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「引力」

 スカイダイビングで着地に失敗したことは憶えている。

 頭から落ちたらしく、痛みを感じるヒマも無かった。

 いやしかし、今の状況は一体どうなってるんだろう。

「俺、空に向かって落ちてるんだけど…」

 ダイブした時のスーツのまま、地面とは真反対。雲に向かって身体が落ちている。

 空気の抵抗はどんどん弱くなる。そして雲へポスリと埋まるが、構わず突き抜けて満天の空に向かい、ぐんぐんと進んでいく。

(…これは、何に引き寄せられているんだ?)

 地球の重力は、地球の引力によって地殻へ向けてモノが落ちる現象。

 ではこの状態の俺は、どこの何の引力に吸われているのだろう?

 やがて空の青さは色を失い、黒い黒い宇宙の闇へと引きずられていく。

 と、落ちていく方向に、月が見える。

 どうやら俺は、月に引き寄せられているようだ。

 そうなると、どれだけの時間を掛ければ月へ到着できるのだろうか。

 一直線に月へ向かう自分の身体は、宇宙空間でも変わらずの加速抵抗を感じてながらも、ボンヤリと自動的に突き進んでいく。


 何日経ったか…?

 太陽も見えたり見えなかったり。体感時間が滅茶苦茶だ。

 そんなこんなしてる間にも、もはや月面は目の前だ。

 月を視界一杯に捉えてからは、表層へ落ちるのがもうすぐだと確信が持てる。

 急速に地面が近付いてきて、そのまま全身を叩きつけられる。

「ぶぇっ」

 細かい粒子の土を頭から被りながら月面に着陸した。

 痛みは無い。分かってはいたが、もうこの身体は普通じゃなくなっている。

 空を見上げれば、美しいグラデーションの地球が見える。

 本来であれば決して見ることの出来ない景色。

 何かに連れてこられたようだが、この風景を見られたならば、悪くはないと思えた。

 それもつかの間、またあの引力のようなものを受けて身体が宙を舞う。

 今度は空へ一直線ではなく、斜め上に投げ出されるように飛んでいく。

 まるで自身がロケットになったように月の空中を飛翔していく。

 また果ての無い旅が続くのか、と半ば諦めの感情が浮かぶ。

(俺はこの宇宙そらの放浪をいつまで続ければいいんだろう…)

 おそらく肉体とはとっくに離別し、これは臨死体験の一つ。

 貴重な景色や経験ではあるとは思うが、あまりにも緩慢すぎる。

 閻魔様の早急な判決を熱望する。

 

 月の輪郭が分かるほどの高さいるが、それに地球は隠れてしまい全くその姿が見えない。

 連れていかれたのは月の裏側らしい。

 人類は長い間、月のこちらの面を見ることが出来ずにいた。

 今だって観測機を使っても常時この裏面を見ていることは出来ない。

 そこはいつだって未知と神秘の象徴。

 身近な天体であるのに、いつだって”裏側”を隠し続ける。

 小悪魔的というか、蠱惑的というか。


 そんな月が、笑みを浮かべる。


 見えている裏側の地表が裂けて、そこに深い深い溝が広がる。

 まん丸な輪郭に、口角を上げる笑顔が口を開けて待っている。


 とうとうその口に身体が引き寄せられ、月の裏面に、”捕食”された。


 暗く暗く、しかし重力は軽く、足元に感じる重さは微かなものだ。

 周りには何も見えない。

 宇宙のように野放図な自由があるわけでもなく、なんとなく地に足を着けてる感覚。

 ここはあの世なのか?

 魂の行く場所は遥か遠くの空の上でもなく、地下深くの奈落でもなく。

 それにしても、月?

 たぶん地球に叩きつけられた俺の肉体は、養分としてきっと還元されるのだろう。

 でも魂は月に放り出されるものか?

 例えば、ご先祖様や家族の霊が近くにいるとか、土地に地縛霊がいるとか。

 少なくとも霊は地球の中にいると思われるわけだし、天国だって地球の様子を空から見ているとか言われてる。

 地獄だって地の底にあるのが定説だし、輪廻転生も地球の中でだろうし。

 成仏するともっと遠大で、一足飛びに宇宙の一部になるとか聞いたこともある。

「…にしても、”月”って中途半端じゃねぇか?」

 ”地に足が着いてない”とは思うが、”空の上にいる”って感覚にもならない。

 ただただ、落ち着かない。

 俺の意識は残ったままなのに、何かに裁かれるわけでもなく、霧散して消えてなくなるわけでもない。

(…一体いつまで、こうしてればいいんだ…?)

 自分の輪郭が薄ぼんやりと分かる程度で、何も見えない。何も聞こえない。何の匂いもしない。歩いてみてもどこにも何にも当たらない。

 狂ってしまえればいいのに、感情という概念も欠落してしまったようだ。

 意義や意味を失った、意識のみの存在。


 【魂の牢獄】という言葉が、この空間にはとてもよく似合う…。


「――――おや。あなたもここに来た人ですか?」

 急に声を掛けられ慌てて振り返ると、自分と同じように薄ぼんやりとした輪郭の人影。

「いや、これはすみません。私もね。地球からここに連れてこられまして」

 その男の声は穏やかではあるが、途中で幕を通したようにくぐもっていた。

「警戒されるのもしかたありません。【みんな】初めはそんなもんですよ」

 男の背後?には一つ、二つと同じようなぼやけた輪郭が浮かんでくる。

 それに伴いあたり全体に、多数の人型がいることに気が付く。

「みんな、みーんな、ここに連れてこられた人達です」

 ぼそぼそ、と小さな話し声が波のように広がっていく。

 おそらく目の前の男との会話も、この波の中の一部に溶けているのだろう。

「あっちの様子はどうなんだい?」

 別の人型に話しかけられる。

「オレはあっちに妻と子供を残してきた。けどそれからどれだけ時間が経ったのか、まるで分からないんだ。あっちで死んだと思われるのは平成29年。家族が心残りだ」

「私はね。83で家族に看取られたと思うんだが。それから何年経ったんだろうねぇ。子供も孫もたくさんいたけど、あの世から家族を近くから見守ってやることなんて、出来ないもんなんだねぇ…」

「ワタシはなんか車に轢かれちゃった。友達と遊んでた帰りだったけど、みんな大人になっちゃったのかな?」

「自分はシンガポール戦線で散りました。それから長い時間が過ぎ、後から来た人から日本が敗けたと聞かされました。けれど祖国への感情は、今や欠片も浮かびません」

「…合戦の落人に殺されたわよ。おとうもおかあも一緒だったけど、アタシだけが、こんなところへ…」

 老若男女、時代を問わず、ここに皆あんな風に引っ張って連れてこられたらしい。

 けれど全ての人がここに来たわけではないようだ。明らかに全体数が少ない。

 そう考えると、ごく一部の人間だけが”連れてこられた”。


「…こんな仕打ち、許されるのか…?」


 考えれば考えるほど、今の状況は理不尽が過ぎる。

 ”勝手にここに押し込められて、勝手に朽ちることも出来ない”

 ”しかもそれはどこの誰かとも知れないモノに、無作為に決められる”

 ”もう地球へは、意識としても存在としても、帰れない”

 このまま永遠とこの場所に居続けなければいけない。

 そのことを考えると気が狂う、はずなのだ。

 が、狂気への感情はスッポリと抜け落ちている。

 今ここ。この場所に居ることへの疑問も雲散霧消する。

 

 これからの俺は、きっとここに来た先人と同じ運命を辿るのだろう。

 空虚で、極大の長い時間が、目の前に横たわっている。

 そしてまた新たに”誘拐された”人間が一人、また一人と増えていく。

 死んだ人間には、選ばれる理由も、拒否権も無い。

 …ただ漫然と、これからも人は”月に喰われていく”…。


 ――――”死後の世界”には、こういうものもあるんだなぁ――――


こんばんわ。月がキレイですね。

 …他意はありません。

 秋津島 蜻蛉です。


 月は人類の有史からの友人です。

 その身近な美しさは、人が言葉を用いる以前から輝いていたものです。

 けれど裏側は決して見せようとはしません。

 まるで人に見せる表面は、人間社会での個々人の仮面のようにも思えます。

 あの夜空に浮かぶ月は、裏面ではどんな表情を浮かべているのでしょう。

 案外、人間なんかにいい感情を持ってないのかもしれません。


 さて今回の『キタン』は少々別方向からのホラーでアプローチしてみました。

 身近なものが、物理的に近いモノではありませんから。


 それでは夜更けに否応なく空に浮かぶ、身近な異変に、ご用心を。

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