第三十四話
四カ国同盟とハイセルク帝国との戦争は佳境に入ろうとしていた。四カ国同盟は1万以上の死傷者を出しながらも、ハイセルク帝国軍の二個大隊を壊滅させ、曲輪群は城門前の馬出しを除き陥落していた。
明日は城門への総攻撃という事もあり、奪取した出城には大量の物資や兵が集結している。大攻勢を前に過半以上の兵は就寝に就いており、例外といえば遅くまで続く軍議に参加する各国の指揮官や歩哨に立つ兵士ぐらいのものであった。
フェリウス兵であるジャクソンは、不幸な事に夜間の見張り役を命じられた。ハイセルク帝国軍は城壁まで後退したとは言え、ジャクソンの心が安らぐ事はなかった。夜の帳に乗じて、敵の間者や斥候が陣地に入り込む恐れがある。それに両軍合わせて死者の数は1万5000名を超えたとジャクソンは耳にしていた。
その中でもハイセルク帝国軍が第三曲輪と呼称する防御陣地での戦いは、激しい白兵戦によりサラエボ要塞攻略戦でも最大の被害が両軍にもたらされた。クレイスト王国の異界の三英傑のうち二角と多数の魔導兵によりこじ開けられた曲輪には幾つもの大穴が開き、そこには5000名を超える兵士が乱雑に埋葬されている。
従軍僧侶や聖水の散布にも関わらず、これまでアンデッド化した死体が続出、本日だけでも10件の死体のアンデッド化の報告があった。ジャクソン自身も両眼がくり抜かれたハイセルク兵のアンデッド一体を討伐していた。アンデッド化しても、手足や両眼を潰せば脅威度は落ちると一部の馬鹿共が実践した所為で、悪霊による祟りか、アンデッドの発生率が激増する始末であった。
ハイセルク帝国にはジャクソンも嫌悪感を募らせていたが、無抵抗の捕虜まで殺し犯し死体を損壊させるまで、ジャクソンは狂気には落ちていないつもりだ。そんな思想を掲げるジャクソンであったが、皮肉な事に彼が警護をしているのは、巨大な墓所たる第三曲輪とサラエボ曲輪群の中でもとりわけ出城の規模が膨れ上がっている第六曲輪の中間地点であった。
ここは最もアンデッドが確認されている地点であり、ジャクソンを含めて40人の兵が駆り出されて巡回を続けている。手に持つ魔石のランプや松明、そして月明かりがジャクソンの視界を保つ光であった。そんなジャクソンが受け持つ場所から3つ隣の歩哨が声を上げた。
内容はジャクソンには分からない。それでも墓地と化した曲輪で楽しげに会話する友軍の兵士は、頭の一部が狂っている様にしか感じなかった。遠目からだが、誰何された人間は答える事はない。装備から言えばハイセルク帝国兵に違いなかった。ジャクソンは視線を左右に向けながら、友兵へと足を向ける。
またアンデッドが湧いたのか。ジャクソンはうんざりしていたが、仕事は仕事、放置すれば被害をもたらす。近付くにつれて違和感が膨らんでいく。殺された捕虜は装備品を押収して、目や手足を潰した筈だった。どれにも当てはまらないソレがそこに佇んでいる。ジャクソンが盾を持つ手に魔石のランプを持たせ、腰のロングソードに手に掛ける。
「ひぃっ――嘘だ。死んだはずだ」
舐め切っていた態度が、取り乱した声へと変質した。隣接した兵士が偶然マジックユーザーであり、使用していた《トーチ》によりその姿が浮かび上がった。
全身は血肉で染まり、左指は全てねじ曲がっている。そこまではその辺の死体と変わらない。ただ、無表情で手にした仮面を顔に装着した事により、ジャクソンは全身の震えが止まらなくなった。リハーゼン騎士団による第三曲輪攻略時に戦死した筈のソレは、喧伝通りの赤い鬼の面を付けていた。
「お、鬼火使い《冥府への送り火》かッ!?」
ジャクソンは反射的に叫んだ。生きたまま集団を焼き殺す恐るべき《スキル》を持つ、経歴不明のハイセルク兵。重傷を負った負傷兵が繰り返し、その特徴を口遊んでいたのをジャクソンはよく覚えている。その記憶が戦闘準備を済ませていたジャクソンの足を鈍らせた。
先行していた兵が武器を向けた瞬間、熱風がジャクソンの目と唇を一瞬で乾燥させた。火を吸い込んだ口内が焼きただれる。それでもジャクソンは幸運であった。距離と他の兵士の背中が影となり、ジャクソンは致命傷を避けたのだ。むせ上がるような熱と夜に輝く蒼炎の太陽が瞬時に形成され、兵士が火に包まれた。ジャクソンにはもはや叫ぶ事も出来なかった。腰が抜けたジャクソンは這いずりながら距離を取る。
チクショウ、畜生ッ、大人しく安眠させていれば良かったんだ。死体を弄ぶからこうなる。ジャクソンは見知らぬ戦友に罵倒の限りを放つ。眼前の運の悪い兵士達のように自身も数秒後には火達磨で躍り狂うことになる。そう覚悟を固めたジャクソンだが、死の想像は想像のままに終わった。
《鬼火》は熱風を伴い、信じられない速度で曲輪の影へと消えていく。ジャクソンは理解した。自身が許された訳ではない。アイツは人が少しでも多い場所に行く。行き先は間違いなく第六曲輪であり、無防備に就寝する将兵が襲われる。そう分かっていてもジャクソンの両足は呪いに掛かったかのように酷く重く、周囲への警告を出せずにいた。




