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最終話 天地ひっくり返る

 カーク市――第三王女クラリーチェ・ヴァレンティアの統治下にある、政府軍最後の牙城。


 街の表面には、秩序が戻ったような静けさがあった。整然と並ぶ屋台、兵士たちの哨戒、仮設の検問所。


 だが、それは張りぼての平和に過ぎない。街の奥底には、敗北の臭いがまだしつこくこびりついている。


 私、アンナ・ライトニングと、イーグル隊中隊長のオリヴィア・ランサーは、擦り切れた黒い軍服をまとい、スカートの裾を風に揺らしながら肩を並べて歩いていた。


 王都陥落から、もう一週間が経った。


 ――私たちは、生きている。奇跡みたいな話だ。


 王都から脱出したとき、666大隊はまだ300人近くいた。


 だが、そこから脱走が相次ぎ、補給は途絶え、飢えをしのぐために反政府軍の物資を強奪する羽目にもなった。


 最後に残ったのは、私を含めたった百人と、大隊長一人。


 合計101人。


 それでも――全員がまだ戦える。それだけは誇りだ。


「……すげーな、カーク。主要都市はどこもかしこも世紀末状態だと思ってたが、ここはまだ『街』してる」


 露店で買ったキャラメルを噛みながらつぶやく。オリヴィア隊長は長い睫毛を伏せ、静かに答えた。


「クラリーチェ様の統制がきいているのでしょう。第8強襲機甲師団は、こういう場面でもぬかりありませんから」


「なるほどな。……流石はスカイの姉貴。後方でイキってただけの王族連中とは、格が違う」


 二人でそのまま市場を抜ける。わずかな食料を売る露天商が、声を張り上げていた。


 笑い声も聞こえる――だが、その笑みにはどこか張り付いたような硬さがある。


 この街も、戦場になるかもしれない。


 反政府軍が「追討軍派遣」を大々的に宣伝したという噂は、すでに広まっている。


 そんなとき、私の耳が、耳障りな音を拾った。


 くぐもった呻き声と、低い笑い。


 ――路地裏だ。


「……なーんか、嫌な音がするな」


  私は短く言って、オリヴィア隊長と視線を交わす。

 私達は、何も言わずに路地へ足を踏み入れた。


 そこには――味方、第8強襲機甲師団の兵士二人がいた。


 どちらも若い。顔には戦場帰りの煤がまだ残っている。そいつらが壁に押し付けていたのは、ボロボロのドレスをまとった一人の女だった。


 腰布一枚を乱され、必死に口を塞がれている。


 虚ろな瞳。声にならない悲鳴が、押し殺された喉の奥から漏れ続けていた。……合意の上には見えなかった。


「……うわ。嫌なもの見ましたわね……」


 オリヴィアが、火炎放射器を背にしたまま眉をひそめる。


 その視線が、女の顔に止まった。


「歳は……私たちと同じくらいじゃありませんか……」


 私は、キャラメルを噛みつぶしながら肩をすくめた。


「ま、色々事情があるんだろうさ。……末端の兵士の欲望の発散くらい、見逃してやろうぜ。古今東西、どこにでもあることだ。第八機甲師団の連中とトラブルになるのも面倒くせぇよ」


 そう言って、踵を返そうとした――その瞬間、足が止まった。


 女の顔が、はっきりと見えた。


 ――知っている。


 いや、忘れたくても忘れられない顔だ。


 王都の夜会。


 婚約破棄を突きつけられた、あの日。私を嘲笑った、あの浮気相手――。


 口の端が、にたりと吊り上がるのが分かる。


「……ははっ。世の中、分からねぇもんだな」


 オリヴィア隊長が目を細める。


「ご存知の方ですか?」


「ちょっとな。昔、散々イキってたお嬢様さ。……見ろよ。今じゃ場末の路地で、男に腰振らされてる。天地ひっくり返るってのは、こういうのを言うんだな」


 私の声は乾いていた。笑いというより、冷笑だ。


「貴族令嬢なんて、権威が無くなりゃ、ただの生意気なだけの、か弱い女だ。平和な時代ならそれで通じたんだろうが……生まれる時代を間違えたってやつだな」


 私は皮肉な声で言って、新しいキャラメルを口に放り込む。


「内戦中も呑気に王都で高みの見物してたアホ婚約者も、今ごろどうなってる事やら……首をくくってるか、反政府軍に身ぐるみ剥がされて野垂れ死にしてるかって所か。ま、今の私にはどうでもいい事だ」


「……冷たいんですね。一応、顔見知りでしょうに」


 オリヴィア隊長の声には、わずかな戸惑いがあった。


 私は肩をすくめる。


「助けたところで、あいつを養う余裕があるか? ない。あそこまで心が壊れてたら、666の補充兵としても役に立たん。なら、見捨てるだけだ。……誇ろうぜ、オリヴィア隊長。私も、あんたも、他の貴族出身組も、運が良かった。徴兵されず、のんきに王都でぬくぬくしてたら、ああなってたのは、私達だったかもしれんよ」


 私は、くつくつと笑い、火炎放射器を背負ったオリヴィアの肩を軽く叩いた。


「少なくとも、場末の娼婦よりは良い環境だと思うぜ。666は。スカイは良い男だよ。王都にいたヘタレどもと違って。面白い戦場を提供してくれる。……ま、個人的にあのクズ婚約者思い出すから、浮気性は好かんがね」


 路地裏では、まだ押し殺した声と、無神経な笑い声が交錯している。


 だが、私達二人は何も言わず、踵を返した。


「追討軍との戦い、負けたらどうします?」


 オリヴィア隊長の声に、私は笑った。


「そんときゃ、また脱出して、今度こそ大隊長神輿にして亡命でもするか。……いずれにしろ、あいつについてきゃ、何とかなるさ」


 戦争は、まだ終わりそうにない。

読了、お疲れさまでした。これにて、本作は完結です。


よろしければ、ページ下から評価していただけると嬉しいです。作者が喜びます。


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