第四十八話
魔物の封じ込めに備え、ウォルムは護衛対象であるアヤネ、マイアと共に荷馬車でマイヤード国境線の古城まで後退を命じられていた。
大暴走が生じたとは言え、防御線形成までには猶予があると判断していたウォルムであったが、間違いであった事を悟った。
魔物の本流が到達していないにも関わらず、街道には死が溢れていた。避難民であろうマイヤード人の遺体が路肩に点在、その中には先行する歩兵部隊によって排除された魔物の死体も連なっている。
「遺体、それに魔物がこんなに」
荷馬車の荷台から覗いていたマイアが僅かに声を震わせて言った。
「ウォルムさん、一体何が、起きてるんですか……?」
アヤネが答えを求めて詰め寄ってくる。話すべきか悩んだ。彼女は護衛対象ではあるが捕虜でもある。余計な情報を与えるのは得策ではない。
ただ護衛任務の性質上、脅威対象を伝えた方がやり易い。彼女の切実な視線に屈した訳ではない。ウォルムはそう自分に言い聞かせる。
「四カ国同盟が魔領を焼いたらしい。ハイセルク帝国はサラエボ要塞を放棄、魔物の阻止のために旧カノアに戦力を集結させている」
アヤネは目を見開き、何か発しようと口を僅かに動かした。
「こ、この惨劇を、四カ国同盟が、クレイストが起こしたと言うんですか」
信じられないとアヤネが全身を脱力させた。暗殺者に狙われてから少女は疑心暗鬼に陥り、憔悴気味であった。
身体が摩耗しようが休息を取れば元に戻る。だが心がそうはいかないのをウォルムはよく知っている。身を以て味わってきた。
口をつぐんでいたマイアが少女の肩に手を置く。荒ごとに耐性のある彼女は、有り得ない話ではないと事態を飲み込んでいた。
ウォルムが掛ける言葉を探していると護衛の騎馬が叫んだ。
「魔物だ!! ゴブリンライダーだ」
「先行していた小隊がいた筈だ。欺かれたのか」
ウォルムは瞬間的に幌をまくり、荷台の縁に足を掛ける。
「モーリッツ、頼むぞ」
「お任せを」
荷馬車から飛び出ると、騎兵の視線の先を目で追う。シルバーウルフに跨った二十騎程のゴブリンが迫ってきていた。
魔物を使役する魔物、ゴブリンの中でもライダーと呼ばれる騎乗を得意とする魔物だった。通常個体よりも筋肉が発達しており、知能も高い変異種。
事実、原始的ながら蔦を編み込みハーネスと鎧を作り上げウルフに取り付けている。高さのある馬と異なり、ウルフに乗ったゴブリンは姿勢が低く、地を飛ぶ様に迫ってくる。
「速いな」
ウォルムは素直に言葉を漏らす。友軍の騎兵は護衛対象である荷馬車を円状に囲い陣形を張っている。
防衛向きの陣形であったが数では劣勢は免れず、取りこぼしが生じる恐れがあった。
ウォルムは魔力を流し《鬼火》を発現させると街道を焼き払った。踏み固められた道に一瞬で蒼炎が踊り灼熱の大地と化す。
先頭の10騎余りが蒼炎に絡め取られ、絶叫を奏でながら焼け落ちていく。それでも残る後続が二手に分かれて、ウォルム目掛けて突撃してくる。小鬼にしては見事な対応であった。
「4体、抜けるぞ!!」
ウォルムを迂回した四体のゴブリンライダーを視界の端で見送りながら警告する。そうして眼前に迫る小集団に意識を戻す。
ウォルムに対して6体のゴブリンライダーが距離を詰めてくる。
魔力を練り込んだウォルムは第2射を放つが、3体のゴブリンとシルバーウルフを焼くだけに終わる。
蒼炎の薄い場所、護衛の馬車と射線がかぶる形で飛びかかってくる。下段から掬い上げた斧槍はシルバーウルフの胸から上、ゴブリンの下顎を一度に斬り上げる。
ウルフとゴブリンの死体が混ざり合いながら転がる。既にウォルムの注意は残る2騎に向けられていた。
2体目のゴブリンライダーの進行方向に合わせ、炎壁を形成する。系統こそ違えどカウンターの要領は剣と同じであった。
炎壁に飛び込んだゴブリンライダーは纏わり付く鬼火に身を焼かれ、踊り狂う。シルバーウルフも四肢で虚空を蹴り上げ、絶命しようとしていた。
残るは1体、間合いに飛び込む事に成功するゴブリンライダーだが、腰で構えられた斧槍の先端に喉から串刺しにされシルバーウルフが絶命する。
騎乗手たるゴブリンは虚空に飛び出すと、刃こぼれしたロングソードをウォルムへと叩き込もうとする。ウォルムは手首を返して石突きで受け流す。
ロングソードはあらぬ方向に軌道を曲げられ、着地を試みるゴブリンが二撃目を繰り出す前に、石突きで側頭部を強打する。
身体が捻じ曲がりながら地面に倒れ落ちたゴブリンだが、それでも起き上がろうとする。ウォルムは斧槍を持ち上げ叩き下ろした。
「ぐ、ギィッ」
頭蓋が砕け、中身が飛び散る。ウォルムは周囲を注意深く観察する。後詰は居なかった。
ウォルムから荷馬車に目標を切り替えたゴブリンライダーも護衛の短槍や戦鎚により、シルバーウルフごと血溜まりの中に沈んでいた。
「ゴブリンですらこの戦意と練度か」
魔物の中でも最下層で臆病な筈のゴブリンが凶暴化して全滅するまで襲いかかってくる様を見せつけられ、ウォルムは驚きを隠せない。
「馬の騎乗を習っとくんだったな」
ウォルムは歩兵としての技能は、一通り身に付けていたが、騎馬に関しては素人の域を出ない。そもそも馬すら足りない状況だ。馬も無ければ乗れもしない。無意味な願望を垂れ流すのを止め、現実に向き合う。
荷馬車内からでは外の状況が把握しにくい。かと言って外に出れば内部に監視の目が届き難い。御者を除けば、荷馬車内のハイセルク兵はウォルムとモーリッツしかいない。
「守護長、お見事です。それが名高い鬼火ですか」
思考を回す中で、護衛の一騎がウォルムの下へ駆け寄ってきた。
「ありがとう、名高いかは分からないが、鬼火と呼ばれてる。ところで避難民を襲っていた連中はこいつらか?」
「一部はそうですが、奴らとは思えない手口の死体も」
「と言うと?」
「胴部が大口で抉られた痕跡がありました。明らかに噛みちぎられています」
「種類は分かるか」
「いえ、不明です。ただ足跡と噛み跡から推測するにかなり馬鹿でかいサイズ、B級以上の魔物なのは間違い無いかと」
脚の速い魔物の中に大物が混じっている。ゴブリンとは異なり種類が特定出来ない高位の魔物に奇襲を受ければ、荷馬車に致命的な被害を受けかねない。
「良い情報だ」
「いえ、お役に立てて光栄です」
大型の魔物の情報を得て、ウォルムは行動を決定した。
「俺も屋根で見張る。苦労を掛けるが捕虜にも気を向けてくれ」
「任せて下さい」
騎兵はゴツリと鎧を叩き、ウォルムに固い意志を示す。ウォルムは荷馬車へと踵を返す。
「モーリッツ」
「おお、ウォルム殿、ご無事でしたな」
「屋根に出る。この先に大物が居る恐れがある」
「なるほど、中はお任せを」
「頼んだぞ」
モーリッツは先読みで会話をする地頭の良さを持っている。非常時でも柔軟に対応するだろう。
部下から荷台の“積荷”の様子を窺う。少女と一瞬視線が交差する。不安と恐怖で蒼白となり眼が揺れ動いていた。
抱き締め『もう大丈夫だ』と語り掛けるなど正義感に溢れる人間か、恋仲や幼馴染みのやる事だ。ウォルムには当て嵌まらない上に不相応であった。出来ることは事実を淡々と述べるだけだ。
「心配要らない。排除した」
騙し討ちをした事もあって嘘はつかない様にしてきた。アヤネの怯えた眼が僅かに落ち着く。返答を待たず、ウォルムは屋根によじ登った。




