第二十二話
虎口が陥落後、肩の傷が癒えるまでウォルムは前線から離れ、麓の接収した教会で3週間を過ごしていた。時代相応に過激なハイセルク帝国軍も教会の人間までは危害を加えなかった。
肩の傷は深く骨まで達しており、鎖骨が折れていた。回復魔法で表面と骨は繋いで貰ったが、暫くは安静にしなければならず、ウォルムは戦争とは無縁の生活を送っている。
鉱山に立て篭もるフェリウス兵は、外縁部を切り取られ、ゆっくりと自壊していった。
兵糧と兵数だけ見るならば持ち堪えられたフェリウス兵だったが、終わりの見えない戦いに加え、揺さぶりを受け、遂にハイセルクの軍門に降った。
即座に降伏しない場合は、兵民問わず皆殺しにすると送り込んだ使者が啖呵を切った。最後通告に屈したフェリウス兵は鉱山から次々と下山して行った。
皆痩せ細ってはいないが、共通してクマができ、顔色が悪い。全身が小刻みに震えているものや独り言を延々と続ける者もいた。
娯楽のある様な街もなく、傷が癒えるまで捕虜や兵士など通り過ぎる者を眺める生活をウォルムは続けていたが、それも今日で終わりだった。
「元気そうだな」
原隊に復帰したウォルムを出迎えたのは、ホゼだった。
「回復魔法ってのは凄いもんだ。全治数ヶ月かかる様な傷も1週間で癒えた」
ウォルムは繋がった鎖骨を自慢する様に肩を回す。
「あ、お帰りなさい。戻ったんですね」
声の主はノールだった。鎧の傷が増え、以前よりも自信に満ちた顔をしていた。
「あれから大変だったんですよ。曲輪の幾つかを落とすのに分隊も投入されたんですが、バリトが……」
ノールは言葉を切り、木陰の一つに視線を向けた。ウォルムは釣られて目線を向けると、そこにバリトがいたのだが、立派な鶏冠ヘヤーの高さが、半分となっていた。
「はは、鶏冠はどうした。髪型を変えたのか!!」
バリトは抗議する様に言った。
「変えてません。敵のマジックユーザーにやられたんですよッー!!」
「バリトの奴が斜面を駆け上がってるところを狙われたんだが、揺れる鶏冠で火槍の狙いがずれたんだろうな。本体は無事だった。髪はチリチリだがな」
光景を思い出したのか、ホゼまで笑い出した。
「まあ、鶏冠も無駄じゃなかったんだな。みんな無事そうだが、デュエイ分隊長はどうした?」
ウィラートも少し離れた場所に腰を落としていたが、分隊の主であるデュエイ分隊長の姿がウォルムには見えなかった。
「コズル小隊長に緊急で呼び出されました」
「ここも片付いたし、俺達もいよいよ内陸部に侵攻か」
当初はフェリウスの国力を削ることに専念していたハイセルク軍だったが、想定よりも敵の消耗が激しいのかもしれない。ひょっとしたら戦争も早期に終わる可能性もある。ウォルムは期待してしまう。
鉱山を陥落させたリグリア大隊には、楽観的な空気が流れていた。
◆
「しかし、手応えがねぇ連中だな」
ハイセルク帝国軍、サリア大隊に所属する兵士は、詰まらなそうに呟いた。村の端に積まれたのはフェリウス兵と村の占拠時に抵抗した村人達だった。対してハイセルク兵の死体は極端に少ない。
顔の原形を留めないほど、殴打されたフェリウスの捕虜達は、時折石突きで脇腹を突かれ、休む事なく作業を続けさせられていた。
「まともな兵はマイヤードでくたばってるからな。残った兵も主要都市や他国の国境だろ」
兵士たちがフェリウス国内に入り、サリア大隊は大小5度の戦闘を経験したが、連戦連勝であり、大隊全体で死者の数は100にも届かないと言われている。
今は大隊が中隊単位で別れ、周囲の村々から組織的に略奪に勤しみ、フェリウスの国力を削り取っていた。当然、そのお零れはサリア兵が甘受している。
「結構じゃねぇか、お陰で漁り放題だ。マイヤードじゃまともに物も女も手に入らなかったからな。フェリウスじゃ略奪も陵辱も咎められねぇ」
男は、略奪品の指輪の表面を撫でながら言った。フェリウスに雪崩れ込んでからというもの、サリア兵の食事は豊かになり、不相応とも言うべき、高級品を身に着けている兵も少なくない。
「そう言えば、マイヤードじゃ我慢出来なかった奴が鞭打ちにされてやがったな。馬鹿な奴らだ」
兵士は下卑た笑みを浮かべて言う。
「しかし、いいもん食ってるのか、抱き心地が良い女ばかりだ」
マイヤードやハイセルクでは痩せた女が多く、肌や髪一つに取っても、がさついた者が多かった。兵士がフェリウスで手にした女は、それらと比べれば上等だ。
「それな。ついつい張り切っちまう。ヤりすぎて痛てぇくれぇだ」
男は陰部を擦り、宣うと仲間から一斉に罵倒を浴びた。
「テメェのがやわ過ぎんだよ。俺のを見てみろ」
「はっ、どこに付いてんだ。小さくて見えやしねぇ」
「さっさとその汚ねぇもんしまえよ」
会話の輪から少し離れていた兵士が言った。
「そろそろ次の村に進む頃か、奪うもんは奪っちまったからな」
「カノアが滅亡した時はどうなるかと思ったが、勝ち戦は最高だな。ハイセルク軍に入って良かったわ」
兵士は旧カノア戦役において、ハイセルク帝国軍の捕虜となっていたが、殺される事なく4ヶ月の肉体労働で解放され、ハイセルク帝国軍へと入隊した。
周囲の兵も似たり寄ったりの事情を抱えている。負け戦しか知らなかった兵士達は、初めて勝利の美酒に酔いしれていた。
談笑を続けていた兵士だが、強制的に黙らされた。眩い閃光が走ると、村の一角で大爆発が起こったのだ。
土埃が晴れて現れたのは、倒壊した見張り台と兵が宿泊していた物置小屋だ。
「なんだ。あの光は!?」
「櫓ごとタルス分隊が吹き飛んだぞ」
いくら弛緩していたとは言え、最前線で戦う兵士の反応は早かった。合理的に優先度が高い防具を身に着け、爆発の正体を探る。
「襲撃だッ!! 大規模魔法を使うマジックユーザーがいやがる」
村の一角から、状況を知らせる声が響いた。
「ちっ、もう村の中まで――」
談笑に勤しんでいた兵士達も、敵影を捉えた。
「まともな兵士が残ってやがったか」
朧げに見える影から、敵の装備が良質であることを兵士は悟った。足元から頭まで防具を身に着けており、非常招集された様な粗製の民兵ではない、訓練が行き届いたであろう常備兵に感じ取れた。
「同士討ちに気を付けろ」
「なんだこいつら、今までの兵士と違うぞ」
先に戦闘に入った兵士たちが既に地面へと沈んでいた。先手を取られたとは言え、経験豊かな兵士が多いハイセルク兵にとっては異常事態だった。
「くそ、ターキンの分隊が喰われた」
「こいつら――フェリウス兵じゃない、クレイスト兵だ」
「どうなってやがる。クレイストにしても一方的だぞ」
クレイストは周辺に存在する中堅国の一つだ。ハイセルクとは今まで国境に面しておらず、戦闘経験の無い未知数の相手であったが、次々と葬られていく友兵に兵士は罵倒を放つ。
「冗談じゃねぇ。クレイストのリハーゼン騎士団だ。奴ら手を組みやがった」
クレイストには二つの軍がいた。半農半兵の数を揃えた軍。そして代々軍務に就く騎士達だ。今でも騎士と呼ばれる存在は、ハイセルク周辺には存在しているが、クレイストの騎士団がその中でも群を抜いて精強と周辺国に恐れられていた。
「騎士一人を落とすのに、10人以上殺されてやがる」
斬り掛かった兵士が、盾ごと上半身を切り刻まれ、また別の兵士は戦槌により、胴部を抉られる。
「身体能力、魔力量が違いすぎる。それにスキル持ちがうじゃうじゃいやがるぞ」
騎士団相手となれば、幾ら精強名高いハイセルク兵でも、同数で正面から戦えば劣勢は免れない。ましてや奇襲に加えて、大規模魔法の連続で、陣形も指揮系統も寸断されていた。
「村は放棄だ。持てる荷物以外は諦めろ」
古参の小隊長は独断で後退を決めた。中隊長からの指示が無く、初撃で討ち取られたと決断したからだ。
「畜生、折角集めたのによ」
「死ぬよりましだろ。あの手の相手はジェイフ騎兵大隊やリグリア大隊に相手どらせた方がいい」
挙げた二つの部隊は、ハイセルク帝国軍でも屈指の戦闘力を持つ部隊だ。マイヤード戦でも二つの部隊がウィンストン・マイヤードを討ち取り、勝利を決定付けていた。
方向性が定まった小隊は、包囲を破るために包囲の一角に殺到した。騎士の数は多くはなく、騎士さえ除けば、フェリウスの常備兵とそう大差はなかった。
槍でクレイスト兵士二人を突き殺したハイセルク兵は、包囲を抜け切れると確信した。そこにまるで行く手を遮るように、一人の男が遮った。
「抵抗は無駄だ。降伏しろ」
「そこを退け、ガキがッ」
相手は黒髪、黒目の幼さが残る兵士だった。初陣も済ませていない様に感じられ、派手な装飾が施された鎧がなんともちぐはぐに感じられる。言動による威嚇を交えて、兵士は喉元目掛けて槍先を突き入れる。
「待て、そいつは――」
視認できるほど高まる魔力を目にした兵士の仲間が制止を掛ける。振り下ろされた剣から光が迸る。
「なっ、光がッ!!」
兵士の視界が光に包まれると爆炎に飲み込まれ、意識が瞬間的に途切れ、戻ることは無かった。
サリア大隊は、分離して兵糧の確保を行っていた三個中隊が壊滅、700の兵が未帰還となる大損害を受けることとなった。




