第二十一話 四ヵ国同盟
ハイセルク帝国は、無数の王や領主が乱立する地域に存在する小国の一角だった。
建国後の最初の戦争は、防衛戦争だったとされており、自国の領土に敵の主力を引き込むと野戦で壊滅させた。
完勝を果たしたハイセルク帝国は、勢いそのままに相手国の領土を併合した。
小国が乱立する地域ではパワーバランスが重要視され、頭一つ出たハイセルク帝国に対し周辺国は結託して侵略を行ったが、数十年にも渡る長い戦いの末に、最後に立っていたのはハイセルク帝国一国だけであった。
周辺の中堅国からすれば、目障りな小国が分を弁えずに暴れ回り、肥大を続けている。
当初はどの国もそう感じていた。最初に異変に気付いたのはリベリトア商業連邦だった。属国の一つが大敗し、本国へと増援を求めてきた。
リベリトアは過剰とも言うべき1万の兵を送った。属国の兵数と合わせれば1万5000人となり、ハイセルクはその半分以下だった。地の利もリベリトアに有利であり、誰しも大勝で終わる。そう考えていたが、結果はリベリトアの惨敗。属国もハイセルクへと領土の一部を割譲された。
小国では考えられない兵の精強さとハイセルク人の戦慣れにリベリトアは認識を改め、高い授業料を払った。
次に気づいたのは旧カノア王国だった。拡大するハイセルクを邪魔に感じた国境沿いの領主が、河川の支配権を巡り、ハイセルクと衝突した。
戦闘は僅か6日で終わり、地方貴族の領土全域を喪失。当主や一族がことごとく討ち死にし、その土地がハイセルクに奪われたのだ。
此処で周辺国であるフェリウス・クレイストもハイセルク帝国の脅威を目の当たりにしたが、同じ中堅国が新参者に力を削がれるのを歓迎した為、協力や援助を行うはずもなく静観に徹した。
その後は防衛戦争と大義を抱えたハイセルクを前に、旧カノア・マイヤードも帝国に屈し、残る北部の中堅国は三ヶ国となった。ハイセルクの国土が中堅国以上となった今、ハイセルクの領土欲が何処まで伸びるか、不明だった。
ゴブリンの身体ほど矮小だった領土は、周辺国でも有数なものとなっていた。
その上、半身不随のフェリウスが落ちれば、周辺国では太刀打ちが出来ない。不動の三大国はまず動かず、計算高いハイセルク帝国が三大国に挑発行動を取ることもない。
周辺国の焦りと恐怖が、平時では有り得なかった事象を巻き起こそうとしていた。
フェリウス・リベリトア両国に領地を面しているクレイスト王国の一室では、騎士団を総動員した警備が行われていた。
招かれた要人の一人、リベリトア商業連邦の外相ヒューゴ・エイバンズは円卓の一角に腰を下ろす。火属性魔法を形成させると、片側を切り落とした葉巻に火を付け、紫煙を燻らせる。
発動された火属性魔法に、クレイスト王国の警護者の一人が、ヒューゴに訝しげに目を光らせる。ヒューゴは外相になり10年だが、文官の道を順調に歩んで来た訳ではない。
歩兵として戦場を駆けずり回り、幾度となく修羅場を経験した。頭部が寂しいのも兜ごと頭皮を焼かれたせいであった。
年老いた今でも 歩兵の数人程度は相手取る自負はあったが、各国の代表者や要職に就く護衛相手には通用しないのは弁えている。
「実に職務態度が熱心だね」
火傷で引き攣る頬で笑みを浮かべるヒューゴはクレイストの騎士を称えたが、返事は素っ気ないものだった。
「……ありがとうございます」
対ハイセルク帝国戦にフェリウス王国とマイヤード公国が加わりヒューゴを初めとするリベリトア商業連邦議会の面々は上機嫌であったが、最近の情勢は芳しいものではない。
息を巻いていた両国は情けない事にマイヤード公国は陥落、フェリウス王国も本土防衛で手一杯。
複数の戦線をハイセルクに抱え込ませられると期待していたヒューゴを落胆させるのには十分であった。
ヒューゴは円卓に座る面々に視線を送った。
中央にはホスト国であるクレイスト王国、チェスター・クレイスト。その右隣はハイセルクに侵略を受けているバリストン・フェリウス王だ。
以前ヒューゴが協議で訪れた際も武闘派であった弟のウィンストンに比べて痩躯だった体は、更に細くなっていた。
顔色も優れないが、両目だけは以前チェスターが会った時よりも一層ギラついていた。余裕が無く追い詰められた目、ヒューゴが好きな人間だ。
「いやはや、フェリウス王国も大変な事になりましたな。まさかマイヤードが陥落し、野戦軍の過半を失うとは……本当に気の毒で、掛ける言葉も見当たりませんなぁ」
真っ先に口を開いたのはヒューゴだった。
「……はっ、これは随分と有難い言葉を頂いた。リベリトアの二の舞になるとはな」
ヒューゴの皮肉に、バリストンは視線を激しく突き刺し返答する。
「はて……二の舞ですか? フェリウスの様に国土の三分の一を失陥した記憶はありませんがね」
「その辺にしておけ、お上品な会話を楽しむ為に集まった訳ではないだろう」
主催者たるチェスターが諫めた。ヒューゴも本気で煽り合いをするつもりは無い。本題に入る前に軽く口の準備運動をしただけ。
「そうですな。挨拶もこの辺にしておきましょうか。ところで――」
言葉を区切ると、ヒューゴは円卓の一角に目を向けた。
「そちらの麗しいお嬢さんは何方からいらしたのかな」
視線の先には一人の少女が座っていた。仕草や振舞いから青い血が流れているのは間違いないが、ヒューゴはその少女の情報を得ていなかった。何せリベリトア・フェリウス・クレイスト三ヶ国による多国的な話し合いの場の筈だ。
限られた側近等は円卓に座る主役の後ろに控えている。ここに座れるとなれば、国の行く末を左右する国家クラスの影響力を持つ者のみだ。ヒューゴに言わせればはっきり言って場違いな存在だった。
「マイヤードだ」
答えたのはバリストンだった。続けて少女が言葉を続ける。
「リタ・マイヤードと申します。マイヤードの代表として、参加させて頂いております」
ヒューゴは瞬時に頭を回転させる。直接少女とは面識は無いが、その存在自体は知っている。
「なるほどユース殿の一人娘でしたか、脱出されていたとは驚きですな。……しかし、滅亡したマイヤードの代表とは奇妙ですね」
ヒューゴの物言いに感情を揺さぶられる事なく、リタは答えた。
「頼れる騎士が付いていましたので……。確かにマイヤードは領土の過半を失いましたが、まだセルタが残されています」
ヒューゴは少し考え込んだ後に手を叩いた。
「セルタ……ああ、確かにあそこの水産資源と水路は経済的には要地だったでしょうが、今では対湖沼竜の拠点としか機能していませんでしたね。健在な水軍と逃げ延びた兵、それに湖沼竜ともなれば旨味が少ない。ハイセルクもわざわざ手を出さないでしょう」
ヒューゴとしても、巨大なセルタ湖と周辺の河川は資源と経済を考えれば、抑えておかなければいけない地帯ではあったが、そこに居座る主が利益よりも多大な不利益を齎していた。
それに陸戦では弱いマイヤードも長年湖を抑えてきた関係上、水軍は突出した練度を誇っている。ヒューゴは残念であるが、ハイセルクが気軽に手を出し、損害を受ける間抜けでは無いのを理解している。
「ええ、少し前まではヒューゴ様の仰るとおりでしたが、現在湖沼竜は討伐されました」
ヒューゴの顔は会議が始まって以来、初めて歪んだ。
「今討伐された、と?」
「そう……討伐されたのです」
亜竜種とは言え、魔物では最高位に属する強力な魔物であった。巨大な顎門はオーガやトロールでさえ一砕きにする。かつて代替わりする前の湖沼竜がリベリトアの水上都市に来襲した際には、二個半中隊の守備隊の犠牲の末に討伐された。
それだけ大規模な犠牲を払えば、商人や間者からヒューゴの耳に入る筈だった。
「それは、それは良い報せですね。勇敢な兵士達もさぞ、苦労なされたでしょう」
「幸い、死者は1人も出ずに済んだ」
口を挟んだのは湖の対岸を抱えるチェスターだった。
「湖沼竜相手にですか」
ヒューゴは信じられないと唇を歪ませる。
「マイヤードの水軍、クレイストの騎士団、そして異界からの来訪者達のお陰だ。一騎当千とまでは言わぬが、単独で百、二百の兵に勝るとも劣らぬ働きをしてくれた」
チェスターは自身の手を叩くと控えていた青年の1人が壁際から前に出た。
「異界の来訪者達の一人だ」
「初めまして……浅間悠人です」
名乗りを上げたのは、黒髪黒目の青年だった。幼さが残り、場慣れしていないのか、動きも硬い。この場で異界からの来訪者という情報が無ければ、ヒューゴも湖沼竜を倒した人物とは、到底思えなかった。
「はぁ、その歳で湖沼竜を討伐するとはまさに感嘆。異界の名前は実にエキゾチックですね。この場で無ければ、湖沼竜をどの様に討ち滅ぼしたのか、武勇話をお聞きしたいところです」
どの様な魔法とスキルを持ち、どの様に戦うのかを見極めたかったが、そこまで晒すほど円卓に座る面々が愚かではない事をヒューゴは理解している。
「とんでもないです。俺はクレイストの騎士団の方々の指示に従い戦っただけですから」
リタとバリストンの見せ札、異界の来訪者を登場させたチェスターの狙いはヒューゴには十分に伝わった。
「若いのにリタ殿もユウト殿も実に優秀だ」
ヒューゴは世辞半分、本気半分で言った。クレイストは異界と繋がりやすい土地を持ち、異界からの来訪者により文武両面で国土を発展させてきた国だ。人的資源が天から降ってくるなど、お伽話だけにして欲しかった。
「そろそろ本題に戻ろう」
チェスターは満足気に言い放った。三ヶ国の話し合いは済んでいる。そうヒューゴは確信していた。
宗主国と元属国、湖の利益権、軍事バランス、ヒューゴは駆け引きに使われるであろう材料を吟味していく。
「ああ、単刀直入に言う。フェリウスは強固な同盟を望んでいる。セルタ湖を経済圏とした四カ国による軍事と経済どちらも重視した同盟だ」
バリストンはいきなりヒューゴに仕掛けた。
ヒューゴとしては、外交は戦争とそう変わりない。寧ろ、戦争が外交の一部だと強く考えていた。
己の立たされた立場に、ヒューゴは言葉での戦争を行う前から、足場を確保されていたのは実に腹立たしかったが、同時に魅力的な提案でもあった。
「それは思い切りましたな」
同盟を結べば即座にハイセルク帝国との全面戦争は免れない。それでも今回の提案はリベリトア商業連邦の未来の為にも、決して静観は出来ない。肥大を続けるハイセルク帝国とは、何れ雌雄を決すことになるのだ。
一つでも多くの利権を――ヒューゴの頭は高速で回り続ける。自身では気付かなかったが、くだらない会話をしている時よりも、ヒューゴは心から楽しみを覚えている。
「お話を続けて下さい。各国の栄光と凋落が掛かった大事な話ですからな」
火傷で爛れた肌が笑みを浮かべた際に引き攣けを起こすが、ヒューゴは既に痛みさえも感じなかった。




