第三十八話
床に乱雑に転がった兵士からは様々な呻き声や怨嗟の声が漏れる。ウォルムは驚きを隠せなかった。
「ああ゛ぁあ、鬼火だ」
「うぅ、足が足が」
「う、うっああ゛ああ」
あの短い間に氷壁を展開させた栗毛の少女マコトもそうだが、身を挺して治療魔術師を庇った女騎士ヨハナ、そして不完全ながらも《聖撃》を繰り出し、鬼火の被害を最小限に食い止めた黒髪の少年ユウト。
ウォルムが想定していたよりも死者の桁が少ない。殆どの者が生焼けだ。
「大人しく死んでいればいいものを」
ウォルムを睨み付けながら女騎士ヨハナは覚束ない足で立ち上がった。
ウォルムが注意すべき三英傑のユウトは《聖撃》と《鬼火》がぶつかり合い両手が有らぬ方向に折れ、血反吐を吐きながら掠れた呼吸音を立てている。栗毛の少女は腹部に氷塊が突き刺さり、虫の息であった。
「あや゛ねぇ、ま、こと」
十代後半の少年が息も絶え絶えに仲間の名を呼ぶ。残るアヤネと呼ばれた三英傑はピクリとも動かなかった。
「武器を捨てろ。楽に殺してやる」
「ふ、巫山戯るなぁ!!」
「そうかよ」
予期した回答にウォルムは上段からロングソードを叩き込む。魔力切れとは言え、傷は全快、体力も戻っている。対して女騎士は前回の戦闘の消耗に加え《鬼火》により魔力膜を根こそぎ失い、熱傷と爆発による破片で傷付いている。
一撃は剣の腹で受け止められたが、身体の勢いを止めずに肩から衝突する。本来であれば受け流すか耐え切ったであろう姿勢は大きく後ろに崩れた。
喉へとフェイントを入れたウォルムは寸前で剣筋を変え足元を斬りつける。
肉を裂く僅かな手応えを感じ、ロングソードを巻き付けるように引き戻して、水平に叩きつける。
「ぐっううぅッ!!」
女騎士の剣は剣圧に負け浮き上がった。ウォルムは速度を優先し、そのまま片手でロングソードを突き入れる。肩の根本の鎧の継ぎ目から、剣先が入り込んだ。
左肩ごとくり抜くつもりであったが、鎧の堅牢さで深傷を負わせるだけに終わる。
「うっ、っ、あぁ」
間合いを取ろうとする女騎士だが、片手ではウォルムの剣圧を捌き切れない。頬には大きく傷が刻まれ、鍔迫り合いから腹部を鎧越しに蹴り入れられ、酸素が吐き出される。
地面を転がり、起き上がろうとする女騎士を蹴り飛ばし背中を膝で踏みつけ、再び地面へと押しつける。
「き゛ざまぁ」
「さようなら」
首を刎ねようとしたウォルムであったが、背後から迫る足音に反転をした。
「新手かっぁ」
瞬間的に剣を交える。大型の男の鎧は返り血とも自身の血とも分からぬ程、鮮血に染まっていた。
「次から次へとうざったい騎士団だな!!」
「グラン、団長っ」
女騎士とベースは同じデザインであったが、リハーゼン騎士団の紋章が大きく刻まれている。剣を交差させる手応えで分かる。剣圧も剣速も一級品、間違いなくリハーゼン騎士団団長グランであった。
「ヨハナ、抱えて逃げろォ!! もうここは陥落する」
進退窮まったかと覚悟していたウォルムであったが、笑みを浮かべる。敵前で戦況を漏らすほど敵は窮地に陥っている。
剣を交差させながらウォルムは脇目で女騎士を捉える。近場の三英傑のユウトとマコトを抱え上げていた。凄まじい膂力であるが、足の鈍った格好の獲物だ。
「やらせると思うか!!」
飛び出ようとしたウォルムだったが、ヨハナへのルートを身体で塞がれ、逆に首筋に刃が掠る。片手間で相手に出来るほど甘い相手では無かった。
「しつけぇぞ!!」
剣が擦れ、金属が甲高い音を奏でる。体と体がぶつかり合い、ウォルムは至近距離で鍔迫り合いになった。
刃を滑らせ、指を狙うが剣の鍔で受け止められる。小技を含め、剣の腕はウォルムよりも上であった。
全快した身体に真新しい傷が増えていく。それでもこれまでと異なり時間はウォルムの味方をした。
「攻め落とせ!! 敵はもはや寡兵だ。立ち直らせる時間を与えるな!!」
治療所の外ではハイセルク兵と思しき声が響いた。
「我らの負けだ。次はその首を落とす」
「吠えてろ。負け犬、尻尾が垂れてるぞ」
それまでの斬り合いが嘘のようにグランはウォルムから身を翻した。
「おーい、いいのか。忘れ“者”だぞ」
ウォルムは地面に横たわるアヤネと呼ばれた少女を足で動かす。少女は苦しげな声を上げてうつ伏せから仰向けに転がった。
「待って゛くれ!! ヨハナさァ゛ん、アヤネが、アヤネがまだいるんだぁああ゛ああ」
重傷を負ったにも関わらず、背負われたユウトが陸地に上がった魚のように暴れ回る。逃げ足が遅れるか、反転を期待したが、ヨハナに強制的に黙らされる。
「はは、血反吐を吐いてる人間を殴るか、しかし可哀想に、お前ら見捨てられたぞ」
残されたのはウォルムに加え、動けない負傷者と三英傑のアヤネであった。
眼下に倒れ込んだアヤネにウォルムは視線を走らせる。胸は動き、息をしていた。
間も無くして治療所に見慣れた装備の兵が雪崩れ込んでくる。フェリウス兵の格好をしたウォルムに注意深く槍を向けるが、一歩も踏み込んで来ない。
「待て!! リグリア大隊、デュエイ分隊のウォルムだ。敵中を撹乱する為にフェリウス兵の装備を奪った。疑いが晴れるまで槍を下ろせとは言わないが、友軍に殺されたくは無い」
往生際の悪い兵の戯言と片付けられるか、そう身構えるウォルムであったが、兵士達は顔を見合わせ、治療所外へと呼び掛けた。
「小隊長!! 鬼火のウォルムが生きています!!」
慌てて駆け寄ってきたのは、ウォルムより遥かに階級の高い小隊長だった。
頷くとウォルムに向けていた槍を下ろした。
「ジェラルド閣下より、突入部隊に向けて演説があった。『曲輪を奪還し、孤軍奮闘する冥府への送り火の働きに報いるのだ』と。我が小隊が一番とは誉高い」
小隊長は笑みを浮かべ、手を差し伸ばし、ウォルムはそれに応えた。
「ありがとうございます」
「第六曲輪は陥落、前線に張り付いていた兵を挟撃しつつある。予断は許さない状況だが、このままいけば大勝間違い無し、後は俺たちが働く番だ」
「ああ、それは良かった……それと捕虜だがここに居る者は、貴重な治療魔術師、それも名高い三英傑の1人」
ウォルムの意図を察した小隊長は満面の笑みを浮かべる。ハイセルク帝国軍は人的資源の確保が大好きだ。それが部位欠損すら癒す使い手ともなれば、酷使されるのは間違い無かった。
「それは、閣下がお喜びになるな!! ヤークイ分隊はここに残れ、ウォルムと三英傑を警護する。残りは私と曲輪内の残敵排除の続きだ。一兵たりとも逃すな!!」
小隊長はウォルムと一個分隊を残して治療所を後にした。
緊張の糸が抜け、ウォルムは座り込む。
「大丈夫か、水は要るか?」
兵士の1人がウォルムへと水筒を差し出した。キャップを開き、口内へと水を流し込む。胃に流れる水を感じ取りながらウォルムは息を漏らした。
「煙草はやるか?」
兵士は続いて懐から葉巻煙草を取り出した。
「ああ、吸いたい」
煙草を受け取り、口に咥えたウォルムであったが、魔力が底を尽き、火が出なかった。
「魔力切れか。名高い鬼火を見たかったが、俺の火で我慢してくれ」
男はそういうと魔力を流し、火を具現させた。
「助かるよ。魔力が戻ったら幾らでも披露する」
火が灯った煙草から煙が流れ出る。煙はゆっくりと肺を満たす。吐き出した紫煙が吐き出されると虚空に拡散していく。
疲労感が一挙に押し寄せると、前触れもなくウォルムの意識は途絶えた。
 




