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28.証言者の行方(1)

黒衣達がギルドを出ていく。

誰もがその背を目で追った。


扉が閉じても、窓口は静まらなかった。


「……今の、噂の黒衣だろ」

「監査だって話だ」

「さっきジークと奥に入ってたらしい」

「何話したんだろうな」

ざわめきは止まらない。


若い冒険者が視線を逸らしながらこぼした。

「商会にも黒衣が行ったって聞くし、大丈夫かな……」

隣の商人が首を振る。

「俺たちには関係ねえ。黙って書類出すだけだ」


カンナは胸の帳面を抱き直し、声を張った。

「つ、次の方どうぞー!」

ざわめきに負けぬように響かせたが、笑顔は硬い。


差し出された書類の端をレイチェルが素早く揃える。

「列を乱さないでください」

抑えを効かせた一言。

ざわめきが一瞬だけ切れた。

だがまた別の囁きが列の奥から立ち上がる。


その時、奥の扉が開いた。


若い影が飛び出す。ティモだ。

帳面を胸に抱え、走り去る。


「今の、商会のやつだろ」

「顔色真っ青じゃねえか」

声が交わり、ざわめきはまた膨らんだ。



午後の鐘が鳴った。

詰所へ向かう道。


行き交う声と荷車の軋みが重なる。

昼の街はざわめいている。


——セリンさんは、白だった。

——じゃあ、……ラドさんは?


期待と不安が交互に胸を突く。

歩調は自然と乱れる。


詰所の前。

昼の光の中でも板壁は、どこか冷たく見える。

ティモは胸の帳面を抱きしめ、深呼吸。


掌が汗ばむ。喉が渇く。

——どんな答えが返ってくるのか。

想像だけで心臓が跳ねる。


深く息を吸い込み、足を進める。

——大丈夫。ラドさんだってきっと白。


詰所の中。

職員が帳簿を抱え、木箱を運ぶ。

縄の擦れる音。


見知った顔がいくつもある。

ティモは奥へと歩みを進めた。


「……あれ、ティモじゃねぇか」

若手が振り返る。

「今日は会長についていくから、こっちには来ないんじゃなかったのか」


ティモは息を整える間もなく声を出した。

「あ、あの……ラドさんは、来ていますか?」


帳簿をめくっていた年配の職員が、手を止めた。

「ラド? ……その辺にいないか。」

「いないな」


「先に昼に出たか。」

「いや、ラドが一人で休憩なんて見たことねぇぞ」

「きっちりしてる奴だしな」

若手が首をかしげる。


「俺達と違ってな」

誰かが茶化し、場に小さな笑いが起きる。


ティモの耳には、その笑い声がひどく遠く感じられた。


近くで箱を運んでいた1人が声を掛けてくる。

「さっき飛び出ていく所見ましたよ。呼んだけど振り返りもしなかった。」


——白であってほしい、その願いが胸の奥でひび割れる。


「……出て行った?」


年配の職員は顎をさすりながら訝しげな表情。

「聞いてないな。声も掛けずになんて珍しい」


ティモは視線を奥へ。

ラドがよく座っていた搬送台の脇。

そばには水筒。


荷台の端に掛けられたままの縄。

結びは途中で止まっている。

片方の端は宙ぶらりんに揺れている。


几帳面なラド。

途中で放り出すなど、普段ならあり得ない。

「結び目が甘いと荷が揺れる」

僅かな緩みもいつも直していた。

今は、手を放した跡だけを残して消えている。


触れても、汗の湿りはもう残っていない。

油の匂いも冷たい。

油壺の蓋は固く閉じていた。

さっきまでは人の手があったはず。

今は温度が抜け落ちている。


「……いない」

思わず漏れた声は誰にも届かない。


「どうした、急ぎか」

「大丈夫です。……失礼します!」

慌てて頭を下げる。


昼の光。ざわめき。

露店の呼び込み、子どもの笑い声。

全てが耳の外をすり抜ける。

聞こえるのは自分の荒い呼吸と、胸の鼓動だけ。


耳の奥で、ジークの声がよみがえる。

—— セリンへの疑いは、そこから始まった


その本人が、不在。


胸が重くなる。

呼吸が荒くなる。

手に汗がにじむ。


視界の端が白んで、街並みが揺れる。

立ち止まれば崩れてしまいそう。

ただ前へ足を出すしかなかった。


ティモは次の瞬間駆け出した。


「早く、伝えなきゃ……!」

その声は小さく震えていた。


石畳を駆け抜ける。

風が頬を打つ。

喉がひりつく。

足がもつれ、石畳につまずきかける。

帳面を落としそうになり、慌てて胸に抱き直す。


頭の中では同じ言葉が繰り返されていた。

——いなかった。

——ラドさんが、いなかった。



ティモが出て行った後のギルド窓口。

奥へと続く扉が再び開いた。


ジーク、メルシェ、ライゼル、そしてカイル。

ざわめきが一瞬止まる。

視線が四人へ集まった。


レイチェルが手を止め、短く声を掛ける。

「……どうでしたか」


ジークは手をひらひらさせただけで歩き出す。

「あとで話す。ちょっと出てくる」


カンナが帳面を胸に抱き直し、思わず声を上げる。

「きを、つけてください!」


四人の背が外光へ消えていく。

窓口のざわめきは再び膨らむ。


「何があった」

「商会長のカイルと一緒だ」


列の奥で声が立ち、前へ伝わる。

冒険者が思わず汗を拭う。

商人が顔を寄せて囁きあう。

次の瞬間には別の憶測へ変わっていく。


囁きは形を変え、ざわめきは広がり続ける。



ティモを追いかけて詰所へ進む四人。


通りの人波の向こうから、一つの影が飛び出してきた。

肩で息をし、額には汗。


荷車の軋む音や行商の呼び声で辺りは騒がしい。

しかしその荒い呼吸は際立って響く。

ただ事ではない。

四人は足を止めた。


「——ティモ!」

ジークの声に駆け寄ってくる。

帳面を抱え直し、声を震わせた。


「ラドさん、いませんでした!」


四人の視線が交差する。


通りを行き交う人々が一瞬足を止める。

彼らの周りに小さな間が生まれた。


ジークが口の端をゆがめる。

「……おいおい。仕事サボって酒場にでも行ったんじゃねぇだろうな」


軽口が逆に不在の重さを際立たせる。

重い空気が一瞬広がる。


ティモは首を振る。

「縄も油壺も途中のままで……でも本人だけがいなくて……誰も、行き先を……」


報告に、空気が重くなる。


メルシェが端末を素早く起動する。

「ラド=詰所不在/所在不明」


ライゼルは目を伏せ、低く呟く。

「このタイミング。……無関係ではないという事か」


メルシェが短く問いを挟む。

「目撃は?」


「飛び出して行ったと……でも、呼んでも返事をしなかったと……」

ティモは途切れ途切れに言葉を続ける。


ジークが口の端をゆがめ、鼻を鳴らした。

「逃げ足が速ぇな」


「——推測を事実と混同するのは危険です」

すかさずメルシェが差し込む。

「現時点の根拠は“不在”と“目撃証言”のみ」


ライゼルが拾い、静かに続けた。

「残置物があるなら、計画的な逃走ではない。——急ぎの行動だ」


ティモが青ざめた顔で問い返す。

「……急ぎの……?」


カイルが言葉を足す。

「自分の証言に疑いがかかると察して、動いたのかもしれません。……追及を避けるためか、あるいは——。しかし“断定”は、まだできません」


ジークが肩をすくめる。

「そうだな。姿を消したって事実だけで決めつけりゃ、セリンと同じ轍だ」


ライゼルが頷く。

「何にせよ、行方を追うしかない」


メルシェは端末を叩き、短く告げた。

「次工程=ラド所在確認/行動追跡」


ティモはぎゅっと帳面を抱きしめ、思わず前に出る。

「ぼ、僕も行きます!」


ジークが目を丸くし、すぐに笑う。

「おう、やる気じゃねぇか。走れるか?」


「は、はい!」

声は震えたが、目は逸らさない。


ライゼルが短く頷く。

「ならば同行を許す。——だが、我らの動きを乱すな」


ティモが強く頷いた。

「はい!」


カイルは瞳を伏せ、小さく息を吐いてから言った。

「商会の人間としても、見届けねばなりません。……彼が真実にどう関わっているのか」


「同行、承認」

メルシェが端末を閉じる。


ジークが天を仰いだ。

「はいはい、満場一致かよ。だったら——」


拳を軽く鳴らし、にやりと笑う。

「さっさと動くか」


ライゼルは静かに結んだ。

「承知した」


メルシェが端末を閉じ、光を消す。

「調査開始」


陽光が通りに差し、石畳を白く照らした。



通りを駆け出す五つの影。


ジークが軽口を叩き、メルシェが事実を冷静に打ち返し、ライゼルが要点を締める。

カイルは無言でついてくる。ティモは必死に走りながら食らいついた。


行商の声、荷車の軋み、笑いと噂が交錯する。

だが五人の歩調は速い。


ざわめきに混じる声が背を追う。

「ギルドだ」

「誰か追ってるのか」

通りの人々が一斉に振り返る。

五つの影を息を呑んで見送った。


噂は尾を引く。

だが彼らは足を止めない。


——証言者は消えた。

五人の影は街のざわめきに紛れ、追跡が始まった。

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