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「ボール一つ分」

 俺は野球をやめた。

 実力が無かったわけじゃない。

 県内では甲子園へは上り詰められなかったが、高校までプロのスカウトも来てくれてた。

 チームの力ではなく、俺を目的に来ていた。

 それでも俺は野球をやめた。

 野球で嫌な思いをしたからだ。

 小学校から本気で続けていたのに、俺はやめることにした。

 学校の勉強もほっぽり出して打ち込んできたけど、もうたくさんだ。

 もう、ボールを持ちたくもない…。


 県の夏の選抜。

 俺は2年生で外野を守っている。

 身長は少し高いくらいだったが、肩が強く遠投が得意だ。

 そもそも俺はスラッガー。

 力強いスイングと足腰の粘りで、打球を何度も外野スタンドに放り込んだ。

 上半身の膂力と下半身の安定性、選球眼もチームで群を抜いている。

 今回で県大会準決勝まで持ち込めたのも、俺の活躍が上手く嚙み合ったからだ。

 ワンマンプレイヤーと言われているが、学校側も甲子園への切符が目の前をチラホラ舞っているんだ。

 顧問の監督も、他のチームメイトも、文句を言える立場には無い。

 悲しいけど、三年生には最後の選抜なのよね。

 試合の運びも俺を打席に立たせるのを中心に組み立てられてる。

 相手も総合力では圧倒的だが、俺の一撃の勢いを警戒しているようだ。

 今、俺は外野の守備位置でこの試合のスポットライトを受けている。

 学校に来ていたスカウトも打席番と守備番で忙しく移動している。

 ――――俺はこのままプロに行かせもらう。

 きっと、所属高校の不幸で日の目を見なかった選手、という肩書が俺に付けられるのだろう。

 それで充分。

 決してチームプレイを疎かにしているわけではないのは、見る人間からはよく分かっているはずだ。

 環境が変われば伸びると考えてもらえるのが、一番いい。

 俺はこの高校を離れて、のびのびと野球をしたい。

 中学からの学区を越えて、野球がしたい。

 今いる県を、すっぱり切り捨ててもいい。

 一球一球に思いを込めてプレーする。

 この思いは野球をしていたという思い出のためではなく、未来への跳躍のために。

 一挙手一投足を全面にアピールへ傾ける。

「――――ニャァァア」

 観客席から猫の鳴き声が聞こえる。

 外野スタンドを見ると、壁の上にちょこんと黒猫が一匹座っている。

 観客も物珍しいのか、囲んで写真を写している。

 ゆったりと、その鍵しっぽを振ってリラックスしていた。

 …注目が俺から逸れてしまったな…。

 とはいえ、黒猫とは縁起がいい。

 黒猫が走り去るのが不吉なのは、幸運が離れていくから不運を招くというもの。

 自分の近くに腰を据えてくれるのは、ラッキーが舞い込む前兆。

 お猫様よ。俺に幸運を分けてくれ。

 パカン! と相手の打席から白球が放たれる。

 伸びが良くそのまま、俺のいる方へ飛んでくる。

 球速の遅い取りやすそうな遠方フライ。

 胡乱げな打球だ。

 ここまで打ち上げる球だったら、俺ならバックスタンドまで持っていけてたな。

 猫の座っている壁に近づき、スタンド前で難なくキャッチをする。

 ここからだ。

 相手は1アウト3塁の為、すかさずキャッチアップを仕掛けホームを狙う。

 俺の強肩が活躍する場面だ。

 この距離からでも内野にいるチームメイトに一発で送球できる。

 受け取れ! 俺の栄光への一投!

 放った球は高速でキレイな流曲線を描き、内野のグラブに収まる。

 これならバックホームで走者を刺せる。

 外野手としての輝きを乗せた一撃。

 また一つ、チームと俺への勝利に近づいた。

 と、思っていたら、

 ボールを受けたチームメイトが急に騒ぎ出して、試合が止まる。

 そのチームメイトに周囲の仲間や審判、コーチ、監督までもが集まりだす。

 次の瞬間、血相を変えて監督がこちらに向かって飛び出してくる。

「――――? 監督、どうしましたか?」

 俺も監督に歩み寄りながら、試合の動向を聞く。

「どうしたもこうしたもない! お前は、一体何を投げ込んだんだ!!」

 えっ? 捕球したボールだけど…。

 監督が両手で覆っていたものをこちらに見せる。


 ――――黒い毛の玉。

 猫の頭だった。

 瞳孔が開いた目を大きく広げて、硬直した口からは舌が垂れる。首元からはまだ新鮮な血が流れている。

「うぇっ…!?」

 いきなり悪趣味なものを見せられて、口に胃酸が上がってくる。

「なにを気持ち悪がっている…。お前が投げてきたんだよ!」

 片手を離した監督が、俺がいたキャッチ位置を指差す。

 そこには転がる砂に汚れた白球と、首をもがれた黒猫の死体。

「…………は?」

 どういうことだ!?

 俺が、猫の頭を投げ込んだ!?

 そんな馬鹿なこと、ありえない!

 捕球したボールを確認し、縫い目にしっかりと指を掛け、ちゃんと送球した!

 なのに! 何故投げたはずのボールが、地面に転がっているんだ!?

 そもそも…、

「な、なんで、猫が死んでるんだ…?」

 今起きている事態が飲み込めない。

 ピクピクと微動している、鍵しっぽの黒猫の死体。

 ふと顔を見上げると、外野スタンドの観客が悲鳴を上げながら、この現状を写真や動画に収めている。

「…あ…。あぁ…」

 この時自分が晒されている状況を、恐ろしくも、理解した。

「お前は一旦戻れ。対応が済んで試合が終わってから、事情を聞かせてもらう…」

 俺をベンチに行くよう促した監督はその場に留まり、集まってきた審判たちと話し合いを始める。

 こんな状況…、まるで、俺が…、”猫の首を捩じ切って、投げつけた”みたいじゃないか…。

 そんな馬鹿な! 俺がそんなことするはずないじゃないか!

 ベンチに着いても周りと目を合わさず、控室へ下がる。

「何なんだ、あれは! 俺が…まるで狂ったみたいじゃないか!」

 ロッカーに額を打ちつける。金属の空洞音が響いた。

 人が集まる気配がして、控室の入り口へ目を向ける。

 チームメイトの数人が、不安と不信と恐怖の混じった視線を送ってくる。

「俺は…、何もしてない…。する理由が無い…。するような人間じゃない…。皆んな、分かってくれるだろ…?」

 彼らの視線が腹立たしい。

 誰のおかげで、ここまで勝ち上がれたと思っている。

「――――なに見てんだよ…」

 それでも彼らからは、狂気への軽蔑の念が感じられた。

「なに見てんだよ!! 俺がやったと思ってんのか! 俺じゃない! ふざけんな!」

 近くに脱ぎ捨てられていたヘルメットを、入り口に投げつける。

 避けた彼らの横を通り抜け、廊下の壁にぶつかり地面に転がり落ちた。

「何でなんだよ…。どうしてこうなったんだよ…」

 額をロッカーに擦り付けながら、膝から崩れ落ちる。


 その後、試合が終わり俺たちは敗退。甲子園への切符は破れ散った。

 あの件で警察が来ることはなかったが、校内では責任の追及が始まった。

 俺が何をした…。俺は何もしていない…。俺のせいなのかよ…。

 落ちた衝撃は、より高みからの方が大きい。

 無名校が身の丈に合わない高さまで運よく昇り、急転直下で転落死したのだ。

 校内の紛糾は荒れに荒れた。

 試合のあとの監督たちからの罵詈雑言のような詰問を終えたばかりなのに、野球を離れた場所でも校長や教師が喧々諤々と言い争いを続けている。

 やれ、俺のような狂人を試合に出したのが悪い。

 やれ、俺へのメンタルケアを怠っていた。

 やれ、俺が映った観客の動画の始末はどう着けるのか。

 ――――全部が全部、俺が殺した猫の首を投げたことが前提だ。

 そのせいで俺の高校生活も破綻してしまった。

 前からの友人は離れ、クラスでも腫物扱い。

 スラッガーとしての力は知られているので、暴力沙汰の直接的なイジメには遭っていないが、孤立無援は避けられなかった。

 もちろんプロ入りの話も、ロウソクの火のように吹かれて消えた。

 野球部にも顔を出さなくなり、自主練に打ち込む気にもなれない。

 学校をサボって、どことも知れない公園をぼぉっと練り歩く。

 俺の未来は粉砕され、過去は灰燼にした。

 もう野球をやる気はない。起きない。させてもらえない。

 たったボール一つで、何もかもが狂ってしまった――――。


「お兄ちゃん! ボール取ってくれない?」


 ふと、ボールという単語に過敏に反応してしまい、声の方向へ顔を向ける。

 遠くで子供たちが集まって遊んでいた。

「ボール! 足元にあるやつ!」

 今はボールなんて見たくもない。

 苦虫を奥歯で嚙んだような感じがしたが、無視も出来ず足元を見る。

 落ちていたのは、サッカーボールだった。

 腹の中にある鉛のような空気が、安心感と共に吐き出される。

 ――――あぁ…、よかった。

 心底そう思った。

 無邪気にサッカーをやっている子供たちが眩しく見えた。

 純粋にスポーツを楽しんでいる。

 楽しいからスポーツをやっている。

 そんな当たり前のことが出来る。

(…子供は、偉いな…)

 かつての俺もあんな感じでスポーツをしていた。野球をしていた。

 それがいつからか、何か見返りを野球に求めるようになってしまった。

 あれは打算の果てに天狗になっていた俺への、神様からの罰だったんだろうか。

 急にあの時に死んでしまった黒猫を、哀れに思ってしまう。

 巻き込んでしまって、本当に悪かったな…。

 自責の念に駆られていると、

「お兄ちゃぁぁん! だから! ボール、ボール!」

 子供たちから急かされてしまった。

「――――悪い! 今、そっちに返すよ!」

 少し心が晴れたような気がした。

 しばらく野球は出来ないと思うけど、他の面白い何かを見つけてみるのも、いいかもしれない。

 あぁ、サッカーボールなんて、いつ振りだろう。

 鬱屈した心を投げ捨てるように、ボールを蹴り上げる。

 思ったよりもちゃんと蹴れた。

 ボールはやさしく弧を描き、子供たちの中心へ向けて浮かぶ。


 ―――――――――『ゴトリッ…!!』


 重く鈍い音が鳴り、

 子供たちの目の前に――――、人間の頭が転がる。

「……う、」

 空中を飛んでいた時に撒き散らされた鮮血が、子供たちに降り注ぐ。

「「うわぁぁぁぁぁぁぁっっっーーーー!!!」」

「「きゃぁぁぁぁぁぁぁっっっーーーー!!!」」

 幼い絶叫が響き渡る。

 そんな切り裂くような声も、俺の耳には届かなかった。

 何が起きたのか、まったく分からない。

「う…、あっ! これ…、ユウタくん…!」

 子供の一人が転がった頭の持ち主の名前を上げる。

「うわぁぁぁん! ユウタくんがぁ! ユウタくんがぁぁぁ!」

 大泣きを始める子供たち。

 止まっていた思考が動き出した。

 今起こっていることを認識し始めた。

 遠くで泣いている子供たち。

 そして、足元に転がるサッカーボールと、頭の無い子供の死体。

 さっきまでボールをせがんでいた子供と同じ服を着ている。

 手を振って声を掛けてきた、その時の姿勢のまま地面に屍を晒していた。

 首の断面が鮮明に見えてしまい、痙攣しながら血を吐き出している。


 これは、――――俺がやったことなのか?


 困惑疑念嫌悪朦朧…。

 その場で、胃の中のものを全部ぶちまけてしまった。

 目の前がぐるぐる回る。

 地面が溶けて足元が沈んでいく感覚がする。

 耳の奥に、子供たちの慟哭が鳴り響く。

「「このお兄ちゃんがぁ!! ユウタくんを殺したぁーーー!!」」

 その叫び声で、俺の中身は潰れ、攪拌され、原形が残らなくなる。

「――――あははは…」

 遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。

「はははははは………」

 流す涙で視界は朧気になり、脳の奥が痒くなる。

「ひゃひゃひゃひゃひゃっっ!!」

 聞いたこともない声が耳に届く。

「ガキャキャキャキャキャッッ!! キャッキャッキャ!!」

 どうやら俺が笑い声を上げているらしい。

 頭蓋骨の内部を掻きたいが、髪と頭皮が邪魔をして、搔き毟る爪の隙間に血のぬめりと共に詰まっていく。

 近づいてきた警官が何かを俺に叫んでいる。

 動くな、だの。今だ、だの。確保、だの。

 掴まれ抑え込まれてるようだが、どこか遠くでの出来事のように感じる。

 後ろ手に組まれ手錠を掛けられ、パトカーに押し込められる。

 その間終始、俺は涎を垂らしながら、笑い続けていた。


 どれくらい経っただろうか。

 頭全体を包帯で巻かれ、取り調べ室の椅子に座らされている。

「…だからね、キミ。こちらは何があったか教えてほしいんだよ」

 対面に座る捜査担当が呆れながら声を掛けてくる。

「別にね、キミが犯人だなんて思ってないから。私も野球場でのキミの映像見たよ。映っていた黒猫が、急に消えてキミの足元に転がってたんだ。しかもフェイクとして加工された形跡も無い。キミじゃないとは、理解してるから」

 担当の警官は落ち着いた様子で事情を聞いてくる。

「黙っててもしょうがないよ。子供が一人亡くなってるからね。キミがどうこうしたところで、ここから出るには時間がかかるよ。なんでもいいから話してくれて、何かしらの結論が出れば、少しは早く出られるようになるかもしれないから…」

 そんな警官の言葉を右から左に聞き流す。

 天井を見つめながら自傷防止用のグローブをはめられた手で、包帯が巻かれた後頭部を掻く。

 相変わらず、脳が痒い。

 今は何も考えたくないし、話したくもない。

 けれど、一つだけ、やりたいことがある。

「ああ……」

「? 話したくなったかい。何でもいいよ。言ってごらん」

「――――げたい」

「んっ? もう一回お願い」


「――――――――ボールを投げたい」


 またボールを投げたら一体何が起こるのか。

 もう一度、やってみたい。

 こんばんわ。猫って、可愛いですよね。

 こんなもの書いておいて、どの口が言うのか。

 秋津島 蜻蛉です。


 「放る」とは「投げ捨てる」という意味もあります。

 そう思うと「放っておく」という言葉には、物寂しさがありますね。

 「もう放っておいてくれ」とか、斜に構えていたりしたら本当に「放って」しまわれるかもしれませんよ。

 例えば、自分の命とか。

 

 皆様も身近なものを無意識に放ってしまわないよう、ご用心を。

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