復讐乙女と刀術使いの幽霊
バースと呼ばれる剣と魔法が交錯する広大な世界。
その世界に数多ある浮遊大陸の中の一つの国。
仮に日本人が空飛ぶ鳥のように高所から見たなら、時代劇のような景観だと感じることだろう。
そんな国の、とある領地内にある村の一つ。
いや、村だったと過去形にするのが正解か。
美しかったはずの村は、今では家々が焼け、死体がそこかしこに転がっていた。
生きているのは一人。
15歳になったばかりの女が、ゆっくりと歩いている。
女の目は虚ろだ。
家族を皆殺しにされ、自身は複数の男に犯された。
やがて意識を失い、覚醒した後に見えたのは燃え落ちた家々、そして転がる死体の数々。
育った村の人々も皆殺しにされ、村中に火をつけて回られていたことを知った。
復讐心よりも絶望感の方が強く、死ぬこと以外に何も考えられなくなっていた。
『よぉ』
声をかけられた気がした女は、条件反射で振り返る。
そこには、男が立っていた。
とても不思議な男だと女は思った。
粗野な印象を強く受けるが、どこか洗練されていて、そこに矛盾を感じる。
そして何より、男は半ば透けていた。
「幽霊?」
女は死ぬことを考えているので、幽霊に対して恐怖はない。
疑問に思ったことをそのまま聞く。
男は照れ臭そうに笑い、それを肯定する。
『そうだ幽霊だ。ところで嬢ちゃん、死にたいのか? どうせ死ぬのなら、その前におじさんに体を貸してくれないか?』
「体を……貸す?」
女はビクンと身を震わす。
まさか幽霊にまで犯されるのかと恐怖したのだ。
死に対しての恐怖はないが、犯されることに対しては恐怖した。
その恐怖には抵抗したくてもできない。
もはや死のうとすらしていたが、犯されることに対する拒否感が消えるものではない。
『いや、嬢ちゃんに対して下種な真似をしようってんじゃないんだ』
「……」
『体を貸すってのは、憑依して嬢ちゃんの体を動かさせて欲しいってことなんだ』
「でも……」
『これでも剣の腕はなかなかだぜ? 体を貸してくれたら嬢ちゃんの憎い相手を斬れる』
「……どうして、そんなことをしてくれるの?」
『悪党は斬ることにしているのさ』
その言葉を聞いた女は、不思議なほど男のことを信用できると思えた。
きっとそうしてくれると思えたのだ。
そして男の言葉を繰り返す。
「悪党は斬ることにしている…………分かった。じゃあ、約束。あいつらを斬って」
『ああ、約束するよ。それじゃあ、決まりだな。今から憑依するが、嬢ちゃんの魂が体から出てしまう訳じゃない。それじゃあ、行くぜ』
男が女の体に手を翳し、何やら呟く。
一瞬の閃光の後、女は意識を失う。
その刹那、女は近くで猫の鳴き声が聞こえた気がした。
意識を失ったのは一瞬だった。
女は、絶望のあまり馬鹿げた夢を見たのだと思った。
自分には成し遂げられない復讐を人に非ざる者に頼む。
願望が夢を見させたと思っていた。
『死のう』
女は死に場所を求めて歩き始めようとした。
だが、体が動かない。
『え?』
「嬢ちゃん、体を貸してくれるって言ったろ? 今は憑依した俺しか動かせないぜ」
女の耳に、よく知る自分の声が聞こえた。
だが、その口調は自分とは大きく違う。
さっき見たものが、夢ではなかったと女は理解した。
「理解できたかい? それじゃあ早速、約束通りに嬢ちゃんの憎い相手を斬りに行こう。と言いたいところなんだが、その前に準備をさせてくれ」
自分の声で話す男の話を女は黙って聞いている。
あいつらを斬ってくれるというのなら、いくらでも待つ。
女はそう決めた。
女から体を借りた男は準備運動を始めた。
先ずは柔軟体操、女の体の関節の可動域や柔軟性を確認する。
次いで身体能力を測るような運動を繰り返す。
そして、武術的な動きを展開する。
「嬢ちゃん、武術の経験は無さそうだが身体能力は高いな」
自分の体が、今まで経験したことのない動きをしている。
女は、同じ体でも動かし方で大きく変わるのだと学んだ。
「さて、闘気はどうかな」
闘気とは、この世界において身体能力よりも強さに直結している人体エネルギーだ。
基本は肉体を強化し運動能力を向上させるものだが、熟練者になれば多様性が増す。
「これはこれは」
男には、少しの驚きと大きな喜びが有った。
女の持つ闘気の質と量が、予想以上だったからだ。
女は知らなかったが、それは生まれつき持っていた才能だ。
その天性の闘気のお陰で、悲惨な目に遭っても死なずに済んでいた。
女を害した男たちは、死んでもいい程に女を激しく扱った。
女は、だからこそ犯されることを殊更に恐怖するのだ。
意識を失った女を見て、男たちは死んだと認識した。
死んでもいいような扱いをし、結果、身動ぎ一つしなくなったからだ。
だが、女は仮死状態になっただけで、死んではいなかった。
その闘気の質と量により、普通の人間であれば死に至るであろう行いを受けても耐えきれていた。
女の気持ちからすれば、耐えきれてしまったという方が正解かもしれないが。
「あとは刀か」
『武器がある場所なら分かる』
女は、村では公然の秘密になっている村一番の金持ちの隠し宝物庫に案内する。
複数の男たちが村に火を放ったので焼け落ちているが、宝物庫は地下にあるので無事だ。
また、宝物庫は絡繰りで厳重に守られてもいたが、男はあっさりと解除。
宝物庫を漁り、魔法の袋を手に入れると、袋の中に入れられるだけ武器を入れた。
「火事場泥棒みたいで申し訳ないが、貰える物は貰っておこう」
『私が酷い目に遭ったのは、この宝の持ち主のせいだから問題ない』
「……じゃあ遠慮なく。ところで嬢ちゃん、名前はなんていうんだ?」
『ソヨカゼ』
「そうか、良い名だな。俺はハルキだ。まあ、呼び方はおじさんで良い」
『うん』
「それでな、嬢ちゃんの身体を動かしている時はハルカゼと名乗ろうと思うがどうだ?」
『分かった。それで良い』
宝物庫から出ると、外は夕焼けであり、陽が沈もうとしている。
ハルカゼは「そろそろ晩飯の支度をするか」と言うと、火事の被害が少ない民家を漁り、食材を見つけると竈に火をくべ調理を始める。
晩飯を済ませ暫く休むと、ハルカゼは「風呂に入りたい」と言った。
『そんな贅沢なもの無いよ』
「そうか、そりゃあ残念だ。じゃあ魔法で済ますか」
ハルカゼが魔法を唱えると、目立った汚れは見えなくなった。
ソヨカゼは驚き、疑問を口にしようとしたが、それは叶わなかった。
予期せぬ来訪者が現れたからだ。
扉を蹴り開ける音が家内に響く。
ソヨカゼは悲鳴を発したが、その声はハルカゼにしか聞こえない。
そして、ハルカゼに驚きはなかった。
周囲の闘気を発する者を察知していたからだ。
「随分と無粋な奴らだな」
ハルカゼは侵入者たちを余裕の表情で見回す。
腰帯に差した刀を抜く気配はなく、手を触れすらしない。
屋内に侵入したのは三人。
腰に鞘はあるが抜き身の剣を持ち、ハルカゼを害する気配が濃厚である。
「飯炊きの煙が出ていると聞いて、来てみたら……女!! また会ったな!! 生きてるとは思わなかったぞ!!」
三人の中で一番大きな体格をしている男が、ハルカゼを見て下卑た顔で言う。
ハルカゼの中のソヨカゼは、無言である。
だが、その魂が震えていることがハルカゼには分かった。
「そうか、ソヨカゼを辱めたのはお前らか」
「あん? お前がソヨカゼだろう?」
「いや、俺はハルカゼだ」
「ならばソヨカゼの代わりにお前で楽しむことにしよう!!」
男たちが、逃げ道をなくすようにハルカゼを囲みながら近付いていく。
ハルカゼが帯刀しているので少し警戒している。
だが、所詮は女と見下しているのがハルカゼには透けて見えていた。
「それじゃあ、ちょいと試させて貰うか。簡単に死ぬなよ?」
そう言うとハルカゼは刀に手を向けた。
男たちは警戒レベルを上げるが、彼らには見えていない。
ハルカゼが闘気を刀に纏わせ、刀気としていることを。
「刀気一閃」
ハルカゼは刀を真一文字に振る。
男たちに刀は届かなかったが、刀気が見えない刃を作り出し、刀身を実際よりも長くしていた。
結果として、刀身の先に長く伸びた見えない刃が、二人の男の腹を裂き、絶命させた。
体格の良い男は、刀気で腹を斬られこそしたが、その傷は浅く、死なず済んだ。
豊富な闘気を自然と身に纏うことで、刀気を防御できる程度の実力は持っているということだ。
「偉そうにしているだけあって闘気はそれなりにあるようだが、手加減したのにそれか」
「馬鹿な。お前は何者だ?」
「さっき名乗っただろう? 俺はハルカゼ、ソヨカゼの復讐をする者だ」
「お前が先程の女と別人であることは理解した。ハルカゼと言ったな」
「だから、そうだと言ってるだろうが」
「お前を強敵と認め、俺も名乗ろう。俺の名はゴンザ。剛腕のゴンザと言えばそれなりに通った名だ。知らぬか?」
「知らん」
「そうか、お前を殺す男の名だ。覚えて死ね」
言葉の終わりと共にゴンザの剣が振るわれる。
剛腕のゴンザの通り名に相応しい剛剣である。
対するハルカゼは、それを難なく躱す。
振るわれる剛剣。
躱すハルカゼ。
繰り返されること十数回。
動きを止め、肩を上下に大きく動かし息をするゴンザ。
息一つ乱さぬハルカゼ。
「そろそろ気付いてくれると有り難いんだがな」
「な、なにをだ?」
「お前が俺より遥かに格下だってことをだよ」
「な、何をぬかす!! お前はひらりひらりと躱すだけではないか!!」
「それができるから格上なんだがな」
そう言いながら、間合いを詰めるハルカゼ。
斬りかかるゴンザ。
またも軽やかに躱すハルカゼだが、今回はすれ違いざまに刀を一振りした。
直後、ゴンザの刀が地に落ちた。
刀を握っている右手と共に。
続けてゴンザの悲鳴が響き渡る。
「ぎゃあああっ!! 手がっ!? 俺の手がっ!!」
「五月蠅い奴だな」
「許さん!! 許さんぞ!!」
「綺麗に斬ったからくっつくぞ? 帰って治療して貰えよ」
「覚えておけ!! 覚えておけよ!!」
地に落ちた右手を左手で拾い、駆け出すゴンザ。
馬の嘶きがハルカゼの耳に届く。
『あいつ、逃げるよ?』
「構わん。もう印はつけた。どこに行こうが居場所は分かる」
『そうなの?』
「ああ、そういう魔法だ。明日、起きたら奴を追う。まあ、向こうから来る可能性もあるがな。とにかく他にも斬るべき相手は沢山いる。だろう?」
『……そうだね。分かった。よろしくね、おじさん』
「ああ、おじさんに任せておきな」
就寝時、ハルキは身体をソヨカゼに戻した。
憑依している間、ハルキは魔力を常時消費せねばならない。
そして霊体である今は魔力が無くなると存在が消滅してしまう。
だから、必要な時に憑依するのが都合が良いとソヨカゼは聞かされた。
☆
翌朝、家の前の空き地。
ソヨカゼは、霊体となったハルキから体の動かし方や刀術を教わる。
昨晩、ハルキに動かされた感覚を忘れなかったソヨカゼは、大した時間もかけずに様々な技術を習得していく。
そして、死のうと思って以降、初めて楽しいと思えた瞬間を味わう。
楽しさのあまり集中していると、周囲の音が消え、刀術だけの世界に入り込む。
だが、馬の嘶きによって現実世界に戻らされる。
村を焼き、自分を犯した連中がやってきたことを知る。
「おじさん!!」
『ああ、分かってるよ』
ハルキがソヨカゼの体に憑依し、ハルカゼに。
ソヨカゼは、どこかで猫が鳴いたような気がした。
一際立派な装具に身を包んだ馬に乗っている男が近付いてくる。
男を見るとハルカゼは不敵に笑う。
「あんたが悪党どもの親玉か?」
「無礼者!! ここにおわすお方をどなたと心得る? 代官のカルベ・ゴウセツ様であらせられるぞ!! それになんだ!? それは私の刀ではないか!? この盗人め!!」
取り巻きの一人、太った男が喚いている。
ソヨカゼの魂が怒っているのが伝わり、ハルキは太った男が元凶だと理解する。
「じゃあ返すわ」
ハルカゼは刀を抜き、太った男に向かって投げる。
投げられた刀は、太った男の心臓を見事に貫き、絶命させた。
ソヨカゼの怒りが少しだけおさまる。
「やるな小娘。やはりソヨカゼではないのか。確かハルカゼと言ったな? ソヨカゼの双子か? そのような報告は受けておらんが……まあ良い。今度はお前で楽しむとしよう」
そう言って不気味な笑い顔を見せるゴウセツに、ソヨカゼの魂が恐怖で震える。
ハルキは「大丈夫、どうせできやしない」と伝心術でソヨカゼへ伝えた。
ソヨカゼの魂の震えが少しだけ収まっていく。
ハルカゼは魔法の袋から新たな刀を取り出す。
もう、文句を言う持ち主は居ない。
「痛めつけろ、だが殺すなよ」
ゴウセツの言葉で、手下どもがハルカゼに向かう。
抜刀はしているが、峰打ち狙いである。
対して、ハルカゼは敵を殺すことを厭わない。
「負けろと言う方が難しい話よな」
ハルカゼは、そう言いながら、ゴウセツの手下どもを迎え撃つ。
ハルカゼが一振りするごとに、ゴウセツの手下どもの腕が飛び、足が飛び、血飛沫が舞う。
ゴウセツの手下どもは、必死に刀を振るっているが、ハルカゼには掠りもしない。
一人また一人と戦闘不能になっていく仲間たちを見て、ゴウセツの手下どもはハルカゼを遠巻きに囲うことしかできなくなる。
「退け」
手下どもを押し退け、剛腕のゴンザが姿を現した。
ハルカゼに斬られた手首から先は魔法治療されており、斬られる前と変わらない。
そして、その手には槍が握られている。
「俺の本来の得物は槍だ!!」
突き、斬り、打ち、払う。
その全てが剛腕で放たれ、剛槍と化し、その全てが当たれば致命的な一撃となるだろう。
加えて、槍を持つことで保てる間合いはゴンザに心の余裕を与える。
「なるほど、刀よりは悪くないな」
ゴンザが突いた槍を素早く引き戻す動作に合わせて、ハルカゼは間合いを詰める。
そして、刀を一振り。
今回はゴンザの持つ槍と共に手首から先が二つとも地面に落ちた。
「ぎゃあああ」
悲鳴を上げたゴンザは、手を拾おうとするが、両手を斬り落とされたので拾えない。
やがて諦めると、ハルカゼの様子を窺おうとする。
ゴンザは、自分が死ぬとは思っていなかった。
前回も手を切り落とされたとはいえ、殺されなかった。
きっと、今回も。
期待しながらハルカゼの顔を見る。
「期待には応えられんな」
ハルカゼが刀を一振り。
ゴンザの首が斬られ、頭がごとりと落ちる。
仲間内で強者の一人であるゴンザが簡単に殺されたことで、ゴウセツの手下どもに更なる恐怖が伝播し、彼らは背後に死神が立っているかのような寒気を覚える。
「なるほど、大した女だ。殺すのは惜しいが仕方あるまい」
ゴウセツはそう言うと刀を鞘から抜き、ハルカゼに向けた。
ハルカゼは、ちらりとゴウセツを見る。
魔力の動きを感知し、少し驚きの表情を浮かべるハルカゼ。
対するゴウセツは、小馬鹿にするような笑みを見せる。
「火炎球」
ゴウセツの言葉と同時に、刀から直径20センチ強の火の玉が飛び出し、ハルカゼに向かう。
ソヨカゼの悲鳴がハルキに届く。
ハルカゼは刀を一振り。
真直ぐに飛んで来た火の玉は真っ二つに割れ、方向を変えた。
半分に割れた火の玉は地面に着弾すると破裂する。
その飛び火を受け、悲鳴を上げるゴウセツの手下。
『凄い』
『褒めてくれるのは嬉しいが、好ましくない展開だ』
『どうして?』
『今の魔法を斬る技は魔法斬りと言うんだが、魔力を大きく消費するんだ』
『え? 魔力が無くなったらオジサンは私の体に居られないんじゃ?』
『そうなる前にけりをつける』
ハルカゼが走り出す。
ゴウセツの刀から火の玉がいくつも連続で放たれ、ハルカゼを狙う。
ハルカゼは、ゴウセツの手下どもの間を滑り、潜り抜け、回避する。
その巻き添えで、ゴウセツの手下どもが数人、絶命する。
火の玉で絶命せずとも、火の玉を斬ったハルカゼの斬撃の余波で死ぬ者もいる。
「周りに気を遣うって心は無さそうだな」
「権力に媚び諂う者など湧いてくるのでな」
「まあ、今日で死ぬのなら改心の必要はあるまい」
「お前にそれができるか?」
間合いを詰めたハルカゼに対して、ゴウセツは刀を横薙ぎに一振り。
炎を纏った刀がハルカゼの体を掠めた。
加えて、ゴウセツは火の玉を飛ばして来る。
ハルカゼは火の玉を回避、あるいは斬り、再度間合いを詰めゴウセツに斬りかかる。
対するゴウセツは炎を纏った刀を振り、あるいは炎で壁を作り、ハルカゼが近寄るのを拒む。
傍目には、ゴウセツは刀術が苦手でハルカゼを近づけさせたくなさそうに見える。
だがソヨカゼは、ゴウセツの一振りを見て、刀術も脅威だと感じていた。
昨日の夜と今日の朝、ハルキから刀術を学んだだけだが、それでも不思議と良し悪しは分かる様になった。
頭の中にハルキの知識が埋め込まれたかのようだ。
そして、ゴウセツの刀術は今まで見てきたどの相手よりも優れていると分かる。
『でも……オジサンに比べたらだいぶ見劣りする』
『まあな。それに、そんな俺から学んだ嬢ちゃんもアイツに勝てるぞ』
『え?』
『実はオジサン魔力が切れそうでな』
『そんな!?』
『魔力を回復させるまで嬢ちゃんが頑張ってくれ』
『ちょっと待って、嘘!? オジサン!?』
ソヨカゼはハルキの存在が薄まり、体の支配権が自分に戻ったことを理解する。
瞬間、火の玉の飛来を感じた。
「ひっ」
ソヨカゼは回避しようと考えるだけで体が自然に動いた。
ハルキの使う歩法だ。
体が覚えている。
「ひゃっ、やっ、きゃ、とぉ」
短く悲鳴をあげながらなんとか躱していくソヨカゼ。
すると、少しずつ歩法が安定していく。
そして、とうとう余裕をもって回避できるようになっていく。
『私にもできるかもしれない』
原理は分かる。
体もきっと覚えている。
後は自分の気持ちだけ。
そう考えたソヨカゼは魔法斬りに挑戦すると決めた。
それだけで、体の中を魔力が駆け巡り準備ができたと知覚できる。
『できる!!』
ソヨカゼが上段に構える。
飛来する火の玉。
魔力を込めて上段斬り。
結果。
火の玉が二つに分かれ、後方に飛んでいく。
見事、成功である。
『いける』
ソヨカゼは魔法斬りを成功させたことで自信を得た。
自分自身の手で復讐を遂げることができるかもしれない。
それは願っても無いことだ。
今の私ならそれが、復讐が、できるかもしれない。
「やってやる!!」
ソヨカゼが間合いを詰める。
ゴウセツは嫌がるように刀を振るい火の玉を飛ばし、炎の壁を作る。
その全てを切り伏せ、刀が届く場所まで詰めるソヨカゼ。
「死ね!!」
必殺の一撃だと確信したソヨカゼが渾身の袈裟斬りを振るう。
だが、ゴウセツは見切っていた。
身を捻り、その袈裟斬りを躱す。
驚愕するソヨカゼ。
ゴウセツは口角の片方を上げた。
「火嵐」
ゴウセツの言葉と共に、彼を中心に火の風が巻き起こる。
最も近くにいるソヨカゼには致命傷の魔術だ。
視界が赤く染まる。
ソヨカゼは死を覚悟した。
☆
どこかで猫の鳴き声が聞こえた気がした。
赤く染まった視界が薄れ、自分はまだ死んでいないとソヨカゼは理解する。
だが、体を自分の意志で動かせない。
『間に合ったな』
『オジサン!?』
『嬢ちゃんが絶体絶命だったから急いで憑依したよ』
『オジサン、ごめんね。失敗しちゃった』
『大丈夫だ。だが今のを打ち消すのに俺が存在するために必要な魔力の殆どを使い果たしちまった。オジサンはもうすぐ消える』
『そんな!?』
『元々死んでるんだ。気にするな。それより今からアイツの隙を突く。最後の一撃は嬢ちゃんが決めるんだ。昨日見ただろ? あれをやるんだ』
『そんな!? 上手くできないよ』
『大丈夫。嬢ちゃんならやれるさ。行くぞ』
ハルカゼが駆け出す。
今度はゴウセツが驚愕する。
確実に仕留めた筈だ。
だが、ゴウセツも只物ではない。
瞬時に気持ちを立て直す。
「火嵐」
ハルカゼを近寄らせてはならない。
先程のような騙し討ちは通用しない。
だが先程の火嵐で深刻な痛手は受けているはず。
そう判断したゴウセツは、全方位を防御しつつ攻撃できる火嵐を再び使う。
「無魔」
そう呟きながらハルカゼが刀を一振りする。
無魔とは、刀の一振りにより、魔力から派生したあらゆる現象を打ち消すとされる刀術で、魔法斬りよりも遥かに上位の技である。
刀技帝と呼ばれた伝説の刀術使いの代名詞の様な技だが、再現性の難しさから今では御伽噺だと考えられている。
「馬鹿な……こんなことが……」
魔術現象が打ち消されて呆然としかけるゴウセツだが、気を取り直して再び魔力を練り上げ、魔術を構築しようとする。
だが、できない。
無魔の効力だ。
『嬢ちゃん、後は頼んだ。オジサンはここまでだ』
『え? 嘘でしょ!? オジサン? オジサン!?』
ソヨカゼは、体の支配権が再び自分に戻ってきたことを感じる。
そしてハルキの存在が完全に消えたことも感じていた。
頼りになるオジサンが居なくなったことで悲しみに心が揺れた。
『オジサン、私やるよ』
だが、ソヨカゼは心を立て直した。
決意を込めた眼差しでゴウセツを真直ぐ見つめる。
そして、ゴウセツとの間合いを詰める。
ゴウセツは迎え撃つために剣を上段に構えた。
「刀気一閃」
そう言いながら、ソヨカゼが刀を逆袈裟に振るう。
その速さにゴウセツは刀では防ぎきれないと判断し、回避するために後ろに跳ぶ。
紙一重。
ぎりぎりのところでゴウセツはソヨカゼの刀を躱した。
目の前には、刀を振り切り、隙だらけの相手。
ゴウセツは勝機を感じた。
「貰った!!」
上段に構えていたゴウセツ。
そのまま間合いを詰めて、刀を振り下ろせば勝ちは確定である。
だがその刀は振り下ろされない。
それどころか間合いを詰めることもできない。
自分の体がおかしい。
そう感じた直後、ゴウセツの視界が斜めに落ちていく。
刀を躱したゴウセツだったが、ソヨカゼの攻撃を躱せてはいなかった。
ソヨカゼが刀に纏わせた闘気が刀気となり、ゴウセツを斬ったのである。
腹部を斜めに斬られたゴウセツは、上半身が斜めにずり落ちた。
確認するまでもなく、誰の目にも絶命は明らかである。
「う、うわぁぁぁ」
まず初めに、ゴウセツの手下どもの中で、五体満足の者が逃げ出す。
ソヨカゼは、その者たちを追いかけ、容赦なく斬る。
続けて動いた腕は斬られたが脚は無事な者、火傷を負って速くは歩けないが動ける者、そんな逃げる者たちを斬り続ける。
逃げ切れないと感じた者たちは、ソヨカゼに斬りかかったが、相手にならない。
足を斬られたり、火傷が酷く動けない者たちは、一縷の望みで命乞いしたが、無駄に終わる。
そして、ソヨカゼ以外の生きる者はいなくなった。
『猫?』
どこかで猫の鳴く声が聞こえた気がしたソヨカゼは、そちらに向かって歩き始めた。
深い意味はない。
もう彼女に生きる目標は無い。
ただ、惰性でなんとなく歩いた。
やがて、猫を見つけたが、近付くと少し離れる。
それを追う様に歩き続ける。
「きゃぁぁぁ、誰か、誰か助けてぇぇぇ」
猫を追い、暫し歩き続けていると、どこからか女性の悲鳴が聞こえた。
ソヨカゼは躊躇なくそこに向かう。
声の元に着くと、そこにソヨカゼと同年代の女と、それを取り囲む下卑た男たちが居た。
見るからに山賊であり、女を取り囲む理由がろくでもないことは一目瞭然である。
ソヨカゼは刀を抜き、一瞬で男たちの一人を斬った。
斬られなかった男の一人が口を開く。
「な、なんだってんだ!? てめえはなにもんだ!?」
ソヨカゼはニヤリと笑い口を開く。
「私の名前はハルカゼ、悪党は斬ることにしている」
数分もすると、山賊の男たちの中に生きている者はいなくなった。
山賊に襲われそうだった女は、ソヨカゼ改めハルカゼに礼を言う。
女のことが気になったハルカゼは、何か事情があるのではと話を聞き、助けることにする。
ハルカゼと女が去った場所には猫がおり、空に向かって鳴き声を上げた。
そこには、ハルカゼがもう消えたと思っていたハルキが宙に浮いている。
それを誰かが見れば、猫はハルキに文句を言っているようにも見えるだろう。
実際、その通りだった。
『技は嬢ちゃんの頭の中に残した。だから良いじゃないか』
『確かに武神様は技を残せとしか言いませんでしたけど……ハルキ様が直接指導した方が彼女も刀技を極められるでしょうに』
『これからどう生きるかは嬢ちゃんの自由だ。俺の技がどう残るかを決めるのは嬢ちゃんさ』
『はあ、分かりましたよ。次はどうするんです?』
『まあ、風任せってやつだな』
『また何十年も彷徨うのは勘弁してくださいよ?』
『はっはっは、さてどうかな』
その昔、刀術の技を極めた男がいた。
大陸一の刀術使いとなった男は、武神により刀技帝の称号を得る。
刀技帝の元には教えを乞いに幾人も訪れたが、更なる高みを目指した刀技帝は弟子をとらず、一人で研鑽を続けた。
そしてとうとう弟子を取らないまま、刀技帝は死んでしまう。
刀技帝の技が残らないことに武神が嘆き悲しみ、三日三晩、雨が降ったという伝承すら残っている。
ところが刀技帝の死後、数十年が経ち、その存在が忘れられようとしている頃に、刀技帝の技の代名詞ともいえる無魔の使い手が現れる。
刀技帝と似た名を持つその女傑は、やがて大きく名を残すことになる。
その者の名はハルカゼ、彼女の伝説が語られる日は近いだろう。
最後まで読んでくれた全ての人に感謝を、ありがとうございます。
また、評価ポイントを下さった方、更にありがとうございます。
感想をいただければ更に感謝します。
面白くなかった。つまらなかった。普通。ありきたり。面白かった。続きが読みたい。など、一言だけの感想でも作者は大喜びです。
よろしくお願いします。