第十話 カロロライア鉱脈攻防戦
ウォルムが期待した、学習児が織り成すお遊戯会の様な混乱は生じず、迫る隊列は綺麗な一直線を描いていた。行軍の速度に合わせ太鼓が鳴らされ、盾を前列に構えながら前進を続ける。
「アレが、メイゼナフの軍勢か」
雑兵にも関わらず身に着けている防具の質が良好であった。さしずめ、分厚い外皮と鋭利な角を手に入れた羊の群れと言ったところか。先導する羊飼いの数も十分で、その扱いも手慣れているようだ。
流石のウォルムも軽口を止めていた。既に間合いは二百五十メートルを切ろうとしている。弓手が弦に矢を当て始めた。少年兵二人は支給されたスリングに石を挟み込み始める。
「いいか、あれだけ広く展開している。正面にさえ飛ばせば、誰かに当たる」
2人は無言で頷いた。魔導兵として雇い入れられたウォルムにはスリングが支給されていない。魔法袋の中に自分の物が収められてはいるが、投擲の手腕に優れている訳ではない為、態々しゃしゃり出るような真似はしなかった。
「投擲開始!!」
百人長の命により、スリングで打ち出された小石が一斉に空高く舞い上がると、放物線を描いて迫りくる軍勢へと落下していく。当然、中には狙いを誤ったり、スリングから手を離すタイミングを見誤って地面に転がしたり、眼前に叩きつけてしまう者もいた。
正しく打ち出された投石は、敵の身に付ける防具や構えた盾等を叩き、その音を支城まで響かせる。中には打ち所が悪かったのか、その場で卒倒する者も見える。
少年兵達も数度の試行錯誤の末、隊列の中に投石を放り込んだ。彼らは達成感による喜びと誰かを負傷させたかもしれないという後味の悪さが混じり合ってか、形容し難い複雑な表情を浮かべる。
「いいぞ、上手いじゃないか」
ウォルムは二人を手放しで褒めた。曇っていた表情に僅かではあるが明るさが戻った。
純粋無垢な少年を扇動しながらも、口先だけの言葉で罪悪感を薄めさせ、戦場に適応させようとしている。自身の軽薄な手口に反吐が出るが、貼り付けたこの笑みを外す訳にはいかない。二百五十メートルを切る頃には、弓手が限界まで引いた矢を放ち始める。風切音と共に矢が降り注ぐと、目に見えて進軍が鈍り、悲鳴が支城まで届く。
六十メートルを切ったところで魔導兵による攻撃が始まった。射程は魔法によりまちまちだ。撃ち込まれた土弾が置盾や竹束の持ち手を吹き飛ばし、氷槍が竹束に突き刺さる。
五十メートルを切るとウォルムは腕を突き出して魔力を練り上げる。体現された蒼炎が渦巻き、火球が練り上げられていく。
「火球が来るぞぉおおお!!」
置盾を運ぶ兵から悲痛な声が上がった。前線で情報を伝達、注意喚起する兵は危険であった。ウォルムはその声の発生源目掛けて火球を撃ち込む。直撃した火球は木片と血肉を撒き散らし、残火が周囲の兵に纏わり付く。
「あ? ァ、ああ゛あああ゛手が!手が!!」
「止血して後ろに下がれ!」
半壊した置盾の持ち手に甚大な被害が広がる。喝采など得られる事はなく、奇妙な沈黙が周囲を支配する。ウォルムが成し遂げた惨劇に、少年兵二人は目を背けたくなるような現実へと引き戻されていた。
「手を止めるな」
感情を殺し淡々と告げる。ウォルムの両脇にいればこれから腐るほど見ることが出来る光景だった。気休めの言葉など掛けようがない。
次の獲物に注意を向ける。竹束を傾けて傾斜を作り、攻撃を受け流そうとする敵兵を見つけた。しかし持ち方が悪く、地面から隙間が空いているのが見えた。ウォルムはその隙間目掛けて火球を撃ち込む。地面で爆ぜた火球は副産物として土砂を頭上に降らせ、窪みを生じさせる。
竹束の持ち手とその後ろに居た兵の被害も甚大であった。膝から下を失い、絶叫を上げながらのたうち回る者や、指を欠損したり足に火傷を負う等、被害が軽微で済んだ兵も大勢見えた。
そんな破壊を撒き散らすウォルムを黙らせる為に攻撃が集中するのは必然であった。雑多な投擲物が城壁にぶち当たり、身を隠した上から矢の風切り音が引っ切りなしに聞こえてくる。不用意に身を晒した兵士が眉間に矢を喰らい、音も立てずに崩れ落ちた。邪魔な死体は直ぐに城壁から引き摺り下ろされる。
四隅は壁面に張り付こうとする兵を側面から攻撃する為に外側に突出していた。それは防御塔の一種で、コーナータワーは低層ながらも防御の要となっており、その造りは支城の中で例外的に土台に石が用いられ、防御性能が一段高められている。
そうでなければ引っ切りなしに訪れる攻撃の前に半壊していただろう。ウォルムは敵の攻撃に危険度を振り分け、その上から順に潰していく。第一に同類である魔導兵、第二に将及び士官、第三に弓手。阻止火力は目に見えて発揮され、一直線であった隊列が波打ち、角からの有効射程の敵兵は見るからに遅れていた。
爆発により防御手段を失った兵へと容赦無しに矢と石が飛来していく。肩に矢尻が食い込んだ敵兵は苦悶の声を上げるが、続く投石により沈黙する。二人は取り憑かれた様に石礫を投げ込んでいた。
「おい、何処に行く?」
持ち場を離れようとする兵士をウォルムは呼び止める。ただの雑兵であれば留めなかったが、ウォルムと同じ貴重な魔導兵だ。軽減される負担を思えば気も遣う。
「他の壁面の援護に向かえと百人長からの達しだ。ここにはあんたがいるから大丈夫だろう」
そう言い切ると魔導兵は駆け足で去っていく。燃費も良い土弾を使う魔導兵は手数が多く、敵の侵入を防ぐには重宝する。優秀な同僚を引き抜かれ、暫し放心したいウォルムであったが、猛攻を受けながらも敵は空堀に入り込もうとしている。
逆茂木を薙ぎ、杭をへし折る敵兵に火球が迫る。空堀により窪地となり、爆発の逃げ場が限られる中、底まで降りていた兵士の末路は凄惨を極めた。衝撃波を伴いながら急速に燃焼する爆轟により、手足や胴部がちぎれ飛び、それらが周囲の兵に降りかかる。
熱気が城壁通路上まで立ち籠めて来た。焦げ付く皮脂の臭い、大気に晒された臓腑は未消化の食品が入り混じり、酷い悪臭が漂う。戦前の景気付けで手持ちの食料や酒を詰め込む兵士は一定数存在する。
死地に赴く前に、現世での最後の食事になるかもしれないのだ。それらに手が伸びる者もいるだろう。人としては共感を覚える。けれど兵士としては劣悪だ。
臓腑をやられても回復魔法があれば短期間で戦線復帰が可能な場合もあるが、未消化の食物が内臓から溢れれば、異物の流入により体内から汚染され、単純な回復魔法だけでは処置し切れなくなる。それこそ水属性魔法や専門的な手術が必要となる。
「時と場所は違えど……ああ、此処は変わらないな」
忌むべき懐かしい感覚であった。凄惨な死様が、鼻を刺す刺激臭が、鼓膜を揺るがす戦場の音色が、ウォルムのかつての記憶を呼び覚ましていく。
クーウェンとカリムは青い顔をしていたが、それでも手を緩めてはいない。実に素晴らしい順応性を見せていた。意気込みばかり強かった大人の雑兵が、たかだか飛来した内臓が防具にへばり付いただけで幼児の様に狼狽え、みっともなく吐き散らかしていた。
敵も数十人程度が焼かれて吹き飛んだ程度では諦めない。死体が転がる空堀に土を投げ入れて埋め立てると、城壁の直下に張り付こうとする。
「間合いに飛び込め!! 一番槍には金貨が出るぞ!!」
常備兵が乱れた戦列を立て直し、臆する雑兵を蹴り飛ばして前線へと押し込む。ウォルムも彼らに火を以って歓迎する。蒼炎により全身火達磨になった兵が、傾斜部を逆走しながら落ち降っていく。杭を掴んでいた兵が爆風に拐かされ杭に手だけを残して霧散する。
「突っ込め、あいつを殺せぇええ!!」
剥き出しの感情がぶつけられる。ウォルムはそれを受け入れた。眼下の雑兵達は今やウォルムの一挙一動に夢中となっていたが、たかだか守兵の一人でしかないウォルムには過剰な評価だった。
コーナータワーから撃たれる魔法を警戒した挙げ句、正面からの投石や矢の被害は甚大を極めた。攻撃は防壁三面で行われていたが、そのうちの大凡二面の半分までウォルムの攻撃範囲であった。残る範囲もウォルムの阻止火力頼りで引き抜かれた魔導兵が、転用・増強されている。
どうにか這い上がってきた兵士も壁上から槍が振り下ろされ、頭部に衝撃を喰らい転がり落ちていく。ウォルムは敵の雑兵を哀れんだ。時に力押しは強力な戦法となる。敵の指揮官も一当てして様子を窺うつもりだったのかもしれないが、それにしても兵が死に過ぎた。
戦場にリズミカルな音が響き、常備兵の怒号がそこらかしこで上がる。
「退き太鼓だ。引けぇええ!!」
「武器は手放すな。手放せば叱咤は免れんぞ!!」
撤退を知らせる太鼓の音に敵兵は一目散に去っていく。当然手を振り見送る者など居なかった。大量の手土産が送られていく。
「敵は尻尾を巻いて逃げ出したぞ!!」
この日、初めて支城にダリマルクス領兵の歓声が響いた。
◆
「なんだ、あの体たらくは」
バーンズ・ギュヴィエ子爵は怒りと焦燥感に支配されていた。城攻めだ。平民の犠牲は付き物であり、バーンズも覚悟していたつもりではあった。
「たかが魔導兵一人だぞ!!」
定石通り矢と石の歓迎を受け、多少の損害が生じながらも壁面へと接近。魔導兵と弓兵の支援を受け、後は歩兵が一挙に突破を図るのみ。それが壁面に取り付く前に二百人の雑兵を失い、大量の負傷者も出してしまった。
全てはコーナータワーに配備されていた強力な魔導兵の火力によるものであり、絶えず吐き出される火球は置盾や竹束を焼き破って兵を殺傷した。斜面を登り切る前に剥き出しとなった兵たちはあらゆる投擲物を受けてしまう。
バーンズも黙って見ていた訳ではない。厄介な火点を沈黙させる為に魔導兵や弓兵を差し向けたが、結果は手痛い反撃を受け、逆に消耗させられてしまっている。
育成に手間が掛かり、バーンズの手勢の中でも代替が難しい兵種である為、今後の影響力低下は避けられない。戦の勢いを決める初戦では痛すぎる失敗であり、兵を預かり指揮を取ったバーンズの責任は重い。汚名返上に必死となるバーンズを腹立たせるのは敵だけではない。
「不運でしたな。散った兵は」
「まあ、仕方ありませんな。あの魔導兵は些か強力でしたから」
今や前線指揮場にはバーンズの馬廻りや側近以外の者が入り込んでいた。尚も攻め寄せようとしたバーンズに待ったが掛かり、苦戦の援護と称して派兵されたのはメイゼナフ家の一門衆、そして伯爵が雇い入れた傭兵団であった。
バーンズもオディロン伯爵の一門衆や寄子であれば耐えられたであろう。だが下賤な傭兵が我がもの顔で陣幕に入り込むのは許せなかった。その上、伯爵の一門衆や傭兵団はバーンズの指揮下から外れて独自に動くというのだ。
まるでバーンズが信用に値しないと言わんばかりであった。怒りで手が震えたが、バーンズが拒否する事も出来ない。
とは言え、傭兵は戦いだけは能がある。その集団は百名に満たないながら、《魔法》と《スキル》を有する者しか存在しない。迷宮都市でも深層に潜る者も混じっており、暗い噂も絶えない曰く付きの傭兵団であった。
「しかし、“子爵殿”が手酷くやられるとはね。信じられませんよ」
ジュストと呼ばれる雇い兵の長がバーンズの失態を嘲笑っているように言った。気取った態度も含めて、その言動はバーンズの怒りに触れた。
「貴様、傭兵如きが舐めた口を聞くな。矢も石も魔法も有限だ。一時防いだところで、それらが尽きてしまえば奴らの命日は決まる」
失った二百人の損失は計り知れないが、兵の全てが無駄死にした訳ではない。空堀は土と死体で埋まり掛けた場所が多く、障害物も撤去が進んでいる。加えて城壁に深刻な損傷を与えた箇所は既にバーンズの手元まで報告が上がっていた。
「とんでもない。あの強力な火点を炙り出し、防御網に打撃を与えた子爵殿を侮る者などいないでしょう。あれさえ無ければ今頃、城壁を攻め落としていたでしょう」
「ふん、今更見え透いたおべっかか? 白々しい」
今は下賤な傭兵と下らない会話を交わす時間など無い。置盾や竹束の修復は完了、重傷以外の負傷者も回復魔法によって戦列に復帰している。
「……まあ、いい。負傷者の手当てと置盾の修復が済み次第、再び攻勢を仕掛ける」
バーンズは再攻勢に向けて思考を切り替える。その裏でジュストがほくそ笑んでいるのをバーンズは気付けなかった。
「ふ、くくっ、子爵殿は素晴らしいな。中途半端に優秀で。手柄を立てられずとも俺達が進むべき道を整えてくれるとは。嗚呼、なんともお優しい」
ジュストの言葉は再攻勢を整える喧騒に紛れ、子爵には届く事は無かった。




