表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/9

第1話 婚約破棄、そして追放

 王都の夜会は、光と音楽と笑顔で満ちていた。


 水晶のシャンデリアがきらめき、ワルツの旋律が大理石の床を滑っていく。


 貴族の娘たちが花のように笑い、青年たちがその手を取る。


 ここは内戦中の国(・・・・・)とは思えないほど、優雅で穏やかな世界だった。


 ――少なくとも、表向きは。


 その中心で、私、アンナ・ライトニング、齢15歳は立ち尽くしていた。


 煌びやかなドレスの裾を握りしめたまま、息を呑んで。


「アンナ・ライトニング嬢――君との婚約を、ここで破棄する!」


 広間に響く、はっきりとした声。


 音楽が止まり、視線が一斉にこちらへ突き刺さる。


 ……は?


 理解が追いつかなかった。


 けれど、婚約者――エリオットの唇は確かに、その言葉を形作っていた。


「理由は単純だ。君には……可愛げがない」


 ざわめきが広がる。取り巻きの貴婦人たちが、口元を隠してくすくす笑った。


 ……可愛げが、ない? この私が?


 胸の奥で、何かが弾ける音がした。


 ――けれど私は、笑った。


「……ほう。それで?」


 声が自分でも驚くほど冷たい。だが、震えてはいない。


「……次は、浮気相手の紹介でもするのかしら?」


 エリオットの顔が、ぴくりと引きつった。


 ――図星、ね。


 脇にいるのはいかにもか弱そうな、それでいて、勝ち誇った様な顔をした女だった。


 噂に聞いた事がある。よく、他人の婚約者にちょっかいかける事で有名な淫乱女。


「こ、この方は……僕の『真実の愛』で――」


 言い終わる前に、私の手が動いていた。


 白い頬に、乾いた音が響く。


 広間が凍りついた。


「……真実の愛なんて言葉、軽々しく使うな。この二股野郎が」


 私の声は低く、鋭い。


 どうしょうもない女に婚約者を寝取られた情けなさと、怒りと、嘲笑と、ほんの少しの快感が混ざっていた。


「アンナ……! 貴様ァ――!」


 殴りかかろうとした腕を、私はワルツのステップのようにかわした。


 ついでに、テーブルの上のワイングラスを取って――その顔めがけて投げつける。


 真紅の液体が白いシャツを汚し、悲鳴が広がった。


 ざまあみろ。


 誰がお飾りで終わるか。


 ---


 その後、夜会会場よさらば! 我、舞踏会を堂々退場す! して屋敷に戻った私に、早々、怒り心頭な怒号を浴びせたのは父だった。


「アンナ!」


 ライトニング侯爵家の家長である父が、怒りに満ちた顔でこちらを睨んでいる。


「公衆の面前で、この醜態! お前という娘は――!」


「醜態を晒したのはどっちかしら? それに我が家が舐められたのですよ!!」


 吐き捨てると、父の顔がさらに赤くなる。


「黙れ!」


 その目には、怒りよりも――恐怖があった。


 名誉を失うことへの恐怖。家の立場を失うことへの恐怖。


「いいか、アンナ。この王国は今、内戦のさなかだ。王都にいれば実感はないだろうが、地方は火の海だ。……そんな中で、貴族がすべきことは何だ? 家の名誉を守ることだ!」


 ――知ってる。


 だが、内戦って言っても、中央じゃまだ「田舎の反乱」くらいの空気だってことも。


 馬鹿な貴族と王族が、高みの見物を決め込んでることも。


 死ぬのは、貧乏人と、やる気のある貴族の子どもだけだ。


「……お前は、我が家に泥を塗った。もう、置いてはおけん。懲罰だ――第666特別大隊に送る」


 ――は?


「……何、それ」


「……大丈夫だ。プロパガンダ用の部隊だ。女学生だけで構成された安全な部隊だよ。戦場に出ることはない。せいぜい宣伝写真に写って、国のために頑張ってますと笑っていればいい。……お前にぴったりじゃないか」


 ――大嘘じゃねぇか、このクソ親父。そこまで情報に疎いとでも思ってるのか?


 耳にしたことがある。『第666特別大隊』の名前を。


 『政府軍の白百合』だの、『天使の部隊』だの、綺麗な二つ名がついていたが――実態は地獄だ。


 無理矢理徴兵された女学生ばかりを集めた、学徒兵部隊。


 安全どころか、前線で『象徴』として戦わされる、使い捨ての駒。


 督戦隊つき。逃げ場なし。死にたくなきゃ、殺せ。


 そして、その指揮を執るのは――貧民街生まれの異端の王子。


 名は、スカイ・キャリアベース。


 血筋だけは王族。だが、王宮に居場所はなく、腐った軍部に放り込まれ――戦場で怪物になった男。


 彼が率いた第666大隊は、結成からたった半年で、学徒兵部隊のくせに敵の旅団を一つ潰したとか噂されている。


 勝ち目ゼロの作戦をひっくり返し、血と硝煙と狂気で塗り固めた英雄。


 ――でも同時に、ついた二つ名は『命をついばむ子鳥』だ。


 可憐な少女部隊? 笑わせるな。そこは戦場という名の鳥籠だ。


「……親父。お前、私を殺す気だな」


 吐き捨てると、父は目を逸らした。


「……二度と家の名を口にするな。お前は今日から、我が家の娘ではない」


 冷たい声が、背中を撃ち抜く。


 ――いいだろう。


 だったら、私はこの戦場で生き抜いてやる。


 誰よりも、強く。


 誰よりも、醜く。


 私を嘲笑った連中を、すべて後悔させるまで――絶対に死なない。


 その夜、私はドレスを脱ぎ捨て、黒い軍服を着た。


 胸に刻まれた番号は「666」。


 光の宮廷を追われ、悪魔の数字を背負い、地獄の門をくぐった瞬間だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ