傭兵と黒猫と傭兵商会
その青年が普段ばあさんと呼ぶ酒場の女主人に呼び出されたのは、私用で飛行機を飛ばして帰ってきて、格納庫に戻した自分の機体を簡単に点検している最中だった。
ジリリリと、内線電話の着信でお椀型のベルが鳴る。
「はい、ブラックウッド」
『アンタにお客だよ、レーニィ』
スープを煮込んでいるのだろうか、グツグツという音がばあさんの声の後ろに重なる。彼女は酒場のもう一人の主人で、男性のマスターと昼夜でホールに出るシフトを交代しているのだ。
「わかった、今いく。席は何番?」
『C7番よ。ところであんな小さな娘さんをどこで騙くらかしてきがったんだい?』
「・・・娘がなんだって?」
噛みつくような口調に面くらい、聞き返せばなんと来ている客は10代前半の顔を隠した女の子だという。全く身に覚えがないが、もうとっくに日は落ちている時間帯なのでさっさと来て対応しろと急かして聞かない。
「わかった、わかったから!すぐ行くよ、C7だな?」
ブラックウッドは格納庫の中に吊っていたフライトジャケットをひったくって事務所の方へ駆け出した。すぐ行くとは言ったものの格納庫や滑走路のある区画は土手と防風林で街から隔離されており、街中に玄関を構える事務所と林道で繋がってはいるものの距離があるのだ。
夜風を切って酒場に辿り着くと、カウンターでグラスを磨いていたマスターがC9の席を指し示す。 さて、席には確かに小柄な人影がいた。灰色のぶかぶかのダウンコートを体に巻くようにして丸まって寝息を立てているが。テーブルに置かれているコーヒーも口を付けた様子はない。
「旅疲れか、席に案内した途端にすぐに眠りに落ちたようだ」
新しいコーヒーと一緒に毛布を運んで来たマスターがそれを娘に掛ける。
そう、ばあさんの言ったとおり娘だった。目深に被っていたらしいフードだが、万が一知り合いの可能性も考えてそれを少し持ち上げるとよくいくらか幼いが整った顔があった。少し汗ばんだ額に蒼みがかった黒髪が張り付いている。
「本当にこんな小さな子が俺を指名したのか」
「“門番”のペドロを信用するのならばな」
「あいつは正直者だよ。嘘をつく必要がないから」
「で、どうするんだ」
どうすると言われても。出来るなら叩き起こしてお引きとり願いたいがこの時間にこの歳の娘を放り出すのは最悪だろう。しかも男装やシルエットを隠す服装で隠しているが、見た目はいいからより悲惨なことになりかねない。この街の治安は決して悪くはないが、評価は時間帯によって相応に変わるのだ。夜も更ければ人目は減るし、逆に酒の入った馬鹿は増える。
呼び出された傭兵と酒場のマスターが頭を悩ませていると、寝てる娘に掛けられた毛布がぐねりと蠢いた。そして彼女の胸元から黒猫が顔を出す。この猫は二人の大人のよく知る猫だった。ミントグリーンの首輪をしたそれは縦に割れた金色の瞳で傭兵を一瞥すると、ぐるりと寝ている少女の首元を一周するような動きで肩のところまで行き、そこで体を落ち着かせた。
「GG、何でそこにいる」
返事をしないで少女の額をチロチロと舐める黒猫は傭兵が長く飼っている毛玉だと酒場のマスターは知っていた。賢く、主人以外には殆ど懐かないが決して悪さもしない為大抵のところには好きに出入りしている。大抵のところというのはつまり、この猫は自分が拒まれている場所をよく理解しているということだ。
マスターが珍しい猫の振る舞いに関心をそそられている一方で、その様子を見た傭兵は何かに気が付くと、普通の人間として振る舞う為にオフにしていた機能の幾つかを静かに立ち上げた。特に眼球に作用した機能の一つが眠る少女の頭蓋骨の形までをつぶさに割り出し、過去に傭兵が出会ったことのある人々の中から類似する人物を挙げる。平行して彼女の服に付着した汚れを分析しどういう経路でここに至ったかを推論。両方の結果が矛盾しないことと、最後に10年近く前に知人から貰った手紙の内容を思い出して傭兵は突然店にやってきて自分の名前を口にしたこの少女の正体を理解した。
「フランツ、この子俺の客だ」
「そういって呼び出したつもりだったが。あと店で名前は呼ばないでくれ」
「あ悪い。そうじゃなくて、誰だか解った。GGが懐くわけだよ。古い知り合いの娘だ」
フム、とマスターは顎鬚を一撫で。
「では後は任せても?」
「ああ。とりあえずは面倒を見るよ」
「じゃあコーヒ代340シギル」
「おい待て、誰も頼んでないだろ」
「冗談だ。軽食を包んでおくから後で食べさせてやるといい」
5分くらいで済むと言われ傭兵は娘の向かいの席に座りコーヒーを啜る。GGは相変わらず彼女の首まわりにすり寄っている。
傭兵は5分の間に幾つかのことを考えた。彼女の出自が自分の考察通りだとして、何故この娘は一人で自分の元に訪れたのか。どうしてただ単に訪ねてくるのではなく依頼という形をとったのか。今日という日だったのは意味があるのか。
「出来たぞ、持っていけ」
手渡された籐編みの籠の中はライ麦パンのサンドイッチだった。それなりに量がある。
「2人分だぞ」
「悪いな」
「お前ひとりで食うんじゃないという意味だったのだが」
「テイクフリーの有難みを噛みしめていてよく聞こえなかったが、何だって?」
「もういい。さっさとその娘を連れていけ」
へいへいと、傭兵はコーヒーソーサーの下に100シギル紙幣を4枚差し込むと猫を娘の上から退かして、娘を毛布に包めたまま背負って酒場を出て行った。その足元に黒猫のGGが続く。
飲干された2杯分のコーヒーカップを片付けながら、マスターは少し2人と一匹が心配になった。傭兵の虫の居所が悪かったらしいことに気が付いたから。
さて、ナハルダ傭兵商会は主に航空歩兵の傭兵達が集まっている商会だ。この街に拠点を構える傭兵商会としてはそれなりに古株として知られ、その敷地も街中にある事務所と防風林等に囲まれた空港施設を敷地内の移動で行き来できることから分かるように広い。その空港施設の端に並べられた数十はあるかという箱型の建物の中の一つがブラックウッドという傭兵が占有している格納庫だった。航空機を出し入れする両引きの大扉とは別にある通用口の鍵を開け、2人と一匹は中に入る。もう夜10時を回り当然中は暗く、娘を背負い籐籠と少女の手荷物を持って両手の塞がったブラックウッドの代わりにGGが小ジャンプで壁のスイッチを蹴りつけて照明を灯した。
小隊4機程度は入りそうな格納庫の中だが、チームを組まずに仕事をしているブラックウッドの格納庫には戦闘機が一機だけ駐機されていた。鋼の色そのままのような鈍い銀色の機体だ。ありふれた飛行機と同じく一対の主翼の上に胴体が乗り、3枚の尾翼が後ろにある形をしているが、プロペラはエンジンの納まっている機首部分ではなくそれぞれの主翼の上から延ばされたアームに後ろ向きに取り付けられていた。また、戦闘機のはずだが機関砲の銃口なども見当たらない、奇妙な機体だった。
簡易点検のために幾つかのメンテナンスハッチが開けられたままのそれを通り過ぎ、ブラックウッドは格納庫の角に造り付けられた小屋に向かった。2階建て部分の1階は普段ブラックウッドが軽作業等をするときに使っているが、2階は仮眠室になっており普段は使用していない。ひとまずはそこにこの娘を寝かせておくことにしたのだ。格納庫そのものと同じく小隊メンバーでの使用を想定されていたためそれなり以上に広く、仮眠室にもソファーベッドが置かれていた。
「GG、後は任せた」
毛布を掛け、薄明りのランタンを天井に吊るしたところで傭兵は猫を部屋に残して出て行ってしまった。仕事の可能性がある以上はその用意をする必要があった。下の作業場にはブラックウッドのガンロッカーが併設されている。そこから必要になりそうなものをひとまず取り出していくことにした。当座の想定は市街地での護衛・撤退戦・殲滅戦・拠点侵攻制圧戦。
コンシールドキャリーをすることを考えコンパクトな装備にする必要がある。自動拳銃に、弾丸はファクトリーロードのFMJを装填した予備弾倉が3本。銃身を切り詰めたレバーアクション式ショットガンは爆裂装晶弾を30発用意して体の各所にホルダーで差せるようにした。他には煙幕爆筒が4本と黒塗りのナイフが2本。小さな鍵爪型の刃がついたカランビットナイフが一本。これらを体に装着し隠蔽するためのベルトとモズコート。純魔術系の歩兵装備を使えればもっと軽装備でもよかったのだが、生憎と彼にそういう能力はなかった。今はとりあえず拳銃のみを右腰のホルスターに固定して万一の備えとしておく。あの娘が起きるだろう朝までの数時間は戦闘機をすぐに飛ばせるようにすることと、サブシートの取り付けで時間を潰せばいい。
自分のやっている作業について、過剰な反応だという自覚はあった。しかし時期が悪い。つい先日、傭兵はある知り合いに裏切られ、壮絶な殺し合いを演じたその直後だった。そこにまた同じ時期の知り合いの娘が一人で訪れては過敏にもなろうというもの。
結局、彼はサブシートと一緒に防弾板を取り付けるまで休むことなく作業を続けた。