第三十五話
遭遇した敵兵の小集団を排除したウォルムは一直線で第六曲輪へと足を向けていた。風属性魔法の後押しを受けながら斜面を登り、城壁を飛び越えて擦れ違いざまに敵兵を殺傷する。満身創痍の体は驚くほど軽やかだった。全身の痛みが一定値を超えたことによる麻痺か、折れた指や肋骨すらも今のウォルムにとっては、気に留まることもない些事であった。
武者走りの兵が周囲の兵に警告を促し、暗闇へと消えるウォルムに弓を射るが、矢は見当はずれの場所へと突き刺さる。幾ら曲輪というには出鱈目に広い第六曲輪と言えど、兵を展開させる場所には限りがあり、どこに兵が密集しているかは、資材や第六曲輪から過剰に排出される土砂の運搬により、ウォルムは熟知していた。
全ての兵を相手取る必要はない。城壁近くの兵員の詰め所を爆砕したことにより、人の目は分散していた。運悪くウォルムの進路上に立ちふさがったクレイスト兵の上半身と下半身を泣き別れにさせたウォルムは、遂に目標を見つけた。
野営地には兵員が多数密集していた。張られた天幕では物資や将官が体を休めており、雑兵は地面にマントを引きその上に寝ている。焚火の一部は未だに灯り、酒をあおっていたであろう兵士までウォルムは確認した。気の回る下士官や古参兵は騒動にいち早く反応をして、装備を慌てて身に着けていたが、半数以上の兵は防具を外したままであり、ウォルムが望んでいた光景があった。
「なんだ、なんの騒ぎだ?」
「アンデッド、いや、敵の破壊工作か」
「起きろ、戦闘準備だ!!」
戦闘中であれば大半の兵は素早く反応できていたであろう、連日の激戦により摩耗した心身に加え、曲輪内という本来、安全であるはずの寝床は兵の動きを鈍くしていた。野営地に踏み込んだウォルムは全身に魔力を溢れさせる。深夜の冷えた外気は瞬く間に熱気を持ち、耐えがたい温度に変貌を遂げていく。
「そいつを止めろォおお!!」
クレイスト兵士の悲痛な叫びが響くが、それを上書きすべくウォルムは慟哭した。剣や槍、短刀だけを手にした兵がスローモーションでウォルムへと迫るが、その姿は一瞬にして掻き消えた。
「ああああ゛ァアア!!」
膨れ上がった蒼炎は一帯を焼きながら熱風に乗り、周囲に拡散していく。火に飲まれた将官が天幕ごとのた打ち回り、蒼炎を吸い込んだ兵は気管と肺を焼かれ、地上で溺れる。自分が何をしているのかウォルムも重々承知している。それでも止められなかった。抑え込んでいた感情が、水門が決壊する様に溢れ出る。
天幕の一つから全裸の男女が火に飲まれて飛び出てくる。まぐわいの最中だったのだろう。攻勢前の高ぶりによるものか、気の緩みだとはウォルムは思わない。明日の命も保証は無く、人並みに欲が有れば将兵関わらずそういう行為に走るものだった。
ただ、間が悪かった。戦場は何時でも理不尽だ。気が付けば周りが死に、次は自身の番だ。ウォルムもそれを味わってしまった。
「襲撃だ、襲撃だああああぁああ」
「普通の火じゃねぇ、冥府への送り火だ」
鬼火を吐き出し続けながら野営地を焼き続ける。戦うべき敵を捉える事無くクレイスト兵は息絶え、火の手の無い場所へと逃れようとする。培った戦闘技術も、頼るべき武装も、あるべきはずの指揮系統も、そこには無く、原初の恐怖である火に皆等しく恐怖していた。
「畜生、消えねぇ、纏わりつくぞ、馬鹿、俺を掴むな、止めろ!!」
「地面に転がるなぁ、火が纏わり付く、走れ、距離を取れ!!」
戦友の消火を試みるもの、部下を逃がそうとするもの、普段のウォルムならば手を緩めてしまいかねない光景でも鬼火を放ち続ける。心に決めた目標の一つを燃やしたに過ぎないのだから――
◆
ユウトは明日の魔法による支援を担うために、天幕に設けられた寝床で眠りと覚醒の狭間を彷徨っていた。ここ一週間で膨大な人間をその《スキル》で葬ってきたユウトは精神に大きな負担が掛かっていた。
日中はどうにか上手くやっているつもりはあった。それでも夜になり、一人になると嫌でも戦場での光景が止まらなくなる。目蓋に焼き付いている。
吹き飛ぶ手足、悲鳴と共に上がる血飛沫、自身に向けられる濃密な殺意と憎悪。個人に向け、手足の末端すら残らない魔法をぶつけた際には、仮面越しだが、確かに目があった。黒い目がユウトを決して忘れないとばかりに。あれは間違った判断だとはユウトは思わない。彼を殺さなければ多数の戦友や世話になっているリハーゼン騎士団にも被害が出る。
「しっかりしろ。男がそんなんでどうする」
自身の居場所と仲間の為に、ユウトは逃げる訳にはいかなかった。何度目か分からない寝返りをうち、薄い寝具を頭から被る。ようやく意識が薄れ掛けた時、ユウトの耳が騒動を捉えた。
「アンデッドが抜け出してきたのか」
人の遺体がアンデッド化する事がある。ユウトは優れた光属性持ちであり、アンデッドの討伐に何度も従事した。奴らは人間同様個体差の激しい魔物であり、素体となった生前の身体により大きくその力を変動させる。ユウトが曲輪の突破口をねじ開けた後のハイセルク帝国軍の兵士の抵抗は凄まじかった。
『三英傑を殺せっぇええ゛ええ』腹わたをぶちまけ、手足を落とされながらも迫る敵兵にユウトは心底肝を冷やされた。一週間が経つ今でもそれは耳に残っている。
更にその兵がアンデッド化したと聞いた時は、人の意思の恐ろしさをユウトは思い知らされた。ユウトは寝台から起き上がり座り込む。手こずる様なら手伝う事もあるかもしれない。事前の声掛けも無く、その時、天幕の入り口が勢い良く開け放たれた。
「ユウトッ!!」
飛び込んできたのはマコトであった。戦闘時でも自身のペースを崩さない筈の幼馴染みが、恐慌に陥ったとしか表現のできない異様な姿を見せる。ユウトは息を呑んだ。
「どうした。何が起きた?」
「野営地と指揮場のある区画が襲われてる!!」
「アヤネは、ヨハナさんは無事なのか!?」
真っ先に脳裏に浮かんだのはもう一人の幼馴染み、そしてユウトを育ててくれた女騎士だった。
「分からない。第三曲輪から第六曲輪の広範囲に掛けて燃えてて、情報が錯綜してる」
それだけ敵の侵入を許したのかと、ユウトは信じられなかった。同時に燃えるという言葉に、嫌な予感を感じたユウトは入り口を開け放つ。まるで曲輪が燃えている様だった。人の焼ける鼻に付く臭いと痛みによる絶叫が響く。何よりその炎は空のような青だった。
「まさか鬼火使い」
「信じたくないけど、この蒼炎、冥府への送り火に間違いないかな」
ユウトはその正体を口にする。間違いなく自身が殺した相手だ。触れる物に纏わり付き焼く蒼色。見間違えるはずが無かった。同時に何故と浮かぶ。殺した相手、第三曲輪の炎上と言葉が繋がり、ユウトは理解した。奴は一週間掛けてアンデッド化して蘇ったのだと――
「マコト、行こう。アヤネとヨハナさんたちが危ない」
最低限の装備を身にしてユウトは飛び出した。
 




