第三話
「おう、待たせたな」
全く労いを感じさせぬ事務的な呼び掛けに続き、陣幕から飛び出したのは継ぎ接ぎだらけの凶相であった。陣の片隅で腰を下ろし、悪友と屯していた帝国騎士は、咥えたばかりの兵隊煙草を口元から外して立ち上がる。
「中隊長、お早い帰りで」
一足先に白煙を楽しんでいたホゼは、これまた微塵も労りを覚えぬ声色で返礼する。陣奥へ居残りを命じたグラストフ大隊長の性分を知り尽くした訳ではないが、あの手の指揮官は根回しは欠かさない。要は話が長いのだ。故に、待ち惚けは長引くと踏んでいたのだが――。
「こう騒がしいと、腰を据えて話もできやしねぇ」
「騒がしい? いつも通りでは」
ホゼはとぼけた調子で宣う。何をもって騒がしいとするか、陣地を往来する兵員か、武具が軋む金属音か。人は集まるだけで雑多な音を漏らす。唯でさえ沈黙を不得意とする帝国軍とあっては、多少の猥雑な喧騒は許容される。普段のウォルムであれば、厄介ごとなど知らぬ存ぜぬを決め込むが、どうしようもなく心当たりがある。
「ホゼ、お前は戦場で耳を落としたのか。これ、が聞こえねぇと?」
「ぎぃ、やぁ――あ゛ァああっ!!」
「いやぁ、煙草に夢中になってましたね。今聞こえましたよ」
現在進行形で風に乗って響くのは悲鳴であった。敵方による奇襲の類ではない。セルタの内を襲う力などクレイスト王国に残されていない。第一、奇襲を許したとあれば半島は蜂の巣を突いた騒ぎとなっている。仔細は不明だが、大方喧嘩であろう。何せ、火元には困らない。真っ当な文化の残滓が残るマイヤード公国とは違い、ハイセルク帝国は戦争で煮え切った者が多い。戦場跡という埋火に、帝国兵という薪をくべれば容易く燃え広がりもする。
「どいつが燥いでやがる?」
「あー、多分ですが、ミットマレット辺りです」
「あいつか。どうしようもねぇ」
二人の悠長なやりとりの最中も、悲鳴は途切れることない。何が起きたかまで定かではないが、一つ吉報もある。未だ息をして、声を吐く元気は持ち合わせているようだ。
「丁度いい。ウォルム、諸々顔合わせを済ませちまおう」
「禽獣の類と知り合うのは御免だぞ」
「大丈夫だって、無邪気でかわいい奴さ」
些かも信用できぬ身元保証。戦列を共にする僚兵が有無を言わさず歩き出したとなれば、帝国騎士も続かぬ訳にはいかない。喧騒に誘われた物見客の流れと悲鳴を辿れば、騒ぎの中心は直ぐに見つかった。
「ミット!!」
「わぁお、見つかっちゃったァ」
声の主を探す必要もなかった。群衆の中からでも判別できる図抜けた頭。髪は縮れ短く、肌は日焼けした船乗りよりも黒々としていた。首から下を辿れば、はち切れんばかりの筋肉が目の行き場を奪う。鍛え抜かれた石像のような筋肉ではない。生来の捕食者が備える、暴力的な肉体であった。
「てめぇまたやったのか」
「何もしてないよっ」
こちら、正確には中隊長を見つけたミットマレットは、大げさな動作で身の潔白を訴える。その足元には何処かしらを負傷した士卒が転がる。帝国兵ではない。六口で寝返った旧フェリウス人から成る民兵団であった。
「嘘つくんじゃねぇ!! 大人しく留守番も満足にできねぇのか」
「悪いことしてないよ。あっちに行ったりこっちに行ったり大変だねって言ったら、急にキレちゃったんだよ。びっくり!」
血が滴る拳がぶんぶんと振り、己が潔白を主張する。事情を察したデュエイは顔を顰め、ホゼは溜息を吐く。フェリウス王国からクレイスト王国、マイヤード公国と結果的に鞍替えを続けた連中を激怒させるには十分な言葉であった。これが悪意や嫌味であれば唾の一つでも吐き捨てれば、収まりもついただろう。だが、目の前の巨漢は純粋な疑問として彼らに投げかけていた。
「それで、キレた相手が、なんで愉快なオブジェになってんだ?」
「抱きしめられたから、抱きしめたら腕が曲がっちゃった」
あっけらかんとミットマレットは言い放つ。
「んで、残りの奴は?」
「武器を抜こうとして、危ないから小突いただけだよォ」
一人は脱臼した肩をうんうんと押さえ、またもう一人は顎が外れたままあぐあぐと地面に沈む。あんな口では麦粥しか満足に喉を通せぬだろう。暴力色濃い惨状を小突くと称し、壊すのも悪びれた様子はない。無邪気な人間が、血が滴る鉄火場で錬成されて尚、素直さと陽気さを失っていない。消えぬ純粋さも、度を越えれば得体の知れぬ恐怖をもたらす。
「はは、笑いながら頭を潰しそうな奴だな」
帝国騎士は虚勢交じりに笑い飛ばす。一種の現実逃避であった。
「よく分かったな」
「は?」
ウォルムは己が耳を疑い、冗談なんだろうと視線でホゼに問い詰めるが覆ることはなかった。そうなれば重要なのは犠牲者は敵か、味方かである。不注意で頭を割られては堪らない。
「安心しろ、今の所は敵だけだって。まぁ、反省はしても後悔はしない奴だが」
「前向きな奴って訳だ。羨ましいな」
「全くだ。今、この瞬間を生きてるんだろうよ」
惨状と後処理を横目に、雑談に興じるホゼであったが傍観者にはなり得なかった。
「ホゼ、駄弁ってないで応急処置してやれ。俺はこいつらの頭と話をつけてくる」
「肩と顎は整復しますが、折れた腕は無理ですよ。たく、治療魔術師不足だってのに」
ぼやきを聞いたミットマレットが笑みを崩さず宣う。
「オレも手伝うよ」
折れた枝でもむずりと掴む要領で、ミットマレットはだらりと垂れた肩に手を伸ばす。当然、民兵は激しく拒絶した。
「く、来るんじゃね゛っぇ」
己を破壊した巨漢が笑みで迫れば怯えもする。それも一見しただけで、器用な人間とは到底思えぬ。長葱を折る気軽さで止めを刺しかねない。見兼ねたウォルムが制止する前に、飼い主たるデュエイは命じた。
「お前は空でも眺めてろ」
肩を竦めたミットマレットは、本当に空を仰ぐ。まだ知らぬことばかりだが、命令に忠実な点だけは兵士向きであろう。
◆
泥棒ネズミに、肉叩き。懲罰中隊の愉快な面々とお近づきになったウォルムは、昔馴染みの来訪者を心から歓迎していた。
「モーリッツ、元気そうだな」
「ウォルム殿も、ご無事で何より」
手には土産の干し鱒、口からは気遣い。同じ帝国兵でも、司令部付きと札付きでは、提灯に釣鐘ほど物が違う。
「傷は深いのか」
「見た目よりも軽傷ですよ。幸い骨には達しませんでした。皆が腹を下すから食べれぬ毒魚をせっせと食したお陰ですな」
モーリッツは小気味よく腹を叩く。蓄えた脂肪という貯蓄も、使いどころがあって何よりであった。
元々司令部の小間使いであり、毒味役も兼ねていたモーリッツに掛かれば、毒魚も鮮魚と変わらぬらしい。悪食も極めれば一芸となる。食糧難という淘汰圧に負けぬ立派な帝国兵である。
「傷口の化膿は?」
「マイア殿のお陰で化膿もしておりません。綺麗なものです」
「マイア、か……彼女達の様子はどうだった」
「元気と言いたいところですが、ジュスタン殿を失い、やはり気を落としています。アヤネ殿も連日の治療でお疲れのご様子、それでも職務に専念しています」
「そうか。無理をするなとは気安く言えないが、体調が心配だな」
掛けたい言葉はある。だが、彼女達は己の領分で、己の戦場で戦っている。気遣いも過ぎれば重石にもなる。
「ウォルム殿も、身動きの取れぬ多忙の身。頃合いを見て、お預かりした言葉を伝えておきます」
「すまない」
「いえ、連絡員として人の言葉を預かり繋げるというのは、遣り甲斐があって楽しいものですよ」
頼もしい笑みを浮かべていたモーリッツは、表情を引き締めると連絡員へと戻った。
「ユストゥス旅団長よりこと付けが」
「そうか、旅団長は公都に?」
「いえ、ヤルクク領の鎮圧に加わっております」
話を邪魔した、続けてくれと帝国騎士は目線で促す。
「んっ、勇敢な彼らを殺したのは私だ。ダンデューグから艱難辛苦を共にした彼らを、冥府へと送り出すしかなかった。多くの者は死んだ。それでも帝国騎士に救われた者も居る。また世話になったな。以上です」
最前線での犠牲は計り知れない。多くの人々が凄惨な戦いの末に、骸を晒した。では、後方の司令部ではどうだ。矢は飛ばず、攻撃魔法が弾けず、凶刃が光ることもない。直接的な被害は確かに出ないだろう。だが、死地に部下を送り込む彼らは何も犠牲にしていないというのか。道徳、良心、仁愛、呼び方はどうであれ、彼らは人間性を燃料に動く。
決死の命は下された。惨い命だろう。だが、少なくともそこに嘘はなかった。士卒達はユストゥスという、誠実な指揮官の下で戦えた。死者は蘇りはしない。だが、慰めには成り得る。ウォルムはそう信じたかった。
「伝えてくれて、ありがとう」
長い沈黙の果てに、帝国騎士は感謝を口にした。酷い面をしているだろう。それでも、幾分か救われていた。
「お役に立てて、幸いです……それで、他にも連絡がありまして、フリウグ中隊の小隊長であったアウラ殿が部隊を引き継ぎました。デボラ殿の練兵中隊と合わせて基幹兵員とし、民兵団を指揮下に組み込み、即席の大隊としています」
勝ちはしたとはいえ自領での辛勝。後処理の作業は膨大であった。共同体、地域別に纏められた部隊は特別な連帯を示すが、同時に腹を刺す棘にもなる。寝返った民兵団もそのまま運用する訳にはいかず、希釈した上で、自軍へと混合せねばならない。
情勢、軍民、雑談まで話は多岐に渡った。いよいよ話題が尽きようとしたとき、連絡員は絞り出すように言葉を吐露した。
「……ウォルム守護長、一つお願いが」
「話してみろ」
誰かに託された言葉ではない。モーリッツが心から望む想いであった。
「本国を、祖国を頼みます」
余りにも重い願い。矮小な身一つでは叶うはずもない。それでも、否定できなかった。安請け合いだろう。気休めの言葉にしかならない。苦楽を共にした部下を前に、帝国騎士は虚勢を張った。
「……ああ、任せろ」




