第五十四話
ささくれ立ち、半ばから折れた柱が逆茂木のように人を阻む。人の営みを支えていた家屋も、今となっては絡み潰れ合い不格好な防壁を成す。瓦礫と粉塵に塗れ、廃墟と化していく宿場町は、皮肉にも平時にはない賑わいと熱気をみせていた。爆炎と共に血霧が虚空を漂い、鉄と鉄のぶつかり合いの末に、目抜き通りは赤黒く染まっていく。
「うぉっ、ォおおっ、ごっ!?」
瓦礫を乗り越えたばかりのクレイスト兵が己を鼓舞するために叫ぶが、飛来した矢に呆気なく黙らされた。またその僚兵も顎下から槍を差し込まれ、醜悪な障害物として揃って防壁の一部となる。
「馬鹿野郎、大振りをするな」
「小さく突き返せぇ!!」
大路と比較して原形を留める脇道や裏路地も例外ではない。互いの側面を叩こうと回り込んだ挙句、狭路で鉢合わせ突き主体の攻防が繰り広げられる。抜け切ったと安堵するのも束の間、彼らを待っていたのはハイセルク兵による攻撃魔法であり、閉所での投射は更なる家屋倒壊の連鎖を生む。
「う、げぇッ」
「下がれ、下がれぇ、崩れるぞォ」
「うぉあァ、あああ!?」
そんな戦闘の只中で指揮を執るフリウグの眼前でまた一人、ハイセルク兵が散った。防具ごと袈裟斬りにされた断面は実に滑らかで、世の理など知らぬといった具合である。
部下を撫で斬りにしたのはライアードと呼ばれるリハーゼンの騎士であった。魔力を帯びた《強撃》による一撃は鉄をも断つ。騎士の足元には片手では足りぬ骸が積み重なる。宿場町の中心で分断されたクレイスト王国軍であったが、その先頭集団は騎士を筆頭に粘りを見せていた。
「怯むな瓦礫を越え、押し続けろォ!!」
身に刻まれた傷とは裏腹に、帯びた魔力膜と気力は些かも衰えていない。先遣隊を任せられるだけありライアードは勇将たるを証明し続ける。勇猛な指揮官に兵は自然と集まるものだ。纏まった数が揃えば突破口の形成さえあり得る。後続の流入前に奴らを潰さなければならなかった。尤も、敵はフリウグと同じ思考を辿る。頭狩りであった。
「死ねやぁあ!!」
呪詛とともに繰り出された槍をフリウグは剣脊で叩き、足元へと逸らす。腰の入った刺突であったが、何事も全力で努めれば良い訳ではない。手の抜きどころが重要であった。助走も相成り、転ぶように身を乗り出したクレイスト兵は、無防備に首を晒す。
フリウグは無造作に剣を振り上げた。薄鈍色の刃が僅かな抵抗の末に喉元を裂き、虚空に血の軌跡を浮かび上がらせる。己でも節操がないと自覚していたが、地に伏せる者の末路を見届けることなく、既に視線は次の相手に向いていた。僚兵の死を教訓としたクレイスト兵は、足を止めて待ち構える。誘われるままフリウグは構わず剣を振り下ろした。斬撃を予期していた兵は、競合いの末にフリウグの一閃を上段で受け止めた。
「うっ、っ!?」
基本に忠実なのは悪くないが、防いだ剣がたっぷりと生き血を吸っているとなれば、話は変わる。生温かい血が顔面へと降り注ぎ、刹那の瞬きを強要する。フリウグは上半身を沈ませながら踏み込んだ。風属性の魔法持ちのような俊足は有していない。それでもこの兵士にとっては、視界から一瞬消えたかのように映るだろう。
双眸がぎょっと人影を捉えるがあまりに遅かった。膝裏を刃が刈り取り、三分の一ほどが食い込む。靭帯と共に関節を砕かれ、兵士は酒精に溺れたように姿勢が揺らぐ。
「っ、ぅ、ァあ゛ッあ」
フリウグは踏み込みの勢いそのままに肩を起点に突進した。苦し紛れの剣が背を擦るが、防具越しには優しいノックと変わらない。
「くそ゛ったれぇが――っげァッ」
どうにか起き上がろうと藻掻く兵の止めを狙うフリウグであったが、その必要はなかった。ぬっと横合いから伸びた斧がぐちゃりと頭部を砕く。生死は語るまでもない。凶器の斧からは粘着質な液体が糸を引き、滴り落ちる。まるで薪割りのついでとばかりの手軽さで、麾下の下士官が始末をつけた。言葉にせずとも、目線を交わせば十分に謝意は伝わる。戦場とはそういうものであった。
雑兵の間引きに勤しむフリウグと競争を演じるクレイストの騎士であったが、隊列の分断によって処理能力に大きな差が生まれた。ただでさえ急速な軍組織の拡大は、深刻な下士官不足を招く。引き連れていた数人の従士という手足だけでは混戦での統制は不十分であった。
「おのれッ、おのれっぇ!! このような討ち死になど」
「削り殺せ、まともに組み合うな」
相手は《強撃》を操るリハーゼンの騎士だ。戦果と損害の天秤を揺らしながらフリウグは剣を交える。勝手知ったるハイセルク兵も、中隊長に倣う。まるで肉食魚の群れが、獲物を少しずつ千切り取るような戦い方であった。
「せめて、お前だけでもッ」
身を削る焦燥は同時に過集中を生む。フリウグの僅かな踏み出しを見逃さなかったライアードと従士達は、最後の勝負に打って出た。剣で槍衾をこじ開け、捌ききれぬ刃を防具と血で滑らせ、包囲の外へと身をねじ込ませる。
「弾き返せッ!!」
「ダメだ、抜かれるぞォ!?」
茨の中に飛び込む行為であったが、鮮血を滴らせながらも決して勢いは止まることがない。フリウグは落ち着き払って剣を突き出す。死兵は怖い。命のやり取りを常とするハイセルク兵は良く理解している。
「その首、貰ったァあ゛っあ!!」
陽炎のように揺らめく魔力の刃がフリウグに迫る。命を懸けた見事な一撃であった。そんな剣先が触れ合う間合いの中に、斧頭が割り込んだ。最上段で掲げられた斧はライアードの鎖骨を叩き斬りながら心臓にまで達し、今際の言葉すら残させず騎士を冥府へと追いやった。
「ら、ライアード様ぁ」
「ちくしょうっ」
文字通り、主人の後に従士達も続く。血肉を失った獲物に致命傷を浴びせたのは、最古参の下士官サウラであった。実に慎ましいことに、フリウグが危機に陥るまで一歩後ろに控え、中隊長である己の背中に身と斧を隠していたのだ。非難の視線を向ければサウラはぺらぺらと言い分を述べる。
「中隊長が逆の立場であれば、指揮官を狙うでしょう。それにあの不用意な踏み込み、これから誘うぞと言ったようなものでは」
身を餌にした釣り出し。概ね間違いではないのがまた癪であった。会話を止めたフリウグは、亡き騎士の命令に従い瓦礫を乗り越える者共を斬り伏せ続けた。地面が溢れた血を受け止め切れず、臓腑混じりの水溜りができる頃、敵は正気を取り戻したように後退していく。
「流石に、目が覚めたか」
勝利の高揚感もなく、あるのは身にへばりつくような疲労だけ。袖で額を拭えば汗と返り血が、漂う粉塵と交じり合う。汚泥という名の戦化粧であった。勝鬨を上げる者など居ない。マイヤード兵は呆然と立ち尽くすか、息切れたように座り込む。一方の中隊員は足元に転がる者が本当に死者か、刺突という挨拶回りに勤しむ。
「マイヤード兵は死んだ者より槍と盾を集めよ」
うず高く積まれた死体は、丸裸であったマイヤード兵に十分に武具を提供してくれる。フリウグが見回したところ、宿場町全体で敵は五百人の兵を失い、代わりに手勢を二百人は失った。互いに譲らず殺し合った結果の末であった。死者数に比して負傷者は極端に少ない。動けなくなった者から暴力に晒されたのだ。それも念入りに。
疲労は身から抜けぬが、息つく暇などない。間もなくクレイスト王国軍の本隊が街道を埋め尽くす。宿場町を突破するまで猛攻は続くだろう。
「手隙の者は、防壁に死体と瓦礫を積み上げよ」
防壁というには些か趣味が悪い。共同墓地の方がしっくり来るそれにフリウグは指を示した。
「死体に区別をつけるな。私が死んだら同じように積め」
空気に当てられたのか、余計な思考を回す余力もないのか、マイヤード兵も黙って作業に続く。例外といえばサウラくらいなものであった。
「はい。その時になったら、勿論例外なく積ませて貰います」
「ふっ、腹立たしい奴め」
ダンデューグ城を含め、長い間サウラとフリウグは戦場を共にしたが、やはり頼もしくも癪に障る部下であった。それから程なくして、フリウグは異音を捉える。がちゃがちゃと金属が擦れ合うそれは、防具が奏でる音色であった。千以上の人間が一斉に小走りすれば地鳴りのような顫動を生む。防壁に積み込まれた煉瓦の破片や漆喰が崩れ、かたかたと揺れ動く。まるで笑っているようだった。
「もう来やがったのか」
「はは、さっきの倍はいやがるぞ」
梁、或いは鎧戸の残骸から様子を窺っていた兵が乾いた笑い声を漏す。冷静に敵勢の総数を見定めようとしたフリウグであったが、防壁に横たわる死者がそれを邪魔した。まだアンデッド化もしていない新鮮な死人だ。虚ろな目は何も映していない。それでも恨めしそうに生者を眺めているようにしか感じなかった。もはや数えるのを止めたフリウグは死者に語る。
「案ずるな、また大勢そちらにいくぞ。私も含めて、な」
フリウグの独白は、鬨の声で掻き消えた。