表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記  作者: とるとねん
第三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

224/233

第六十五話

「ふぅ、はぁ゛っ、ふっぅ――」


 湖面より流れる冷気を肺腑いっぱいに吸い込み、熱い息へと変えて吐き出す。激しく回る足に反して斧槍を構えた上半身は微動だにしない。脈動する心臓、昂る神経とは裏腹にウォルムの思考は極めて平静であった。


 穂先は攻め口に居座る壁へと向く。ラガ岬より後退する攻城部隊を掩護するため殿を命じられたクレイスト兵だ。どいつもこいつも恐慌寸前の顔付きながら、立ち位置を崩さず訓練通りに数列の横隊を形成する。失うには惜しいが、失っても代替が効く存在。故に彼らは使い捨てとしては最上級品の部類である。


 視線の先で何かが光った。米粒大であった点が、みるみるうちに膨らむ。避けられぬと悟ったウォルムはお辞儀でもするように額を下げた。殴られたような鈍痛と衝撃が兜に走る。楕円型の板金に弾かれた礫は、有らぬ方向へと跳ね返った。


「っぅ、投擲か」


 視界の端で糸が切れた人形のように友兵が転倒していく。投石が齎らす悲鳴や破砕音がそこかしこで乱立していた。人類種ほど投擲に優れた生物はいない。それは同類相手にも効力を発揮する。だが軽装歩兵という種の一斉突撃を止めるには、余りに小石。頼るべき魔道兵による阻止火力はとうに枯渇しているのだろう。尤も、火力の困窮はお互い様である。


 そうでなければ一兵卒時代さながらの魔力膜を伴わぬ突進などウォルムとて選ばない。一時の連れ合いである僚兵と肩を擦り、互いの呼吸音を嫌でも聞かせ合う。大地を蹴るたびに胸当てが揺れ、喧しく金属音を奏でる。


 距離は見る見るうちに縮まっていく。赤黒く汚れた槍先がぬるりと光り、今か今かと軽装歩兵を持て成そうとする。魔力を持たぬ身、返礼のための手段は制限されていた。ウォルムは原始的な言語を以って謝意を伝える。誰に示されたのでもなく、戦列を共にする兵士たちも同じ言葉を口にした。


「うお゛おお、おっッオ゛っオオッ!!」


 猿叫が示すのは威嚇、制圧、そして殺意だった。槍が糸のように絡み、互いの意思を代弁して鬩ぎ合う。棘の境界では堅牢な鎧が打ち砕かれ、鋭利な刃が出鱈目に身体を裂く。倒れ込んだ者は敵味方に関係なく踏まれ圧死していく。最前列にて美しき隣人愛は欠如するものだった。


 顔面を狙う槍先を枝刃で弾いたウォルムは突進の勢いそのままに刺突した。防具の隙間から下腹部へと突き刺さった穂先は、根本近くまで埋まる。筋肉が収縮、骨盤が刃をがちりと引き止める。両手で柄を引き寄せながら死に震えるクレイスト兵の胸を蹴り飛ばす。


「うぅ、ぅげぇ、ぎゃ――」


 捩り強引に引き抜かれた斧槍により、敵兵は壮絶な苦痛に喘いだ。返り血と断末魔という美酒を啜った鬼の面が震える。ウォルムは一瞥もせず、次列の排除に乗り出した。突き合いの末に首を獲り、正面から人が消えれば左右にまで斧槍を伸ばす。


 必殺の一撃など不要であった。国家という共同体の意思を暴力を以って貫かんとする者共の社交場には、あらゆる敵意と害意が満ちる。枝刃で少しばかり敵兵の体勢を崩せば、見逃すお人好しなど居ない。空いた隙間に鈍器を捻じ込まれ、倒れ込めば頭上より潰される。そうして彼らは靴底の真新しい染みへと変わっていた。


「てめぇら穴を、広げろッ!! 身体でも武器でもいい、横隊に捻じ込ませろ」


「奴ら、及び腰だ。槍の使い方を教えてやれ」


 魔力が切れ、軽装歩兵に祖先帰りしたウォルムはただただ武器を振り続けた。紳士的な掛け声、剣と槍が織りなす打楽器、悲鳴と怒号が、背景音楽のように耳を通っては抜けていく。何も考えず淡々と眼前の敵を殺す。何故攻める、敵が引いたから。何故止まる、敵が止まったから。


「なんなんだ、こいつはぁァアア!!? くそッ、来るなら来い!!」


 誘いに応じて軽装歩兵は最上段から斧槍を振り下ろす。肉体にも斧槍にも魔力を伴わぬ一撃は、掲げられた剣により受け止められた。一撃で崩せなければ、二撃目を見舞うだけ。そんなウォルムに対し、敵兵は刃こぼれした剣を携え飛び込んでくる。剣技も構えもあったものではない。だが、眼前のクレイスト兵には我武者羅な戦意があった。


「がっ、ぁ!!?」


 ウォルムは斬撃も、刺突も選ばなかった。身を捩り手元側にあった石突きを横合いから見舞う。死角から襲い掛かった石突きは側頭部を強打した。軽装歩兵を睨みつけていた目はぐるりと回り、在らぬ方を向く。


 露わとなった後列の兵が槍でウォルムの行手を阻む。前列の男と違い腰が引けた刺突であった。鬩ぎ合いと呼ぶには一方的な攻防を経て、胸元目掛けて穂先を繰り出す。


「う、っぁ!!?」


 望むべき手応えはない。汚泥に足を取られた敵兵は尻餅を搗き、死の時間を僅かに伸ばしていた。何が起きたかも理解していない。これまでと同様に斧槍を振り下ろした。


「ま、待って゛っぇ――」


 戦場から声が一つ減った。兜に食い込んだ斧頭から粘着質な糸が引く。まだ仕事は残っていた。打ち込んでいれば、考えることは少なくて済む。


 ぬったん、ぬったんと水気混じりに斧槍はリズムを刻む。敵兵の脇腹に刺突した槍先は、箸をチーズに突き立てたようにぐぐっと沈み込んでいく。頭蓋を叩けば西瓜のように割れ弾け、中身を零す。骨に槍先がぶつかると妙な感触だ。柔らかい目玉焼きに卵の殻が混じった、そんな不快感に近い。


 五感を通して伝わる世界がどうにも奇妙だった。酩酊状態のように地に足が着かない。浮ついていた。自然と動く身体に、思考が追従していくような感覚。新手を求めて視線を走らせたところであった。先程殺した人間の顔が唐突に浮かんだ。彼の言葉は最後まで発せられることはなかったが、ウォルムは理解した。理解してしまっていた。


 命乞いをした男はどんな人間だったのか。恐らく歳は二十にも達していない。肉付きの良いとは言えぬ身体は、劣悪な食生活によるもの。きっと食い扶持を求めて軍隊に飛び込んだ農民の類いだろう。


 敵への共感は己を殺す。ウォルムは精神の均衡を保つ上で、軍人としての理性という形で己の一部を無意識に切り離し、ある種の切り替えで適応してきた。その良心の領域の切り替えが曖昧模糊となっていた。


「ふっ、うぅ――考えるな、考えるな」


 喉元に熱い塊が込み上げる。暗示のように己に言い聞かせたが、全くの無駄であった。どうしようもなく情景が湧き上がる。苦楽を共にした戦友、己を貫き通した近衛兵、帰りたがっていた同郷、彼らはもう居ない。全員死んでいた。ウォルムの周りでは、人がよく死んでいく。本当に殺してばかりだった。


 蓋をしたところで記憶が溢れてくる。心が動く。無心を演じたところで無駄だ。齟齬が必ず出てくる。染みついたものは、そう簡単には消えやしない。


「ふぅ、はぁっ、ふぅ、はっぁ――」


 精神の均衡が乱れ狂う。正気を保つために身体を動かせ、責任を全うしろ。そうしていれば考える余裕は減っていく。ウォルムは救いを求め足を進める。戦うことによって一時は保たれた均衡も、直ぐにご破算となった。殿としての役目を果たす敵兵が少なくなっていく。頭の片隅では戦闘の終結を望み、また片隅ではまだ居なくならないでくれと矛盾した願いを抱える。


 擦り切れた道徳心、自分の中に残った僅かな善性が崩れていく感覚。余裕ができるほど、思考が愚かに回っていく。結局、ラガ岬から敵兵は消え去った。残るのは死体と捕虜だけ。斧槍は厚塗りされた化粧のように、朱を纏う。防具も返り血で汚れていた。例外といえば、たらふく血を啜った鬼の面ぐらいなものであった。


「満足かよ」


 外した鬼の面に問う。得意げに一度震え沈黙した。乾きを満たされた面を腰袋へと仕舞い込む。外気に素顔が晒されたというのに、ウォルムの表情は能面のように固まったまま。顔付き一つ変えられなかった。


 打ち捨てられた物資に火が揺らぐ。光に誘われる羽虫のようにウォルムはふらふらと近付いた。震える手で煙草を取り出す。定まらぬ距離、火を灯すのに難儀した。苦労の末に乾いた唇で煙草を咥え、ゆっくりと吸い込んだ。肺腑に白煙が沁みる。立ち昇る紫煙は、ふらふらと彷徨い霧散していく。


「ははっ……不味い、な」


 面白くもないのに、真顔で笑った。苦々しさだけが舌根に広がる。何度試したところで、苦みが薄れることは無い。これが酒でも同じであろう。勝利の美酒など今は汚泥の水と変わりやしない。それが分かっていながら、ウォルムは吸わずにはいられなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ぬったんぬったん、バガボンドを思い出した
[一言] 相変わらずの戦闘描写力! 元傭兵とかですか? 他者様とは段違いなんだが・・・
[良い点] 一気読みできました。 [気になる点] 内政屋外交屋が居ないのが [一言] 日本のや西洋の中世戦国時代の婚姻外交が出来ればこんなに戦わずに済むのに。 マイヤードは他国から婿を取れ長男にあと継…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ