表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/58

32.炎上の翌朝

霜月十四日、朝。

窓から差し込む光。

まだ冷えを残す会議室を淡く照らしていた。


長机の上には紙の山と端末が並ぶ。

墨の匂いがほのかに残っている。


ライゼルは椅子に腰掛け、短く吐息をついた。

「……内部からの流出は確実だ」


ジークは背もたれに大きく体を預ける。

腕を組んで鼻を鳴らした。

「おかげで全員研修だとよ。紙の山片付けるより、堅苦しい話聞かされる方がきついぜ」


「情報管理は基盤。流出は組織存続に直結します」

メルシェが端末を閉じ、冷静に告げた。

その声は淡々としていた。

机に落ちる影は硬い。


ジークは片眉を上げ、口端をゆがめる。

「堅ぇな。けどまぁ、黒塗りだらけの資料が出回ったってだけでも十分面倒だ。街ん中じゃ、すでに尾ひれついて広まってるぜ。証言者が消えた”だの“黒幕がいる”だの騒いでやがる」


ライゼルが頷いた。

「“断片を拾い集めて真実に見せかける”。噂の拡散は情報戦と同じだ。止められない流れをどう扱うかが重要になる」


「ギルド内部でも調査班が立ち上がったそうです」

メルシェが短く報告を添える。

「削除までの時間、閲覧数、投稿経路。すべて追跡中とのこと」


「で、研修だろ」

ジークが椅子をきしませ、片手で天井を指した。

「“情報を持つ者の責務”ってやつか。俺らまで受けろってのは、信用がねぇってことか?……で、研修中に寝たら減点か? 起きてるだけで合格か?」


メルシェが淡々と即答する。

「居眠りは“理解不足”と見なされます。記録に残ります」


ジークが顔をしかめる。

「……マジかよ。夢見ながらでも知識は定着すんだがな」


ライゼルが静かに首を振る。

「知識は定着しても、信用は削がれる。

それに研修する事は信頼云々の問題ではない。再発防止に全員を巻き込むのが組織の常套手段だ。……それ自体は正しい」


「正しいけどよ、やっぱ気分は良くねぇな」

ジークが机を小さく叩き、苦々しく笑った。


メルシェは表情を崩さず、端末を無言で閉じた。


ライゼルが小さく眉を寄せる。

「……問題は、ここからだ。噂は必ず我々の調査と結びつけられる。街が“真実”と“虚構”を混ぜ合わせる前に、我々自身が整理しておかねばならない」


ジークがふっと息を吐き、視線を天井に泳がせた。

「整理、ねぇ……。だったらまず、“リーク”した奴を抑えねぇとな」


「犯人探しは後です」

メルシェの声は変わらず淡白だった。

「重要なのは、真実と噂を分離すること。情報混濁は、調査を遅延させます」


ライゼルは短く頷き、二人を見渡した。

「調査の成果を持ち寄り、証拠を積む。その上で流言を切る。それが今日の我々の仕事だ」


ジークは口端を吊り上げ、やれやれと肩をすくめる。

「結局やることは変わらねぇか。」


「それしかない」

ライゼルの声は硬く、だが静かに会議室に落ちていった。


窓の外から朝のざわめきが流れ込む。

街の喧噪。

紙をめくる乾いた音。

会議室の空気は冷たいまま。

三人は次の報告を待っていた。



扉が二度、控えめに叩かれた。

「失礼します。カイルさんとティモさんをお連れしました」

職員が頭を下げ、二人を会議室に導き入れる。


ティモは胸に帳面を抱えたまま、緊張で肩をすぼめている。

カイルは背筋を伸ばし、落ち着いた歩調で入室した。


ジークが手を振って椅子を示す。

「おう、座れ。ティモの胃が爆発する前にな」


ティモはぎこちなく笑みを浮かべ、慌てて席に着いた。

カイルは軽く一礼し、書類を机に置く。

「まずは私から報告を——」


その言葉を遮るように、ジークが片手を上げた。

「悪い、カイル。その前に一つ。……昨日の件、掲示板に内部資料が流れて荒れた。あれで商会の名も飛び交った。先に謝っとく」


メルシェも端末を閉じ、静かに続ける。

「削除は迅速でしたが、断片が拡散しています。黒塗りでしたが“証言者所在不明”などの文言が伝播しました。ご迷惑をおかけしました」


ライゼルは深く頭を下げた。

「監督責任はギルドにあります。今回の混乱について、私からも謝罪を」


会議室に短い沈黙が落ちる。


カイルは姿勢を崩さず、淡々と応じた。

「謝罪は不要です。資料は確かに流出しましたが、現場の対応は迅速だったと聞いています」


ティモも小さく頷き、帳面を抱き締める。


ジークが苦々しく鼻を鳴らす。

「止めたっつっても、噂は残る。すまねぇ。……とりあえずこっちは研修だ。」


メルシェが端末に視線を落とし、短く告げた。

「全員必須受講です。例外は認められません。今回の件我々は重く受け止めています」


ライゼルは小さく頷き、落ち着いた声で結んだ。

「……商会の業務に支障が出たら、遠慮なく言ってくれ。対応する」


カイルは姿勢を崩さず、静かに頷いた。

「お気遣い、感謝します。……では、仕切り直して本題に入りましょう」


ライゼルが顎を引き、促す。


全員の前に示されたのは、一枚の履歴書。

隅には端正な字で書かれた名。

生年月日、出身地、経歴。

どこを見ても整っていて、不自然な箇所はない。


「ラド。年齢二十七。出身は隣国。

前職は隣国のシェルダ商会勤務。——一見すれば、特段の違和感はありません」


ティモが小さく息をつき、胸に抱える帳面を握り直す。


「確認のため、同商会へ使いを出しています。」


カイルの声がわずかに低く落ちる。

「そしてラド以外に、現時点で所在の確認出来ていない者が二名います。」


会議室に短い沈黙が落ちる。


「そしてその三名共が隣国ゆかりの者達でした。隣国出身は珍しくはありません。偶然の可能性はあります。しかし軽視も出来ません」


ジークが腕を組み、鼻を鳴らした。

「三人まとめて同じ隣国出身、で三人とも消えた。……偶然にしちゃ出来すぎだな」


メルシェが短く言った。

「繋がりがあると決めつけるのは早計です。同商会に偏っているのは事実。しかし偶然の可能性も否定はできません」


ジークが椅子をきしませ、口端をゆがめる。

「一見違和感なしってのが逆に臭ぇな。履歴書なんざ見栄え整えりゃ何とでもなる」


カイルは淡々と応じた。

「はい。だからこそ確認を重ねる必要があります。

記録上は問題ない。だが現実に人が消えている」


ティモが不安げに口を開いた。

「ラドさんだけじゃなくて……他の人まで……」

声は細く震えていた。


メルシェが打鍵を止め、冷静に告げた。

「記録:履歴書=整合性在/出身=隣国商会/隣国出身者他二名=失踪」


ジークが机を小さく叩き、鼻を鳴らす。

「どっちに転んでも碌でもねぇな。偶然なら偶然で気味が悪ぃし、仕組まれてたならもっと悪い」


カイルは端末を閉じ、低く言った。

「このままでは商会全体への疑義にも繋がりかねません。

調査を続けますが、慎重さが必要です」


ライゼルは深く頷き、視線を三人に巡らせる。

「今日の整理で核心に届くとは限らない。

だが、全員で断片を積み重ねる。

……それが唯一の道だ」


会議室の窓から、光が差し込んでいた。

紙の上に伸びる影は、まだ形を定めてはいなかった。


カイルの言葉が途切れる。

会議室には沈黙が落ちた。


紙の上に視線を落とす者、組んだ腕に力を込める者。

それぞれが思考を巡らせる。


ティモが小さく咳払いをした。


「……つ、次は、僕から……」

声はわずかに震えていた。


「昨日あの後、搬送班や商会の人たちに聞いて回りました。……ラドさんの、普段の様子について」


ジークが顎をしゃくる。

「で、何が出てきた?」


ティモは胸の帳面を強く抱きしめながら、言葉を繋いでいった。

「几帳面で、手際も良くて、頼りにされていて。誰も悪い印象は持っていませんでした。むしろ“真面目で、感じがいい人”って」


メルシェが端末に打鍵し、短く頷く。

「職務上の違和感=なし」


「だからこそ、昨日荷車にぶつかった時の対応がラドさんらしくなくて。後……」ティモは言葉を濁した。

視線が帳面の端をさまよう。


ジークが眉をひそめる。

「ん? 歯切れ悪ぃな。出せるもんは全部出せ」


ティモは顔を赤くし、しばし口ごもった。

やがて観念したように小さな声で続けた。

「……休みの日に、一緒に出かけたとか、飲みに行ったとか……そういう話は、一度も出てきませんでした」


カイルが目を細める。

「つまり、職場以外での交友関係が見えないと」


「はい……」ティモはさらに声を落とす。

「それで、みんなが……えっと……その……」


「なんだ、いきなりはっきりしなくなってきたな」ジークが口端をゆがめる。

「噂のまま言ってみろ」


ティモは深く息を吸い込み、しぼんだ声で吐き出した。

「……束縛の強い彼女でもいるんじゃないかって。……本人も否定はしなかったと」


室内に、わずかなざわめきが走った。


ティモは慌てて言葉を継いだ。

「ほ、本当にそういう人がいて、ちょっと揉めて……急いで会いに行ったとか……そ、そんな事……」

口にしながら、自分でも力なく肩を落とす。

「……無いですよね……」


沈黙。

重い空気が一瞬広がったが、ライゼルが静かに断ち切った。


「現時点では全て憶測にすぎない。ティモ、君が今言ったそれもまた、一つの可能性として否定は出来ない」

支えるような響きがあった。


ティモは俯きながら、小さく頷いた。

「……はい」


メルシェが端末を閉じ、冷静に結論をまとめた。

「記録:職務上の印象=好意的。私生活=痕跡希薄。交友・交際=不明」


ジークが鼻を鳴らし、椅子に深くもたれた。

「仕事じゃ真面目な好青年、プライベートは見えねぇ。……余計に胡散臭ぇな」


「見えないこと自体が、不自然なのです」メルシェが補足する。


ジークが口端をゆがめる。

「お前が言うかよ……」


普段なら笑いが漏れる一言。

だが場は重く、誰も笑わない。


ライゼルが横目を向け、短くたしなめる。

「——今は茶化す時ではない」


ジークは肩をすくめ、苦笑を残した。

「悪ぃ」


窓から差す光が、静かな影を床に落としていた。

全員の胸に、答えのない不安がじわじわと広がっていった。


空気は重く沈んでいた。

木目の机に映る光は穏やか。

しかさ、その下に広がる沈黙は硬い。


ライゼルが視線を落とし、短く結ぶ。

「履歴書には不自然は無い。だが、同じ隣国出身の者が相次いで消えている。これは偶然とは言い切れない」


カイルも静かに頷く。

「商会としても、出身先との照会は必須です。使いを出している以上、返答が来るまでは断定はできません」


メルシェが端末を操作し、淡々とまとめた。

「現状の要素を整理します。

——勤務態度=好意的評価。

——交友関係=不明。

——生活痕跡=希薄。

——出身=隣国。」


ジークが腕を組み、鼻を鳴らした。

「真面目で好かれてたってのは事実だ。だがプライベートは影も形もねぇ。……こいつぁ、むしろ器用にいい奴を演じてたって可能性もあるぜ」


ティモは唇を噛んだまま、小さく俯いた。

「……やっぱり、ラドさんは……」


言葉は続かず、拳だけが膝の上で震えていた。


ライゼルが静かに首を振る。

「ジーク、可能性に過ぎん。——事実は、まだ揃っていない」


「……あぁ、わかってるさ」ジークが肩をすくめる。

「ただ、どうにも腹の虫がおさまらねぇんだよな」


場にわずかな苦笑が走った。

硬さを削ぐには程遠い。

しかし張りつめた空気に小さな綻びを作るには十分。


だがすぐに、再び重い沈黙が戻ってくる。

外から差し込む光が机の端を照らす。

その明暗の境目に全員の思考が沈んでいた。


カイルが視線を伏せたまま、低く吐き出す。

「……追うほどに、その姿が霞んでいくように感じます」


沈黙が落ちた。

窓の外では朝の陽光が差し込んでいるのに、その言葉は薄い靄のように場を包んだ。


ライゼルがわずかに身を乗り出し、声を落とす。

「ああ、だが立ち止まるわけにはいかない」


短い言葉は空気を断ち切った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ