第六十七話
乱れた息を吐きつつコボルトを蹴り飛ばしたウォルムは揺れる大地に気付く。三半規管が積み重なる疲労により麻痺したかと勘繰るが、身体は“まだ”正常を保っていた。
僅かに残る友軍か魔物の生き残りによる魔法ではないかと可能性を巡らせたところで、その正体が何かが這いずる振動だとウォルムは確信する。
ついに視界の中にそれは迫ってきた。瓦礫を撒き散らし、土埃を舞い上がらせたそれは破壊された城門を面影なく破砕するとウォルムへ一直線に向かってくる。
ミミズのようだが、表面は硬質化した皮膚に覆われ眼球は存在しない。何よりそれは巨大だ。ウォルムはその正体を知っていた。
「まさか、タイラントワームかッ、大物が残ってやがった!!」
元冒険者のデボラ一家から齎された情報の中で確認された魔物であり、炎帝龍と共に帝国の本領へと侵攻したと思われていた魔物。
Aランクでも上位の危険度を誇る魔物は巨躯を震わせ持ち上げると、ウォルムに向けて叩き付けた。
無造作な叩き付けにも関わらず、ウォルムを取り囲んでいた魔物が一掃される。タイラントワームは頭部の先端を5方向に開くと身動きを取れなくなった魔物を絡めとり、頭部を持ち上げ飲み込み貪る。
哀れな魔物の血飛沫と肉片が豪雨の様に地表へ降り注いだ。
「見境無しか」
呆れ返る破壊力と無差別な捕食であったが、ウォルムにとっては望ましい展開だ。大暴走の統率者が失われ、一部の魔物がその軛から解き放たれているに違いない。
問題があるとすればウォルムもその魔力から大変魅力的な好ましい獲物として捉えられた事だ。
「俺が餌に見えるのかよっ」
地面を擦りながら迫る頭部をウォルムは風属性魔法で離脱して回避する。余波だけで建物が倒壊、重量物である筈の瓦礫が砲弾の様に撒き散らされる。
動きは鈍重であるが、その大きさ故に広範囲に被害が齎される。これ以上、治療場に近づける訳にはいかない。アレが突入すれば身動きの取れない負傷者達は根こそぎ腹の中に収まるだろう。
ウォルムは魔力の許す限り至近から鬼火を体現させ、タイラントワームを炙る。
声帯が存在しないのか、歯を噛み鳴らし、身をくねらせて手当たり次第に周囲へ破壊を撒き散らす。当然の如く外皮は魔力に耐性を持ち、鬼火で全身を焼き切れない。万全の状態で炙り続ければ焼き殺せたかもしれないが、今のウォルムにはそんな贅沢な戦い方は出来なかった。
ロングソードで外皮に刃を立てるが、外皮は肉厚。過去に討伐を果たした暴走龍の様に何処かに穴を開け、内部から焼くしかない。関節部も眼球も無いため、比較的柔らかい場所を狙って焼き殺す事もできない。排泄の部位も特定が困難を極める。
ウォルムの脳裏にサラエボ要塞の曲輪群で曲がり折れた戦斧が浮かぶ。三馬鹿とは違い、遺体すら残っていなかった。かつての分隊長であれば、《強撃》を纏った戦斧で内部から破壊も望めたであろう。感傷混じりの無い物強請りは現実逃避でしかない。ウォルムは即座に意識を切り替えた。
幸い大好物であろうウォルムに食い付き、タイラントワームは治療所を始めとする人間が立て篭もる区画から離れて、城門近くまで釣り出しには成功しようとしている。
顎門を広げて摘み食いを始めたタイラントワームの口腔内が露わとなる。無数の返し状の牙によりオークの全身が擦り下ろされる。こぼれ落ちた手足が黄ばんだ唾液と共に降り注いだ。
節操の無いタイラントワームは、新鮮な魔物や打ち捨てられた死体に夢中となっていた。頑丈さと膂力に関しては暴走竜すら上回るだろうが、肝心の脳味噌は虫以下であった。
瓦礫の隙間を縫い、感知外へと逃れたウォルムは城壁を風属性魔法で駆け上がり全体を俯瞰する。このままでは魔力を無駄に消費する。ジリ貧になるのは目に見えていた。
臭いを頼りに獲物を漁っているであろうタイラントワームは城壁に逃れたウォルムを探し出せず、周囲の魔物の摘み食いに励んでいた。
同胞である魔物の殲滅には優秀であったが、その矛先を人間に向けさせる訳にはいかない。
今も醜悪な顎門を5方向に開き、焼け焦げウェルダンとなったオーガに舌鼓を打っている。攻め手を考えるウォルムは巨大な口に釘付けとなる。危険な賭けが浮かんだ。
他にも安全策があるかもしれないが、食材を食べ尽くせば移動を始めてしまう。そうなれば好機を逃してしまう。
「他に手は無いか」
城壁から門塔に移動したウォルムは目的の物を探した。幸いそれはまだ豊富にあった。
ウォルムは手当たり次第に魔物の腹を裂き、頭から浴びていく。
醜悪な臭いが鼻腔に広がり、身体が拒絶すると喉の奥から酸味が込み上げる。腸や見当も付かない臓器が身体にこびり付く。
彩は完璧、濃厚な香りも客品の食欲を強く刺激するであろう。自嘲気味に自画自賛したウォルムは、風属性魔法で臭いを拡散させながら雄叫びを上げる。
「おい、ミミズやろうッ、そんな不味いもの何時まで食べているつもりだ。御馳走が此処にあるぞ!!」
まるで意中の相手を寝取られ、嫉妬の炎に駆られた少女の甲高い嘆きの様にウォルムは叫んだ。
浮気性のタイラントワームは貪っていた魔物から興味を移し、ウォルムへと一直線に開く。
「そうだ、来い!!」
顎門が開き、口内がよく見える。数えるのも億劫な程の牙が所狭しと生え、大量の食べかすが引っかかっていた。
一定の距離を保ちながらウォルムは駆け抜けていく。躓けば口内の肉片の一つとなる。ウォルムは挽肉機やミキサーに掛けられたいと願う被虐主義や破滅願望を持ち合わせてはいない。
「はぁ、はァっ、足が無いのに速いじゃないか」
幸い、道に迷う事も転倒する事もなく目的の場所へと辿り着いた。ウォルムは一目散に門塔の入り口に飛び込む。無数の牙が眼前へと迫っていた。
「っぅ――」
ウォルムを飲み込もうとした牙だが、人間の通行を目的とした入り口には、竜並の巨軀は大き過ぎた。通り抜けは許されず生身とは思えぬ轟音を立て、タイラントワームは門塔に衝突する。
返し状の牙を門塔に食い込ませ、石材ごと捕食しようと試みるが、それはウォルムが待ち望んでいた光景であった。
鼻が曲がる臭気が全身に吐き掛けられる。どれほどの屍肉を漁り、人魔を食い漁ったかは定かでは無い。鼻腔が拒絶するが、待望した好機を前にウォルムは“前進”を敢行させる。
「そんな大口で大丈夫か!? 火傷するぜぇええ゛!!」
残る全てを注ぎ込んだ鬼火は口腔で爆発的に広がり、臓腑を焼き尽くしていく。顎を閉じ蒼炎から逃れようとするが、門塔に牙が喰い込んだ上に、炎で筋肉が焼かれ、癒着を起こし正常に閉じる事は無かった。
「食い逃げなんてさせる筈ないだろうが!!」
激しく身を捩るタイラントワームだったが、鉄さえ融解させる鬼火に体内から焼かれ続け、巨体を小さく震わせる。
動きは緩慢になっていき、とうとうタイラントワームは門塔と鬼火から逃れる事なく力尽きた。
「かっ、た」
度重なる連戦と魔力の枯渇、吐き気を催す倦怠感、視界が歪み平衡感覚すら失ってしまう。耐えきれなくなったウォルムは膝から崩れ落ちた。
内心で勝鬨を上げたウォルムであったが、落下物に眉を顰める。破片だったそれは次第に大きさと数が増していく。
柱に頼らず、練り固められ構造強度を保っていた門塔にとって、タイラントワームの突進と悪足掻きは致命的な損傷を及ぼしていた。
門塔が崩壊を始める。詰めが甘かった。勝負に勝って試合に負けたなどウォルムにとっては冗談ではない。
「こん、な最期なん、て」
唯一の入り口は焼け焦げたタイラントワームの大口で塞がれ。頭上からは人一人を容易に押し潰す大量の瓦礫が降り注ぐ。
惨めに這いつくばり、僅かでも逃れようとする事しか出来ない。自然に言葉が溢れ出す。
「すまな、い」
国か、戦友か、それとも――。
焼け付く瞳で最後に見た物は迫りくる瓦礫。暗転した世界と共にウォルムの意識は喪失した。




