第5話 脳が破壊される音
「……やれやれ、今日は本当に、何も起きない日だな」
私、アンナ・ライトニングは、分解したライフルのボルトを拭きながら、ぽつりと呟いた。
それは、嬉しいぼやきだった。
銃声のない日。爆音のない日。焼け焦げた死体も、降ってくる榴弾もない日。
それだけで、地獄の中では最高級の贅沢だった。
「何も起きないって言ってるけど、今日も補給トラックの隊列が地雷で吹っ飛んでたよ。見てないの?」
と、返したのは隣に座っていたアフシャン・ゼロファイター。妾腹の子爵令嬢にして、イーグル第四小隊の地対空ミサイル担当。
腰に巻いた工具ポーチを指先で弄びながら、いたずらっぽく笑う。
「……それはいつも通りの範囲だろ」
「そう? あれ結構爆発きれいだったよ? 空高く散るタイヤの破片が、花火みたいでさ」
「戦場に馴染みすぎだろ、あんた。仮にも味方だぜ?」
「666ファミリーが死んだならともかく、クズでヘタレの正規軍が死んでもかわいそーくらいにしか思えないよ」
「言うねぇ。ま、違いねぇが」
呆れながらも、私の口元も緩む。
「正規軍の奴ら、今まで何度敵前逃亡して、私達に敵を押し付けたか知ってる? 13回よ。13回! 細かいものを含めてね」
「……信用出来るのは、スカイと大隊の皆だけだな。冗談抜きで」
最初は地獄の業火でしかなかったこの戦場に、自分が「馴染む」なんて思いもしなかった。
けれど、気づけば自分の手には銃が自然に馴染み、足音に即座に反応し、仲間と肩を並べて笑うようになっていた。
もう『お嬢様』じゃない。
ここで私は、兵士だ。
「それにしてもさ」
アフシャンがふと、空を仰ぐ。
「この前、私に唯一優しくしてくれた叔母様から手紙が届いたんだけどさ。なんか最近、貴族社会もピリピリしてるみたい」
「そりゃそうだろ。戦況悪化してるし、王都にも反政府軍のスパイ入りまくってるって話だし」
「うん。でも、それでもまだ舞踏会は続いてる、ってさ。もうギャグでしょ?」
「ギャグだな。叔母さんには、早めに疎開しておくように言っておけよ。出来れば友好国まで高飛び出来ればなお良い」
「叔母様一家はもう亡命準備してるってさ」
「そりゃ良かった。『情報強者』ほど生き残るのは、戦場も銃後も変わらんな」
二人で笑った。
父や元婚約者は、どうせ今ごろ高級ワインでもすすっているだろう。
彼らにとってはまだ、戦争は新聞の向こう側の出来事なのだ。
けれど、こっちでは違う。
「それに比べて、うちの隊ってすごいよね。バカみたいに強くて、バカみたいに女ばっかで、バカみたいに……」
アフシャンが言いかけて、ふっと笑う。
「……いや、なんでもない」
「なんだよ、気になる言い方して。……バカみたいに?」
「いや、さ。……バカみたいに、隊長を好きな子が多いなって」
「……」
その言葉に、私の手が止まった。
「……うん。まあ、分かるよ。あの人、すごいよね。初陣で命拾いした時から、ずっとこの人ならついていけるって思ってる。面白い戦場を提供してくれる相手、とも」
「うんうん、分かる分かる。私も隊長には命助けられてるし、結構好き」
「そっちの好き? LOVE?」
「ご想像にお任せ。……ただ、私達みたいな妾腹組にとっては、隊長は希望の星とだけ。本来、私達妾の子なんて、立場的におっさん貴族の後妻か妾が関の山だよ? それがあのカッコ可愛い王子様の側室や愛人にでもなれるなら、それでも十分『上がり』でしょ?」
あっけらかんとした口調で言うアフシャン。
「なるほど、打算込みって訳」
「まあね。こんな所に実家の『愛国心アピール』目的で放り込まれた時は、どうなるかと思ったけど。ある意味、運が開けたかもしれない。でも、純粋に好意でアプローチしてる子は多いよ。……成功してる子もね」
「…………へえ。……誰?」
「……何人かいるよ?」
アフシャンはいたずらっぽく笑って、指を折り始める。
「正室のレベッカ、これは言うまでもなくてしょ? あと、整備隊のアリス。彼女は第二夫人って陰で呼ばれてるし。グレイシーはちょっと依存気味だけど、抱かれてるって話は本当っぽいし、オウル隊のマリーにアレクサンドラも怪しい。あとマルタにフローラに、エレナに……」
その瞬間、私の脳内に、爆発が起きた。
「……は?」
「八股。現時点で、確認できるだけで八人。もちろん、全員大隊員。皆、それぞれ「私は特別」って思ってる」
「……待って。待って待って。うちの隊長、『八股』してんの?」
「うん」
「ファァァァァァッ!?」
思わず、声が裏返った。さっきまで平穏だった脳が、処理能力を超えた情報でフリーズする。
あのクソ婚約者はとんだ二股野郎だったが、八股ってアンタ……。4倍だよ。オクトパスだよ。
「え、ちょっと待って。え? 王子様、じゃなかったの? あの人。孤高で、カッコよくて、皆の命を背負ってて……!?」
「うん。それで、めちゃくちゃ女好きでもある」
「私、戦場で助けられて、『王子様だ……』って思ってたのに」
「そう思った子、だいたい抱かれてる説あるよ?」
「やめてくれ!!!!!」
私は思わず顔を覆う。
スカイは、確かにカッコいい。
強い。仲間思い。誰よりも前に出て、全員を守ろうとする。
――でも、まさかの八股。
「いや、え? でもさ、あの……レベッカとか……嫉妬とかないの?」
「ある。特にレベッカ。あの子、陽キャだけど、同時にめっちゃ嫉妬深い。でも、なんだかんだで「私が本妻だから」って余裕ぶってる。アリスもアリスで、なんか好きな人が選んだ唯一の女の子だからって、レベッカ大好きだから、よくちょっかいかけていじってる。……良くも悪くも共依存気質な子が多いから地獄のハーレム、成立してんだよ、うちの隊って」
「地獄じゃん……」
私は、ぐったりと力を抜いた。
「嘘でしょ……スカイって、ほんとにそんな……」
「ま、でもさ?」
アフシャンが、空を仰いだまま言う。
「それでも、あの人が一度抱いた子を、捨てたことはないんだってさ」
「……」
「浮気性だけど、一生縛りつけるし、一生守る。……それが、あの人の『覚悟』らしいよ」
「……」
言葉が出なかった。
ただ、心の奥で何かが音を立てて崩れて、それでも、……嫌いになれないと思っている自分に、私は気づいてしまった。




