第四十九話
この陰惨な戦場で、エスキシュ砦の守将ラトゥは帝国騎士に笑い掛けた。酒場で旧友相手に飲み比べでもするかのような屈託のない笑み。虚勢であれば大した役者、本心であれば天性の素質がある。ウォルムなど苦境でこそ笑えと兵の前では無理をして歯を見せているのだ。戦乱にそぐう感性が羨ましくもあった。
兵士としての理性がくだらぬ感傷など捨てろと叫ぶ。苦境の時こそ単純に考えろ。眼前の猛将を打ち破るのみ。感情に蓋をするように面を被った帝国騎士は宣言した。
「死にたがりの老木が、望み通り冥府に送ってやる」
「その言葉をォ、待っていたぞ!!」
殺意の告白に嬉々として答えたラトゥに合わせ、ウォルムは最上段で斬り込む。理を曲げる《強撃》が衝突を果たし、帯びた魔力が互いに食い破らんと荒れ狂う。離れ際を狙い五指の削ぎ落としを狙うが、無骨な金砕棒はその外観に反して実に繊細に動く。手元に迫る枝刃を押し除け反撃に転じた。巨躯を持つ老将との体格差は顕著だ。突きと打撃が入り混じった刺突は打ち下ろしに等しい。
「シィっ、ィイ!!」
掛け声と共に迫る金砕棒の軌道を見極め、ウォルムは急速に姿勢を左へと傾けた。左肩を突き出し、正面を向いていた身体は半身となる。続け様、影をなぞるように金砕棒が振られた。腰の入っていない一撃とはいえ、牽制には十分の質量と衝撃を持つ。
斧槍の柄を滑らせ、極端に先端側へと握りを変えたウォルムは躊躇なく踏み込む。姿勢は低く沈み地面が身近に感じるほど。鋲で彩られた先端部が面を掠める。鬼は怒るどころかスリルライドを楽しみ燥ぐ。
首筋は遠く警戒が強い。一撃で仕留められる相手ではない。手斧のように斧頭を膝裏へと叩き込む。得られた手応えに帝国騎士は失敗を悟った。ラトゥは回避行動を取らずに足の軸を回すと、脛当てで受け止めたのだ。
「ふぅううぅ、んっぬぅ!!」
響く鈍痛は声を漏らして耐えられる程度、仕切り直しを図りウォルムは刺突を放ちながら離脱を図る。一度二度と上下に散らした突きは、柄により防がれた。
斧槍を突き出して間合いを探る眼に、雪崩れ込む者達が映る。モーイズ隊と交代した小隊の一部が敵と斬り合いながら流れてきたのだ。それはラトゥとて無縁ではない。敵を辛くも切り倒したマイヤード兵が背後から老将を狙う。誉ある一騎打ちなど、戦乱の世では無縁だ。躊躇はない。ウォルムも即興で不意打ちに合わせて小さく突きを放つ。
「ぎぃやっ――」
背後の奇襲に気付いたラトゥは振り向きざまに金砕棒を薙いだ。剣どころか上半身が風船のように弾け飛ぶ。哀れな友兵の血霧が降り注ぐ中で槍先が頸へと迫る。獲った、そう確信を得たウォルムだったが、独楽のように老木が回った。
金砕棒による遠心力で回転する老将の横顔が映る。片目、それも視界の端であったが確かにこちらを見つめていた。穂が肌に食い込んだ瞬間、腕ごと逸らされる衝撃が走る。大した芸当であった。一時とは言え、完全にウォルムを背にした上で金砕棒を振り切り、持ち手で槍頭を叩いたのだ。
「今のは、肝が冷えたぞ」
「戯言を言ってくれるなっ」
新たに斬りかかろうとするマイヤード兵を金砕棒で叩き潰し、ラトゥは宣う。そんなもの弱音とも呼べない。ただでさえ劣勢、二名の無惨な死に様を見た増援小隊の残兵の中で、老将に斬り掛かる者は居なかった。
「ラトゥ様の手助けをしろぉ、帝国の騎士を討ち取れぇえ!!」
エスキシュ砦にも居た下士官が土塁の天端から叫んだ。
「……ロドリーグ」
「戦場っ、戦場なのです。一対多数も卑怯ではありません」
老将はそれ以上、否定も肯定もしなかった。感化された雑兵が帝国騎士に横槍を狙う。後方に回り込もうとする兵が二人、ラトゥに並ぶ兵は二人。様子見も停滞も死期を早めるだけ。先手こそ、主導権を手繰り寄せる。
前触れをなく側面に跳ねたウォルムは石突きを握り込み、槍を振るう。間合いの外にいると思い込んでいたクレイスト兵の首筋がパックリと裂けた。後ろに続く仲間が喉元から赤薔薇を咲かせ、身を強張らせた兵はあまりに遅かった。枝刃を無防備な肩に絡め、手元へと引き寄せる。肩甲骨を削がれながら引き寄せられた兵の悲鳴が響く。抱き寄せ斧槍を手放しながら首筋を掴むと、膝を側面から蹴り折り見せつけた。
「俺ごとぉやァれ゛ぇええ」
エスキシュ砦からラトゥを信奉するヤルクク領兵、四肢のうち半分を失ってもその気概までは消えない。残る手足をばたつかせ一矢報いようとする様を、無駄な足掻きなどとは言えない。先ほどは逆、ラトゥは兵を引き連れ決着を狙う。だが、ウォルムはこの乱戦の中で生き延び、一端の軽装歩兵となったのだ。多数を相手取る悪辣な手法を身に付けてきた。
「大した奴だよ」
「は、ぁ――っあ!?」
世辞とも、懺悔とも取れる声色の呟きが兵の最期に聞いた言葉となった。ウォルムは負傷兵の背で練り上げた魔力を眩い蒼炎へと変える。
発現した火球を零距離で浴びた兵の身体は文字通り四散した。蒼炎が黎明を暴き、土塁の惨状を浮かび上がらせた。炎の切れ目から正面を睨む。爆発と人間という破片が降り注ぎ、至近に踏み込んだクレイスト兵は糸が切れたように横たわる。そんな彼らの間に影が蠢く。強靭な魔力膜は《鬼火》すら持ち堪えたのだ。この程度では死ぬはずはない。
「ロドリーグ、もう構うな。お主達は右翼に集中して、指揮官を討ち取れ。数で追い込んでも兵達が死ぬだけだ」
「……どうか勝利を」
真顔で命じたラトゥは有無を言わさぬ威圧感を纏う。内面の葛藤は表情にこそ出ていたが、ロドリーグと呼ばれた下士官は、モーイズが受け持つ左翼へと消えていく。
「この入り組んだ戦況で、帝国騎士を抑えるのがリハーゼンの副団長より授かった命。この戦況で《鬼火》は使えまい、一時が退けられても、守備隊丸々を焼くことになる」
「だからこそ時間稼ぎか?」
《強撃》に加え、分厚い魔力膜と常人離れした身体能力。受けに回られれば崩すのは容易ではなかった。ウォルムはこの老将を討ち破り、練兵中隊の救援を果たす。故に老人との悠長なお喋りに付き合っている暇などない。
「まあ、聞くがよい……色々と学ばせて貰った、どれも手痛い代償が付いたがのう。老いた身に反して膨らむ憧憬への火、それを鎮めたのはお主じゃ。積み上げたものを十全に発揮して、儂は戦場で戦えている。だが、この歳になって気付かされた。どうやらこの身は些か強欲らしい。儂は、儂はな、帝国騎士を超えたいのだ。愚かだと笑うか?」
内心の吐露か、改めての宣戦布告か。老体で消耗を重ねた身だというのに気力は些かも衰えていない。
「笑い飛ばせる戦況でも、相手でもないさ」
既に幾筋も見せた斧槍の代わりに、腰のロングソードを引き抜く。帝国騎士は魔力を流し込み刀身に蒼炎を灯す。
「ふはははっ、まだ切り札があるとはのォ!!」
「手向けだ、冥府への道を灯してやる」
「要らぬ世話じゃぁああ!!」
不用心に、大胆に、二人は武を交えた。利害が一致した訳ではない。それぞれが抱える事情と信念が二人に決着を急がせる。攻撃の比重を高め、回避と防御を低下させる。金砕棒が鉄甲を押し除け打撃を与えれば、炎剣が老将の脇腹を断つ。乱戦の中とあって、死闘を尽くす二人は隙だらけのように映った。
戦況を左右する絶好の機会と不可侵を犯した兵士達。ウォルムが片手間にクレイスト兵を焼けば、ラトゥもまた煩わしいと鉄塊でマイヤード兵を薙ぎ払う。邪魔立てすらも余興、横槍を死闘に組み込み剣戟の激しさは増す。
剣と金砕棒が擦れ摩耗音が響く。斬り合いの末に生まれたそれは、不規則であるにも関わらず音色のように耳に残る。攻めの拍は速まり、受け流しによって生まれる拍子の強弱が多彩な音を奏でる。宛ら戦場楽器であった。
それも何時までも続くものではない。離れ際に身体をぶつけ合い距離が生まれる。様子見など二人には無縁だ。互いに必殺の間合いを確保した。蒼炎揺らめく切っ先を向ければ、重厚な金砕棒が頭上を支配する。修練と実戦で刻まれた無数の傷が重みとなってウォルムにのし掛かる。根拠はない。だが戦場で培った経験則が、次の一手で決着が付くと囁く。互いに上段で踏み込み必殺の一撃を見舞う。
剣先が蒼い軌跡を描きながらぶつかり合った。骨まで痺れる手応え、だがこれまでのような鍔迫り合いは起きなかった。
「なぁっ!?」
軽く澄んだ金属音、これまでの衝突音ではあり得ない異音にラトゥの顔は歪む。剣は擦り抜けることはない。それでも斬ることはできる。
繰り返された斬り合い、数十年に渡り老将と共にした金砕棒もまた、老いに無縁ではなかった。傷んだ先端部を切断した剣身は金砕棒を擦り抜ける。防具と魔力膜を断ち、ロングソードはラトゥの鎖骨から腰骨を焼き裂く。倒れ込んだ老将から止めどなく血が溢れ出す。最早、アヤネですら救えぬ致命傷であった。
「か、角を、取ったのか」
地面へと沈む老将を帝国騎士は黙って見つめた。既に意識は朦朧とし、現状の認識も定かではない。
「すまん、ろゥルーぐ、まけた。ふは、し、かしぃ、そう、か。角か、また、学んだ、次は、防いで、ふぅは、ぁ」
「……ああ、次は防がれるだろうな」
言葉に答えることなく、老将は笑みを浮かべたまま逝った。数多くの者と殺し合ったが、戦場で心から笑って死ぬ者が居るとは――勝者であるはずのウォルムの顔は歪んだままだ。反して鬼の面は特等席で劇を楽しませて貰ったと、拍手代わりに顔を甘く締め付け、返り血を啜る。かつての分隊員が恐れた通り、正しく呪いの面であった。
大局が決した訳ではない。数で勝るクレイスト王国軍はまだ優勢を保っていた。だが老将の死も軽くなかった。指揮下にいたヤルクク領兵の混乱ぶりに加え、壮絶な死闘を目にしていたクレイスト兵はある疑念を持っていた。このオルゼリカ坂で、誰が帝国騎士を討ち取れるのか、誰が斬り合えるのか。老将の死から半刻、膨大な死者を内包したオルゼリカ坂の戦いは、日の出と共に終結した。




