28.証言者の行方(1)
黒衣達がギルドを出ていく。
誰もがその背を目で追った。
扉が閉じても、窓口は静まらなかった。
「……今の、噂の黒衣だろ」
「監査だって話だ」
「さっきジークと奥に入ってたらしい」
「何話したんだろうな」
ざわめきは止まらない。
若い冒険者が視線を逸らしながらこぼした。
「商会にも黒衣が行ったって聞くし、大丈夫かな……」
隣の商人が首を振る。
「俺たちには関係ねえ。黙って書類出すだけだ」
カンナは胸の帳面を抱き直し、声を張った。
「つ、次の方どうぞー!」
ざわめきに負けぬように響かせたが、笑顔は硬い。
差し出された書類の端をレイチェルが素早く揃える。
「列を乱さないでください」
抑えを効かせた一言。
ざわめきが一瞬だけ切れた。
だがまた別の囁きが列の奥から立ち上がる。
その時、奥の扉が開いた。
若い影が飛び出す。ティモだ。
帳面を胸に抱え、走り去る。
「今の、商会のやつだろ」
「顔色真っ青じゃねえか」
声が交わり、ざわめきはまた膨らんだ。
*
午後の鐘が鳴った。
詰所へ向かう道。
行き交う声と荷車の軋みが重なる。
昼の街はざわめいている。
——セリンさんは、白だった。
——じゃあ、……ラドさんは?
期待と不安が交互に胸を突く。
歩調は自然と乱れる。
詰所の前。
昼の光の中でも板壁は、どこか冷たく見える。
ティモは胸の帳面を抱きしめ、深呼吸。
掌が汗ばむ。喉が渇く。
——どんな答えが返ってくるのか。
想像だけで心臓が跳ねる。
深く息を吸い込み、足を進める。
——大丈夫。ラドさんだってきっと白。
詰所の中。
職員が帳簿を抱え、木箱を運ぶ。
縄の擦れる音。
見知った顔がいくつもある。
ティモは奥へと歩みを進めた。
「……あれ、ティモじゃねぇか」
若手が振り返る。
「今日は会長についていくから、こっちには来ないんじゃなかったのか」
ティモは息を整える間もなく声を出した。
「あ、あの……ラドさんは、来ていますか?」
帳簿をめくっていた年配の職員が、手を止めた。
「ラド? ……その辺にいないか。」
「いないな」
「先に昼に出たか。」
「いや、ラドが一人で休憩なんて見たことねぇぞ」
「きっちりしてる奴だしな」
若手が首をかしげる。
「俺達と違ってな」
誰かが茶化し、場に小さな笑いが起きる。
ティモの耳には、その笑い声がひどく遠く感じられた。
近くで箱を運んでいた1人が声を掛けてくる。
「さっき飛び出ていく所見ましたよ。呼んだけど振り返りもしなかった。」
——白であってほしい、その願いが胸の奥でひび割れる。
「……出て行った?」
年配の職員は顎をさすりながら訝しげな表情。
「聞いてないな。声も掛けずになんて珍しい」
ティモは視線を奥へ。
ラドがよく座っていた搬送台の脇。
そばには水筒。
荷台の端に掛けられたままの縄。
結びは途中で止まっている。
片方の端は宙ぶらりんに揺れている。
几帳面なラド。
途中で放り出すなど、普段ならあり得ない。
「結び目が甘いと荷が揺れる」
僅かな緩みもいつも直していた。
今は、手を放した跡だけを残して消えている。
触れても、汗の湿りはもう残っていない。
油の匂いも冷たい。
油壺の蓋は固く閉じていた。
さっきまでは人の手があったはず。
今は温度が抜け落ちている。
「……いない」
思わず漏れた声は誰にも届かない。
「どうした、急ぎか」
「大丈夫です。……失礼します!」
慌てて頭を下げる。
昼の光。ざわめき。
露店の呼び込み、子どもの笑い声。
全てが耳の外をすり抜ける。
聞こえるのは自分の荒い呼吸と、胸の鼓動だけ。
耳の奥で、ジークの声がよみがえる。
—— セリンへの疑いは、そこから始まった
その本人が、不在。
胸が重くなる。
呼吸が荒くなる。
手に汗がにじむ。
視界の端が白んで、街並みが揺れる。
立ち止まれば崩れてしまいそう。
ただ前へ足を出すしかなかった。
ティモは次の瞬間駆け出した。
「早く、伝えなきゃ……!」
その声は小さく震えていた。
石畳を駆け抜ける。
風が頬を打つ。
喉がひりつく。
足がもつれ、石畳につまずきかける。
帳面を落としそうになり、慌てて胸に抱き直す。
頭の中では同じ言葉が繰り返されていた。
——いなかった。
——ラドさんが、いなかった。
*
ティモが出て行った後のギルド窓口。
奥へと続く扉が再び開いた。
ジーク、メルシェ、ライゼル、そしてカイル。
ざわめきが一瞬止まる。
視線が四人へ集まった。
レイチェルが手を止め、短く声を掛ける。
「……どうでしたか」
ジークは手をひらひらさせただけで歩き出す。
「あとで話す。ちょっと出てくる」
カンナが帳面を胸に抱き直し、思わず声を上げる。
「きを、つけてください!」
四人の背が外光へ消えていく。
窓口のざわめきは再び膨らむ。
「何があった」
「商会長のカイルと一緒だ」
列の奥で声が立ち、前へ伝わる。
冒険者が思わず汗を拭う。
商人が顔を寄せて囁きあう。
次の瞬間には別の憶測へ変わっていく。
囁きは形を変え、ざわめきは広がり続ける。
*
ティモを追いかけて詰所へ進む四人。
通りの人波の向こうから、一つの影が飛び出してきた。
肩で息をし、額には汗。
荷車の軋む音や行商の呼び声で辺りは騒がしい。
しかしその荒い呼吸は際立って響く。
ただ事ではない。
四人は足を止めた。
「——ティモ!」
ジークの声に駆け寄ってくる。
帳面を抱え直し、声を震わせた。
「ラドさん、いませんでした!」
四人の視線が交差する。
通りを行き交う人々が一瞬足を止める。
彼らの周りに小さな間が生まれた。
ジークが口の端をゆがめる。
「……おいおい。仕事サボって酒場にでも行ったんじゃねぇだろうな」
軽口が逆に不在の重さを際立たせる。
重い空気が一瞬広がる。
ティモは首を振る。
「縄も油壺も途中のままで……でも本人だけがいなくて……誰も、行き先を……」
報告に、空気が重くなる。
メルシェが端末を素早く起動する。
「ラド=詰所不在/所在不明」
ライゼルは目を伏せ、低く呟く。
「このタイミング。……無関係ではないという事か」
メルシェが短く問いを挟む。
「目撃は?」
「飛び出して行ったと……でも、呼んでも返事をしなかったと……」
ティモは途切れ途切れに言葉を続ける。
ジークが口の端をゆがめ、鼻を鳴らした。
「逃げ足が速ぇな」
「——推測を事実と混同するのは危険です」
すかさずメルシェが差し込む。
「現時点の根拠は“不在”と“目撃証言”のみ」
ライゼルが拾い、静かに続けた。
「残置物があるなら、計画的な逃走ではない。——急ぎの行動だ」
ティモが青ざめた顔で問い返す。
「……急ぎの……?」
カイルが言葉を足す。
「自分の証言に疑いがかかると察して、動いたのかもしれません。……追及を避けるためか、あるいは——。しかし“断定”は、まだできません」
ジークが肩をすくめる。
「そうだな。姿を消したって事実だけで決めつけりゃ、セリンと同じ轍だ」
ライゼルが頷く。
「何にせよ、行方を追うしかない」
メルシェは端末を叩き、短く告げた。
「次工程=ラド所在確認/行動追跡」
ティモはぎゅっと帳面を抱きしめ、思わず前に出る。
「ぼ、僕も行きます!」
ジークが目を丸くし、すぐに笑う。
「おう、やる気じゃねぇか。走れるか?」
「は、はい!」
声は震えたが、目は逸らさない。
ライゼルが短く頷く。
「ならば同行を許す。——だが、我らの動きを乱すな」
ティモが強く頷いた。
「はい!」
カイルは瞳を伏せ、小さく息を吐いてから言った。
「商会の人間としても、見届けねばなりません。……彼が真実にどう関わっているのか」
「同行、承認」
メルシェが端末を閉じる。
ジークが天を仰いだ。
「はいはい、満場一致かよ。だったら——」
拳を軽く鳴らし、にやりと笑う。
「さっさと動くか」
ライゼルは静かに結んだ。
「承知した」
メルシェが端末を閉じ、光を消す。
「調査開始」
陽光が通りに差し、石畳を白く照らした。
*
通りを駆け出す五つの影。
ジークが軽口を叩き、メルシェが事実を冷静に打ち返し、ライゼルが要点を締める。
カイルは無言でついてくる。ティモは必死に走りながら食らいついた。
行商の声、荷車の軋み、笑いと噂が交錯する。
だが五人の歩調は速い。
ざわめきに混じる声が背を追う。
「ギルドだ」
「誰か追ってるのか」
通りの人々が一斉に振り返る。
五つの影を息を呑んで見送った。
噂は尾を引く。
だが彼らは足を止めない。
——証言者は消えた。
五人の影は街のざわめきに紛れ、追跡が始まった。




