第二十三話
「なんとか、勝ったのか」
支城に残っていたウォルムは、コーナータワーの残骸の上から戦況を見守っていた。拮抗した戦線が崩れるのは一瞬だった。まるで支柱を失った積み木の様に音を立て崩れ行く。
ダリマルクス家は支城の戦いを起因とした敵軍の動揺と隙を見逃さず、メイゼナフ家は全戦力による逆襲を受け止められなかった。
殿が決死隊となり抵抗を続け、総崩れしないだけの組織力を残している。根こそぎの殲滅は、今となっては不可能であろうが、半数以上の兵が死傷するか捕虜となるに違いない。
自領に戻れば居残り組と合わせてダリマルクス連合と戦力は拮抗するであろうが、此度の戦の様に攻め掛かる事は最早出来ず、各種の賠償金により身動きは取れなくなる。
国家あるいは自領や一族の全てを捧げて戦争に勤しむ程、群島諸国の領主は狂っておらず、自制心と打算も失ってはいない。
平和な戦争は終わった。そんな戦いの中に於いてもウォルムは最悪の一手を取ってしまった。
眼の痛みこそ目薬により落ち着きを取り戻したが、中身の四分の一を失ってしまっている。間違いなく一年も経たずに目薬は枯渇する。
そして何より鬼火により、北部の流儀の中ですら忌み嫌われる味方殺しを犯した。見捨てた方が余程良心的であろう。
ウォルムは保身の為、スキルの提示を一部拒み隠した。許し難い背信行為だ。その上で最後まで隠し通す事も叶わず、保身を含んだ打算により戦場を焼いた。
帝国の復興、ハイセルク兵、少年兵も関係なく、ウォルムが選び殺したのだ。致命傷を受けながらも、生存を最後まで信じたかった連中を冥府に誘ったのは、疑いようもなくウォルムであった。
静かに戦場を一瞥した後に、手持ちの酒を撒き手を合わせる。罪悪感を薄め、己を慰める為の自慰に過ぎないのは自覚していた。鷲掴みにして取り出した兵隊煙草にウォルムは一斉に火を灯す。辛気臭い香の臭いよりも好きな兵は居るだろう。
一本を手元に残してウォルムは、震える手で口に運ぶ。酒精には頼る訳にはいかない。吸い込んだ煙がゆっくり肺腑を満たす。緩慢に吐き出された紫煙は、虚空へ漂うと、鬼火が焼け残し、燻り続ける残火が放つ黒煙と合流する。
「……探さ、なくてはな」
覚悟を固めたウォルムは負傷者が集められた一角へと向かう。少年達は敵兵から、鬼火から逃げ切れたか、ウォルムには分からない。
支城に残っているのは、数十名の兵の他には重軽傷を負った将兵しか残っていなかった。並べられた負傷兵の中には既に事切れた者も多い。
手足を失った者、包帯越しにどす黒い血が滲む者、生者と死者が入り混じり、冥府との境界は酷く曖昧であった。嗅ぎ慣れてしまった臭いは濃厚な死臭であり、本能が拒絶するのを狂った理性で押さえつける。
更に一歩踏み出した所で、足首に衝撃が走る。それは寝たきりで動かなかった負傷兵の手であった。
「よう、あんた、みず、を、水をくれ」
焼け爛れた皮膚、焦げ付いた頭髪、こびりついた煤が、何が彼にあったか、物語っていた。心臓が締め付けられ、肩が震える。ウォルムはそれらを押し殺し、水筒を取り出した。
「今飲ませる。起きるか?」
「いや、この、ままでいい」
唇に添わし、水筒を傾ける。兵士は勢いよく中身を飲み干していく。顔を見て分かった。土弾を操る土属性魔法持ちの魔導兵だった。一次攻撃の途中までウォルムと同じコーナータワーに居たのを覚えている。
「まだ要るか?」
「頭にも、掛けてくれ、蒸れて、ひどいんだ」
ウォルムは水属性魔法で水筒を満たすと、満足いくまで男に水を掛けた。
「煙草は?」
「欲しい」
ウォルムは手にしていた煙草を兵士の口に当てる。口一杯に吸い込んだ兵士は勢い良く吐き出し、笑い出した。
「は、はははぁあ、俺は、ツいてる。小煩い上官も、嫌味な同僚も、皆殺された。俺もそうなる、筈だった。ギラついた、敵兵が、俺にも、剣を突き立てようとした、その時、あの蒼炎が、全て焼いた。熱かった、炙られたさ。それでも、俺には、最後の機会だった。俺は走った、にげきった。その上、欲しかった水も煙草も吸えた。酷く痛むが、それ以外は、最高だ」
吐き出した兵士は、そのまま脱力すると小さく呟いた。
「ありがと、な」
「あ、ぁあ……」
それが水と煙草に対する礼か、それともウォルムが鬼火で焼いた事に対する礼か。喉まで出掛けた言葉を吐き出せず、訊けなかった。
ふらつく足で探し回り、とうとう見つけてしまった。手にしていた斧槍が指からこぼれ落ちる。見たくない。認めたくない。それは仲良く並んでいた。それでも濁った筈の瞳は良く見えてしまう。焼け爛れた皮膚はウォルムが焼灼を施した。忘れる訳が無い。
「なんで、死んでんだよ」
知らなければ並べられた死体の一つや二つだ。だがウォルムは知ってしまっている。彼らがどういう人間で、どんな境遇でこの戦に臨んでいたか。
無邪気に、それでいて騒がしい口は動かず、言葉を紡ぐ事もない。ウォルムは膝から崩れ落ちた。腰を立たせようとするが、力が入らない。
認め難い。悔恨の言葉が漏れる。地面をつかみ、砂が削り取られる。現実だ。これは現実なのだ。
「なんでだよ。寝てる様にしか見えないのに」
ウォルムは頭を押さえると、そのままサーベリアを脱ぎ捨てる。甲高い音を立てて、地面を転がると、腰の面がカタカタと騒ぎ立てる。
「こい、つ、こういう時くらい静かに出来ないのか」
ウォルムが声を荒げ、腰に手を回そうとした時、目の前の死体が起き上がっていた。息が詰まり、故郷の光景が蘇った。また知人達を二度も殺さなければならないのか。
反射的に仮面から短剣に手を滑らせ、引き抜いたウォルムであったが、再び硬直する。
「ウォルムさん、何してるんですか?」
死体が喋った。いや、死体では無かった。小難しいことではない。カリムとクーウェンはあの戦場から生き残っていただけだ。
今度こそ全身の力が抜けたウォルムは、幼児の如く四肢を投げ出して、みっともなく喚いた。
「くそ、なんでこんなとこで仲良く寝てんだよ!! 有り得ないだろう」
「クーウェンを引き摺って、治療魔術師さんに診て貰って、命の危険は過ぎたって。それに戦に勝ったって周りが叫んで、気が抜けて一緒に寝ちゃいました」
カリムが、何があったかウォルムに説明する。事情は分かるが、幾ら何でもマイペース過ぎる。とてもウォルムには真似出来そうにない。
「え、死んでいると思ったんですか?」
話を聞いていたクーウェンも事態を理解して、間抜けな顔と声でウォルムに尋ねてくる。
「ああ、そうだよ。周り見てみろ、何処も彼処も死体の山だ。死んでない方がおかしいだろう」
ウォルムが抗議の声を上げると、カリムが小さく笑う。
「わざとじゃないですよ」
「わざとやってみろ、思いっきりぶん殴ってやる」
少年達は歳相応に、大笑いを始めた。ウォルムもそれに釣られて声を出して笑う。
戦争の真っ只中、それも死体の山の中で不謹慎極まりなかったが、最早我慢などできない。少年達の笑みによりウォルムは少し救われた気がした。




