【番外編】ボクは夏休みに帰省した(桃里side)6
〝バッシャーン!!〟
地元の友人・根鳥葛矢くんにフラれてしまった女性「和倉 菜々緒」さんが家出した。ボクは和倉さんを探しに海へ向かうと、彼女は海に飛び込もうとしていた。
必死に説得を試みたが、やはりフッた男の彼女……という設定のボクでは説得力がない。そうこうしているうちに和倉さんのヒールが折れ、バランスを崩した彼女は海に落ちてしまった。
――マズい!
もう辺りはすっかり暗くなっている。こんな視界の悪い夜の海に入ったら助けるどころか見つけることもままならない!
でも考えている余裕などない! ボクは何も考えず海に飛び込んだ。
「たっ、助け……ぐぷっ!」
「しゃべらないで! 今行きます!」
和倉さんはまだ水面でもがいている。おそらく自分の意志に反して海に落ちたのでパニックになっているのだろう。
だが大声で助けを求めたり両手を水面から高く上げるのは逆効果だ。浮力がなくなりかえって早く沈んでしまう……一刻の猶予もない。ボクはもがいている彼女に向かって泳ぎ出した。
船着き場から灯台のある防波堤に向かうこの場所に外灯はない……夜の海は暗黒世界のように真っ暗で頼れるのは月の明かりだけだ。
ボクは何としてでも和倉さんを助けなければいけない! もし溺れ死んだりしたらボクは一生彼女を騙した罪を背負って生きていかなければならない。
いやそれより何より、彼女にとってあまりにも無念の最期になってしまう……そんなことは絶対にさせたくない!
あともう少しで和倉さんの元へたどり着ける……と思ったそのとき、
――あっ!
和倉さんが視界から消えた……水の中に潜ってしまったのだ。マズい! こんな暗い海の中に沈んだら最後、もう彼女を助けられなくなる! ボクは慌てて彼女がいた場所まで泳ぎ、水中を覗き込むと必死にもがく彼女の姿が見えた。
ボクは水中に潜り、和倉さんを助けようと手を差し出した……そのとき、
――しまった!
迂闊だった! 溺れている人は助かろうと周囲にあるものを必死に掴んで這い上がろうとするため、反対に救助者が引きずり込まれてしまう……ということをすっかり忘れていた! 火事場の馬鹿力ではないが、こういうときは女性でも信じられないくらい強い力で救助者を引きずり込む。
ボクは着衣泳もできるし素潜りも得意だが、このままの状態が続くとボクも溺れてしまう。ボクは必死に和倉さんの手を振り払うと、すぐさま彼女の背後に回り込んで抱きかかえ……そしてゆっくりと浮上し水面に出た。
※※※※※※※
「ぷはっ、げほっ、げほっ……」
幸い和倉さんの意識ははっきりしていたが、肺に水が入っている可能性もあるので念のため救急車を呼んだ。救急車が到着するまでの間、ボクは彼女と話をしようと思った。
「あ……ありが……とう」
「いえ、ボ……私の方こそすみません」
ボクがそう言うとしばらく会話が途切れたが、やがて和倉さんが少しずつ身の上話をし始めた。
「わっ私、この歳になるまでそ……その、男性経験がなかったんです。彼氏とか全然できなくて……お、おかしいですよね? こんなの普通じゃないですよね?」
「えっ、い……いえそんな……」
そんなことありませんよー! だってボクも童貞なんですから。それにしてもこんな美人なのに男性経験ないって……世の中わからないものだなぁ。
「だ……だから自分を変えようと思って……友だちが合コン行くって言うから私もついて行って……そ、そこで葛……根鳥くんと出会ったんです! 根鳥くんは優しくて、こんな私でも愛してるって言ってくれて……それでつい……」
そっか、それで「初めての男」だったから夢中になったんだな。おそらく付き合い方もわからないからストーカーまがいの行動になったんだろう。まぁ相手が悪すぎたな……同情しかないや。
「すみません! 彼女さんがいるというのにこんなことを……」
「いえ、本当なら私の方が……あんな男のために」
和倉さんはボクの方を見つめると涙を流して謝り出した。いやいや、悪いのは騙したボクの方だし最も悪いのはあのクズ野郎だし……
「おまけに助けてまでいただいて本当に……えっ!?」
「……えっ!?」
謝ろうとボクの顔を見た彼女の目が点になった。そして、
「えっ、ア……アナタ、もしかして……男!?」
――しっ、しまったぁああああああああっ!
海に飛び込んだボクは自分の「化粧」や「つけまつげ」が落ちていることにやっと気付いた! 葛矢くんの「彼女」が実は「男」だと知ったら和倉さんはショックを受けるか怒りに震えるだろう。こっ、これはマズいぞ!
ところが彼女は思いもよらない反応を見せた。突然彼女の目が輝きだしたと思ったらボクの手を握り、
「も、もしかしてアナタ……根鳥くんとCP?」
――へっ!?
「そっそうですよねぇキスまでしちゃってるんですからねぇ! うわぁリアルBL初めて見たぁ! てことはアナタが受けですよねぇそうですよねぇ!? しっしかも女装男子ですかぁ見た目からしてワンコ受けな気がするんですけどぉ!?」
――おっ、思い出した!
この人は梨里姉ちゃんの腐友だち……腐女子だったんだぁああああっ!?
「ねっねっもしかしてアナタってオメガ属性!? にっにに妊娠するのぉ!?」
「そんな人、現実にはいませんよぉおおおおっ!」
※※※※※※※
その後、和倉さんは病院で診察を受けたが大事には至らなかったようだ。ボクは姉ちゃんたちに彼女が無事だと連絡をし、姉ちゃんから彼女の両親に連絡をして事なきを得た。
……それから一週間後、ボクは大学に戻るため電車の中にいた。
その後葛矢くんは杏里姉ちゃんと元ヤン仲間に呼び出され、約束通りボッコボコにされた。ま、そのくらいのことで懲りるような彼ではないけど……。
ボクは和倉さんのお見舞いに何度か訪れた。ボクは改めて彼女に謝罪し、ついでにボクがBLという誤解も解いた。そのとき彼女とニャインを交換して時々連絡を取りあっている。
彼女もフラれたという心のキズは癒え、来週から普通に働くと言っていた……よかった。ただ、彼女から「帰りの電車で読んで」と言われBL小説を数冊もらったのだが……正直いらない。腐教活動は勘弁してくれ!
えっ……でもってオマエは彼女と付き合ったのかって? とんでもない!
ボクは同じ大学の「武川 いづみ」さんに一目惚れをしている。和倉さんは武川さんと同じように気が強そうな美人だが、今のボクは武川さんしか見えていない。
そうだ! 夏休みが終わったら武川さんに料理を教えてもらおう! そういえば武川さんは学祭のとき一緒にいた妹さんと何か仲良さげだったが、あの「きょうだい愛」に負けないくらいボクも頑張ろう!
……このときのボクは、
九月に入って武川さんからフラれてしまうこと。
大学を卒業して地元に戻るけど就職できなかったこと。
和倉菜々緒さんと運命的な再会を果たすこと……そして、
彼女がボクの……
……になることなど知る由もなかった。
貴音なのです。【番外編】が終わってもおねえちゃんは渡さないのです!




