「空の花」
夜空に光の花が咲く。
遅れて破裂音が到達し、鼓膜や腹の奥を震わせる。
暑い日々はまだまだこれからも続くだろうが、この儀式が夏の一つの終わりを告げるのは間違いない。
皆が祭りの喧騒を忘れ、同じ夜闇の方向を見つめている。
季節の終わり。時の終わり。
今年の、この夏は二度と戻って来ない。
時間が過ぎていくのを、僕はこの花火会場で強く心に刻み込まれるように実感した。
そんな中、とりわけ小さな花火が打ち上がる。
次が特別な花火であることを暗に告げる、通達用の一発。
続いて満を持したかのように、――――オレンジ色の花が空に咲いた。
先ほどまでの青や赤などを混ぜた、色とりどりに咲き乱れる花の演舞ではなく、オレンジ色だけの大きくてシンプルな一つの花。
その花が空に咲いたとき、僕は両目から大粒の涙を流していた。
音は涙腺を刺激し、さらに目元から涙を零れさせる。
単純ながらも存在感を放つ、この一輪の花を待ち焦がれていた。
光を失った花は黒い消し炭となり、パラパラと音を立てて目下へ降り注ぐ。
中には川に落ちて流される破片もあった。
その破砕された残骸へ向けて無意識に手を伸ばしてしまう。
目に入る煙は涙で流されていく。
火薬の臭いが鼻に届く。
それが終わりへの合図だと、心臓を握り締めてくる。
まだ夜に咲く光の花の舞は終わらない。
しかし僕の胸の中では、終焉が広がっていた。
――――僕の夏は、終わったのだ…。
祭りの会場を見下ろせる場所にいた僕に、一台の車が近づいてくる。
夜に溶け込むような、窓にスモークを掛けた黒塗りの乗用車が止まる。
運転席にいた黒いスーツの男が後部座席のドアを開け、別の派手な紫のスーツの男が車から降りてきた。
長いオールバックに丸い眼鏡をかけた知的な静けさを持つ男だが、額から頬に掛けて大きな切り傷が入っている。
「…よう、小僧。こんなところに居たんかい…。」
僕の隣に立ち、まだ打ち上げが続いている花火を眺めている。
「はい…。この度はご尽力いただき、感謝してます」
彼に、深々と頭を下げる。
「礼なんていい。…だが、未練は無いのか?」
頭を上げ涙を拭き、夜の空に咲く花を眺める。
「えぇ。もう心に決めたことです。僕の夏は今、終わりました」
「――――そうか…」
彼は物悲しそうに視線を落とした。
「ここだけの話。組長と一席設けて、白紙にしてもいいんだぜ…?」
「それでは…、”あの子”が寂しがりますから」
涼し気な硝煙の風が川沿いから吹いてきた。
「やれやれ。頑固なところが”お嬢”にそっくりだな」
「あの子の愛しくてやまない一面です」
急な惚気話を聞かされて、照れが出たのか彼は頭を掻く。
「はぁぁぁぁ…、まったく。手前ぇって奴は、この期に及んでよぉ…」
「貴方のような、裏で面倒をみてくれる人もいますしね」
「ぬかせよ、ガキャア」
悔しそうに僕の足を蹴ってくる。見た目に反して相変わらず人懐っこい人だ。
「あ…。あれが最後の演目みたいですね」
眺めていた夜空の火が壮大に盛り上がりを魅せる。
目に次々に飛び込んでくる鮮やかな光の大輪。
耳や骨格を打つ振動の津波。
見惚れて興奮した群衆の歓声が、周辺を包む。
「…それでも僕からしたら、これはただの蛇足なんですけど」
ポツリと口から零れた。
空の花に感激している人々を、冷めた瞳で見てしまう。
「すみません。余計なことを言ってしまいました」
「構わねぇよ。花火の音で、何んにも聞こえやしねぇ」
二人の間を沈黙が埋めた。
――――やがて火の宴が終わる。
「終わっちまったか…」
「お祭りはまだ終わってませんよ。出店がそちらの本職でしょう」
「まぁ、な。こちとらテキヤだ。もうすぐにでも若い連中と来年の話を…」
口を滑らせたことにバツの悪さを感じて、チッと舌打ちをして顔を逸らした。
そんな露悪的な態度を出してくることに、彼の人の良さが見て取れる。
「いいんですよ。”来年”のことを進めましょう」
僕は目の前の肩を落としている男に手を差し出す。
握手を求めた手は、叩かれ振り払われた。
代わりに、彼の拳が鳩尾に叩き込まれる。
「~~~~~~~~っっ!!!!」
身体をくの字に曲げて痛みに耐える、僕の首元を男が掴み上げた。
「手前ぇっ!! 何でもかんでも受け入れた面しやがって!! お嬢のことをいくら想っていようと!! そんな利口に構えてるガキはなぁ!! 見てて腹が立つんだよ!!」
胃液を吐き出しそうなほど咳き込んでしまう。
怒気を含んだつんざく声が、耳に刺さる。
それでも、荒げた声の中に優しさを感じた。
ひとしきり咳を出したところで、掴まれた身体を乱暴に放され地面に転がされる。
「いや…。お前とお嬢の判断に今さら文句を言うのも筋が違ぇし、組長の肝煎りなのは分かってんだ…」
眼鏡越しの傷を蓄えた瞳には、怒りと諦め、憐憫の色が浮かんでいた。
上から見下ろされる。立ち上がろうと身体を起こす。
「僕は…、あの子の願いを、叶えたい」
「…クソが! 黙れ!」
上げようとした頭を踏みつけられる。
口に砂と土の味が入り込む。
「お前は、俺たちに不義理をしたわけでもねぇ。シノギの邪魔をしたわけでもねぇ。お嬢を慕っただけの、ただの青っ白いヒョロガキだ」
頭に乗せられていたピカピカの革靴が下ろされる。
「そんな奴が、”道連れ”になるこたぁねぇんだよ」
砂の混じった唾を吐き、顔に着いた泥を払いながら、彼の目を見る。
「”道連れ”なんて言わないでください。これは…」
一段と瞳の色を険しくした彼の背後から、別の男たちが歩み寄ってくる。
「――――アニキ、お時間です。組長がお待ちです」
「おい待て、お前ら。まだ話は終わっちゃ」
話を遮られてしまい、そのまま男たちに引っ張られるように立ち上がった。
「それではこちらへお願いいたします。ニィさん…」
肩に手を置かれ、うやうやしく車の方へと誘導される。
「お前らっ! それでいいのか!? そこまですることなのか!?」
彼が声を荒げる。
「――――先ほどの花火。俺らも、見ていました」
”俺ら”と言われて、彼の身体が強張る。
「組長が…、泣いていました。『すまない、すまない』って呟きながら」
蒸し暑い夜の空気に、彼の歯軋りの音が冷たく響いた。
「…いいんですよ。貴方が無理をする必要はない。抱え込む必要もない。ただ、さっきの花火みたいに見送ってくれれば、いいんです」
僕の顔を見た彼の眼鏡越しの目から、色が失せていった。
「それでは、また”来年”会いましょう」
僕は彼に背中を向けて、迎えの車に乗り込んだ。
この場を離れる車を、俺は見送った。
「…どいつもこいつも、夏の催し物をなんだと思ってやがんだ…」
憎々し気に花火会場を眺める。
観覧を終えた祭りの参加者が、満足そうに帰路へついていた。
風に流されてすっかり煙の臭いが消え、夏の景色が戻ってくる。
「ああやって幸せそうに楽しむ姿を見るのが、テキヤの喜びってもんだろ」
空の花が咲いた夜空を見上げた。
単発で咲いたオレンジの花火の美しさを思い出す。
思い浮かべると脳みそがざらつく。
夜空を彩る絢爛豪華な火の花は、様々なものが混じり燃えることで色が灯る。
そして打ち上げられて爆ぜたオレンジの花火に、ある面影を重ねる。
「――――”お嬢”……」
発した言葉には、親しみと嫌悪感が綯交ぜになっていた。
状況を確認するために、込み上げてくる吐き気を押さえながら思考を巡らす。
(オレンジの炎色反応は、――――”カルシウム”)
自分たちのしでかしたことに、今さらながら身の毛のよだつ嫌悪感が沸き立つ。
…あの小僧をはじめとする”俺たち”関係者一同は、
花火にお嬢の遺骨を詰めて、打ち上げた。
鮮やかなオレンジを放ちながら、お嬢は空の花として散華した。
それがお嬢の遺言だった。
死期を悟ったお嬢が、自身の終末を飾りたいという遺志だった。
俺たちはその願いを承諾し、今しがたそれを叶えた。
「あの子の病気の発見が遅れたのは、自分のせいだ…」
「本妻の子供でないことを言い訳に、目を掛けて上げられなかったからだ…」
「死の際になるまで、何もしてやれなかった…」
組長はそう嘆いていた。
一回り小さく見えたその姿を見て、組員らはお嬢を最期まで世話をすることにした。
そんな中で四六時中お嬢の傍らに居たのが、あの小僧だった。
病床での世話に足しげく通い、組の者とも何度も顔を合わせてる。
恋仲、という言葉で括るのは簡単だ。
だが小僧の献身は、それを遥かに超えた愛情に裏打ちされている。
徐々にか細くなっていき、時に泣き崩れるお嬢に、穏やかな笑みを与え続けていた。
小僧の振る舞いに組長も俺らも痛く心を絞めつけられ、お嬢がそのまま健在であったなら文句なく身内へ受け入れただろう、とも泣きながら話したものだ。
しかしそれも叶わぬ夢。
ほどなくして、お嬢の命脈が尽きた。
組長も他の連中も、もちろん俺も嗚咽を漏らしながら涙を流した。
しかし小僧は魂が抜けたように、表情をこわばらせて俺らに告げた。
「あの子からの、遺言があります」
自身のスマホの録画データを開くと、弱りながらもまだ息のあるお嬢の姿があった。
『…これを見ている人に、お願いがあります…』
肺の奥から息を振り絞るようにして、言葉を遺す。
『もし私がこのまま死んでしまったなら――――』
その後は、人生を終えた先にある”生きていた証”としての花火の話。
皆がみな、耳を疑った。
けれど誰もそれを馬鹿にできなかった。
馬鹿にしなかったからこそ、あの一つの花火にあれほどの美しさを込められたのだ。
お嬢が生き、終幕を迎えた人生に華を添えることに対して、一家一丸となれた。
だが、それに続くお嬢の”もう一つの”遺志に、俺は心の底から恐怖した。
『私を打ち上げて葬送したあとに、――――この人も送ってください』
映っているお嬢が、カメラに向けて指をさす。
撮影しているのは映像を見せている、小僧。
慌てて小僧の顔へ視線を起こす。
小僧は、悲しそうに微笑みを浮かべていた。
「この子の願いを、叶えてもらえませんか…?」
そう告げてきた瞬間に小僧の顔をぶん殴りたくなったが、組長の目の前なので唇を噛み切りそうになりながら耐えた。
組長も泣き腫らした目を擦り、重苦しい口を開いた。
「小僧…。そこまでして娘を好いてくれていたのか…」
「出会ったときから、大好きでした」
「ありがたいことこの上ないが、――――死ぬ気か…?」
「この子を一人きりで逝かせしまうには、この世の中は寂しすぎますから」
「――――お前ら少し席を外せ。少しこの小僧と、娘だけにしてくれ」
「っ!! 組長!!」
思わず椅子から立ち上がる。
「若頭のお前から率先して早く出ろやっ!! 下に示しがつかねぇだろ!!」
腹の底からの組長の怒号が、病室の隅々までを震え上がらせる。
開きかけた口を、言葉も発せられず閉じるしかなかった。
「…お前ら、行くぞ。組長が話をつけてくれるそうだ」
「しかし、アニキ…」
口を挟んできた組員の髪を掴み、引っ張り上げた。
「何だ手前ぇ。一体いつからそんなに偉くなったんだ? おいコラァ!!」
そのまま病室の床に頭を叩きつけた。
すいません、すいません、という平謝りの声を背中に聞きながら、病室を後にした。
(組長…。小僧…。――――お嬢の言葉を鵜呑みにすんな…!)
拳で病院の廊下の壁を殴りつける。
(人間は結局、一人で生まれて、一人で死ぬんだ…。人の魂はどこまで行っても、そいつだけのものなんだよ…!!)
奥歯を割れそうなほど噛み締めて、壁に頭を預けてうな垂れた。
しかしお嬢の最期の願いは、――――突き通されてしまった。
小僧を乗せた車の姿はもう無い。
アイツはこの花火が終わったら、世間から離れたいと言っていた。
これから先、会う機会はあるのだろうか。
生きて会う機会が。
ひょっとしたら、すぐにでも準備に入りたかったのかもしれない。
――――オレンジ色の、一発の花火になる”準備”に。
ジャケットから紙巻のタバコを取り出す。
さっきまで空を彩った火には程遠い、ライターの灯火。
決して耳も腹も震わせない、タバコ先端の燃焼音。
周囲に余韻を残すわけでもない、紫煙の臭い。
何もかもが、さきほどの火の宴に劣っている。
けれどここには、生きてる感触がある。
気分の晴れない中、ふと花に関する言葉を思い出した。
『桜の樹の下には屍体が埋まっている』
目に見える桜の花にも死の影を思い浮かべてしまう、薄暗い言葉。
今年の花火には死臭がした。
きっと、来年も同じ死臭を感じるのだろう。
「…夏の祭りは、死に様の発表会じゃねぇんだよ…」
来年のシノギのことを考えるだけで、臓腑が重い。
もしも言葉通りに、桜の樹の下に屍体が埋まっていると言うのなら、
――――夏の空に咲く花には、屍体が詰められている。
舌に残る苦みとへばりつく無力さを固い唾液で飲み込みながら、残酷に開けた夜の空を見つめてしまっていた。
こんばんわ。
夏は夜。
月のこ【ドーーーーン!!】なり。
闇もなお、ほた【バーーーーン!!】ちがひたる。
ただ、一つ二【ヒュルルルルル! ズバーーーーン!!!】
「うるせぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」(清少納言ブチギレ)
ご無沙汰しております。
秋津島 蜻蛉です。
打ち上げ花火と、手持ち花火。その違いは何でしょう。
大きさ。鮮やかさ。音の質、量。臭い、等々。
けれど一番の違いは、「遠さ」なのではないでしょうか。
一度打ち出したら、手を離したら、戻ってこない。
爆ぜて消えていくのを見ていることしかできない。
まるで世俗から切り離されるのを見守るように。
そういう意味で夏の夜空の風物詩は、空に咲く花を見送る葬儀の場なのかもしれません。
大概の花火の時期は、お盆と重なりますしね。
それでは皆様、祭りの夜空へ散骨されませんよう、ご用心を。




