第十四話
「なんだ、あの一団は」
敵兵を平等に冥府へ送り出していたウォルムは、隣のコーナータワーに新手の軍勢が迫っているのに気付く。今までの様なメイゼナフ領兵ではない。統一されていない雑多な防具と武具、不揃いの槍、一見すれば親近感が湧く寄せ集めの集団に感じるが、ウォルムの経験がそれを否定する。
「素人じゃ無いな、同業者か」
戦場で各々が培ってきた戦技で選ばれた装備であり、不揃いの長さの槍も熟練兵がそれぞれの好みに合わせ調整した物だ。雑兵や群島諸国の精鋭集団の呼称である馬廻りではないとすれば、答えは自ずと限られる。戦場を生業とする傭兵団に違いない。戦場と金儲けが好きな生粋の戦闘狂の集まりだとウォルムも噂には聞いている。
「不味いッ」
傭兵団は矢尻型の陣形を取ると先頭集団が一斉に魔力を練り上げるのを感じ取った。貴重な魔導兵がリスクのある密集隊形で何を狙うかなど、考えるに容易い。
「おい、傭兵団だ。魔法が来るぞォオオオ!!」
声を張り上げ注意喚起したウォルムであったが、手遅れである事を悟る。集団の一部から魔力が高まり、発現した各種の魔法がコーナータワーへと降り注いだからだ。理を捻じ曲げるそれらは大地を穿ち、破壊を成し遂げる。防壁の残骸が虚空を舞いながら周囲に撒き散らされ、直撃した兵士の肉片が血の濃霧となり、周囲を染め上げた。
「友軍諸共か」
斜面にへばり付いていた敵方のメイゼナフ領兵が小隊単位で被害を受け、更に続く土属性魔法で身動きが取れず、取り残された兵が懇願虚しく生き埋めにされていく。
「……イカれた傭兵が」
戦争に犠牲は付き物だ。綺麗事だけでは勝てない。それが味方を捨て駒にする類の計略であっても、全体で戦果が損失を大きく上回れば許容される。勿論、士気の低下や犠牲者達が納得するかは別だ。ウォルムも捨て駒同然の作戦に従事した経験はある。
国家に買い上げられた人間として、共同体の繁栄と維持の為にと、その身を投げ打ち人を殺して来た。先程の攻撃は奇襲性を得る為の戦略の一環であろう。合理性や全体主義に染められた元兵士としては一定の有効性を認めたが、僅かに残り濁った道徳はそれらを嫌悪する。
「じょ、城壁が!?」
「う、あああ、雪崩れ込んでくる」
形成された突破口から傭兵が詰め寄せてくる。こじ開けられた穴を塞ごうと、予備が投入されようとしているが、相手は戦争を日常とする雇われ兵だ。動きが速すぎる。贔屓目にみても、現状維持で手一杯、橋頭堡の奪還は最早不可能であった。ウォルムも他人事ではない。予備隊や陣地の兵が引き抜かれた影響で、今まで抑え込んでいた眼下の兵すら勢いが増していた。
「傭兵共に後れを取るなぁああ、城壁を突破しろォオオオ!!」
後方に控えていた本陣までもが前のめりに動き出そうとしていた。総掛かりであり多少の反撃など数と速度の差で押し潰す戦略だとウォルムは悟る。単純な力押しは、場面が揃えば強力な戦法だ。下手な小細工も関係無く飲み込まれる。
「正面を押さえろ!! 浮き足立つな」
希少な常備兵が攻め寄せる軍勢に負けないように叫んだ。ウォルムも同意であった。こうなった今は一人一人着実に損耗させていくしかない。
撃ち込んだ火球が蒼炎の花を咲かせるが、敵は勢いと周囲の兵に押され止まる事はない。ジョッシュ男爵の馬廻りは未だ健在であったが、未だ城壁に投入されず。カリムとクーウェンは気を取られながらも長槍を叩き下ろし、メイゼナフ領兵の妨害に専念している。
「カリム、クーウェン、絶対に覗き込むな。這い上がる兵だけ突いて叩け!!」
ウォルムは返事を待たずに、二人のフォローから眼前の敵に意識を切り替える。掛けられる梯子を斧槍の先端で引っ掛け押し倒し、城壁に手を掛けていた兵を手首ごと切断する。至近距離で撃ち込んだ火球が自身の肌を撫ぜる。数少ない知り合いと呼ぶべきか、腰に押し込んでいた旧友とも呼ぶべき鬼の面が休眠から目覚め、震え出した。
「相も変わらず震えやがって、自制心を覚えろ」
城壁から身を乗り出す奇特な者は少なく、その中でも火球を散々撃ち込んだウォルムは手厚い歓迎を受ける。下から短槍を突き入れてきた兵士に対し、斧槍で軌道を捻じ曲げながら斧槍の枝刃で喉笛を掻き切る。
ウォルムの乗り出した身体に対し、真下から突き上げられたロングソードを石突きで弾く。続けて側頭部を槍先で叩くと周囲を巻き込みながら滑落していく。休む暇など無い。忙しなく動く眼が複数の矢を捉えた。致命傷となり得る矢を首を逸らし槍でいなす。それ以外は手甲や胸当ての角度を調整、装甲と魔力膜により逸らしていく。
「何をしている。早く射殺せ!!」
「命中したのに、どうなってやがんだ」
腕は悪く無い弓手であったが、スキル持ちでも無い矢は装甲と魔力膜に守られたウォルムに有効打を与えられずに終わる。とは言え当たれば痛い上に、眼等の急所に受ければただでは済まない。ウォルムは火球を以って弓手に応えた。
「あぁ!! 逃げ――」
二の矢を継ごうとしていた射手は、周囲を巻き込み爆砕する。けれども空いた地面はすぐさま別の兵で埋まる。
僅かに残る余力でウォルムは思考を回す。ジョッシュ男爵の馬廻りは未だ現れない。前線の火消しで現れないとしたら城門の何かから出撃して逆襲に転じるか、一当てを試みた後に本隊へと合流を果たすはず――。
混戦時に下っ端の兵一人一人にまで気を回す筈もない。状況を見誤れば放棄される支城へと取り残される。給料分の働きはするつもりのウォルムであったが無駄死にする気など毛頭無い。ジョッシュ男爵の動きに合わせて離脱する。考えを纏め終えたウォルムであったが、一年間酒に狂った代償、現役の兵士時代であれば見逃すはずのない攻撃の前兆を見落とした。
「伏せ――」
ウォルムは反射的に地面に身体を投げ出す。咄嗟に出た注意喚起の声が少年兵達に届く前に、射程内へと迫っていた傭兵団の魔導兵が砦の内側からコーナータワーへと襲いかかる。衝撃が背中を撫で、瓦礫が降り注いだ。状況を確認しようとするが土埃が漂い、不鮮明の視界が索敵を阻む。ただ、多数の呻き声と怒号だけが飛び交っている。
這うような姿勢で起き上がったウォルムはそのまま土埃の中から抜け出した。外部からの攻撃に対しては猛攻を耐えたコーナータワーであったが、内部から、それも魔法の多重攻撃によって脆くも崩壊する。幸い建造物の下敷きにはならず魔法自体もウォルムを直撃しなかった。軽い目眩と耳鳴りは直ぐに治る。
「ぐっ、制圧し切っていない城内に魔導兵を突入させるか」
希少な魔導兵は初孫の様に扱われる。乱戦や不意の逆襲も十二分にあり得る状況下であれば、ハイセルク帝国では魔導兵を前進させない。教育に時間が掛かり、数の少ない魔導兵は損耗してはいけない兵種だ。そこまで考えてウォルムの相手は傭兵団だった事を考える。それも群島諸国内の領主同士、北部諸国の常識など通用しない相手だった。
戦慣れしていると何処かで自惚れていたのかもしれない。埃も払わず周囲を確かめていたウォルムは歯を食いしばった。カリムが叫び声を上げている。先程まで元気に長槍をメイゼナフ領兵に見舞っていたクーウェンが仰向けで地面に倒れ込んでいた。
「血が止まらないんだ!!」
ウォルムが駆け寄り、傷を確かめる。太腿には成人男性の腕程ある氷槍が突き刺さり、止めど無く血が溢れていた。
「っう!?」
ウォルムは様々な死に方を見てきた。傷の深刻さに冷や汗が流れ出る。手足、それも太腿の出血は甘く考えられがちであったが、元気に言葉を交わしていた兵士が、出血によりひっそりと息を引き取っていたのは一度や二度では無い。動脈こそは避けていたが、魔力膜を張れないクーウェンの身体から血液が、命が流れ出る。放置すれば短時間で死に至る。
「クーウェン、しっかりして」
性格柄、甘言など吐けない。励ますのは幼馴染のカリムが適任であった。ウォルムは事実のみを伝える。
「放置すれば、出血で死ぬ」
矢や刀剣類であればそのまま運び出せるが、氷槍の厄介なところは人体に対する外的効力を発揮した後は、体温を奪い溶け出す点だ。治療魔術師に見せる頃には溶けた氷により、傷口が露出して大出血、溶けた水分も血液の凝固と魔力膜の展開を阻害する。
「あ、あ゛ぁ、ウォルムさん、死にたく、無い、死にたく無い」
防御施設としての機能を半ば失ったコーナータワーには、城壁を乗り越え敵が浸透していた。
「いいか、よく聞け」
正面の壁外からは敵方のバーンズ子爵、横合からは傭兵団が迫りつつあった。ウォルムが二人に掛かりきりになり、小煩い魔導兵が死んだものと勢い付いている。猶予は残されていない。
「これから氷槍を引き抜き……今からクーウェン、お前を焼く」
青い顔をしていたクーウェンは事態を理解し、冷たくなった指でウォルムの手を握り返すと頷いた。頑強な兵士ですらショック死する場合がある。果たして、未成熟な身体で耐えられるか、重圧で震えるウォルムの手を覚らせる訳にはいかなかった。
ダンデューグでの戦闘で死に別れた少女が脳裏に浮かぶ。ウォルムは少年一人救うのに、動揺を隠すのにすら精一杯だ。目紛しく戦況が変わり、押し寄せる大暴走の中で万人を癒した少女はどれだけ立派であったか。
失った者ばかり考えてどうする。己を叱咤した。少年は信じてくれている。ウォルム自身が人を救えると信じなくては報われない。
「お前なら耐えられる。気張れよ」
行軍中に何度もウォルムを誘惑した治療用の蒸留酒を傷口にぶちまける。酒精による刺激により、クーウェンの足が僅かに跳ねる。ウォルムは事切れた兵士を抱き寄せると引き抜いた短刀でマントを切り取り、片割れをクーウェンの口に押し込む。
「いくぞ」
氷槍を引き抜くと、堤防を失った傷口から血が溢れる。発現された蒼炎が傷口に触れると、クーウェンの身体が仰け反り激しく痙攣した。ウォルムの自重とカリムが上半身を押さえ込んでいる為、身動きが取れず、苦痛を漏らす。慣れてしまった人を焼く臭いだというのに、嫌悪感から口内に酸味すら感じる。情けない。何十、何百と焼き殺してきた人間だというのに、一人の少年を焼いただけで、胃は現実を拒絶していた。
「う、っう、ぁ、ううう゛ぅ!!」
血液が瞬時に沸騰、周囲の組織ごと傷口を焼いていく。鼻腔は肉が焼ける臭い、耳は少年の苦悶の声と水気が弾ける音を鮮明に捉える。空気を求め、過呼吸気味に息を吸い込む少年の手を握りしめた。
「耐えろ。耐えてくれッ」
それはウォルムの心からの願いであった。意識が朦朧とするクーウェンであったが、呼吸を続けていた。薬草混じりの軟膏を塗り、アルコールに浸した布で表面を覆う。
所詮は殺す事しか能が無い。ウォルムにできる応急処置はここまでだった。安静にして化膿を防ぎ、治療魔術師に診せなければならない。
だがそれを邪魔する者が居る。ウォルムは城壁を乗り越え、殺到する兵士を睨む。掴み取れるであろう勝利と血に酔った集団だ。コーナータワーは敵を殺し過ぎた。多数の贄を欲し、血の祝福でしかそれは鎮まらない。
「カリム、よく聞け、クーウェンを連れて砦の後方にいけ、あそこはまだ無事だし、ジョッシュ男爵の馬廻りも残っている」
「う、ウォルムさんは、どうするんですか」
「奴らは遊び相手を探してる。大丈夫だ。俺は遊ぶのも、遊ばせるのも手慣れてる」
「一緒に逃げましょう。今だったら」
甘美な言葉が誘う。己と少年達の生存を考えるならそれが一番だ。だが、ウォルムは遣り掛けの仕事を手放せる質ではない。愚かにも前世では激務の末に疲労と心労が祟り、心筋梗塞でくたばった程だ。馬鹿は死んでも治らなかった。それにだ、今逃げ出せば再起を果たそうと生き藻掻く同胞を裏切る事となる。そんな不義理が出来るほど、ウォルムは聡く生きられない。
戦況は既にウォルムの離脱を許さない。救護で三人が固まっている遊び易い相手に、手を出さない者などいない。敵兵の一人が短槍を突き入れてくる。
ウォルムは地面に投げ出していた斧槍を掴み取ると、槍先を枝刃の片側である鉤爪で巻き込みながら逸らし、片手首をそのまま押し込めて石突きで眼球を抉る。絶叫も無く敵兵は崩れ落ちた。ウォルムはそのまま後続と睨み合う。
「行けぇえっ!!」
二言は無い。意思を曲げることはないと目を見開き、圧を込めて言った。
「っぅう、ご武運をっ」
叫んだ少年は仲間を引き摺り後退していく。未熟だった少年が今や兵士となろうとしていた。ウォルムはその背を見送り、無粋な乱入者に剥き出しにした犬歯を向けた。




