第五十五話
「未だ宿場町を突破できません。大軍の展開には適さぬ地形故に、数の差を活かしきれず……」
「敵はハイセルクの軽装歩兵を中核に、マイヤードの敗残兵を取り込んだ五百名ほどの部隊のようです」
「突破口を開こうにも、これまでの戦いで魔導兵は魔力を使い果たし、支援が不足しています」
軍師達が告げる凶報の数々を、リハーゼンの騎士団長グランは静かに聞き届けていた。
「ハイセルクの軽装歩兵か。ライアードが討たれるのも無理はない」
本隊の露払いを命じた上級騎士ライアードは討ち死にした。新たに投入した兵を以ってしても、宿場町一つを落とせずにいる。数少ないハイセルクの有力な部隊とは言え、二百名ほどの軽装歩兵ならば数で押し切れたであろう。上陸地点の確保を優先させ、敗走した守備隊の寄せ集めが、ここにきて障害となっている。緻密な連携と練度が要求される機動戦と異なり、陣地戦というのは守備側の技量が劣悪でも誤魔化しは利く。その運用の手本を見せつけられていた。
「侵略的な帝国だというのに、防御行動のほうが巧みとは、知れば知るほど嫌になる相手だ。いや、国家の成り立ちを考えれば妥当か」
機動防御、陣地防御を問わずの防御行動からの反攻。そして併合と拡大は奴らの得意分野だ。混成部隊特有の足並みの悪さ、戦意の不均一の穴埋めをハイセルク兵はこなしている。狂気の伝播こそハイセルク人の特技の一つであった。逃げてばかりだったマイヤードの弱兵も、すっかりその気になっている。
これまで数の集中、奇襲という優位性を担保にしてきたが、クレイスト王国軍もまた無理をしているのは事実。主攻を悟らせぬように陽動という名の形成作戦を実施した。敵予備兵力を六口広くに分散させ、厄介な敵を拘束させたのだ。その上で、各部隊から水属性の適性のある兵を引き抜き、他国の魔導兵と、マコトの魔力まで絞り尽した上で、セルタ湖に道を作り上げた。
「もう一刻あれば突破も叶うとは」
「如何なされますか」
「それでは遅過ぎる。ユウトを呼べ」
「はっ、直ちに」
端的に言うならば魔導兵の火力支援不足。加えて上陸地点でも魔導兵を酷使している。こんな無茶をするはめになったのはハイセルク帝国、延いてはリベリトア商業連邦の影響であった。
「これも想定の内か? 火傷面め」
マイヤード公国とハイセルク帝国の分割統治に異論はない。北部諸国を二つに分け合うというのが、リベリトア商業連邦外相ヒューゴ・エイバンズの言い分であった。だが、根底にあるのは手負いの獣であるハイセルク帝国軍の押し付け合いだ。
開戦準備が整い切れぬ、と懇切丁寧な謝罪と共に提供された糧秣と魔道兵は、表向きには両国の友誼を喧伝していた。だが、全てはクレイスト王国に火中の栗を取らせんためであった。これが両国同時の開戦であれば、帝国もマイヤード公国に増援どころではなかったのだ。
悪意のある誘いと分かり切っていたが、グランはそれに乗らねばならない。元々国力に乏しい祖国は、旧フェリウス王国の領土と領民を呑み込み、消化不全を起こしている。大暴走と戦で旧フェリウス王国の農地が荒れ果てていたのも、また致命的であった。魔領の削り取りで口減らしをしたところで、養える民草は限られてしまう。緩慢で確実な餓死よりも、急激で不確実な死傷を選ぶ民兵は多い。誰しも己の手で、運命を選びたがるものであった。それが同じ死という末路だとしても。
そうしてクレイスト王国は戦を望んだ。だが、ハイセルク帝国の援軍と野戦での決戦など冗談ではない。勝ったとしても喜ぶのはリベリトア商業連邦のみ。だからこそ後詰めが到着する前に、セルタ半島を陥さねばならない。改めて覚悟を確認したグランは駆け寄ってくる青年に向かい合う。
「よく聞けユウト。予定外だが、此処でお前を投入する」
「軍港都市攻略で俺を使うんじゃなかったんですか」
「状況が変わった。相手は小勢だが、本隊が足止めされてしまっている。奴らの狙いは時間稼ぎだ」
包み隠さずといった具合でユウトに情報を与えていく。素質はあってもマコトとは違い、元来の性格が戦向きではない。騎士団長は彼が奮い立つように発破を掛ける必要があった。そこに虚実を混ぜながら。
「既にアヤネやマイア保護のため、他の小道から少数の兵と騎士を治療所に向かわせた。助け出せるはずだが、万が一もあり得る。船でハイセルク帝国領まで拉致されれば、もはや手出しも難しい。サラエボ要塞戦のようにな」
この青年はかつて曲輪に設置された治療所で、幼馴染を救えなかったことを酷く悔やんでいるだろう。何せ、騎士団長自身が慟哭するあの場から救い上げたのだ。苦い記憶を掻き乱されたユウトは、砕けんばかりに奥歯を噛み鳴らす。
「っう、また離れるなんて、御免だ。俺が、あの防壁を吹き飛ばせばいいんですよね」
これまでの戦闘で消耗していた顔に活力が戻った。もう一押しとばかりにグランはユウトの肩に手を置き、優しく言い放つ。
「お前だけが頼りだ。彼女達をハイセルク帝国から救ってくれ」
「……はい、今度こそは、救ってみせますっ」
「ヨハナ、お前は討たれたライアードに代わり前線で指揮を執れ。頭役が足りん。兵が浮足立っている」
「ユウトの護衛はどうなさいますか」
「一先ず解く。護衛の任はレナートとエフセイが受け継ぐ。不足はあるまい」
「はっ、お任せを」
「行きましょう、ヨハナさん!!」
力強く頷いたユウトはヨハナを伴い走り去っていく。その背を見つめながらグランはぼそりと呟いた。
「そうだ。ユウト、お前は何も考えず、何も迷わず剣を振るえばいい」
一見すれば騎士団長が三英傑と呼ばれる青年に希望を託す美しい光景であろう。その内が虚実と欺瞞に満ちていたとしても。
「ヨハナに、アヤネの話をしなくてよろしいので?」
騎士の一人がグランに尋ねた。
「ヨハナは古めかしい騎士観に囚われている。それこそカビ臭い騎士譚にだぞ……。戦場で現実を知り、歳を重ねれば、反発も少なくなるだろう。今はそのときではない」
「リハーゼンの騎士団の長ともあらせられるお方が、随分と悠長で」
甘やかすな、と騎士は遠回しに言いたげであった。
「人材の育成には時間が掛かるものだ。それに、手の掛かる若者は嫌いではない。それが手の内にあるのならばな。それに先約もある」
「マコトですか」
「好きな男を振り向かせるために幼馴染を殺そうとするとは、狂気的で、身勝手で、それでいていじらしいではないか」
「……グラン様も趣味が悪いですな」
グランとて人の子だ。自身の下で懸命に働く少女には報いるつもりだ。尤もグランは女心に疎く、ユウトに仕込んだ女を割り当てようとした時には危うく死に掛けた。甘い罠に気付いたマコトが激怒し、司令部ごと騎士団長を吹き飛ばそうとしたのだ。それほど偏執狂な恋心であり、それまでの戦地での生活が、日常の中に殺人という選択肢を容易く与えていた。あれからグランは少女の協力者として戦争と恋路の協力関係にある。
「それで、治療所に向かった者共は?」
傍に控えていた従士に騎士団長は尋ねた。
「既に、包囲したそうです。籠城を試みていますが、速やかに処理します」
「それは上々だ。必ず始末せよ」
手駒が国家に益を齎すならば、グランはそれに報いるつもりであった。奮起する青年を一瞥した騎士団長は、満足げにその姿を見届ける。その後、宿場町に眩い閃光が走り、瓦礫が、人が、木の葉のように舞い散った。