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第2話 戦場の洗礼

 ――私が初めて立った戦場は、地獄だった。


 ファイバー作戦。


 それが、私――アンナ・ライトニングの初陣だった。


 任務は単純。反政府軍の補給路を断つため、敵の補給集積地を襲撃・制圧する。


「成功すれば大勝利、失敗すれば即死」という、いかにも政府軍らしい雑な作戦だった。


 ――そう。


「プロパガンダ用の安全な部隊」なんて、真っ赤な嘘だった。


 目の前に広がるのは泥と煙と血の匂いが混ざった地獄。


 足元には、昨日まで生きていたであろう人間の腕。


 王都で踊っていた夜会の煌めきは、夢だったのかと思うほど遠い。


 分かってはいた。


 分かってはいたが、頭で理解しているのと、実際にその場に立つのでは、全く違った。


「はあ、はあ、はあっ……!」


 肺が焼ける。鉄の匂いが喉にこびりつく。


 銃声。爆音。誰かの絶叫。


 味方の誰かが吹き飛ばされたのを、視界の端で見た。


 私の隣で笑っていた少女が、次の瞬間には肉塊になっていた。


「クソッ……ッ!」


 銃を構え、反射で引き金を引く。


 反政府軍の影が一つ、倒れた。


 だが、――その人の顔が、はっきり見えてしまった。


 若い。たぶん、私と同じくらいの年。


 口から血を吐き、泥に沈む。


 殺したんだ、私が。


 震える。指が、腕が。胃の奥がひっくり返る。


 ――でも、撃たなきゃ死ぬ。


 そんな感情は、爆音と悲鳴にあっさりかき消された。


「前へ! 止まるな! 止まったら死ぬ!!」


 誰かの声が飛ぶ。


 前へ。前へ。


 体が勝手に動いた。


「にげろぉぉぉ!!」


「勝てるわけない!!学徒兵を盾にするんだ!!」


 どこからか、耳障りな叫び声が上がった。


「味方が……逃げてる!?」


 振り返った瞬間、目にしたのは同じ政府軍の連中が、装備を投げ捨てて雪崩のように後方へ走る光景だった。


 彼らは私達と共に敵拠点を制圧する主力になるはずだった。なのに――。


「ふざけるなあああ!!」


 誰かが叫んだ。たぶん、私の所属するイーグル隊の中隊長のオリヴィアだ。彼女は貴族出身だが、私と違って自ら志願してここまで来た『やる気のある貴族令嬢』。そんな彼女が怒りをあらわにしていた。


 うちの隊の督戦隊の子達が一目散に逃走する兵士を撃ち抜くのが見えた。


 敵前逃亡は死刑。


 それが、この戦場のルール。


 でも……それでも、彼らは逃げた。


 恐怖に負けたのか、最初から裏切るつもりだったのか――今さらどうでもいい。


 結果、666は敵地のど真ん中に、ぽつんと取り残された。


「囲まれるぞ! 態勢を――」


 叫ぶ声が、爆音にかき消された。鼓膜が破れそうな爆発音と共に、土砂が雨のように降ってくる。


「アンナっ、下がれ!!」


 誰かの声に、無我夢中で物陰に飛び込む。


 目の前を、赤熱した弾丸が風を裂いた。


 ――終わった。


 ここで死ぬのか。


 婚約破棄の恥を雪ぐ前に、無様に散るのか。


 ……あのクソ婚約者と浮気相手め、私が戦場の露と消えたと知ったら笑うだろうな。考えたら腹が立ってきた。


 そのときだった。


「――全員、頭を下げろ!!!」


 鋭く、凛とした声が、戦場を貫いた。


 振り返る。


 視界の奥、炎と煙の向こうから、黒い軍服をまとった美少年が悠然と歩いてきた。


 白い肌。雲の様な白く長い髪に、スカイという名前にふさわしい青い瞳。血と硝煙にまみれながらも、どこか異様なほど整った顔。


 小柄ながら、髪にかかった泥を、手で払う仕草さえ、絵になる。


「こいつ……」


 思わず息を呑んだ。


 ――スカイ・キャリアベース。


 第666特別大隊の大隊長。


 地獄の中で、唯一、英雄と呼ばれる存在。


「まだ死んでない奴は、俺の声を聞け!!」


 その空色の瞳は、燃えていた。氷のような冷たさと、炎のような熱さを併せ持つ光で。


「すぐに支援爆撃がくる。持ちこたえるんだ。爆撃が止んだと同時に、一気に後退する。後を振り返らず、息が続く限り走れ! 景品は己の命だ!」


 その瞬間、絶望で沈んでいた空気が、爆ぜた。


「大丈夫、俺についてくれば生き残れる! 置いていく奴は置いていく。それでも文句を言うな、生き残りたきゃ走れ」


 恐怖に震えていた少女たちが、一斉に立ち上がる。


 死地を笑う狂気の声が、戦場に響いた。


「イーグル隊、右翼を固めろ! ウッドペッカー隊は制圧射撃! グース隊、榴弾ぶち込め! ヴァルチャー隊、狙撃で敵の頭を潰せ!」


 次々と飛ぶ命令。迷いも怯えもない。


 ――その声に従っていれば、生き残れる。


 本能で、そう確信した。


「アンナ!」


 いつの間にか隣にいたオリヴィア隊長が、笑っていた。


 狂ったような笑顔で、火炎放射器を構えながら。


「どうせ死ぬなら派手にいきますわよ!」


「……上等!!!」


 銃声と炎が交錯する。


 666の少女たちが、地獄を踏み越えていく。


 私も――引き金を引いた。


 何度も、何度も。


 だが、現実は残酷だ。


 敵は多すぎる。包囲は狭まる一方。弾は尽きかけ、仲間の断末魔が増えていく。


 ――そのとき、空が割れた。


<<こちら第二ヘリコプター旅団! これより支援攻撃を行う!>>


 轟音と共に、武装ヘリが姿を現した。


 編隊を組んだ鋼鉄の蜻蛉が、空対地ミサイルを吐き出す。


 爆炎。地響き。敵陣が炎に包まれた。


「ニーナ姉上……!」


 スカイの口元が、かすかに笑った。


 炎と鋼が大地を焼き、地獄を薙ぎ払う。私たちは、その隙を縫って撤退した。


 その夜。


 瓦礫の陰で息を吐きながら、私は空を見上げていた。


「……生きてる」


 信じられなかった。


 あの地獄から、こうして戻ってこられたことが。


 そして――頭から離れない。


 あの少年の姿が。血と泥にまみれながら、笑っていた、あの横顔が。


「……スカイ」


 呟くと、胸が熱くなる。


 ――あれが、本物の“王子様”だ。


 私は、婚約破棄で終わる駒じゃない。 ここで、生き抜いてみせる。


 あの人の隣で――。

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