第五十七話
『炎帝龍が出現、繰り返す。炎帝龍が出現、あ゛あ、ブレスが――』
ダンデューグ城から通信が途絶した旧フェリウス方面軍司令部は重い空気に包まれていた。古城へ敵主力を誘引、残る2箇所の侵攻ルートに押し寄せる魔物を軽減させ、順調に魔物の撃滅を図っている矢先であった。
「だ、ダンデューグが、炎帝龍に抜かれました」
「炎帝龍が帝都に向けて直進!! 山も谷も何もかもなぎ払い侵攻しています」
「中隊規模の魔法兵でも、歯が立ちません」
「何故こんな……」
「ダンデューグから抜け出した魔物が我々の後方にまで回り込んでいます」
防衛プランの崩壊。まだジェラルドの手元には2万近い兵が残っているとは言え、迎撃した上で30万を超える魔物、それに炎帝龍まで本国へと迫っている。
龍に対する戦略も装備も兵員もハイセルク帝国軍は有していなかった。それこそ備えられるのは三大国のみであり、人理を破壊する《崩れ行く大巨人》か《大精霊魔法》か《慈悲深き海龍》でなければ龍種は討伐も撃退も叶わない。
亡国が迫っている司令部の将兵の目が、救いを求めジェラルドへ集まる。熟考していたジェラルドがゆっくりと口を開いた。
「ジェイフ騎兵隊を、本国へ帰還させて誘導に当たらせる。奴らの足であれば大暴走を抜け切れる」
「貴重な機動兵力をですか!?」
最前線に立っている時でさえ、軽快な物言いのジェラルドが重々しく声を発する。
「既に、本国防衛など叶わぬ。馬から降ろし、陣地防衛を掲げたところで、本領の半分も発揮できまい。我々が魔物を押さえ込んでいる間に、1人でも多く、国外へ退避させる。三大国の中でも友好的な群島諸国ならば、あの小賢しい炎帝龍も手出しはしないはずだ」
「祖国を、ハイセルクを捨てるのですか」
部下の一人が糾弾する様にジェラルドへと迫った。
「そうだ。愛すべきハイセルクを、帝国を捨てる」
包み隠さず明確にジェラルドは言った。
「我らは既に死兵だ。一体でも多く魔物を誘引、葬り、そして死ぬ」
言葉を失った参謀達にジェラルドは続ける。
「一斉に逃げ出せば、助かる将兵の命もあるだろう。だがここで無秩序に逃げ出せば、それ以上の国民が死ぬ。祖国の家族、親族、恋人、友人、知人、価値観を、風景を共有した者が生き残ればハイセルクの命脈は保たれる。それらを全てを灰塵と化す訳にはいかん」
死刑宣告に等しく、ただの悪あがきである事をジェラルドは自覚している。それでもジェラルドは宣言した。
「滅び逝く祖国へ、最後の忠誠を、帝国の残滓に祝福あらん事を」
今際の際に恨まれようとも、冥府で責め立てられようとも、ジェラルドは自信を持って言える。ジェラルドは国を、市民を、将兵を、心の底から愛していると――
歓声や拍手を以て迎え入れられる事は無かったが、異を唱えられる者は誰も居なかった。ここで捨て石を演じる必要性を誰しも感じ取っていたからだ。
◆
城壁通路は幅30mに渡って消失していた。ウォルムの見立てでは皮肉にも抜けた角度が良く、10mを誇る城壁の下部2mは融解しながらも原形を保っていた。
問題は遠巻きに散っていた魔物が再び城攻めを再開した事であった。
「小隊長クラス居るか!! 分隊長でも良い」
6人程が集まり、ウォルムは1人に30人ほどの兵を与え役割を伝えていく。
数が多い市民には城内から資材、障害物になるあらゆる物をかき集めさせる。皮肉にも天守や城壁通路の一部が崩壊した事により、資材探しには苦労しなかった。
「土属性魔法持ちは土壁を形成させろ。他の魔道兵は城壁通路に上がり、魔物を阻止し続けろ!!」
ウォルムは矢継ぎ早に指示を出して行く。指揮系統の継承問題は、迫る魔物に対しては些事であった。
「射手は矢を惜しむな。ここを抜かれたら、落城するぞ!!」
時間にして10分余り。脆弱な4mの継ぎ接ぎの土壁が出来上がった。これ以上は望めない。何せ眼前まで敵が押し寄せているのだから――
魔道兵による魔法支援が始まった。氷槍、土弾、風刃、火球など雑多な魔法が先頭集団を迎え撃つ。その中にはウォルムが先日、歓迎した冒険者も含まれていた。
優れた弓手であるエイミーが矢を射る数だけ、魔物が仰け反り、倒れていく。大盾使いのフレックが《鉄壁》で強化した大盾で先行していたウェアウルフの上半身を殴り飛ばす。
かつてウォルムと斬り合ったアルが風属性魔法を纏った剣で、迫る魔物を撫で斬りにしていく。
シルバーウルフに飛び掛かられ窮地に陥ったハイセルク兵が喉笛を食い千切られまいと腕で牙を防ぐ。
ウォルムが駆けつけようとする前に、青髪の冒険者アルがシルバーウルフの頭部だけを器用に斬り落とし、救い出した。
「二度とも殺さないで正解だった」
ウォルムが称賛すると、アルは顔を歪めて言った。
「それは有難い言葉だ」
それ以上の言葉は要らず、ウォルムは再び魔物へと集中した。
配置に着いた射手が一斉射撃を行わずに手当たり次第に矢を射る。投石が魔物の頭部を打ち砕く。
それでも魔物が急造の城壁に本格的に張り付き始めた。城壁を駆け上がろうとする魔物に兵士達は長槍を手当たり次第に突いていく。
ウォルムも這い上がってくるオークの喉を斧槍で掻き切り、真横にいたコボルトの側頭部に刃を突き立てる。
兵士の一人が足を掴まれ、魔物の中に引き摺り込まれると、ミキサーに掛けられた食材の如く、断末魔を伴い鮮血が飛び散る。
別の兵士は、ウルフが胸元に飛び掛かり、喉仏を食い千切られた。
ウォルムは下段から斧槍を振り上げ、貪り付くウルフに叩き込んだ。臓腑を巻き上げながら、空を舞ったウルフは魔物の中に消えていく。
奪い取ったであろう盾と剣を構えながら、城壁へと躍り出てきたのはリザードマンだった。爬虫類を思わせる目に、長い舌でウォルムを威嚇している。
今のウォルムはトカゲなど見たくなかった。魔力を流し、発動させた《強撃》により、右肩から腰まで防具ごと斬り裂く。
「消えろ、トカゲ野郎!!」
八つ当たりなのは自覚している。なおも息を続けるリザードマンの上半身を斧槍の刃に引っ掛けてゴブリンに叩きつける。
下半身を蹴り落とし、周囲の魔物を押し除けて迫る巨軀にウォルムは眼を向ける。
分厚い毛皮、脂肪と筋肉に覆われたホーングリズリーであった。知能は低いが、まともに組み合うと思わぬ損害を受ける。
「火槍」
左手で火の槍を体現させたウォルムは熊に目掛けて投げ付けた。胸に火槍が直撃したホーングリズリーは炎が広がり周囲の魔物を巻き込みながらのたうち回り、絶命した。
鬼火習得前は赤色だった火属性魔法は、鬼火習得後、蒼色へと変わり威力も跳ね上がっていた。
難敵と判断されたのか、ウォルムの眼前に一線を画す魔物が降り立った。ツーハンドソードをウォルムに向け構える。容易に踏み込めない間合いを取る相手は、首無し騎士であった。
斧槍を構えて睨み合うウォルムであったが、威嚇音を交えながらオークが飛びかかってくる。
奇襲の体を成していないと、迎え撃つウォルムであったが、横槍を入れようとしたオークの胴部が一文字に斬り落とされた。
それはデュラハンによる《強撃》であった。
「死して尚一騎討ちに拘るか!!」
ウォルムの想像に過ぎないが、人として斬り合いを望んでいるであろう亡霊の騎士にウォルムは腰の剣を抜いた。
鬼の面が無邪気に震える。蒼炎が刀身を包むと刻まれた言葉が浮かび上がる。
Si Vis Pacem,paraBellum
ツーハンドソードとミスリル合金の剣がぶつかり合う。《強撃》同士の衝突に、凄まじい衝突音が戦場にこだまする。
鍔迫り合いに勝利したウォルムは左腕目掛けて、水平に剣を繰り出すが、半身を引き、ツーハンドソードで受け切られる。
剣の角度を変え、滑らせる形で指を狙うが、鍔の根元で剣先をはじき返される。
頭部という明確な弱点が無い相手との対峙は、想像よりも遥かに厄介と言わざるを得ない。
熟練の剣技と堅牢な鎧も拍車を掛けている上に、死んでいる為、細かい傷では動きも鈍らず、関節部を狙う攻撃も浅い為、有効打とならなかった。
デュラハンの思惑が何にせよ、長引かせる訳にはいかなかった。
突き入れられた剣先が弾き戻るのに合わせて、風属性魔法で間合いを詰め、ウォルムはデュラハンの間合いに飛び込む。
上段から斬りかかったウォルムの一撃は、剣の腹で受け止められたが、離れ際に手首から先を斬り落とす。
残る右手でツーハンドソードを巧みに操るデュラハンであったが、ウォルムは膂力と魔力で正面から叩き斬った。
肩から腰まで斜めに切断され、斬り口からは蒼炎が溢れ出る。デュラハンは暴れる事なく立ち尽くす。不意に糸の切れた人形の様に城壁へと倒れ込んだ。
「今度こそ逝け」
願わくは送り火で冥府へ辿り着く事を祈りながら、邪魔なデュラハンの死体を城壁の下に落とす。引きつけるのには十分か。ウォルムは全身に魔力を流し、《鬼火》を発動させた。
押し寄せていた魔物は我先にと城壁から離れていくが、進もうとする魔物との間で押し合いになり、蒼炎が広がっていく。
「騎士殿が《鬼火》で魔物を抑えている間に立て直せ!!」
意図を汲んだ小隊長が配下の兵に叫ぶ。一度動き出せばハイセルク兵の動きは良い。ウォルムは鬼火の維持だけに集中すれば良かった。




