第十九話
眼前に広がる蒼炎は、攻勢により前のめりとなったバーンズ子爵麾下のメイゼナフ兵と傭兵団を等しく包み込んだ。魔力膜が乏しい雑兵は、熱風と蒼炎に抗えず、絶叫を伴い次々と発火していく。
その光景は、身体が焦げ付きつつある兵達の焦燥感にも火を付けてしまう。刀剣や打撃等による負傷に慣れた者は居ても、焼き殺されそうになる経験は乏しい。いざ経験すればどうにも動揺も混乱も隠せなかった。
その上、魔力量、魔力膜の練度の有無により、前後関係なく前触れもなく火達磨となる。次は自身の番だと疑わない者の方が少数になるのは当然であった。
「やめろ、押すな!!」
「ああッ、ぁあ!! 背中があ、焼けてる、早く、早くしろっ」
撤退の指示が出回る前に、兵士達は無秩序な後退を選んだ。その混乱ぶりは既に敗走と言っても過言ではない。勝利を確信していた将兵は今や競って支城からの脱出を試みる立場に転落した。
肩を並べていた兵士達は互いを押し合い、時に踏みつけ城壁の残骸を乗り越える。平時であれば何のこともないその道は、空間の限られる密集体形と繰り返された攻撃により、多数の障害物が生じ、逃走を困難としていた。殺したダリマルクス兵に足を取られ、転倒した兵士が、泣き喚き、そして救済を求める声を上げる。
「助け、て」
伸ばした手は、誰に救い上げられる事もなく、虚しく、土を掴むばかりであった。そしてそれも長くは続かなかった。
「ぐぅう、なんだそれは、ふざけるな」
傭兵団の頭役であるジュストは怨嗟と熱気で声を枯らしながら叫ぶ。英雄気取りの兵士を追い詰め、生の与奪を握っている筈だった。それが今や団員の半数が焼かれ、残りも魔力膜を剥がされ続けている。
「逃げるなぁアア!! 近付けない奴は遠距離から仕掛けろ!!」
半数が蒼炎に沈んだ傭兵団であったが、負け癖まではついていない。ジュストの呼びかけに応える様に、魔法による攻撃が開始される。一縷の望みを掛けた攻撃であったが、直ぐに失望へと変わる。
「あ。ぐうう、効いちゃいねぇ」
「もう無理だ。熱い、溶けちまう」
水属性魔法は射出した側から蒸発、風と火属性は炎風を増長させるだけに終わる。頼みの土属性魔法も蒼炎を撒き散らしながら戦う男を捉える事ができない。弓も同じだった。中には射る前に弦が炎上を起こす者まで居る。
遠距離攻撃では埒があかない。損害を与える前に、団の大半が熱に侵される。熱に集中力を削がれながらもジュストは冷静に判断を下す。
「ラッツォ、ナンギ、メルターナ、リュッカ、ロウバン、武器を持て、近接でアイツを殺す」
並の魔力膜では近付く前に焼死する。ジュストは団の中でも魔力量に優れ、蒼炎から生き残った者の名を呼ぶ。
「ジュスト、正気? アレとやりあうなんて」
リュッカの批難めいた言い方をジュストは有無も言わさず黙らせた。
「黙って聞いてろ。今ここで逃げ出せば、傭兵団の名が地に落ちる。大軍や中央の部隊相手ならまだしも、たった一人に敗走してみろ、群島諸国中の笑いものじゃねぇか!! 二度とまともな傭兵はできやしねぇ」
ジュストとて、敗走の道を歩んだ事はある。それは数倍以上の敵に限っての事だ。それが個人相手に傭兵団ごと逃げ出したとなれば、築き上げた名声や信頼は地に落ちる。替えの利く団員など幾ら死んでも、蒼炎を纏う敵を殺さなければならない。
「奴を見ろ、出血してるだろ。神話に出てくる様な英傑じゃねぇんだ。血が出る相手なら殺せる。何時も通りだ。特別じゃない」
ジュストは集まった面々に血走った目を走らせる。浮き足立った面々は落ち着きを取り戻した。現在、蒼炎を撒き散らす魔導兵は、バーンズ子爵を逃がそうとする馬廻りの斬り込みに注意が向いている。尤も、その数も片手で数えられる程となっていた。
最善の行動でも時を逃すと下策と成り果てるのをジュストは迷宮都市の抗争で学んでいた。
「ロウバン、ゴーレムで正面から迫れ。注意を一瞬でも引き付けるだけでも良い。ゴーレムに食い付いたら土壁で足元を崩して、左からナンギと仕掛けろ」
言葉を切り、ジュストは言葉を咀嚼する時間を与える。
「リュッカは右から風属性魔法を撃ち込め、有効打にならなくて良い。アレに考える時間を与えるな。ラッツォ、メルターナは正面から俺と来い。使えるものは何でも使え。仕掛けるぞ!!」
ジュストの合図により、一斉に傭兵が動き出す。ロウバンが膝を突き、自身の血を触媒に地面からゴーレムを生み出す。主人の命に従い、土人形は熱波の中心に向けて愚鈍ながらも走り出す。
既にバーンズの馬廻りは撤退するか焼け死んでいた。実に頼りない。兵法を学び補佐役が付いたとは言え所詮は貴族、命が天秤に乗り掛けると容易く引いてしまう。
三メートルに届く土で出来たゴーレムだが、巨腕を振るう前に蒼炎混じりの熱風により、表層が焼け落ちていく。辿り着く頃には、ただの土に戻っているのは疑いようもない。
ゴーレムから左に大きく展開したロウバンは続いて地面を隆起させ、蒼炎使いの足元に土壁を形成する。特に争う素振りも見せず、跳躍すると隆起する地面から逃れた。
平地に着地した蒼炎使いに、リュッカの風属性魔法により形成された風の刃が襲い掛かるが、渦巻く蒼炎により、外縁部でその効力を受け止められる。それで良いとジュストは何も焦っていなかった。
肌はひり付き、臓腑が浮き上がる様にうわつく。本能が火に対し、原初の恐怖をちらつかせる。それらは迷宮都市の暗闇で力を持たずに、生き足掻いていた頃に何度も感じたものだ。
力も金も配下も得たジュストが長らく忘れていた感情であり、嬉々として受け入れる。ゴーレムの背後から火吹き蜥蜴の様に地面すれすれで、駆け込んでいく。
発見される恐れを僅かでも低減させ、熱が吸われ比較的温度の低い地面に近づく為には、それが有効であった。焼け落ちつつあるゴーレムの脇腹を擦る様な距離でサーベルを滑らせる。標的は首元であった。
奇襲性は十分であり、一撃でカタが付けば呆気ないものであったが、事態はそう上手く運ばない。剣先が上半身を僅かに逸らすだけで回避される。
「やれぇええ!!」
それでも間髪入れずにラッツォが短槍で足元を払い、メルターナが戦棍を頭上から叩き下ろす。蒼炎使いは斜めに構えた斧槍の槍先で足首を狙った薙ぎ払いを受け止めると、続いて石突きで戦棍の軌道を逸らし、一歩足を引いて躱し切った。
雄叫びを上げてジュストは追撃を図る。腰を落として迎え撃とうとした蒼炎使いを見て、笑みを噛み殺す。
直後、真横の土壁が粉砕する。その正体はロウバンが土壁越しに放った土弾であった。土埃を撒き散らしながら蒼炎使いへと凶弾が迫る。咄嗟に回避行動を試みるが、土弾が右肩を抉ると力なく腕が垂れた。
「腕が外れたぞ!!」
ラッツォが歓喜の声を上げて斬りかかり、間合いを詰めた全員がそれを補佐する。苦痛の一言でも漏らすに違いないと聞き耳を澄ませていたジュストが捉えたのは、暗い笑い声だけだった。
熱風がその風向きを変えると、蒼炎使いの身体が急速に地面へと倒れ込む。自重や重力だけではない。明らかに理を捻じ曲げる力が働いていた。
身体の頭上を、刃先や鈍器が交差する。咄嗟に軌道を変更したジュストのサーベルも防具を撫で切るだけに終わる。
種は簡単だ。苦し紛れに熱風を操り、自身の体を大地に叩きつけ回避しただけだ。特段速い訳でもなく、動きを一度見れば対処は難しくない。それよりも片腕となり地面に伏せる男など、調理するに容易かった。
それぞれが己の獲物を男へと繰り出す中、ジュストはソレと視線が交差する。金色でありながら濁ったと形容するしかない眼は、殺気を放ちジュストを待ち侘びていた。
「引け、罠だぁあ!!」
何も臆した訳ではない。伏せた身体で覆い隠されたロングソードが、動くはずのない腕で引き抜かれていたからだ。
斧槍の行方と身体の動向に注意の向いていたロウバンとナンギの反応が遅れた。地面から伸びたロングソードはロウバンの足首とナンギの手首を切り裂く。
ジュストがサーベルを突き入れるが熱風を地面に叩きつけながら、二人が重傷を負い穴の空いた箇所へと跳ね飛んだ。
「こいつ、地面で肩を入れて治しやがった」
苦し紛れの回避行動ではなく、地面の力を借りて肩を嵌め込んでいた。一歩間違えれば何も出来ず、嬲り殺される。それをどうすれば躊躇無く行動ができるのか。
地面でのたうち回るロウバンとナンギから血が噴き出る。ジュストが蒼炎使いを殺すと誓った様に、蒼炎使いもジュスト達を殺すと決めていた。
残る二人を率いたジュストは改めて蒼炎使いへと挑み掛かる。様子見など無く剥き出しの刃が無数のやり取りを経て、お互いの血を啜り、防具に傷を刻んでいく。無敵ではない。明らかに動きの精細は失われている。魔力膜もまだどうにか持つ。
二人が命を削り尽くし生み出した隙をジュストは見逃さなかった。一際強く踏み込みサーベルを横一閃に振るった。
得られた感覚は、これまでに体験したことのない痺れる感覚。側頭部と眼球を狙った一撃は僅かに額を突き出すことで、面で受け止められていた。
「そう何度も潰されてたまるか」
まるで己に言い聞かせる様に、蒼炎使いは言った。引き戻したサーベルで斬り込んでくる男を迎え撃つ。動きには慣れつつある。補助が居れば、まだ――。
サーベルを交差させていたジュストは違和感に気付いた。交差していた筈のサーベルが焼け切れ、上半身に大きく衝撃が走る。
「ジュスト!?」
ジュストは兄弟と異なり、《強撃》も《鉄壁》も有していないとは言え、撫で斬りされるほど軟弱ではなく、装備も上等なものであった。
それがサーベルごと上半身を切断された。地に伏せたジュストは蒼炎使いのロングソードに眼を奪われた。《強撃》とも異なる魔力による発光を帯びながら刀身は火に包まれている。ジュストが欠け、残る二人も呆気なく敗れた。そして仲良く大地に身を投げ出し、蒼炎で焼け焦げていく。
薄れ行く意識の中で、どうにか保っていた魔力膜も途切れ、視野が蒼に包まれる。思い違いをしていた。こいつは英雄でもなんでもない。万人を火で包むイカれた化け物だった。
何せ、焼けるジュストを無表情で見下ろし続けているのだ。愉悦も侮蔑も敵意もなく、ただただ燃えていくのを眺める。
「……化け物が」
半身を失い、最後に言葉を吐けただけ奇跡的であった。ジュストは意識を手放し、二度と戻ることは無かった。




