10.薔薇色の風、乱入
街路の陽はまだ傾き切らず、白い石畳を細かく照り返していた。
油と革の匂い、焼き菓子の甘い香り、すれ違う人の衣擦れ。
昼の名残が路地に溜まり、旗布の影が風で伸びたり縮んだりする。
商会の門を出た三人は、行き交う荷車の間を縫いながら歩みをそろえる。
「戻るか」
ジークが工具袋を肩で担ぎ直し、軽く息を吐いた。
「はい、人の密度が減っています。いまのうちに」
周りを見渡すメルシェの歩幅は乱れない。
ライゼルが頷いた――そのときだった。
「ジークお兄ちゃーん!!」
風を切る声が飛んできて、薔薇色の影が突っ込んでくる。
肩口で跳ねるピンクブロンド、健康的に焼けた頬、紫がかった瞳がきらきらしている。
「……げっ」
ジークの顔がほんの一瞬だけ固まった。
「見つけた!」
少女――アメリアは、弾む声で言いながらジークの腕に両手を絡ませる。
「なんでこんな所でのんびりしてんの? ねぇねぇ、聞いてよ、今日ね――」
「落ち着け」
ジークは額を押さえ、深く息を吐いた。
「まず腕を離せ。あと“お兄ちゃん”もやめろ」
「え、じゃあ“ジーク先輩”?」
「違う」
「じゃあ“ジーク”!」
「距離感を迷子にするな」
やり取りが通りの喧噪に混ざり、滑っていく。
メルシェは瞬きをひとつ。
ライゼルは目を細め、淡い笑みを作った。
アメリアはくるりと半回転して、二人に向き直る。
「もしかして……ライゼルさん!? 契約戦闘員、それでもってギルド随一の剣腕!
凄い、初めて生で見れた!
はじめまして、アメリア・ブランです!
新人の冒険者で、今日は買い出しと、あと、ついでに“ジークに会う”って予定!」
「……計画に“ついで”の定義が含まれていないように見えます」
メルシェが淡々と告げる。
「えへへ。会ったから成功!」
アメリアは満面の笑み。
ライゼルは苦笑を浮かべ、肩をすくめた。
「大げさだ。誇張されすぎだ」
「でもかっこいい! やっぱり目の前で見ると違う!」
アメリアは両手を胸の前で握り、憧れを隠さない。
「おい、俺ん時より反応いいじゃねぇか」
ジークが割り込む。
「お兄ちゃんは別枠!」
アメリアが即答し、場が和んだ。
「お前はいつ見ても元気だな」
「うん!むしろ余ってる!」
胸を張る仕草が陽に照らされ、さらに明るい。
ジークは肩をすくめる。
「余剰分は黙ってても減らないぞ」
「じゃあ見てもらうね、余剰分!」
アメリアは両手を差し出す。指先に火花がぱちりと走り、足元で風が起きる。
「火と風、ちょっとだけ!」
「待て。ここは人が――」
ライゼルの制止と、ぱん、と軽い破裂音はほぼ同時だった。
跳ねた火花が散り、風が裾を持ち上げる。
ジークの袖口に焦げが点で残った。
「わ、ごめん!」
アメリアは慌てて火を潰す。
「いまのはその、えっと、デモンストレーション!」
「デモの定義を更新してこい」
ジークは袖を軽く払って、渋い顔のまま。
「焦がした分は労働で返せ」
「はーい! ……でも見た? 今の火、綺麗だったでしょ?」
「“綺麗”の前に“危な”が付く」
「……初対面にしては、印象深いことは確かです」
メルシェがまとめると、アメリアは「やった」と親指を立てた。
通りの風が抜け、角の屋台では焼き菓子が並んでいた。
砂糖の香り、砕いたナッツの香ばしさ。
「ところで、今日は何の買い出しだ」
ジークが問うと、アメリアは腰の小袋をぽんと叩いた。
「包帯と油と、火打ち石の替え。あと――」
「甘味ですね」
メルシェが屋台の方へ視線だけ送る。
「表情筋の反応が、明らかに屋台方向に偏っていました」
「バレた?」
アメリアはへへ、と笑う。
「だって、ご褒美に――」
「糖分摂取自体は、活動持続に合理的です」
メルシェは即答し、わずかに間を置く。
「……ただし、順番は“買い出し → ご褒美”が最適です」
「了解!」
アメリアが敬礼してみせる。
ジークが眉をひそめた。
「お前、理解は早いのに実行が遅いタイプだな」
「でもちゃんと買ったよ? ほら」
小袋から包帯の束を取り出し、どや顔で揺らす。
結び目が甘く、端が跳ねていた。
(結び目、内へ寄る癖。――夜帯の副担当の結び方に似ています)
メルシェは直しながら観察する。
ライゼルは横目でその仕草を見て、静かな笑みを深めた。
「手先が綺麗だ」
「え、誰の?」
アメリアが反射で食いつく。
「ねぇ、誰の? メルシェさん? やっぱり? 今の、指がすごい――」
「騒音レベル上昇」
ジークが淡々と手で×を作る。
「音量を下げろ。人の流れが詰まる」
実際、周囲にわずかな“滞留”ができていた。
メルシェは一歩ずれ、通行の導線を空ける。
流れがすっと整った。
「……ね、ねぇ」
アメリアはその流れを見て目を丸くする。
「今、道ができた」
「通行の“角”を合わせただけです」
メルシェは短く言って、視線を戻した。
「アメリアさん、買い出しの残りはどちらへ? 経路次第で、効率の良い順番を提案できます」
「えっとね、北の門の市場でハーブ。で、そのあと窓口に届ける」
「では、市場からです。ここから直進、右へ二街区。――途中、日陰を選ぶと体力消費が減ります」
「日陰!」
アメリアは即座に頷き、ぱっと笑った。
「メルシェさん、親切!」
「業務のためです」
間をひとつ置いて、付け足す。
「……あと、糖分摂取は帰路で」
「了解、帰路で!」
アメリアは復唱し、場が少し柔らかくなる。
*
「“お兄ちゃん”呼びは初耳だな。親しいんだな。」
ライゼルがさりげなく問う。
「何度か窓口で会った程度だ。……どうして“お兄ちゃん”になるんだか。
印象は――“元気”“声が大きい”“衝動的”。以上」
ジークが呆れ顔で答える。
「ひどい!」
アメリアが抗議する。
「“可愛い”は? “愛嬌がある”は? “伸びしろ無限”は?」
「客観性のない評価は除外」
「じゃあメルシェさんは?」
アメリアがすかさず振る。
「第一印象、どんと来い!」
「……明るく、行動力が高い。……だが衝動が先走る。同時に、注意散漫。
熱量が高い分、周囲への配慮が抜けがち。
――改善余地は多いですが、伸び代は確かです」
メルシェはほんの少し考え、正面から答える。
アメリアは一瞬ぽかんとし、次の瞬間には満面の笑みを浮かべた。
「好き!! いや、好きってそういう意味じゃなくて、評価の仕方が! すっごい刺さる!」
「ほらな」
ジークが肩をすくめる。
「褒めても叱ってもエネルギーに変換する」
「燃料変換効率、良好」
メルシェが要約すると、アメリアは「それ!」と手を叩いた。
「その言い方、好き!」
角で誰かが荷を落とす音がした。
アメリアは顔を向け、すぐ戻す。
「ねぇ、将来はね――」
「将来は帰り道で語れ」
ジークが合図を出す。
「日が傾く」
「はーい!」
アメリアは勢いよく返事をして、一歩前へ。
すぐに振り返り、ライゼルにじっと目を向ける。
「ライゼルさんって、あの“落ちない人”だよね?」
「噂は噂だ」
ライゼルは目元だけで笑い、丁寧にかわす。
「君は“落ちない人”かい?」
「むしろよく転ぶ!」
アメリアは胸を張る。
「でも転んだら、次は避ける!」
「それを“学習”と言う」
ジークが即座に刺す。
「それそれ!」
アメリアは嬉しそうに手を叩く。
「ねぇ、聞いてよ。掲示――」
そこでメルシェが視線を上げた。
「路上での私語は“必要最低限”で」
アメリアは素直に口をつぐみ、代わりに鼻歌を漏らす。
テンポが上がり、影が石畳に揺れる。
*
「アメリア」
歩きながら、ジークが少しだけ声を落とす。
「お前の“火”、さっきの調子だと街中で事故る。
風を先に立てて流れを作り、火は“流れに乗せる”。逆にすると跳ねる」
「……風、先」
アメリアは真剣に復唱し、肩の力を落とした。
「ありがとう、ジーク」
「礼は、焦げた袖の弁償で足りる」
「う……それは努力で」
「努力と弁償は別勘定だ」
「きびしい!」
やり取りに、ライゼルの苦笑が重なる。
「それでも君には、場を明るくする力がある。――貴重だ」
「え、ほんと?」
アメリアは一気に顔を輝かせる。
「やった! 落ちない人に褒められた!」
「“落ちない”は訂正が必要です」
メルシェが淡々と差し挟む。
「評価は行動の累積で変化します」
「そうそう、だから今日から褒められる人に――」
「それも帰路で語れ」
ジークのツッコミが、会話の終止符になった。
*
北門の市場が近づき、香草の匂いが混ざる。
露店が連なり、呼び込みが波のように重なる。
「ハーブ、何が必要ですか」
メルシェが問い、アメリアはメモを出した。
字は大きく、線が踊っている。
「止血の青葉と、防臭の白花。あと、料理用の香りのやつ!」
「分類が混在しています」
メルシェは即座に仕分け、指先で三本の線を引いた。
「上から“応急処置”“保存”“嗜好”。――優先は応急」
「了解!」
アメリアは声を弾ませ、露店の前でぴたりと止まる。
「すみませーん、この青いの、何束でいくら?」
露店主が値段を告げ、アメリアは勢いよく財布を出した。
硬貨がじゃらりと鳴る。
数秒、アメリアの手が固まる。
「えっと」
「端数に弱い」
ジークがぼそっと補助し、ちょうどの額を出してやる。
「訓練しろ」
「はい!」
アメリアは嬉しそうに束をしまう。
買い物のたびに復唱が走る。
「青いの二束、防臭の白花一束……!」
メルシェは結びを直し、紙を折り、導線を開く。
ライゼルは露店主に短く礼を交わす。
流れは乱れない。小さなリズムが生まれていく。
*
最後の店。アメリアが立ち止まった。
視線の先には焼き菓子。
砂糖の白、焦げ目の茶色。香りが風に乗る。
「……帰路で」
メルシェが小さく言う。
アメリアは肩を震わせて笑い、我慢するポーズ。
買い出しを終え、通りへ戻る。
陽が傾き、影が伸びる。
「ありがとうございました!」
アメリアは包みを抱えて頭を下げた。
「なんか、今日だけで強くなった気がする!」
「気がする、は気のせいだ」
ジークが即座に落とす。
「強くなるのは“明日も同じ速度で繰り返した時”だ」
「明日も!」
アメリアは頷く。
「ねぇ、また付いてっていい?」
「業務に支障がなければ」
メルシェが言い、ライゼルは静かに目元を緩める。
「安全第一で」
「はーい!」
アメリアは片手を上げた。
「じゃあ、窓口に届けてくるね! そのあと――」
「そのあと?」
ジークが訝しむ。
「帰路の“ご褒美”!」
アメリアは屋台を指差す。
「メルシェさんの許可を得たから、合法!」
「合法、という単語の選択に改善余地あり」
メルシェはわずかに口角をゆるめ――たように見えた。
「じゃ、行ってきます!」
アメリアは駆け出し、数歩で振り返る。
「またね、ジーク! メルシェさん! ライゼルさん!」
「走るな、転ぶ」
ジークの忠告と、石畳で滑る足音は同時だった。
アメリアは慌てて速度を落とし、笑いながら手を振り角を曲がる。
風が彼女の後を梳いた。
砂糖の香りが薄く残り、遠くで窓口の印の音が鳴る。
「……活力と声量は比例するのでしょうか」
メルシェが静かにつぶやく。
「元気の余剰は、時に役に立つ。――場を温める」
ライゼルが添える。
「確かにな」
ジークは焦げ跡を払った。
メルシェは通りを一度見渡す。
影が伸び、旗布の影がまた揺れた。
「戻りましょう」
淡々さに、わずか柔らかさが混じる。
三人は歩き出す。
背後で屋台の包み紙が鳴り、誰かの笑い声が跳ねた。
角の向こう、アメリアの笑い声も混ざった気がした。
――新しい風は、確かに吹いた。
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