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第3話 タフガール

 戦場の音が消えていた。


 耳鳴りと、焦げた匂いだけが、まだ残っている。


 私、アンナ・ライトニングは、崩れかけた壁に背を預けて、乾いた空を見上げていた。


 頭の中は真っ白。何も考えられない。ただ、肺に残る硝煙の匂いだけが、「ここが地獄だ」と告げていた。


「……あんた、生きてる?」


 唐突に声がした。


 顔を向けると、陽光に紫色の髪を光らせた少女が立っていた。


 戦場で擦り切れた黒い軍服。膝まで泥に汚れ、スカートはほつれている。


 それでも、彼女の笑顔は、どこか舞踏会の姫より華やかだった。


「……生きてます……たぶん」


「たぶん、じゃないでしょ」


 彼女は腰に手を当て、からっと笑う。


「噂通りのタフガールだねぇ。あの状況で初陣を生き残るなんて」


「……あなたは?」


「私はレベッカ・シューティングスター。一応、大隊長の直掩ってやつ」


 軽い口調。でも、その目は鋭い。戦場で何度も死地を見てきた奴の目だった。


「……隊長……?」


「スカイのこと。あんた、まだ会ったばっかでしょ?」


 スカイ。


 その名を聞いただけで、胸の奥が熱くなる。


 あの地獄で、唯一、炎の中に立っていた王子様の姿が、頭をよぎった。


「……アンナでいいっす」


「オッケー、アンナ」


 レベッカはひらひらと手を振ると、こちらの隣に腰を下ろした。


「ねぇ、アンタ、あそこで死ぬって思った?」


「……正直、何度も」


「でしょ――まあ、666じゃ珍しいことじゃないよ。初陣で死ぬやつなんて、昔からよくいる」


「……そんな、軽く言うんだ」


「軽く言わなきゃ、やってられないの。うちら、学徒兵部隊だよ? 白百合だの、天使の部隊だの言われて、王都じゃポスターになって笑ってるけど、実態は――」


 彼女の目が、空を切り裂くように細まる。


「――使い捨ての駒」


 言葉が、重く落ちた。


 その瞬間、私の背中を冷たいものが走る。


 知ってた。でも、こうして生き残った奴の口から聞くと、現実の重さが違う。


「はいはい、重い話は終わり」


 軽やかな声が割り込んできた。


 振り返ると、ピンクのツインテールを揺らす少女が、整備用の手袋を外しながら歩いてくる。


 腰には工具袋。背にはカーボンケース。


 戦場に似つかわしくない白い肌と、挑発的な笑み。


「レベッカ、武器の整備終わったよ。……で、そっちは?」


「新人ちゃん。アンナ・ライトニング」


「へぇ……」


 ツインテールの少女は、青い瞳で私をじろりと見て、唇の端を上げた。


「噂の子じゃん。婚約者ぶん殴って、こんな所にぶち込まれたってやつ」


「……なんで、知ってんの?」


「有名だよ。王都のゴシップネタ、うちら大好きだから」


 彼女は楽しそうに笑うと、レベッカの隣に腰を下ろした。


「私はアリス・アリゲーター。コーモラント隊の隊長。――整備と工兵担当だよ。……まあ、死にたくなかったら、私を敵に回さないことだね」


「……なにそれ、脅し?」


「脅し。戦闘中、武器が壊れたら終わりだろ? 何人かいるよ? 戦闘中に突然小銃や、手榴弾が暴発した子」


 アリスは肩をすくめると、私の目を覗き込んだ。


「ま、生きて帰れてよかったじゃん。今日の地獄、初陣にはキツかったでしょ?」


 私は、何も言えなかった。


「……あいつら、逃げやがった」


 数秒の沈黙の後、気づけば、言葉が漏れていた。


「……ああ、政府軍の主力部隊ね」 


 レベッカの笑顔が、冷えた鋼みたいに歪む。


「珍しいことじゃないよ。今回は規模が大きかったから余計に目立ったけど。よくある事。…………あんた、まだ知らないんだね。この戦争の実態を」


「……実態?」


「中央のアホどもが、どれだけ腐ってるかって話」


 アリスの声は甘いのに、毒がたっぷりだった。


「安全圏にいながら、戦争を煽ってた奴らが今どこにいると思う? 豪華な屋敷で毎晩ダンスパーティーだよ。『祖国のために!』ってスピーチしながら、ワイン片手にワルツ踊って観戦してる」


「…………」


 ほんの数日前まで、自分が、『そちら側』の人間だった事に、私は何も言えなかった。


 レベッカは空を見上げて笑う。


「死ぬのは、庶民と、やる気のある貴族の子ども達。……強制動員って言葉知ってる?」


「いいえ」


「朝、学校に行くと、軍人がいるんだ。で、クラス全員を学徒兵として、拉致同然に軍用トラックに乗せて連れて行く。一応、拒否も出来るけど、断れば家族もろとも国家反逆罪だよ」


「……」


 私は絶句する。華やかな社交界の裏で、そんな事が行われてるなんて、知りさえしなかった。


「666にいる連中も、そうやって連れてこられたのが何人かいる。私の弟子もそう。ま、その子は飲み込みが早いから助かってるけど」


アリスはそう言って、肩をすくめた。


「――ま、反政府軍だってやってる事は似たようなもんだけど。敵兵の中にも、私達と同年代くらいの子、結構いたでしょ? それに、こっちは制圧した土地で、『反革命的』って認定した相手に強姦、略奪、虐殺なんでもありだからよりたちが悪いけど」


レベッカは諦めとも怒りともつかない表情で言う。


「前に反政府軍から奪還した村に、見慣れない土の山があってさ、なんだこれ? って掘り返してみたら若い女性の死体が数十体埋まってた事もあったよ。ご丁寧に全員乱暴された形跡あり。あれは酷い光景だった……」


「……」


 私は、拳を握った。


 知らなかったわけじゃない。でも、ここまでとは。


「ま、スカイが言ってたよ。『この国は腐ってる。だが、腐ってても俺の祖国はここだ』って」


 レベッカが肩をすくめる。


「――あの人のために戦う価値はある。少なくとも、王都でぬくぬくしてる豚どもの為より、よっぽどね」


 スカイ――。


 あの少年の姿が、また脳裏に浮かんだ。


 血と炎の中で、笑っていた横顔が。


「ねぇ、アンナ」


 アリスが唇に笑みを浮かべる。


「うちの隊長、かっこいいでしょ?」


「……ああ」


 胸の奥が熱くなる。


「……王子様、みたいだった」


「ふふ……本物の王子様だよ。不遇だけどね」


 アリスは意味深に笑った。


「――ま、期待しすぎない方がいいよ。うちらの王子様、ちょっと変わってるから」


「アリス、余計なこと言わない」


 レベッカが軽く睨む。


 アリスは肩を竦め、楽しそうに笑った。

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