34.会合、ではなく歓迎会
窓口の仕事が一段落したところで、突然カンナが立ち上がった。
「はっ……! 私、大変なことに気づきました!」
レイチェルが帳簿にペンを走らせたまま、眉だけを上げる。
「今度は何」
「メルシェさんの歓迎会、まだやってなかったんです!」
カンナが机に両手を叩きつけ、真剣な顔をした。
周囲がぽかんとする。
「……いや、今さら?」
ジークが頬杖をつき、口端をゆがめる。
「メルシェが入ってきてから何日経ったと思ってんだ。普通は最初にやるだろ」
「だからこそです!」カンナは力強く言い返す。
「こんなに毎日頑張ってくれてるのに、何もしてないなんて失礼じゃないですか!」
「いいじゃねーか。宴だ宴! せっかくなら派手にやろうぜ」
ライゼルも静かに頷いた。
「行こう。こういう機会も必要だ」
やり取りを聞いていたアメリアが、目を丸くして慌てて手を挙げた。
「えっ……わ、私も行っていいんですか!?」
ジークが大げさに笑う。
「おう、新人冒険者代表として参加しろ。歓迎会は賑やかな方がいい」
アメリアは頬を赤くして、小さく拳を握った。
「……が、頑張って盛り上げます!」
その隣で、当の本人は静かに瞬きをした。
「私の……歓迎会ですか。終業後の会議室を押さえますか」
きょとんとした空気が流れる。
ジークがすかさず身を乗り出してツッコミを入れた。
「いやいや、会議じゃねーから! 机並べて水差して終わりじゃ、歓迎会にならねーから」
「そういうものなんですね」
メルシェはわずかに首をかしげた。
淡々とした声音は変わらない。
「勿論ですっ! お店でちゃんと!」
カンナが慌てて取り繕い、胸を張り直した。
だが次の瞬間、言葉が尻すぼみに小さくなる。
「えっと……お店は……」
沈黙。
全員が察した。
カンナは勢いで言い出しただけ。
何一つ段取りを考えていなかった。
レイチェルが小さくため息をつき、苦笑。
「……仕方ないですね。私が手配しておきます」
「すみません! お願いします!」
カンナが勢いよく頭を下げる。
ジークはにやりと笑い、肘でカンナの肩をつついた。
「カンナは言い出すだけ担当」
「ひどっ! ちゃんと考えてましたよ!」
「今のでバレバレだろ」
「うぅ……」
カンナの抗議に、小さな笑いがこぼれた。
淡々としたメルシェの受け答え。
慌てふためくカンナの姿。
その対比が、不思議と場を柔らかくしていた。
「……では、会議室ではなくお店で」
メルシェが小さく結んだ。
笑い声は残り、窓口に和やかな空気が広がっていった。
*
ギルドから少し離れた横丁。
酒場の扉を開くと、温かな灯りと香ばしい肉の匂いが広がった。
「おぉ、いい店じゃねぇか!」
ジークが先に飛び込み、鼻をひくつかせる。
「ふふ、ここなら落ち着いて話せるでしょう?」
レイチェルは自信ありげに微笑んだ。
「やっぱレイチェルさん頼りになります!」
カンナが感激したように両手を合わせる。
「ほら見ろ。結局レイチェル任せじゃねぇか」
ジークが横から茶化すと、カンナは頬をふくらませた。
「ち、ちゃんと考えてましたもん!」
「どの段階で?」
「……言い出したところで……」
「それだけじゃねぇか」
周りから笑いが漏れる。
「え、えっと……その……」
しどろもどろになるカンナの背を、アメリアが慌ててさすった。
「カンナさん悪くないです! あの……発案したのはすごくいいことだと思います!」
「アメリアちゃん……!」
二人は抱き合いそうな勢いで盛り上がり、場がさらに賑やかになる。
「まずは乾杯を——」
カンナが杯を掲げかけて、はっと手を止める。
「あっ、メルシェさん、辛いもの大丈夫ですか? 香草は? 揚げ物は? 炭水化物は夜に……」
「摂取制限はありません」
メルシェは即答した。
「ただし、翌日の作業効率低下は避けたいです。アルコールは適量に」
「適量ってどのくらいだ」
ジークがいち早く徳利を手にする。
「身長、体重、当日の栄養状態により変動します。——ジークさんの場合は一合で打撃を受ける確率が七三%」
「パーセンテージで刺すな」
笑いが走り、湯気がふわりと揺れた。
ジークがグラスを掲げ、にやりと笑う。
「おい、主役が挨拶するのが筋だろ。ほら、メルシェ!」
全員の視線が一斉に集まる。
メルシェは一拍置き、真顔のまま小さく頷いた。
「……承知しました」
姿勢を正し、グラスを掲げる。
「本日の会合が秩序立って進行することを願い、乾杯」
沈黙。
次の瞬間、ジークが盛大に吹き出した。
「お前な! 会合って言うな! 宴会だっつーの!」
カンナが慌てて両手を振る。
「違います、宴会じゃありません!メルシェさんの歓迎会です!」
グラスを掲げる。
「メルシェさん、ようこそ、ギルドへ! いつも助けていただいてます。メルシェさんがいると、私、すごく安心するんです。だから、えっと、これからも、よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします!」
アメリアが続く。
勢い余って杯をぶつけそうになり、慌てて角度を修正した。
ジークが笑いながら片手を上げる。
「頼りにしてるぜ」
「——皆さんが無事で、仕事が回るなら。それで十分です」
「メルシェさん……」
カンナの胸の奥に、ぽっと灯がともる。
レイチェルが杯を持ち上げ、短く言葉を添えた。
「あなたがいて、私たちは強くなれます」
「強く、は誤差です」
メルシェが律儀に訂正する。
「正確には——安定します」
「安定、いい言葉だ」
ライゼルがうなずいた。
その横顔を、誰かが一瞬だけ見る。
言葉にはしない。
けれど、そこにやわらかい何かが走る。
グラスが軽くぶつかり合い、場に小さな笑いが広がった。
料理が次々と卓に並ぶ。
炭で炙った鳥肉。
鮮やかな野菜の酢漬け。
香草と豆の温かいスープ。
皿が置かれるたび、カンナの目が丸くなる。
アメリアの喉がこくりと鳴った。
「うまっ」
ジークが骨の近くを器用にかじる。
「ここの店、正解だな」
メルシェがそっと、箸を置く。
「——おいしい」
それは数字でも図面でもない。
たった四文字の報告だった。
「だろ?」
ジークが得意げに鼻を鳴らす。
「店の選定はレイチェルさんです」
メルシェが真顔で付け加える。
アメリアが笑い、カンナが肩を寄せた。
「レイチェルさん……神」
アメリアが両手を合わせる。
すぐに慌てて手をほどき、
「あ、ちがう、ええと、ありがたい、です!」
「感謝は受領」
レイチェルの目尻が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
卓に料理が並び、笑いがひと段落した頃。
カンナとアメリアが視線を交わし、こっそり頷き合った。
「……あの、メルシェさん」
カンナが恐る恐る切り出す。
「はい?」
メルシェはフォークを置き、きちんと相手に向き直る。
「こ、こういう場ですし! その……聞いてみたいことがあって!」
「えっ、カ、カンナさん……!」
隣でアメリアが慌てて頬を赤らめる。
「どうぞ」
メルシェは姿勢を崩さない。
視線だけがすっと動いた。
「メルシェさんの、す、好きな食べ物って何ですか!」
アメリアが先に飛び出した。
質問の矛先をずらすように。
「——栄養価の高いもの。翌日に影響しづらいメニュー。たとえば、湯どうしした葉菜と白身、根菜の煮物」
「健康優良児の教科書だな」
ジークが箸を止めて笑う。
「じゃ、じゃあ、苦手なものは……」
カンナの声がかすかに震える。
「たとえば、辛いのとか、酸っぱいのとか」
「“過度”でなければ支障はありません」
メルシェは首をわずかに傾けた。
「ただ、会話の妨げになるほど唇が痺れる辛味は業務阻害要因です」
「仕事基準!」
卓の端で小さく笑いが跳ねた。
場が温まったのを見計らい、カンナがアメリアと目を合わせる。
二人でこくんと頷き、意を決したように前へ出た。
「……メルシェさん」
「……はい」
「歓迎会と言えば! やっぱり恋バナかなって!」
カンナが勢いで押し切った。
カンナとアメリアは、さらに意を決したように身を乗り出した。
「メルシェさん! メルシェさんは、どんな人が好みなんですかっ!?」
卓に一瞬の静寂が落ちた。
ジークが飲んでいた酒を吹きかけそうになり、慌てて口を押さえる。
レイチェルは「ちょ、ちょっと!」と慌てて笑い声を漏らす。
ライゼルは眉をわずかに寄せてグラスを静かに置いた。
メルシェは目を瞬かせ、小さく首を傾げた。
「……タイプ、とは」
「だから、その、好きな人の条件とか……!」カンナが真っ赤な顔で両手を振る。
「ほら、背が高い人とか、優しい人とか……そういうやつです!」
メルシェは短く考え込む。
やがていつもの無表情で口を開いた。
「業務遂行に支障をきたさない人。……それが第一条件です」
「業務!?」アメリアが素っ頓狂な声を上げる。
「ち、ちがっ……そういうんじゃなくて……!」
ジークが机を叩いて笑った。
「だーはっは! やっぱお前は仕事至上主義だな!」
カンナは必死にフォローを入れる。
「え、えっと……じゃあ、見た目は……? 髪の色とか、背丈とか!」
「……重い荷を持てる筋力があれば助かります」
メルシェは一切の迷いなく答えた。
場が再び凍りついた後、爆笑が弾ける。
ジークは腹を抱え、レイチェルは手で顔を覆って笑いを堪えている。
アメリアは半泣きで叫んだ。
「そ、それ絶対“人として”じゃなくて“作業員として”ですよね!?」
ライゼルだけは苦笑を抑えきれず、静かにグラスを揺らした。
「……なるほど、参考になった」
メルシェは皆の様子を見回す。
きょとんとした顔で小さく呟いた。
「……質問の意図を誤解したでしょうか」
「誤解してるに決まってるだろ!」
ジークのツッコミが飛び、また笑いが広がった。
宴席の空気は、さらに賑やかに弾んでいった。
*
賑やかな笑いが一段落し、卓上の皿も空きが目立ってきた。
ジークは酔いに任せて隣の席に絡み、カンナとアメリアはひそひそ声で次の話題を相談している。
レイチェルは店員に追加の料理を頼むため席を外していた。
ふと気づけば、メルシェとライゼルの周囲だけが静かだった。
メルシェは箸を置き、背筋を崩さずに座っている。
騒ぎの渦中にいながらも、彼女だけは初めから終わりまで変わらない。
淡々とした表情で、騒ぎをただ観測しているように見えた。
「……賑やかですね」
メルシェが小さく呟いた。
ライゼルは短く笑みを漏らし、盃を置いた。
「賑やかすぎるくらいだな」
わずかに視線が交わる。
メルシェの瞳は変わらず無色のままだが、光を映す分だけ柔らかく見えた。
「あなたは、こういう場は苦手ですか」
問いはあまりにも真っ直ぐだった。
ライゼルは少し言葉を探し、やがて肩をすくめた。
「得意ではないな。……だが、悪くもない」
「そうですか」
メルシェは淡々と答えた。
盃に水を注ぎ足し、音を立てずに差し出す。
ライゼルはそれを受け取り、短く礼を言った。
「……ありがとう」
「礼を言うほどのことではありません」
メルシェの声音はいつも通り冷静で、余計な色はなかった。
それでもライゼルは、その横顔を見つめたまま一拍遅れて盃を傾ける。
沈黙は不思議と重くなく、むしろ落ち着きを伴っていた。
「……あなたは、本当に変わらない」
ライゼルの声は低く、だが柔らかかった。
メルシェは小さく瞬きをしただけで、返事はなかった。
けれど、わずかに頬へ影が差す。
次の瞬間、ジークの大声が割り込んだ。
「おーい! 二人だけでしっとり飲んでんじゃねぇぞ!」
場がまた笑いに包まれる。
だが、ライゼルの手元の盃は、最後まで揺れることなく机に置かれた。
*
盃が進み、卓の上はすっかり賑やかになっていた。
香辛料の効いた串焼きが皿から消えていく速さは、酒よりも早い。
ジークは頬を赤くし、声を張り上げた。
「よぉし! 歓迎会と言えば余興だろ! メルシェ、何か芸はあるか!」
「……芸、とは?」
メルシェは淡々と聞き返す。
「歌でも踊りでもいい! ほら、場を盛り上げるやつ!」
「……特務に余興は含まれていません」
「きっぱり断った!」
カンナが腹を抱えて笑い、アメリアは慌てて手を振る。
「む、無理にやらなくても大丈夫ですから!」
「いやいや、こういうのはノリが大事なんだよ!」
ジークは椅子を鳴らして立ち上がると、即興で踊り出した。
「おいおい……また始まった」
レイチェルが額に手を当てる。
ジークの踊りは無駄にキレがある。
客席の方からもくすくす笑いが漏れた。
「ジークさん、すごい……」
アメリアが目を丸くする。
ジークは胸を張り、どや顔を見せた。
「ほらな! 宴はこうやって盛り上げるもんだ!」
「ですが……」
メルシェが小さく息をつく。
「体力と酒量の無駄消費に見えます」
「お前、ほんと夢も希望もねぇな!」
ジークは突っ込みを返しながら、再び腰を下ろした。
「でも」
カンナが机に身を乗り出す。
「そういうズレたところが逆に面白いんだよ! ね、アメリア!」
「え、えっと……はい! メルシェさんの一言って、すごく印象に残ります!」
アメリアが慌てて同意すると、メルシェは静かに首を傾げた。
「印象は記録に残すものです。……心に残す必要はありますか?」
「あるに決まってます!」
カンナが即答する。
「むしろそれが一番大事です!」
「……理解が困難です」
メルシェは小さく呟いた。
ジークはそれを聞き逃さず、肩を揺らして笑った。
「だーめだこりゃ! 理解できねぇから余計に人気出るんだって!」
笑い声がまた広がり、場は温かい空気に包まれた。
盃を傾けながら、レイチェルが小さく息をついた。
「まったく……カンナもジークも、飲むと余計にうるさくなるのよね」
その横でライゼルは黙したまま杯を置き、視線をふとメルシェに向ける。
メルシェは盃を持ち直し、無表情のまま口を湿らせていた。
普段と変わらぬ仕草。
だが、ライゼルの瞳がそこに止まる一瞬があった。
*
「メルシェさん、ギルドで困ったこと、ないですか」
カンナが身を乗り出す。
「なんでも、わたしに言ってください。紙を運ぶとか、お茶の温度とか、換気とか」
「お茶の温度、45〜50度が好適です」
メルシェは迷いなく返す。
「香りが立ち、舌を損ねない」
ライゼルが無言で湯呑にお茶を注ぐ。
しばし手の甲で温度を測るようにそっと持った。
湯気が少し落ち着いたところで、メルシェの前へ静かに差し出す。
「——今」
メルシェは小さく瞬き、受け取った。
「最適です。ありがとうございます」
アメリアがこそっとカンナの袖を引っ張った。
*
カンナが立ち上がった。
両手で杯を持ち、目を潤ませながら笑っている。
「よーし! メルシェさん、これからもよろしくお願いしますー!」
「……了承しました」
変わらない調子の返事。
「またそれ!」
アメリアが思わず笑い出す。
ジークも腹を叩いて笑った。
「いいなぁ、その淡々とした感じ! ギルドの新しい名物だぜ!」
笑い声とグラスの音が響く中、メルシェは静かに頷くだけだった。
「じゃ、締めるか」
ジークが杯を高く掲げる。
「——メルシェの歓迎と、俺らの胃袋の平和に。
かんぱーい!」
「かんぱい!」
声が重なり、杯が重なる。
くだらない話が、真面目な話に変わり、またくだらない話へ戻っていく。
誰かが些細な綻びを見つけ、誰かが器用に縫い合わせる。
——歓迎は、完了した。
そして、ここから一緒に、回していく。




