第三十二話
ウォルムは籠を背負い、手頃な棒を手にして、森の中を歩き回っていた。それもこれも豊かな食生活を維持する為だった。
畑だけでは一家の胃袋を完全に満たすのは難しい。両親が畑仕事に精を出している間、ウォルムは山の中で山菜集めに精を出していた。
12歳のウォルムだけではない。2歳歳上の兄も一緒であった。斜面を探りながら登り、落ち葉を掻き分け、籠の中を満たしていく。
子供の身体には重労働であったが、不思議と重労働には感じなかった。
兄はウォルムを誘う様に森を走り出した。ウォルムは僅かに躊躇したが、歳相応の振る舞いも時には見せる必要がある。
走る内にウォルムは夢中となって兄の背中を追い掛けた。足の鈍った兄の背中をウォルムは叩いた。
「追い付いたぞ」
僅かに恥じらいの感情もあったが、ウォルムは勝ち誇った顔で言う。肺は悲鳴を上げ、足もガクガクと震えているが、勝ちは勝ちであった。
「ちびの癖に足速ぇな」
兄の手がウォルムの頭を撫でた。
「見ろよ。ウォルム」
兄が指差す先にはベリーの木が一杯に広がっていた。
「すげぇな」
ウォルムは兄を称賛する。小規模なベリーは今まで何度か見かけた事はあるが、競争相手が多く、近所の糞ガキ共と紛争の元だ。
だがここはフロンティアだった。斜面が多く足場も悪い。魔領にも近いこの場所は、今まで侵入者を許さない聖域だった。
「他の奴らには内緒だ。お前育ちざかりなんだから」
ウォルムは兄と一緒にベリーを頬一杯に詰め込んだ。手は赤色に染まり、爪や口から甘酸っぱい匂いが漂う。
獣も寄り付かない聖域であったが、ベリーを目的とした鳥が時折集まってくる。それを見てウォルムは目を輝かせて言った。
「鳥までいる。食べ物が向こうからやってくるなんて最高だな」
「……はぁ、ほんと、冷めた奴だな。鳥が綺麗だとか可愛いだとかいう感想が浮かばないんだもんな。兄ちゃんは心配だぞ。父さんや母さんだって、ウォルムが素直に甘えてくれないから心配してんだ」
自身よりも遥かに年下の少年に心配されるのは、酷く滑稽に映るであろう。それでもその善意がウォルムにはむず痒くもあり、暖かかった。
「まあ、でもご馳走には変わらないよな」
兄はウォルムに同意すると暗い笑みを浮かべた。ベリーを餌とし、植物のツタ、細木、枝で捕獲器を作り上げたウォルムと兄は、家族が食べる分には十分のタンパク質とビタミンを引き下げ、家へと凱旋した。
『あ、う、ええええいぇええ、ああ゛ぁああああ!??』
世界が映像が固まった。脳髄をかき混ぜられるような痛みに、ウォルムが頭を抱え、歯を食いしばる。あまりの痛みに目も開けられなかった。
状況が呑み込めない。何をしていた。何をしていた。自問を繰り返していたウォルムは答えに辿り着く。
そうだ。仕事が終わったんだ。帰らないと、ゆっくりと目を開くと、目の前には踏切が真っ赤に光を放っていた。
カンカンカンカン、踏切の音が何時までも響く。見慣れた道だ。幾度も何千回も高倉頼蔵が通った道。
10両編成の電車がけたたましい音で通り過ぎていく。中に居た人影は速度もあり誰も顔が視認できなかった。
何か忘れている。何を忘れている。警告色の遮断機がゆっくりと上がった。そうだ。帰らなくては。頼蔵は家までの道のりを歩き続ける。
不思議な事に帰路にある街灯や家々だけが薄く光っていた。困惑した頼蔵が振り返ると、そこは可視出来ない暗闇が広がっている。それも間違いない。ゆっくりと迫りつつあった。
飲まれてはいけない。頼蔵は本能的に悟った。
曲がり角を右に、左に十字路を真っすぐ、公園を抜ければ近道だ。
頼蔵の耳には聞えてはいけない。存在するはずのない音が響いた。
誰も居ないはずのブランコがゆっくりと動いている。半透明の人影がそこにはあった。滑り台を無邪気に駆け上がる音が響く。
もうすぐアパートに着く。年季の入った外装が目に入った。そこで頼蔵は足を止めた。目の前に自分が倒れていた。
何かが変だ。何かが変だ。ウォルムの思考は混沌の坩堝へと叩き落とされたが、一筋の光明が降りてくる。そうだった。高倉頼蔵は死んだんだ。
自身の手から皺は消えていた。頭部に手をやれば豊かな頭髪の手ごたえを感じる。ウォルムは疲労感も隠そうともせずため息を吐いた。
遺体のあった場所に黒い穴が出現していた。見れば見るほど奇妙な穴だとウォルムは苦笑する。
いつの間に湧いたのか、黒い小人がウォルムと黒い穴を取り囲んでいた。
アパートの周囲を除き世界は全て黒色に塗りつぶされている。
「入れってか?」
ウォルムが問いただすと黒い小人の一人が短い手を叩いた。それはどんどんと連鎖していく。
「お見送りか? まあ、嫌いじゃないな」
ウォルムが足を踏み入れるとゆっくりと沈んでいく。
黒い小人達はまるで子供を褒めるように、拍手喝采だ。ウォルムは小馬鹿にされているようにも感じたが、間抜けな光景に笑みが零れてしまう。
よく見れば黒い小人も愛嬌があった。
夢の中のような不思議な感覚に身を任せ、ウォルムは微睡みに身を任せた。




