「抜歯」
歯が痛くて抜くことになった。
昔から長年放置していた下の親知らずだ。
かつて上の分は比較的簡単に抜いてもらったわけだが、下の分は顎の神経に干渉しやすく、抜くには時間と労力が掛かるとのこと。
とかく俺は痛む下の親知らずを抜くために入院し、外科手術で摘出をする。
その間も歯肉の中が腫れて痛む。
それにしても腹が減ってきた。
術前検査もあってか、昨日の夜の病院食から何も食べてない。
今はあの味気ない、塩気のない食事すらも恋しくなる。
もうすぐ手術の本番なので水も飲めず、病室のベッドでゴロゴロしていたら看護師さんが来て、手術着への着替えだの、今後の説明だの、手術の準備を始めてくれた。
全身麻酔で寝ている間に手術をするわけだが、歯肉を切開し、埋没していた親知らずを抜き取る作業になる。
場合によっては糸鋸で歯を分割したり、ハンマーで砕いたりして取り出すことも。
意識が無い内に手術は終わるわけだが、正直、考えるとゾッとする。
命に別条が無いことなので特別扱いされる訳もなく、手術室までは自分で歩かされた。
身元の照合や患部の再確認などの手続きを済まして、手術台に上がる。
事前準備の点滴と麻酔を打たれ、次第にフワフワした気分になっていく中、切に結果を願うものである。
(無事に、スパッと、無抵抗に抜けますように!!)
やがて気化麻酔を酸素マスクから吸い込み、カクリ、と眠気の中に落ちていった…。
――――目が覚めたらさっき通った手術室の通路を、ベッドごと運ばれていた。
意識やら手足の痺れやらの確認を口頭でしてる間に、入院初日から居た4人部屋の病室に戻ってきた。
どれだけ時間が掛かったかは、窓の外の陽の傾きでだいたい分かった。
とりあえずは、抜かれたであろう場所の頬を手で触ってみる。
麻酔が効いているので、感触が無い。
というか口の中に止血用の綿が詰められているのに気付いた。
舌で手術の後を確認することもできない。
感覚が無いのは、何ともめんどくさいことだ。
こればかりは、麻酔が切れるまで待つしかないだろう、と諦める。
まだ残る眠気に目を擦りながら、周囲を確認してみる。
すると袖机の上に、抜かれたであろう歯がガーゼに乗せられて置いてあった。
切り分けられるでもなく、割られるでもなく、キレイに歯の形をしていた。
歯の根が立派にも4本生えている。
よくもまあ、こんなゴツイものが口の中で埋もれていたものだ。
というか、顎の大きさを超えて歯の数があるのって、人間の構造的欠陥だろ。
遠大なご先祖様からの遺伝子に悪態をつけるくらいしか、やることがない。
本当に暇な時には、本当にくだらないことしか考えられないものだ。
感覚が戻るのを待ちつつ、もう一度俺の身体から離れた歯を見つめる。
(……立ってる?)
抜かれた歯が、4本の根を脚のようにして、立っていた。
まるで4足歩行の生き物のように。
そのまま直立不動(?)で、まるで俺と見つめ合っている形。
(あぁ。これ、夢なんだわ)
麻酔の微睡から醒めていないと自覚する。
(変な夢だな、おい…)
生んだ者と生まれた者。
関係性は、そうなるのか?
まだ充分に動かせない身体のままの、奇妙な対峙が続く。
廊下から誰かの足音が聞こえる。
看護師さんか、お医者さんか。
手術後の回診なのかもしれない。
すると歯の根が器用に動き出して、まさしく4本脚の生き物のように、テコテコと歩き始める。
袖机の端に着くと、ピョイと壁との隙間に飛び込んでしまった。
そして、姿をくらました。
一部始終を見ながら、一体何の暗示なのか、どんな白昼夢なのか、回らない頭でフワフワと思考が渦巻く。
そうしている間に看護師さんが病室に入ってきた。
「お疲れ様でした。あ、楽にしててください。ちょっと心拍や血圧を見ますので」
「ふぁの、すひません」
呂律の回らない声で質問をする。
「ちゃんと意識もありますし大丈夫そうですね。で、なんでしょうか?」
「抜ひた歯は、どうなりまひたか…?」
「ん? 抜いた歯? それならお医者さんから言われてここの机の上に…」
少し血の付いたガーゼだけが、そこにあった。
「あれぇ? おかしいな。病室に戻ってきた時に置いておいたんだけど?」
袖机の周りや下とかを、看護師さんが探してくれた。
「あれだけ立派なのがキレイに取れたから、記念に持って帰ってもらうつもりだったのに…」
若干残念そうな表情を看護師さんが見せる。
「どうします? どうしても必要なら、しっかりと院内を探しますけど…」
「――――いや。いいれす…」
さっきの変な夢を思い出してしまう。
探したからといって、あの不気味な動きを見せた歯を持って帰りたいとは思わない。
まあ、あくまで夢の話なんだけど。
麻酔によって見てしまった、真昼間の夢の話、なんだけど――――。
また、歯が痛くなった。
今度は上の奥歯の方だ。
なかなかどうして、この前の親知らずといい、歯の悩みが尽きない。
今は近くの町医者に来ている。
親知らずを既に抜いている場所が痛んでいるので、わざわざこの前みたいな大げさな手術をするようなものでもないだろうし。
虫歯なら虫歯で、できる限りその場で治療してもらえればいい。
もうしばらくは歯医者のお世話にはならないように、日頃の歯磨きを念入りにやろう。
高めの電動歯ブラシを買うのも考えないと。
その後結局は検査として歯のレントゲンを撮られ、診断結果を聞かされるために診察室に呼ばれた。
「ああーーー。これは”帰って”きてるね」
「えっ? 何がですって?」
おおよそ歯医者で聞かない単語を耳にする。
俺の疑問に対して、無言でレントゲン写真をペンで指す。
「これ。ここ。上の奥。帰ってきてるよ。”親知らず”」
抜いたはずの奥歯の奥。
とっくに抜いてしまった親知らずの場所に、像が写っていた。
「ほら。これね。形が上の歯の形じゃないの。おもに下の奥歯の形に見える」
しっかりとした歯が、肉の中に埋まっていた。
しかもそれに生えた4本の根が、まるでしがみついているように内側に曲がっている。
経験を積んだであろう額の皺をさらに深く寄せて、老齢の歯医者が口を開く。
「長年医者をやってると、こういうことに出逢うこともあるのよ。かたや折れた歯が直っていったり、乳歯が3回も生え変わったり」
レントゲンを指していたペンで、老医師は自分の上顎を押さえる。
「”親知らずが帰ってきたり”」
指摘された上奥歯の腫れが疼く。
「傷一つ無い、そのまんまの形で抜いたりした?」
ガーゼの上で横たわる、抜いた歯を思い出す。
「そんなキレイに抜かれたら、まだ”生きてた”かもしれないよ」
机の上から飛び降りていった、あの歩き姿を思い出す。
「とりあえず今の状態じゃ、ウチで抜けないねぇ。紹介状また出すから、大きな病院で抜いてもらった方がいいよ」
歩き去ってから、アレはどこに行ったのだろう…?
「痛み止めは出しとくけど、早いうちに抜いてしまいなさいな」
カサカサと足を動かし、寝ている俺の顔をよじ登ってくる。
「次は、ちゃんと”殺してあげなさい”」
開いている口の中を探しまわり、また”生かされる”場所を見つける。
「”生みの親”なんだから。始末をつけるのは、アナタだよ」
音も無く、痛みも無く、肉をかき分けて、どっしりと根を下ろす。
「人生に何度もあることじゃないけど、今回は災難だったね」
老医師が同情の笑みを向けてくる。
紹介状と痛み止めの処方箋を受け取って、再度出くわすであろう入院体験を、頭で反芻しながら肩を落とす。
痛いし、だるいし、退屈だし、気が滅入る。
仕事をまた休まないといけない。
入院費だって馬鹿にならない。
こんなこと、人生で二度とごめんだよ…。
(今度は、容赦なくバラバラにされて抜けますように――――!!)
おおよそ抜歯では祈らない言葉を、天に向けて捧げてしまった。
こんばんわ。”歯が痛い”のも嫌ですが、”歯痒い”方も恐ろしい。
手の届かないところで痒みが続くのは、色々詰んでると思います。
秋津島 蜻蛉です。
歯が生え変わり終えたら、それは一生の友とも言います。
無くなった歯は、もう戻ってはこない。
差し歯や入れ歯、インプラントなど事後対処はありますが、できれば無くしたくないものです。
しかしながら、親知らずの持つあの厄介さは何なんですかね?
「WisdomTooth」。
知恵の実を食べた人間が背負うべき”原罪”なのでしょうか。
神様の意地悪…。
それでは皆様、身近なご自身の口内と、口外の歯の健康に、ご用心を。




