう」

ライゼルは何でもないように一口かじる。

硬い音が響き、淡々と咀嚼を続ける。


「結局自分で食うのかよ!」

ジークがずっこけ、カンナが「真面目すぎます!」と抗議する。


「真面目というより……頑固」

レイチェルが小さく肩をすくめた。


「頑固な人の黒パン……」

カンナが半分笑いながら呟き、場にまた笑いが広がった。


硬い音を立ててパンを噛み切るライゼル。

その横顔は揺るがず、笑い声に混じっても変わらない。


そして最後の一切れを飲み込んだとき、静かに言葉を落とした。

「完了だ」


「完了じゃねーよ!」

ジークが即座に突っ込みを入れる。


笑いが弾け、休憩室は一気に和やかになった。

黒パンさえもオチにしてしまう賑やかさが、窓口の昼を鮮やかに彩っていた。



昼休みも終盤。

机の上に残った空の弁当箱や箸袋を片付けながら、休憩室はまだ笑い声が残っていた。


「おい、誰だよ。醤油の小袋、机の下に落としたの」

ジークがしゃがみ込んで拾い上げる。


「わ、私じゃありません!」

カンナが真っ先に手を振った。


「いや、最初に唐揚げにかけてただろ」

ジークがにやりと口端を上げる。


「ち、違います! 私はちゃんと使い切りました!」

「証拠は?」

「……っ、証拠は……ないですけど!」


やり取りに周囲が吹き出した。


レイチェルは、食器を布巾で拭きながら小さくため息をついた。

「……ほんと、子供みたいね」


「だってよ、カンナがわかりやすく慌てるからいじりたくなんだろ」

ジークが肩をすくめる。


「そういうのを子供って言うのよ」

レイチェルの冷たい一言に、ジークは「ぐっ」と言葉を詰まらせた。


「……反論できねぇ」

苦笑交じりに肩を落とすその姿に、また笑いがこぼれる。


メルシェは机の上を丁寧に拭き取っていく。


「……掃除まで律儀にやるのかよ」

ジークが目を丸くする。


「食後の衛生管理は基本です」

メルシェは表情一つ変えずに答えた。


「えらい!」

カンナが拍手をする。


だが、次の瞬間——


「ジークさん」

メルシェがぴたりと手を止め、真顔で言った。

「机の下、染みがあります。あなたの焼肉によるものと推定」


「ちょ、ちょっと待て! それ俺のせいじゃないだろ!?」

「証拠は?」

メルシェが淡々と返す。


休憩室に爆笑が響いた。



そんな騒ぎの中、ライゼルは洗い終えた食器を積み直していた。

手際よく並べられていく様子を見て、レイチェルが声をかける。


「手慣れてますね」


「……隊商暮らしが長かったからな。後片付けは習慣だ」

淡々と返すその声音に、妙な説得力があった。


「ライゼルさん、ありがとうございます!」

カンナが頭を下げる。


「気にするな」

ライゼルは短く答え、最後の椀を静かに重ねた。


片付けがひと段落。

ジークが机に頬杖をつきながらにやりと笑った。

「なぁ、次は“デザート交換会”ってのもアリじゃねぇか?」


「今度はお菓子持ち寄り?」

レイチェルが半眼になる。

「結局また食べる話になるのね」


「いいじゃないですか!」

カンナが目を輝かせる。

「私、クッキー焼いてきます!」


「焦がさないでね」

レイチェルが即座に釘を刺す。


「が、がんばります!」

カンナが胸を張る。


メルシェは静かに呟いた。

「……次は、糖分過多による作業効率低下が予想されます」


「そこまで言うか!」

ジークが大げさに叫び、笑い声がまた弾ける。


温かな空気が休憩室いっぱいに広がっていた。


窓の外から鐘の音が響いた。

昼休みの終わりを告げる、乾いた音。


「おっと、もう時間か」

ジークが伸びをして椅子から立ち上がる。

「腹も膨れたし、午後の仕事が捗りそうだな」


カンナは空になった弁当箱を抱き締めるようにして、小さく呟いた。

「楽しかったなぁ……またやりましょうね、弁当交換会」


「次はお菓子会か」

ジークが茶化すと、カンナは頬を膨らませた。

「真面目に言ってるんです!」


レイチェルはため息をつきながらも、ほんの少し口元を和らげる。

「……まあ、賑やかなのも悪くないかもね」


ライゼルは腕を組み、静かに皆を見渡した。

「こういう場で気を抜けるのは、健全なことだ」

短い言葉に重みがあり、自然と皆が頷いた。


最後に、メルシェが片付け終えた机を一瞥し、淡々と告げた。

「昼食休憩、終了。午後は依頼処理が八件、搬送二件。優先順位は帳簿に記録済みです」


「……切り替え早ぇな」

ジークが苦笑いを浮かべる。


「でも、そういうところが頼りになります」

カンナが笑顔で頷く。


窓口へ戻る足音が重なっていく。

笑いの余韻を胸に、それぞれが午後の業務へと向かう。


休憩室に残ったのは、かすかな笑い声と、机の上に広がる温かな空気だけだった。


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