夏休みなので私は妹と沼津を楽しんだ(いづみside)
「じゃ、お願いします」
「わんっ」
海水浴場の帰り、私たちは市内にあるペットホテルにやって来た。これから買い物と食事をするので、お店に入れない愛犬のクララを預けるためだ。
夕方になって日差しが和らいできたとはいえ季節はまだ夏……エンジンを切った車内でクララにお留守番をさせるのは危険だ。
前日に「一時預かり」で予約しておいたのだが、クララを見た店員さんが
「あら? この子ずいぶんとしっとりしていらっしゃいますけど……」
「あぁそれは……」
実は海水浴場を出発する直前、クララが海に入ってしまったのだ。すぐに海水を洗い流しバスタオルで拭いたが、ドライヤーがないので完全に乾かすことまではできなかった。状況を説明すると、
「じゃあ一時預かりではなくグルーミングに変更されてはいかがですか!? クララちゃん……爪も少し伸びてきていますし、どのみちドライヤーで乾かさなければいけませんからね」
「あ……はぃ、じゃあお願いします」
母の茅乃が承諾した。予定外の出費だが、ただ預けるだけでなくシャンプーや爪切りまでやってくれるのだからまぁいいか。
※※※※※※※
「あれ? このショッピングセンターってヤオハソじゃなかったっけ?」
「ヤオハソ? 何それ、知らなーい」
茅乃による「平成初期の思い出話」は適当に受け流し、私たちは大きな橋を越えて「沼津港」にやって来た。
「うわぁ……ちょっとした街だな」
漁港だというので魚市場とかを想像していたら全然違っていた。飲食店や土産物屋が立ち並び、完全に観光地化されている。
「昔はここまで派手じゃなかったんだけどなー」
二十一世紀に入ってから初めて訪れたという茅乃は、まるで浦島太郎のような状態だ。しかし茅乃の目的は「買い物」、その目は少女のように希望に満ちた輝きを解き放っていた……マジで勘弁してくれ!
飲食店の誘惑がハンパないが、夕食は別の店で食べることになっている。ここでは買い物に集中! 私の目的は茅乃の暴走を食い止めることだ。そこへ……
「おねえちゃん、貴音はアレを見たいのです!」
妹の貴音ちゃんが突然私に話かけてきた。そして指差した先には……
――深海水族館?
「貴音ちゃん、さっき海に潜ってお魚さん見たばかりでしょ!?」
「深海までは潜っていないのです」
――そ……そりゃそうだが。
「もっ、もう夕方だし閉館時間じゃないの?」
「十八時までなのです!」
げっ! 今は十七時を過ぎたところ……すでに閉店しているお店もあるが、水族館はまだ営業しているみたいだ。
「おねえちゃん、一緒に見に行くのです」
――絶対にイ・ヤ・だ!!
深海水族館ってことは当然「深海魚」がいるってことだ! 深海魚といえば目玉が飛び出たり透明だったり光ったり……とにかくグロくてキモい!
ゴキブリが嫌いなくせに妹はよくそんなモンを見たがるよなぁ。私が嫌がっていると茅乃が、
「貴音ちゃん、時間ないから見るなら早く行ってらっしゃい! いづみ! お金渡すから貴音ちゃんと一緒に行ってこい!」
――こっ、茅乃!
買い物中、私や妹が一緒だと足手まといだから厄介払いするつもりだな!?
※※※※※※※
イルカのハイジャンプのようなテンションの妹と、海底を這うナマコのようなテンションの私は深海水族館に足を踏み入れた。
「見て見ておねえちゃん! これがオオグソクムシなのです!」
――うわでっけぇダンゴムシ! こんなのが庭にいたら即、引っ越すぞ!
「これがラブカなのです」
――顔怖えーよ! シン・ゴヅラの第二形態か!?
「これがメンダコなのです」
――こっこれは……意外とカワイイじゃねーか♥
閉館時間も迫っていたので流れるように見て回った。
「おねえちゃん、これがシーラカンスなのです」
シーラカンスくらいは私でも知っている。目の前には冷凍マグロならぬ冷凍シーラカンスの姿が……妹はそのグロテスクな標本を見てうっとりしていた。
「貴音ちゃん、そんなモノ見て楽しいの?」
「だって……生きた化石なのですよ! 古代のロマンなのです」
そういやゴキブリも「生きた化石」といわれているのだが……何が違うんだ?
この後、妹は水族館の売店で「パパへお土産なのです」と言ってオオグソクムシのぬいぐるみを買った……お継父さん、喜ぶかなぁ?
※※※※※※※
案の定、お土産をいっぱい買い込んでいた茅乃と合流……私たちは次のお店へと向かった。ちなみに茅乃が何を大量に買い込んだか聞かなくてもわかる。車の中に干物のニオイが充満しているからだ。
街から少し外れた一軒のお店に入った。見た目はどこにでもありそうな定食屋だが、人気店らしくだいぶ待たされた。
店内に案内され席に着くと、さっそくメニュー表を見た。
「せっかく海に来たんだからさぁー、やっぱ刺身が食べたいよなー」
「貴音もなのです」
私たちの住むところには海がない。もちろん刺身くらいあるが、どうせなら新鮮な物を食べたい。ところが茅乃は……
「まぁまぁ二人とも! ここはダマされたと思ってアジフライを食べていきな」
えっ、加工品のアジフライなんてどこで食べても変わらないだろ!? だがこの界隈を昔から知っている茅乃の言うこと……ここはひとつ、ダマされてみるか!
それでも刺身が食べたい私はアジフライとイカフライに刺身が付いた定食、妹はコロッケが食べたいというのでアジフライとコロッケの定食を注文した。
「いただきまーす」
千切りキャベツがたっぷり添えられたお皿に揚げたてアツアツのアジフライが二枚……一口食べると
――ナニコレ!? おいしぃいいいいっ!!
サクッとした衣の中にフワッとした肉厚の身が……こんなに美味いアジフライ、生まれて初めて食ったわ!
「おっ、おいしいのです!」
本当はコロッケ目当ての妹も、アジフライに感動していた。
※※※※※※※
「今日は楽しかったのです! それと、アジフライとってもおいしかったのです」
「わんっ」
すっかりキレイになったクララを受け取り、私たちは帰りの車の中にいた。
「貴音はダイビングのライセンスを取ってみたいのです」
「いいんじゃない? でもね、できれば大人になってから取ったほうがいいよ」
いつもは妹に甘い茅乃が珍しく否定的だ。
「なぜなのです?」
「貴音ちゃんは成長期でしょ? 成長期にダイビングをすると骨に影響が出るの」
「そうなのですか……じゃあ大人になるまでガマンするのです」
そう言うと後部座席にいた妹は、クララと一緒に寝てしまった。
「……おい、さっきの話は本当か?」
説明に疑問を持った私は茅乃を問い詰めた。
「根拠はないよ」
「えっ、じゃあ何で!?」
「あのな、ウェットスーツはオーダーで結構な値段すんだよ! 貴音ちゃん、これからどんどん体が大きくなっていくのに一体何着スーツを作るつもりだ!?」
――我が母ながら何てセコいヤツ!
とはいえ……妹もそのうち飽きて忘れそうだからまぁいいか。
県境の看板が見えてきた。でも今ごろ妹は、夢の中で魚と戯れているだろう。
貴音なのです。シーラカンスと一緒に泳ぐ夢を見たのです。




