過去へ
ヨミは何が起きているか分からなかった。
ネイビが振り上げた短刀が。自分に刺さるはずだった短刀が。ロイの背中に刺さっている。
「ネイビ! なにをしてますの!?」
遠くでガーベラの悲鳴が聞こえた。近くにいるはずなのに、ひどく遠い。周囲の喧騒が遠くなっていく。
「だ、誰か! 早く治療を!」
「剣を抜いてはいけません! 下手に動かしたら……これは! 治療師を! 急げ!」
初めて聞くグリスの緊迫した声。それも、どこか遠い。
「魔女だ! 魔女がいけないんだ! 魔女が! やめろ! 離せ! とどめを刺すんだ! 離せ!」
狂ったように叫ぶネイビの声が小さくなっていく。
その声を聞かせまいとしているのか、ロイが手で優しくヨミの耳を覆った。
「すみま、せん。ネイビが」
「どう、して……私は刺されても、甦るのに……」
「どうして、でしょうね……」
ヨミを抱えていた手がだらりと下がる。
「すみませ……ちから、が……」
ロイが膝から崩れ落ちる。背中には刺さったままの短刀。
ここでヨミはやっと現実が見えた。
「ロイ!」
ヨミはくるりと回り、人の姿に戻る。急いで短刀を引き抜き、手をかざした。
『癒治』
一瞬で傷が塞がる。しかし、ロイの顔は青いまま。息が細くなっていく。
『毒滅』
これで刃についていた毒の効果は消えた。でも、ロイの顔ほ苦痛に歪んだまま。
『復力』
『善体』
『解毒』
あらゆる回復魔法をかけるが効果はない。ヨミは黒髪を振り乱して叫んだ。
「まだ! まだよ! 他にも、他にも治癒魔法があるはず!」
「もう、いいです」
ロイの言葉にヨミがすがりつく。
「まだよ! まだ! 治すから!」
ネイビが刺した短刀。
一度刺した者を呪い殺す呪詛剣。治癒魔法で傷は治るが、呪詛が毒のように体に浸透して確実に死をもたらす。
そのことをロイも知っているのだろう。魔法をかけようとするヨミの手を握った。
「あなたが無事で、よかった」
青水晶の瞳が優しく揺れる。ヨミの胸が今までに感じたことがないほど苦しく、締めつけられる。
「よくない! 全然、よくないわ!」
ヨミはイヤイヤをする子どものように頭を振った。何がよかったのか、まったく分からない。
「今度は……あなたを、守れた」
ロイの言葉に目の奥が熱くなる。勝手に涙があふれる。
「守ってなんて、頼んでない」
こんな時でも出てくる言葉は皮肉で。本当に言いたいことは、こんなことじゃないのに。
ロイがヨミの本心が分かっているように笑った。
「また、そんなこと。私はあなたの、使い魔、ですよ……」
握っているロイの手の上にポタポタと涙が落ちる。
「泣いて……いるのですか?」
青水晶の瞳に光がない。呪詛で目も見えなくなっている。
「な、泣いてなんかいないわ! 雨よ! 雨!」
「あめ……ですか。どうりで、体が冷え……」
ヨミはロイの体を温めるように抱きしめた。
「あなたは私の使い魔なんでしょ! 先に死ぬなんて、許さないんだから!」
「……あたた、かい」
ロイが安心したように微笑む。ずっしりとロイの体が重くなる。
「ダメよ! 目を開けて!」
「ヨミ……私は、あなたを……」
静かにロイの息が止まる。ヨミはロイの肩を揺さぶった。
「ロイ! ロイ!?」
ゆっくりとロイの鼓動が止まる。ロイの体が冷えていく。
ヨミの世界から音が消えた。次に光が。足元が崩れ、落ちていく。私を成していたモノが消えていく。
――――――――この感情を表す言葉を、私は知らない。
何度も甦り、人の何倍も生きてきた。それでも、この感情は知らない。
ヨミは膝で眠るロイの頭を撫でた。銀髪がいたずらに絡みつく。それは生きていた頃と変わらない。
次に頬を手を添える。青白くなっていく肌。二度と笑うことのない顔。
もう動くことがない体。開くことがない瞼。二度と見ることができない青水晶の瞳。
――――――――これが、死?
あまりにもあっけなく、あっさりと。なのに感情は混乱して。受け入れることを拒否して。
「魔女殿」
背後から突然かけられた声にも驚かない。まるで感情が抜け落ちたよう。
振り返ると神妙な顔をしたグリスが立っていた。
「ロイ様の遺体を運んでも、よろしいかな?」
その後ろではガーベラがハンカチで顔をおおって泣いている。その隣には支えるように立つパルド。
ヨミはグリスを見上げて微笑んだ。
「遺体? だれの?」
「魔女……殿?」
「ロイは私の使い魔。私と同じ。甦るの」
まるで幼い少女が人形遊びをしているような話し方。黄金の瞳の焦点が合わない。ここではない、どこかを見ている。
「魔女殿!」
グリスの一喝にもヨミは動じない。微笑んだまま遠くを見ている。どうすればいいのか、誰も分からない。
「まさか、こうなるとはな」
声の主に全員の視線が集まる。そこには歩くのがやっと、のテラが立っていた。
「ヨミ」
呼ばれたヨミは嬉しそうに振り返る。
「にいに。一緒に遊びましょ」
「私が兄と分かるということは、記憶は退行せず、精神だけが退行した……いや、させたのか。心が壊れなかっただけマシ……いや、心を壊さないために、精神を退行させた、か」
テラが大きくため息を吐く。
「心が壊れていないなら、まだなんとかなる。心は一度壊れると、それを治すだけで大量の力を消費するからな」
地面に宝石を並べたテラが、ヨミと視線を合わせるために屈んだ。
「時間がない。よく聞いて理解しろ」
「なあに?」
「ロイを死ななかったことにする方法だ」
ヨミの体がピクリと動く。
「今なら、まだギリギリ間に合う。この宝石を使ってロイが刺される前の過去に戻る。そこで上手くやれば、ロイは死なずにすむ」
ヨミは無言のまま宝石を見つめた。テラがヨミの目を手で覆う。
「いいか、ヨミ。これは悪い夢だったんだ。もう一度、やり直してこい。ただし、次はない。これっきりだ」
相変わらずヨミの反応はない。テラが諦めずに話し続ける。
「子どものままだと、ロイは救えないぞ」
ヨミの指が動いた。それを見逃さなかったテラが素早く魔法を詠唱する。
『時の神へ乞う。我が真名、天照において、この者、月讀命を過去へ』
グニャリと世界が歪み弾けた。
本日はあと昼夕夜の3話投稿して完結します。
ここから最後までが書きたかった話なので、一気にいきます!(๑•̀ㅂ•́)و✧




