第六十三話 失われた光
組織立った防衛を続けていた時でさえ、治療所の寝台から人が途切れる事は無く、炎帝龍がブレスで城壁と天守を破壊後は、今までの忙しさは遊戯であったとアヤネは疲労感に眼を瞑った。
命を選別するトリアージが行われていた。皮肉な結果であったが全体の壊死を避ける為にも、優先順位は戦線復帰が可能な兵士からであり、死傷した市民、小児や女性達が耐え難い苦痛に声を漏らしている。
平時であれば救えた筈の命が両手から溢れていく感覚は、アヤネの心身を磨耗させていく。既に絞り出した魔力は欠乏気味で、目眩や吐き気が断続的に押し寄せる。
「お願いです。どうかこの子を助けて、助けて下さい!!」
「気持ちは分かるが、列に戻れ」
両親であろう父と母が腕の中で苦しむ、我が子をアヤネの下に連れて来ようとするが、ハイセルク兵により、待機列に戻される。
確かに酷い怪我だった。ウルフにより背中を掻き毟られ、腕は噛み砕かれている。それでも止血をすればまだ持つ。優先すべき命は他にもある。そこでアヤネははたと気付く。
毛嫌いしていたハイセルク兵と自身に何の差があるのか、命に優先度を付けて助けられる命も助ける事ができない。
治療所に大柄の冒険者が駆け込んでくる。その背には男が担がれていた。
「どけぇ!! 道を空けろ!!」
「何事だ?」
僅かに遅れハイセルク兵が人並みを掻き分け殺到する。アヤネの世話を焼き、そして監視を行うモーリッツが何事かと兵に問いかける。
「騎士殿が、大隊長が!!」
名前こそ叫ばれなかったが、包囲された古城で騎士を指し示す人物が1人しかいない。血相を変えたモーリッツが大盾を持った冒険者の背中側に回り込み、呻き声を漏らした。
「……寝台に、寝かせるんだ。ゆっくりだ」
モーリッツの息が詰まる重苦しい物言いに、アヤネは心臓の鼓動が早まるのを感じた。
「あぁ゛そんな……ウォルム、さん」
寝かされた男は見知った男であったが、最後にあった時とはあまりに違い過ぎる姿。
治療台に乗せられたウォルムの顔を直視して、アヤネは込み上げる吐き気を押さえるのに必死であった。
初対面では殺意で射抜かれ、時には笑い掛けられ、アヤネに喜怒哀楽を感じさせたウォルムの眼が抉り取られ、暗く深い二つの眼孔が剥き出しとなっていた。
穴は探るのも躊躇するほど深く、脳髄とも血液とも分からぬ液体が混ざり合い溢れ出ている。即死していない方がおかしかった。
「これは、あまりに」
治療魔術師として場数を踏んでいるマイアですら、狼狽を隠せずにいる。
「マイア殿、治せますか?」
「っ……ぅ」
押し殺した声でモーリッツが訊ねるがマイアからは返答はない。正確には沈黙こそが答えだった。控えていた兵士達が叫ぶ。
「俺には、俺達にはウォルム大隊長が必要だ!! 彼が居なければ城が落ちる」
「大隊長は乱戦に巻き込まれた兵と民を気遣って、オーガロードと単身で斬り合ったんだ」
「敵の統率は崩れたが、あいつらは飢えてて、人間を狙ってる。城門も打ち破られかけてる。騎士殿無しでは、もう保たない」
兵士の一人がウォルムと相打ちとなった大鬼の頭部を忌々しいとばかりに手から投げ出した。頭部が地面を転がる。首を刎ねられ息絶えたにも関わらず、大鬼の王は苦悶に満ちた死顔をしていなかった。
不気味さを感じさせる笑みを浮かべ、口を醜悪に曲げている。例外はあるのだろう。それでも魔物と人間は所詮相容れぬ存在だと感じてしまう。
混乱を極める治療所に、周囲の喧騒でかき消えそうな呟きが成された。
「ウォルムさん意識があるんですか!?」
耳を口元に近づけたアヤネは後悔した。聞き取らない方が、無情な現実を知らずに済んだかもしれない。だがそれを聞き取ってしまった。
「ぁア゛、でん、しゃ、電車、の時間、だ。遅刻す゛る、会社、ぁラっー、む、が、消えない、きえ゛、ない。ふみ、きぃり? ぁ、か、がっ、かげ、が来る。や、めろ」
この世界の者にとっては、死に間際の意味を成さない言葉でも転移者たるアヤネにとっては違う。過去にも、教えていない筈の“高校生”という単語を使い、この世界に存在しない筈の“時計”の名を口にする。今までの会話での違和感の正体が結び付いていく。
同郷の、恐らくは日常で使っていたであろう言葉がアヤネに刺さる。どうすれば戦乱とは無縁の一介の市民であった人間がこうも傷付き、死に瀕してまで戦えるのだろうか。
「助け、て、ふ、っう、う゛……」
「血が止まらないんだ。あぁ、誰か止めてくれッ」
「痛いィ゛。痛いよぉぉお」
「俺の腕が、ない。腕がない!!」
今尚、アヤネの背後からは万人が救いを求める声が響く。助かる見込みで言えば万に一つ、今のウォルムは優先度が低かった。低い筈であった。
「う、っ? あ? おお、俺、戦わないと、城が、人が、国が、あ、あ゛何も、見エな、い。さ、むい、くらィ」
震える手は何かを探すように虚空を彷徨う。指は何も掴めぬまま彷徨う。アヤネは両手でしっかりと掴んだ。
「ウォルムさん、大丈夫です。大丈夫ですよ」
「あぁ……」
アヤネが手を掴むと安堵したように譫言が止まり、弱々しく握り返される。
我が儘で酷い人間だとアヤネは自嘲した。優先度と言い訳にしていた言葉をかなぐり捨てて、助かる見込みも、元に戻る見込みも低い、ただ単に助けたい人間を助けようとしている。
出会い方は最悪だったであろう。それでも今の関係はアヤネにとって心地良かった。それが吊り橋効果か、同郷の懐かしみが影響しているかはアヤネ自身も分からない。
「傷は、“私が”塞ぎます。必ず」
アヤネは覚悟を言葉として紡ぐ。
「アヤネ様、例え傷は塞げても、眼が」
マイアが悲しげに言った。窪んだ眼孔にあった筈の眼球は失われている。欠損を癒すアヤネですら複雑な眼球の完全再生は不可能だった。
「眼が有れば治せるのか!?」
「……俺の、俺の片目を使え!!」
「俺も片目が有れば、冥府で迷わない!!」
短い間ながらもウォルムの麾下で戦い抜いた兵士が次々と名乗り上げる。
そんな合理性という狂気に囚われた者たちをマイアは宥め諭す。
「魔力差があり過ぎると、肉体を移植しても腐り落ちるだけなんです。ウォルムさんの魔力に耐えられる眼でなければ、それに適合するかもどうかも」
ウォルムに匹敵する魔力の持ち主は、ハイセルク帝国軍の中でも十指もいないだろう。度重なる損耗を続けた城内には、そんな眼を持つ兵士など存在していない。
条件の厳しさに治療台を取り囲んだ面々は視線を落とす。そんな中モーリッツが転がる頭部に視線を走らせる。
「魔物の、大鬼の王の眼であれば、如何でしょうか?」
「モーリッツ、お前正気か!?」
「大隊長の目玉を抉った元凶だぞ。あり得ない」
兵士がモーリッツに詰め寄り、罵声を浴びせる。その中でマイアとアヤネだけは検討に入っていた。
「マイアさん、前例はあるんですか?」
「邪法として、魔物の眼を移植する言い伝えはあります。ただクレイスト王国では正規の成功例はありません」
「騎士殿に魔物の邪眼を移植するなど」
拒絶の言葉を吐くハイセルク兵にアヤネは向かい合った。
「どの道、適合する眼はこれだけですよね。他にウォルムさんを救う手立てはありますか?」
身勝手だとは思う。それでもアヤネはウォルムを救いたかった。大鬼の王の首を持ち上げた少女の剣幕に兵がたじろぐ。
「私が彼を、ウォルムさんを治します」
鍛え上げられたハイセルク兵の肩までしかないアヤネが持ち合わせるはずのない威圧感を放つ。反対意見はもはや無かった。




