第六十五話
「う、ぁ、おまえら、など、大隊長殿が、戻ったら」
ハイオーガは切り倒した兵士の脇腹を大口で噛みちぎった。呻く事しかできない獲物が瞬間的に仰け反り、喉から水気混じりの声の後に血が溢れ出る。
「う、ぐ、ぎィあぁああ゛!!」
咀嚼した肉を味わい飲み込む。歯応えのある肉質に、溢れ出る血液と魔力、そして悲鳴がハイオーガの食欲と嗜虐心を刺激する。
やはり人間は生きたまま食べるのに限る。ハイオーガは口内で内臓の弾力を楽しみながら肋骨を折り開き、目的の物である心臓を引きちぎると丸呑みにする。
喉の渇きを感じれば、四肢をもぎ取り血を飲み干し、胃が飢えを訴えれば腹を裂いて臓物を食う。ニンゲンの城内でハイオーガは欲望のままに振る舞う。
誤算と言えば、ハイオーガの頂点たる王が蒼炎を纏うニンゲンと相討ちとなった。尊敬する王の死にハイオーガは悲しみと困惑を隠せずにいたが、魔物であるハイオーガは切り替えも早かった。
同格である群れの上位者はニンゲンとの戦いで軒並み戦死。次代の王を決めるともなれば、名乗りを上げる無数の同胞を殺し尽くし、その屍の上に君臨せねばならない。
ハイオーガは何もせずに次世代の王として群れの頂点に君臨できる。同胞だけではない。麾下には低俗な魔物達も付き従う。多種多様となった群れは多大な犠牲を出しつつも、人間を貪り尽くす饗宴に酔いしれている。
好物である臓器だけを抜き取り、ハイオーガは食を進めていた。魔力の多い人間の戦士や魔法使いの内臓、特に心臓は馳走だ。此処で食い漁れば名実ともにロードへの道も見えてくる。
ハイオーガは野心に満ちていた。それに戦士の肉でなくとも女・子供の肉は柔らかく、食っても、犯しても、潰しても楽しめる。人間はまさに蹂躙される為に生まれてきた存在であろう。
粗方食い尽くし、胴部がスカスカとなったソレをハイオーガは投げ捨てる。食べ残しに下賤な小鬼や犬ヅラが涎を飛ばして群がる。
更なる獲物を求め、人間どもが篭る場所へと魔物達は進軍していく。ウルフが逃げ遅れた兵士の全身を噛み千切り、愚鈍なトロールが全身の骨を砕いた小児を丸呑み、ゴブリンが手足を潰した女を嬲る。
百鬼夜行、魔物の饗宴、人間の世界が魔領と化し、ハイオーガは破壊の喜びに身を震わせる。
配下の魔物が人間の脆弱な陣地へと駆け込んでいく。ゴブリンの喉に穴が開き、スケルトンが骨を粉砕され、オークが頭部を切断される。
それも無駄な抵抗だとハイオーガは嘲笑う。犬ヅラのコボルトを蹴り飛ばし、槍の盾代わりにすると、不揃いに繰り出された槍をハイオーガがクレイモアで槍先を斬り飛ばし飛び込む。
ハイオーガが数回もクレイモアを振り回せば、徒党を組んだニンゲンが皆、地面に沈む。息絶え絶えに地に伏せたニンゲンに魔物が覆い被さっていく。顎門に噛み砕かれ、爪で抉り取られ、手足を引きちぎられる。
総崩れを起こしたであろうニンゲンが一斉に逃げ出していく。城内外に魔物が居る。ハイオーガにとっては掘り出される巣穴で震えるホーンラビットと変わりはない。逃げ出す人間を追って魔物達が走り出す。
追い込み一匹ずつ屠殺する。食前には適した程よい運動の筈だった。その時までは――。
風が無いはずの城内に突如風が吹いた。瞬間空気が熱を帯び、吹き荒れる炎風へと変わる。溢れ出た蒼炎が、スケルトンを灰に、グールを浄化させる。小鬼が地面をのたうち回り、ウルフが火に巻かれ、そこら中を走り回る。
ハイオーガは忌まわしき蒼炎を見るのは初めてではない。火の中から現れたのは王を殺したニンゲンであった。それも王の眼、誰をも竦み上がらせる黄金の眼を人間が宿らせていた。
あり得ない。有り得ない。何故生きている。何故その眼を宿している。人ならざる魔眼を蒼炎の中から浮かび上がらせ、大鬼を模した面を被る者は、本当にニンゲンなのか。
何を恐れる。ハイオーガはその感情を否定する。ニンゲン如きに恐れなど有り得てはいけない。生きていたのであれば再び殺すだけであった。
ハイオーガが吠えると配下のコボルトが矢を、槍を、石を投擲。ゴブリンメイジ、レイスが魔法を投射する。
蒼炎は縮まるどころか広がりを見せ、それらの魔物を火の海へと誘った。絶叫を上げ、踊り狂う配下の魔物。それが通った跡は等しく皆頭が屍と化し、地面に首を垂れ二度と立ち上がる事はない。炎帝の如く、王者の歩み。
血気盛んな同族が魔力膜頼りに飛び込んでいくが、蒼炎が巻き付いた剣によりいとも容易く斬り殺された。まるで雑草を刈るかの如く、斬り捨て、焼き殺し、ニンゲンが迫ってくる。
頭上を飛ぶデスコンドル、ヘルバットが気流の乱れと身を焦がす蒼炎により、大空から焼け落ちてくる。
地面が、空が、風景全てが蒼一色に染まっていく。ハイオーガは唸りを上げて飛び込んだ。敗走など有り得ない。ニンゲンは眼を変質させ、同胞の様に縦に細める。
その眼でみるな、みるな。地面を蹴り上げ、渾身の力で叩きつけた大剣は無造作に受け止められた。ハイオーガの胸以下しかない身長のニンゲンにだ。
認められる筈がない。ハイオーガは大剣を擦り付けながら引き戻すと、左右、下段、上段と斬り分けるが人間は微動だにしない。まるで挙動が見透かされていた。本能が逃げろと叫ぶ。それでも大鬼としての矜持が、種族由来の闘争心がハイオーガを戦闘へと突き進ませ続けた。大気を震わせる咆哮を上げ、蒼炎に対抗する。最大の一撃を以て、亡者を葬る。
最上段に構えたハイオーガは違和感に気付く、半身が言うことを聞かない。身体が、ゆっくりズレていく。熱が、熱が全身を炙る。ハイオーガの胴部は袈裟斬りにされ、傷跡から蒼炎が溢れ出た。片腕をバタつかせ、呼吸をしようと口を開くが炎しか吸えない。世界に蒼が広がる。次第にハイオーガの動きは緩慢となり、焼け焦げた死体だけが石畳へと残った。




