27. 見えすぎた証言
*26話までのダイジェスト*
⭐︎窓口の日常と掲示板の誕生
ギルドに特務係メルシェが着任。
圧倒的な美貌から、掲示板では「傾国」のあだ名が付けられる。美貌だけでなく、圧倒的な効率と冷静さは周囲を圧倒する。
掲示板では、メルシェ、窓口ベテランのレイチェル、新人窓口担当のカンナの誰を推すかでも盛り上がりを見せる。
その他にも、ギルドの頼れる何でも屋ジーク、圧倒的王子感ライゼル、新人冒険者アメリアも加わり、日々ギルドも掲示板も熱を帯びていく。
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⭐︎倉庫街から商会疑惑へ
誤配送事件からローゼン商会へ調査が及び、帳簿や印の不整合が次々と浮上。
「偶然では片づけられない」と判断され、セリンという補助員に疑いがかかる。
やがて監査部を呼ぶ事態となり、ギルドと商会の緊張感は最高潮へ。
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⭐︎監査の幕開けと“断定不可”の結論
黒衣の監査官が到来。
筆跡・紐・端末・印を検証し「不正は確定」と認定。
だがセリン本人の断定はできず、「犯人不明」という余韻が残る。
街では黒衣への恐怖と推し文化が同居し、掲示板は混沌のまま盛り上がり続ける。
足音は遠ざかっていった。
黒衣たちの影はもう無いのに、帳簿の山はまだ冷えたまま机上に積まれている。
封蝋の青が乾ききらず、油の匂いが鼻を刺した。
ジークは背を椅子から離し、短く息を吐く。
「……ふう。さて」
取っ手の冷えを見やり、口端をゆがめる。
「外で突っ立ってるのも限界だろ」
扉を押すと、冷えた空気が流れ込む。
会議室の外は短い廊下。
窓口の声は扉に遮られ、響いてはこない。
その廊下の壁際に、ティモが立っていた。
呼吸が浅く、胸に抱えた帳面がわずかに上下していた。
「おい、ティモ。入れ」
「は、はいっ!」
弾かれたように背を離し、慌てて駆け寄る。
扉をくぐるとき、手が少し震えて取っ手を押しすぎた。
蝶番は鳴らず、静かに閉まる。
会議室に入ったティモは、緊張で肩を固めながら四人の輪に加わった。
視線を落としたまま問いを吐き出した。
「……セリンさんは、やっぱり……黒だったんですか」
声は小さく、震えていた。
ジークが片手をひらひらさせる。
「慌てんな。結論から言うと、黒じゃねぇ」
ティモの顔がぱっと明るむ。だが、すぐに眉をひそめる。
「で、でも……証拠がいろいろ出てきてたはずじゃ……?」
メルシェが端末を閉じる。
光がふっと消え、会議室の青蝋に反射した。
「筆跡は一致。むしろ一致しすぎていました。字の癖は人ごとに出ますが、同じ人でも筆圧・傾き・線の揺れまでは完全一致しません。過去の帳簿と、今回の不審帳票の字は完全一致。つまり本人が書いたのではなく、過去の字をそのまま転用したと見るのが自然です。」
端末の冷たい響きに、ティモは一瞬背をすくめる。
だがその無機質な断言は、逆に確かな支えでもあった。
ライゼルが静かに続けた。
「改竄する時、あえてセリンの字に見せかけた。疑いが彼に向くよう仕向けた卑劣なやり口だ」
ティモの顔色が曇る。
「そ、そんな……」
メルシェは淡々と打鍵を重ねる。
「紐の結びも模倣と判断。S-7の端末からは、闇系統の干渉痕跡が微量検出。——いずれも“不正の存在”は示しますが、“セリン本人”の証跡には繋がりません」
ジークが鼻を鳴らす。
「……お前の説明は相変わらず情け容赦ねぇな」
「事実を述べています」
メルシェは表情を変えずに返した。
ライゼルが短く言葉を継ぐ。
「証言も確認済みだ。経理でのやり取りも、詰所に居たことも事実。だが理由は別件だった」
ティモが小さく首を傾げる。
「……別件?」
カイルが口を開いた。
「当日、欠勤者が出ていた。彼は手続きもせずに勝手に詰所へ出て、手伝っていた。……善意からの行動だが、規定違反だ」
声は低く抑えられていたが、言葉一つひとつに重みがあった。
ジークが口をゆがめる。
「まじめなんだか脳筋なんだか分かんねぇよな」
ティモが思わず笑みを漏らす。
「セリンさんらしいです。……でも、良かった。セリンさんは不正なんてしてなかったって事ですよね」
だがすぐに真剣な顔に戻り、声を落とした。
「でも……誰かがセリンさんに見せかけて――」
ライゼルが頷く。
「その可能性が高い。不正は確かにあった。だが、セリンがそれを行った証拠はない。それが結論だ」
ジークは腕を組み直し、片眉を上げる。
「セリンを疑っていた俺らはすっかり騙されてたってこった」
ティモが唇を噛み、ぽつりと漏らした。
「……僕、セリンさんに謝らないと。いつも食堂でデザート分けてくれる優しい人なんです。それなのに信じきれなかった……」
声は途中で掠れた。
ジークが肩をすくめる。
「謝るより、どう向き合うか考えろ。余計こじれるぞ」
ライゼルが静かに言葉を置いた。
「だが信じられなかったと伝えるのも一つの誠意だ。言葉を選べば良い」
ティモは目を丸くし、それから小さく頷いた。
沈黙が机を覆う。
紙は動かず、封蝋だけが鈍く光っていた。
ふとカイルが口を開く。
「……一つ、気になっていたことがあります」
全員の視線がカイルへと集まる。
「ラドの証言です。」
ティモが瞬きを繰り返し、思い出したように言う。
「……結び方の癖を見たって件ですか。」
全員の視線を受け止め、カイルが軽く頷く。
「はい。皆さんも、同じように気づけたでしょうか」
メルシェが短く頷く。
「手の運び、癖、観察の範囲内です」
ライゼルが静かに続ける。
「戦士も同じだ。握り、足運び。癖は自然に目に入る。」
「ティモ、君は?」
「……そんな事に気がつくなんて凄いなって思いました。僕なら絶対気づけなかったです」
ジークが舌打ち混じりに返す。
「そうか、それだ」
ティモがきょとんとする。
ジークは机に肘をつき、言葉を続けた。
「俺らにとっちゃ当たり前すぎて、妙だと思わなかった。でも普通なら気づかねぇ」
ライゼルも低く添える。
「見える者もいる。だが……“見えすぎていた”可能性はある」
ティモははっとして、息を呑んだ。
「……じゃあ、ラドさんの証言が……?」
ジークが唇を歪める。
「引っかかったな。セリンへの疑いは、そこから始まった」
メルシェの指が端末の上で止まった。
「盲点でした。しかし、確かに記録処理の習熟度がない者が“癖を見た”と証言できる確率は低い。数値化すれば——おそらく〇・三%未満です」
ジークがすかさず頭を抱える。
「出たよ数字! 誰が分かるかそんなもん!」
ライゼルが淡々と補足した。
「だが、数字で裏付けがあるのは事実だ」
ジークは両手を広げて叫ぶ。
「お前まで肯定すんなって!」
一瞬だけ空気が揺れ、笑いかけた緊張がまた静かに戻る。
ティモが不安げに見回す。
「で、でも……ラドさんって、いつも真面目に荷運びしてて……そんな人が……」
言葉が宙に残り、机上の封蝋の光が冷たく反射する。
カイルが机上の蝋を見下ろし、小さく言った。
「……私は彼の誠実さを疑うつもりはありません。だが、“疑わない”と“証跡がある”は別の話です」
視線は一度だけ伏せられ、すぐに戻る。
ライゼルの声は変わらなかった。
「信頼と証拠は別だ」
ジークが立ち上がり、顎で扉をしゃくった。
「ティモ。ラドが今日出てるか調べてこい」
「は、はいっ!」
ティモは慌てて立ち上がり、帳面を胸に抱えて駆け出した。
扉が開き、外の光が差し込む。
足音が遠ざかり、廊下に小さく反響する。
残された四人は黙ってその背を見送った。
扉が静かに閉まる。
足音が遠ざかり、会議室にまた沈黙が落ちた。
ジークが頭をかきながら、苦笑混じりに言う。
「……まんまと踊らされたな。セリンが黒に見えるよう仕組まれてたのに、俺らもその色眼鏡で見ちまった」
メルシェが端末を指先で叩く。
「筆跡も、紐の結びも、端末の痕跡も。本人らしいというだけで早計に結び付けました」
ライゼルが目を伏せ、低く続ける。
「完全な俺たちの落ち度だ。……判断を急ぎ過ぎれば、結局は加害に回る。監査を呼んだのは正解だった」
カイルが机上の封蝋を見下ろし、低い声を落とす。
「——商会にも責はあります。南支部の“R印”は杜撰でした。そして、セリンの件も。彼が欠勤者の代わりに、申請もせず詰所に入っていたこと……私は把握していませんでした。」
ジークが腕を組み、口をゆがめた。
「R印も、欠勤者の穴埋めも。お前の商会の規模じゃ、全部に目を光らせるのは無理な話だろ」
カイルは首を横に振る。
「この商会は街の流通を支えています。だからこそ、一つの綻びが街全体の不信に繋がります。無理で済ませてはいけない。……体制は必ず見直します」
ライゼルが静かに頷いた。
「……必要な処置だ」
メルシェが静かに口を開いた。
「規律は過去を罰するためでなく、未来を守るために在ります。——今回の杜撰さも、記録すれば“防止策”に変わります」
カイルは瞳を伏せ、一瞬だけ息を止めた。
「……そうであってほしい」
空気を変えるように、ジークが鼻を鳴らし、椅子をきしませる。
「だが悔しいな。セリンの顔が浮かぶたびに、胸がちくりとする」
メルシェは端末を軽く叩きながら、淡々と告げる。
「心臓の疼痛は、強い感情刺激による自律神経の反応です。記録上は珍しくありません」
ジークが顔をしかめる。
「そういう事じゃねぇ!」
ライゼルが短く補足する。
「だが、説明は正しい」
ジークは振り返って叫ぶ。
「だから肯定すんな!」
会議室に一瞬だけ小さな笑いがこぼれ、張りつめた空気がほんの僅かに和らいだ。
だが、机の上の封蝋は冷たいまま、誰も油断を許してはいない。
ジークは腕を組み直し、視線を前へ戻す。
「……まあ、追う仕事は得意だ。今度は外さねぇ」
ジークが笑みを残したまま黙り込む。
会議室には、紙の擦れる音も息遣いもなく、冬光だけが封蝋を照らしていた。
その静けさの中で、ライゼルが視線を窓へ向ける。
「……見えすぎた証言。そこに痕跡が残っているはずだ」
ジークが鼻で笑い、腕を組む。
「次の鐘を待つ前に、足を動かすか」
ライゼルが瞼を伏せ、短く応じる。
「承知した」
メルシェは端末に指を走らせ、光を刻む。
「付記:調査開始」
カイルは黙ったまま視線を外さず、机上に影を落とした。
その沈黙は、商会の重さを一身に引き受けるようでもあった。
沈黙の中、紙の山はただ冷たく積まれていた。
その冷えが、まだ消えない影の所在を告げているようだった。
——“見えすぎた証言”。
その一言が、ギルドを次の調査へと駆り立てていく。
張り詰めた空気が、静かに「動き」へ切り替わる。




