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濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記  作者: とるとねん
第二章

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第二十二話 蒼炎の幻想

 オディロン・ド・メイゼナフが深く腰掛けていた椅子は地面に投げ出され、土埃により汚されていた。普段であれば、従者やお付きの者が粛々と椅子を立て直し、汚れを丁寧に拭き取る。つい半刻前まではそんな光景が当たり前の筈だった。


「何故、ハイセルクの兵を横合いから叩けないのだ!?」


 オディロンの苛立ち交じりの疑問に応えるべく、家臣の一人が重々しく口を開いた。


「忌々しくもバーンズ子爵殿に与えた雑兵が我先にと逃げ込み、救援に向かったディランド様の部隊の動きを阻害しています。ハイセルクの田舎者達は、敗走した兵を殺し切らず、誘導を試みたようです」


「バーンズの愚か者め!! あやつはどうした!?」


 一瞬声を詰まらせながら、家臣は言う。


「支城で消息不明です。恐らくは――」


 それが今や信じ難いほどに追い込まれ喪失していた。止まる事のない凶報が押し寄せている。オディロンは椅子の存在など彼方へと追いやり、腰を浮かして忙しなく命令を下さなければならない。


 平時の準備期間で如何に敵よりも兵を、物資を集めるかが勝利を呼び寄せる。それが商才や政治に長けたオディロンが身に付けてきた戦略の基本で有り、揺るぎない真理の筈だった。それが今や崩れようとしている。


「ルイズアン子爵殿、押されています。隊列は崩され、このままではエドガーに正面を抜かれますッ」


「なんとしても突破させるな!! ファンファール男爵を援護に向かわせろ」


「一門衆ディランド様が討ち死、ハイセルク兵が止まりません!!」


「たかだか五百に、ディランドが討たれただと?! 随伴の兵は何をしていた!! 何のための常備兵だ」


 バーンズに預けた残兵の救援に、一門衆であるディランドを回したのは間違いであった。オディロンは激しく悔恨する。蒼炎で支城が炎上する中、ハイセルク兵だけが事態に正しく反応していた。いや、今となっては、仕組まれていたのかもしれない。そう確信を深めていた。


 支城攻めも大詰めに入り、前のめりになったところで、あの広範囲攻撃だ。その後のハイセルク兵の動きも迷いなく、頭を喪失した兵を、立て直す暇も無く刈り取り、本陣にまで突撃を敢行したのだ。


 一見すれば自殺行為だった。それをハイセルク兵共は、敗残兵を殺し切らず生かしもせず誘導。拮抗したところを支城から出撃したジョッシュ男爵が、ハイセルクと連動しながら攻め上がる。


 ハイセルク兵とは確執がある一派の長たるジョッシュが取るはずのない行動だ。潜り込ませた耳からは、ハイセルクに対する不満や不平が届けられていた。だが、それすらも欺瞞だったのだろう。その結果、今や二面から激しく攻め立てられ、メイゼナフ家が追い詰められている。


 それでも数はまだ同数、疲弊度を考えれば、まだオディロンの勝ち筋は残っている。思考を巡らせ、命令を下し続けるオディロンにとって、好ましい知らせが届いた。


「傭兵団に張り付かせていたオルレアイン様が、帰還しました」


 一門衆の一人であるオルレアイン、暴走がちな傭兵団に正しく命令を伝え、監視の任を与えられていた優秀な甥であった。


「生きていたか、良く帰った。支城で何が……お、オルレアイン」


 幼少からメイゼナフ家を武で支えるべく武芸や魔力を鍛え続けたオルレアインは、若いながらも鍛錬に裏付けられた分厚い体躯、聡明な頭脳、豊富な魔力を併せ持つ、メイゼナフ家の武闘派筆頭であった。その甥の身体は痛々しく焼け焦げ、重篤な火傷を負っている。


「治療魔術師、何をしている!? 早く癒やさんかッ」


 随伴していた治療魔術師を急かすと、焦燥に塗れた声で答えた。


「オディロン様、私はこれでも、癒やし続けているのです。ここに来るまでのオルレアイン様は、とても言葉には出来ないお姿でした」


 言葉を失ったオディロンにオルレアインは弱弱しくも口を開く。


「私は、傭兵団と、支城に突入しました。城壁、城門は全て制圧、バーンズ子爵も加わり、勝利は揺るがない、筈でした。アレが、本性を現すまでは」


 オルレアインは興奮と恐怖で激しく息を漏らす。


「無理をするな」


 オディロンは会話を止めようと手を伸ばしたが、物分かりの良いはずの甥は、それを振り払った。


「伯父上、駄目なのです。今話さなければ」


「鬼の面を被った、ソレは、一帯に蒼炎と熱風を、発現させました。たったそれだけで、魔力膜を張れぬ兵は皆、蒼炎に踊り狂い、魔力量の弱い者から次々と焼け死にました。それでも討ち取ろうとしたバーンズ子爵の馬回りと傭兵団は全滅、私は、私は逃げながら聞きました。聞いてしまった。友兵を巻き込み、二百以上の兵を火に巻き、死傷させたそいつは、ただただ笑っていたのです。私は背中を足を炙られ、焦がされながらも、バーンズ子爵と離脱しましたが、ハイセルク兵がそこに襲い掛かってきました」


 治療魔術師が渡した水筒で喉を潤したオルレアインは、口早に言葉を続けた。


「奴らも、笑っていました。冥府からの誘い火、鬼火が、軍神の残火が、我らハイセルクに帰還したと、バーンズ子爵はそこで、討ち取られ、私は、防具を何もかも脱ぎ捨て、雑兵に紛れ、ここまでたどり着いたのです」


 甥から、支城での顛末を聞いたオディロンを始めとする将は、言葉も無く固まっていた。勝ち気で、武闘派のオルレアインが、なんと脆い事か。それでいて話す内容は、一言も聞き逃してならない気迫を感じさせる。


「分かった。後は任せろ。私が敵を」


 武に優れぬとは言え、オディロンも貴族であり、一帯に強大な影響力を持つ伯爵だ。散った将兵の敵を取り、甥の無念を晴らす。そう続けようとしたオディロンをあろうことか甥が止めた。


「なりません。伯父上、猛攻を跳ね返す為、各個撃破を避ける為、兵を密集させて、おります。狙いが、それなら、奴らがまた蒼炎を発現させれば、全員が、死にます」


「馬鹿な事を……」


「嗚呼、聞こえない、のですか、あの狂信的な笑い声が、迫っています。奴らが、来る。臆病者と罵られようとも今、この場で、戦い続けては、撤退すべきです」


 眼に狂気を宿したオルレアインは、息絶え絶えであり、何時死んでもおかしくない状態であった。それが焼けただれ、癒着を起こした指をねじ開き、オディロンの首元を掴む。


「こうなりたいのですか!?」


 顔を見合わせたオディロンはその瞳に、知性が残っている事を理解した。知性を残し、己の恥を重ねてでも、オディロンへ危機を知らせたのだ。


「オルレアイン様がご乱心だ!!」


「寝かしつけろ、動けば、本当に死ぬぞ」


「放せ、メイゼナフが、焼けてしまう、あの蒼炎で」


 押さえつけられたオルレアインは一頻り暴れたが、そのまま意識を手放した。幸いにも呼吸は続いており、治療魔術師も回復魔法を掛け続けている。


 ふと、オディロンの耳は、笑い声を捉えた。幻聴かと疑ったが、それは確かに笑い声だった。まるで何かを祝福するかのように、また別の何かを呪うように、一つ確かな事は、それらは明らかに狂気の色を帯び、着実に迫りつつあった。


 家臣を集め、最新の状況を纏める。槌と鉄床により締め付けられ戦線は大きく捻じ曲がっていたが、連戦の疲労度が大きいのか、敵も決め切れていない。だが、その中でもやはり、ハイセルク兵は、緩慢に、それでいて確実に迫り続けている。


 既に数は互角、支城と多数の兵を焼いた恐るべき魔道兵の所在は不明、あれだけの攻撃を何度も使えるとは、思い難いが――。差し込まれた状況で使われれば、損害は支城の比ではない。それに北部諸国の亡霊とは言え、ハイセルク兵も疲れ知らずで戦い続けている。


 二流と信じられていたかの国の将兵は、メイゼナフの常備兵よりも遥かに強靭であった。相対するメイゼナフ兵も、笑い声に怯え、士気が低下している。相手を滅ぼすまで止まらないのが北部諸国であり、その結果たった一度の戦争で三カ国が滅んだ。愚かしい奴らだ、そうかつてのオディロンは嘲笑していた。


 刃を交えた今となっては理解の出来ない悍ましい存在だった。奴らが狂っているから総力戦に興じているか、総力戦で奴らが狂ったのかはわからない。何が正しいかオディロンは決めきれなかった。そんな中、蒼炎の話は、戦闘中にも関わらず戦場を独り歩きを始め、兵に深刻な影響を与える。


 オディロンが全てを投げ打ち、勝利に手を伸ばせば、地力に劣るダリマルクス連合は、撥ね除けられていたかもしれない。蒼炎に魅入られ、自身の命を賭けたエドガー、ハドロといった将に比べ、オディロンは、正念場で蒼炎の幻想に囚われ、賭ける事は出来なかった。その結果は顕著に現れてしまう。


「る、ルイズアン子爵が敵の手で囚われました!! ファンファール男爵も敗走」


 震えた伝令兵の言葉は、酷く重い。全身が脱力しそうになる。それでもオディロンは言葉を振り絞った。


「この戦、我らの負けだ」


 齎された一報でメイゼナフ家の取るべき行動は決まった。


「オディロン様を逃せ!! 馬廻り、命に代えても本領へ送り届けろ」


「我らは殿だ。一兵でも多く、食い止め、我らの道連れとするのだ!!」


 負けた。それも度し難い敗北であった。オディロンは屈辱に顔を歪め、敗北を認める。それでもオディロンは絶望していない。してはいけない。


 戦力の回復、賠償金や保釈金それらの損失は十年、いやそれ以上の期間、メイゼナフ家の財政を苦しめる。自領の外では戦を仕掛ける事は叶わないだろう。だが、メイゼナフ家は途絶えていない。オディロンの寿命が尽きぬうちに復讐戦を仕掛けられなくとも、力を蓄え次代へと引き継ぎ勝てば良い。


 殿を申し出た家臣達に、心からの謝罪を口にする。一兵でも多く連れて帰り、一門衆の捕虜を一人でも減らす。それが敗戦の領主となったオディロンの責務であった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 総力戦を行って勝ったとしても その時自分しか生き残って無かったら 他のライバルたちにやられますもんね
[一言] 戦争として敵に挑む以上ある程度兵を纏めて運用しないと話にならない。だが纏めると炎に襲われる。 なんやこの無理ゲー
[良い点] 取り返しがつかないなりに負けを認めて撤退できるって、この話では新鮮だな… いやフェリウスも話が始まる前にやってたか
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