18. “はず”の代償
霜月八日、昼過ぎ。
窓口が並ぶ長いカウンターには、冒険者と市民の列。革袋の擦れる音、紙と鉄の匂いに、奥の食堂から漂う煮込みの香りが混ざる。
大広間の列に並んでいた冒険者たちの小声。
「昨日の掲示板、見たか? “傾国と薔薇色”スレ。骨だ間だって騒ぎすぎだろ」
「でも分かる。言葉が耳に残るんだよな。……お、薔薇色も来てる」
アメリアが振り返り、両手で大きく丸を作る。
「骨だけーっ!」
「やかましい」ジークが横から肩を押す。
「窓口で叫ぶな。報告の邪魔になる」
「えー、でも掲示板で『骨AA』流行ってたんだよ!」
「余計やめろ。板のノリを窓口に持ってくるな」
笑いが起き、緊張が少しだけ緩む。
——その流れで、新人二人組の番が回ってくる。
昨日の研修を受けたばかりの二人組。短髪の少年と三つ編みの少女。まだ新しい革の匂いがする。
「依頼票、こちらです!」
少年が深呼吸ひとつ。声を張った。
「番号B-113、達成。数量二、規格内。証紙はここ。付記、北門市場の右奥路地は昼前混雑、経路変更で二分短縮しました!」
言い切ったあと、肩がびくりと跳ねた。
少女が横で弾んだ声を重ねる。
「うんっ、ちゃんと骨!」
メルシェは受け取った束を検め、端末に刻時を記録する。
「要点が適切です。……付記、有用。地図に印を。次回、同様の時間帯でも迷わないはずです」
「はいっ!」
二人の顔がぱっと明るくなり、後方の冒険者から小さな拍手が起きた。
列の後ろから、アメリアが身を乗り出す。
「昨日の研修でやったやつ! ちゃんと出来てるね!」
斜め後ろの柱に寄りかかっていたジークが、片手をひらひらさせた。
「“骨だけ”ってやつな」笑い混じりに言う。「素直に覚えたやつは伸びるんだよ」
さらに後方、列の流れを見ていたライゼルが、わずかに目元を和ませた。
二人は深々と礼をして、跳ねるように去っていった。
窓口の周辺に、微かな温度の揺らぎが残った。
*
カンナが一番窓口から身を乗り出す。
「昨日の研修、ちゃんと効いてますね! ……次の方どうぞー!」
札をさばきながら、笑顔で次の三人組を呼んだ。
革袋を抱えた冒険者たち。先頭の男が袋を卓上へどさりと置き、口を開いた。
厚紙の上に並んだのは、灰狼の耳が六枚。乾いた毛並み。血の色がまだ薄く残っている。
「灰狼六。右耳、六枚だ」
短い言葉。カンナは袋を開け、枚数を数える。
「六枚、ですね。ええと、依頼票は……」
「ここだよ」
横の男が投げるように出す。
カンナは袋を開け、数え、頷き…かけて、ふと目を瞬かせた。
「——あの、確認だけ。これ、全部“右耳”ですよね?」
「そうだ。揃ってるだろ」
短い舌打ち。肩で息をする男の視線が泳いだ。
印へ手を伸ばしかけた、そのとき。
「——少し、お待ちください」
隣の窓口から、メルシェの声。低く、しかし澄んで届いた。
彼女は立ち上がらず、端末に視線を落としたまま、卓上の耳を一瞥した。
「——一枚、毛流れが逆です。右耳ではなく、左耳です」
瞬間、列の後方がざわめいた。
「本当に……?」
「傾国さんが言うなら、間違いねぇ」
押し殺した息遣いが、空気を強張らせた。
カンナが身を寄せる。
「え、逆……? どこで分かるんでしょうか」
メルシェは指先で静かに示した。
「灰丘犬は、右耳の外縁から内側へ“時計回り”に毛が倒れます。左耳は“反時計回り”。さらに耳先の血管の枝が左右で逆を向く。この一枚だけ、両方が逆です」
指し示されたのは、六枚のうち三枚目。
さらに彼女は縁の切り口を指で示す。
「切り口の向きも“左の根元”の角度です」
「右耳を“まとめて”切ったのなら、左右が混ざるはずがない。——この左耳はどうした?」
隣からジークの声。軽さはない。
先頭の男が口ごもる。
「そ、それは……その、右耳が潰れてて取れなかったから。左でも同じだろ——」
背後の仲間二人が視線を逸らす。ひとりは口を結び、もうひとりは包帯の指をいじっていた。
カンナは押印から手を離した。笑顔は消えている。
「規定では、右耳の先です。例外の扱いは——」
「全部、本当に止め刺したか?」
ジークの声が食い込んだ。
肩が落ちる。仲間のひとりが観念したように言う。
「……一体、逃がした。だから別の個体の左を……数合わせに。でも致命傷は与えた。血も……すぐに死んだはずだ」
「“はず”は報告になりません」
メルシェは冷静に言った。淡々、だが余地を残さない。
窓口前に人の輪ができる。昨日研修を受けた新人が小さく息を呑む。アメリアも列の端から首を伸ばしている。
ジークの目が細くなった。
「“致命傷だった”も“死んだはず”も、間違ってた時の刃は、お前らじゃない誰かに食い込む。街道の子供かもしれねぇし、他の冒険者の背中かもしれねぇ。——想像できねぇか」
重い沈黙。周囲の冒険者達の顔が強張る。アメリアは小さく唇を噛んだ。
ライゼルが歩み出て、耳へ視線を落とす。声は静かで、場を貫いた。
「灰狼は群れで戻る。致命傷と判断したものが生き延び、群れと合流すれば、周辺に被害が出る。——安易な判断が、新たな被害者をうみだす危険性がある。」
カンナは困った顔でメルシェを見る。
窓口の列は張り詰めたまま。
メルシェは端末に記録を打つ。
「虚偽提出。——意図は問わず、記録します」
男が顔を上げる。反射で抗議の色が走ったが、メルシェは揺れない。
「これは罰するためだけではありません。次に同じ“甘さ”を許さないための、記録です」
新人のひとりが、思わず声を漏らす。
「“依頼は命に直結する契約”……“虚偽はしない”」
ジークが続ける。
「致命かどうか決めるのは、その場の妄想じゃねぇ。“確認”だ」
ライゼルも言葉を重ねる。
「今からでも遅くはない。巡回を増やし、経路を変える。君らは戻って痕跡を追え。群れの位置を見失ったら、すぐ報告だ」
近くの戦闘員が呼ばれ、指示が飛ぶ。
「……報酬は、どうなりますか」
先頭の男がかすれた声を出す。
メルシェは、目を伏せずに答えた。
「選択肢は二つ。“部分達成”に変更、五体分を受理し減額。残りは不達成として記録。
もう一つは“保留”。六体を揃えた後、まとめて受理」
彼女の声にわずかな硬さが混じる。
「虚偽提出については罰点を一つ。次回基礎研修“窓口実務”を再受講してください」
男は唇を噛み、仲間と視線を交わす。包帯の男が小さくうなずいた。
「……保留で。戻ります」
「受け付けました」
メルシェは一枚ずつ布で覆い、左耳を別袋に入れた。
「この耳は証拠として預かります。返却はしません」
カンナが朱を押す。手は震えたが、きちんと止まった。
「気をつけてください」
「……申し訳ありませんでした」
「謝る相手は、これから噛まれるかもしれない誰かだ」
ジークが低く添える。
「次は間違うな」
三人は頭を下げ、早足で去った。扉が閉まる音。空気は重い。
沈黙ののち、誰かが小さく息を吐く。新人が互いに顔を見合わせる。
アメリアが拳を握った。
「……戻って、ちゃんと終わらせて、帰ってきてほしい」
「帰ってくるさ」ジークが肩越しに言い、ライゼルが静かに視線を落とす。
「終わらせるまでが、依頼だからな」
「質問、いいですか!」
1人が、勇気を出して手を上げる。
「右耳が本当に潰れていたら……どうすれば?」
メルシェは即答した。
「死体と位置情報。——止め刺し、刻時、簡易地図。可能なら“耳根の皮紋”を一部切り取って提示。灰丘犬は右耳根の皮紋が渦を巻く。個体照合ができます」
周囲は一斉にメモを走らせる。
やがて喧騒は戻り、紙の音が流れた。
メルシェは左耳の袋に封をして端末を打つ。
『虚偽提出・罰点1/再受講条件付与/戦闘部門へ通達』
ジークがため息混じりに口を開く。
「研修で忠告したことが、昨日の今日で現実になったな。……新人を過ぎたあたりが一番危ねぇ。緊張が慣れに変わって、慢心と油断が顔を出すころだ」
アメリアが小さく言った。
「昨日、私“嘘を嘘で上書き!”って……場をほぐすつもりで。でも今日、笑えないって分かった」
アメリアは唇を噛み、続けた。
「私……“はず”は、やめる」
ジークが短く応じる。
「——それでいい」
そこにライゼルが静かに視線を巡らせ、言葉を添えた。
「“はず”は命を危険に晒す事に繋がる。……だが、“確認した”は守る力になる。今日の記録は、次の命を救う礎だ」
アメリアは真剣に頷き、拳をぎゅっと握る。
「私今日の事忘れないっ!骨も忘れないっ!」
「乱用すると意味が薄れます」メルシェが淡々と挟み、場に小さな笑いが戻った。
ジークは額を押さえて「もう流行語だな」とぼやく。
カンナがほっと息をつき、隣で囁いた。
「メルシェさん、あの毛の流れ……よく分かりましたね。私、全然……」
「見分けは慣れです」
メルシェは静かに言う。
「“同じものは同じ流れで整う”。違う流れは、必ず目を突きます」
ジークがにやりとする。
「名言っぽいな。額に——」
「貼らなくていいです」
やり取りに笑いが落ち、緊張が溶ける。
「次は、最初に見ます。……ありがとうございました」
ライゼルが周囲の新人へ向き直る。
「“数が合う”は入口でしかない。中身を確認するのは、窓口の仕事だ。——疑わしく見たのではなく、守るために見たと心得てほしい」
「支えるだけでなく、正す。——それもギルドの役目の一つです」
メルシェは淡々と告げた。
メルシェが押印台を閉じ、軽く音を立てる。その音を合図に、次の依頼人が前へ進む。
日常は続く。だが、今の一件の輪郭は容易に消えない。
窓の外で旗布が揺れ、鈴が小さく鳴った。
昨日の言葉は今日の仕事に。今日の仕事は、誰かの明日を軽くする。




