1. 変わらない朝、始まりの日
オルディア大陸群の一都市。
ギルドの窓口にも、いつもの朝が訪れる。
——けれど、この日は誰かにとって“始まりの日”だった。
◇
街路のざわめきが、扉の隙間からかすかに届く。
カウンターには朝の光。磨かれた木目が淡く反射し、古びた札の縁だけが剥げていた。
「レイチェルさん、見てくださいってば!」
体より大きな釣銭箱を抱えた新人受付嬢のカンナが、袖を引っ張った。
「仕事前に十秒だけよ。昨日も“十秒”が五分になったの、覚えてる?」
「今日はほんとに十秒です!」
彼女は胸の前に端末を掲げた。銅枠の通信器。雑貨屋で売っている普及機だ。
起動すると光膜の画面に文字が走る。
「ほら、“掲示板”。昨日までβ版で、今日の九時に正式稼働なんです! 私1コメ狙ってて——」
「相変わらず言い回しが雑ね」
「でもほんと面白いんですよ。誰が書いたか分からないし、嘘も本当もごちゃ混ぜで。昨日なんて犬探しと露店の当たり情報が同時に伸びて、掲示板中が大騒ぎだったんです!」
「つまり、世界の雑音を拾って聞かせてくれる箱、ってことね」
「そう! 雑音。でも、たまに当たるんです。飼い犬が見つかったり、露店の新作が当たりだったり。地味だけど生活が回るんですよ。……あ、九時! 十、九、八——えいっ! あー、駄目だったー」
画面に黒文字が一言だけ落ちる。
――ここからが、新時代だ。
「……気取った文句ですね。私も“1番乗りー”って書きたかったのに!」
「十秒はとっくに過ぎてるわよ。釣銭確認、名札交換、それから規約の掲示——」
「むぅ……はいはい。カウンター拭いて、端末はここに置いて……」
レイチェルは端末から目を外し、看板を「準備中」から「受付中」に返す。
カンナは名札を整え、鏡で笑顔の角度を確認し、ぴょんと背伸びをした。
「今日も一日、よろしくお願いします!」
「声、半音落として。朝は静かな人が多いの」
「りょ、了解です(小声)。——あ、レイチェルさん。今日って、転属の人が来るんでしたっけ?」
「書類上は“特務係への増員一名”。名前は……メルシェ・フィリーネ」
レイチェルは書類束を軽く叩き、カウンターの三分割線を指さした。
「新人は最初の三日、窓口・裏方・現場のローテ。まずは基本の案内から」
「分かってます、“窓口は事実だけを扱う”ですよね!」
「いい返事」
二人はテキパキと準備を終え、窓口に立った。
朝一番の客は急ぎが多い。行商人、依頼の確認に来た冒険者、夜勤明けの治安隊員。
カンナが元気よく応対し、レイチェルが補足を入れていく。
その時。
扉の向こうに、一人の影。
白銀の髪が光をまとい、アイスグレーの瞳がまっすぐ前を見ている。
華奢な体躯、整った顔立ち。
一瞬で、ギルドの空気が変わった。
カンナが息を呑み、レイチェルの眉がわずかに動く。
並んでいた行商人は言葉を飲み込み、冒険者の手が止まる。
——窓口が、時を止めたように静まった。
白銀の少女は一歩前に出て、軽く会釈。
「本日付で特務係に配属となりました、メルシェ・フィリーネです」
澄んだ声。落ち着いた仕草。
ただ“仕事を始める人”としてそこにいる。
けれど、その響きに客たちは返事を忘れた。
目の前にいるのは仕事人のはずなのに、言葉を奪われるほどの印象を受けていた。
メルシェは迷いなく書類を差し出し、端末を規定の位置に置く。
釣銭箱と記録簿の間に視線を走らせ、最短の導線で小物を置き直す。
無駄のない動きに、レイチェルがかすかに目を細めた。
指先は淀みなく、立ち居振る舞いも整っている。
まるで、もう何年もここに立っていたかのように。
——窓口の朝は、再び動き始めた。
「掲示板も、窓口も……今日から新しい始まりですね」
カンナが小声で呟く。
その言葉は、まだ誰も知らない“始まりの日”を示していた。
初めて小説書くので、色々とツッコミどころもあるかと思いますが、暖かい目で見守って頂けると嬉しいです。また少しでも続き読みたいと思って下さったら、更新の励みになるので、応援よろしくお願い致します。