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濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記  作者: とるとねん
第三章

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第四十八話

 先を見通せぬ洞窟に迷い込んだかのように視野が狭い。乱れる呼吸が、心臓の音が酷く煩く、鬨の声が思考を乱す。眼前には集中すべき敵がいると言うのに、指揮官としての役割が単純な傾注を許さない。複雑に状況が絡み合った戦場で狭窄した視点など論外だ。地形という安寧の揺籠と守り役を失い、板挟みの窮地がモーイズの思考を圧迫する。


「両隣の距離を適切に保てっ、肩幅を意識しろォ」


 練兵中隊は戦闘処女を脱したとは言え、練度の低い部隊だ。教導役の両親はリハーゼンの騎士とその従士の対応で手一杯。防御線の穴埋めをしていた守護長は敵の猛将との死闘に火花を散らす。その様相は宛ら決闘のようであった。


 戦場では完全な一騎打ちなどあり得ない。当然、敵味方問わず横槍や干渉を試みた。その結果が周囲に散る肉片であった。彼らの戦場に踏み込んだ者は敵味方関係なく骸を晒す。二人の世界に積極的に介入したがる者は居なくなっていた。寧ろ、間接的に手助けするのであれば、眼前の敵を葬る方が効果的ですらある。


「っ、ぅ、平場と土塁の境界で、敵を押し止めるぞ。友兵の背を刺させるな!!」


 平場に布陣するモーイズ指揮下の隊に対し、敵は友軍の小隊を打ち破り土塁の左翼天端を押さえた。総崩れを起こした前衛の小隊の兵が、刃や鈍器により絡め捕られ次々と討ち取られていく。今すぐ救援に走れば良心は幾分か晴れるであろうが、乱戦の果てに待っているのは共倒れだ。そうなれば戦線は容易に決壊する。視線の先では、マイヤード兵が肩から腰を撫で斬られ、また別の兵は槍で背中を貫かれて卒倒していく。


「隊列の隙間を抜けて、最後尾に付けぇえ!!」


 歯痒さに悶え、せめてもとモーイズは叫んだ。凶刃に追い立てられて敗走する兵のどれほどが言葉を理解したかは定かではない。それでも彼らは掲げられた槍と横隊を本能的に避けた。一方のフェリウス兵は夢中で追撃していた敵兵が人波に消え、漸く己の窮地を察した。


「っぅ、もどれぇ――げぇ」


 一斉に振り下ろされた穂先がフェリウス兵の全身を叩き、防具を変形させ骨を軋ませる。一撃を耐えた者も、二度、三度と繰り返し槍を叩き付けられれば、地面へと磔にされ二度と起き上がることはない。


 尤も、そんな軽率な者達は極少数であり、多数の残敵は突出部を作らず、モーイズの隊に対抗するかのように槍と盾による鉄の壁を形成して土塁を下る。その動作はゆっくりで緩慢にすら感じる。迎合した前衛の敗残兵を加え、モーイズ指揮下の兵員は七十人程度。この数を以って左翼を守り抜かねばならない。


「歩調を合わせて槍を突き出せ。両隣と息を合わせろ、これまでしてきた各々の打ち下ろしとは違うぞォっ」


 実戦、それも平地での槍衾の形成などモーイズの小隊では誰もが初めてであった。部隊単位という括りでは不格好で、理想として思い描く陣形とも程遠い。


「叩けぇぇええっ!!」


 二つの集団はまるで溶けるように激突を果たす。鉄の棘が茨のように絡み、穂先の置き場を巡って耳障りな騒音を打ち鳴らす。モーイズとて例外ではない。この窮地、指揮官だからこそ先頭に立ちやってみせねば兵は動かない。振り下ろした槍同士が擦れ合い互いを弾き合う。


 鉄の茨を掻い潜った穂が敵兵の肩部を捉える。防具越しにも関わらず、その奥にある肉質が嫌でも手から伝わる。苦痛で喘ぎ槍を零したクレイスト兵が目に焼き付く。その幼い顔立ち、硬直した表情の奥に透ける怯え、剥き出しの感情が視覚を通して伝わる。


「っぅ――っう゛ぅ」


 このまま無防備な喉元に槍をねじ込めば何が起きるか分からないほど、モーイズは純粋無垢ではなかった。幼少期の事故の記憶が破裂寸前の脳を締め付ける。砕けんばかりに歯を食いしばった。両隣で、汚れ疲弊しながらも槍を振るう兵の名前はガストン、エヴラークだ。同じ釜の飯を食べ、出身から食の好みまで知っている。他の小隊員もそうだ。己が躊躇しただけ、苦楽を共にした彼らが死んでいく。


「っゥ、ぅうァああぁ゛あァ!!!」


 喉が割けんばかりに咆哮を上げモーイズは突いた。柄から伝わる悍ましい感覚、それは幼少期に刻まれた心的外傷を上回る嫌悪と拒絶を齎す。それでも目を逸らさなかった。苦痛の声も漏らせず、水気交じりの呼吸で血に溺れる兵を見届ける。モーイズは過去の記憶を克服した。なんてことはない。より一層の刺激で塗り潰しただけだ。


「ふぅっ、は、っ、ぁあ゛ぁ」


 額が熱を帯び、前後の感覚が定まらない。浮付いた身体は戦場で溺れかけていた。藻掻くモーイズは二列目から入れ替わった兵の側頭部を穂で力任せに砕いた。先程まで敵意を剥き出しにしていた眼玉が色を失い、ぐるりと乱回転する。二つ重なった死体の影を越えて更なる兵が突きと共に飛び込む。


「シィ゛ぃねぇえ!!」


 死角から伸びた刺突は如何なる回避行動もモーイズに許さなかった。瞬間的に息が詰まり肋骨に鈍痛が走る。突き立てられた槍は胴部こそ突いたが、鎧を削り取りながら小脇へと滑った。


「な゛っあァ――」


 困惑するクレイスト人は、劣悪な足場により踏ん張れず急所を外したのだ。考える前に足が動く。身体ごと投げ打つようにモーイズは槍を差し込む。下顎から入り込んだ槍刃がするりと入り込み、岩盤のように硬い頭蓋で止まった。瞬間、弾けた木片が虚空に舞う。外的な攻撃ではない。粗雑で力任せの扱いに槍先の付け根、口金から槍は破断した。


 ささくれ立った柄を投げ付けモーイズはロングソードを引き抜く。間一髪で頭上より迫る剣を押し退けた。咄嗟に盾で身を覆う敵兵に対し、切り返した剣身を上段より叩きつけた。盾をこじ開け肉を裂く感覚が伝わる。薪を綺麗に叩き割った感触に似ていた。無意識にリズムを刻み、目に付く者に剣を振り下ろす。何度も、何度も、数え切れないほどに。


「そいつを止めろォ、っ」


「列を乱すな、穴を埋めろ!!」


「うげぇァ、あっ゛あ――」


 一際響く断末魔が呼び水となり、過集中していたモーイズは意識を取り戻した。魔力膜が緩み、何時の間にか斬られていた肌から血が滲み、二の腕や頬に鋭い痛みが走る。乱れた息を肩で整え、朱色に染まる剣身に目をやる。どれだけの人間の血かも覚えていなかった。そこではたと気付く。あれだけ苦悩した震えも強張りも消えていることに。あれほど嫌い避けていた殺しに夢中になっていたとは、帝国騎士に話せば苦笑してくれるだろうか。


「小隊長殿にィ続けぇええ」


「孤立させるなぁ!!」


 鬼気迫るガストンとエヴラークの声に慌てて戦列を確認すれば、自身を起点に敵を押し込んでいた。あれだけ両隣と歩調を合わせろと宣った挙句の行為であった。それでもモーイズは指揮官の端くれだ。か細い主導権を手放し、敵の乱れた戦列が整っていくのを見逃す訳にはいかない。


「敵の主力は、教導長が相手取っている!! 数合わせの兵に負けるなっ」


 足りぬ酸素で絞り出した声であったが 震えぬだけ上等であった。こんなものはったりだ。空元気に過ぎない。それでも指揮官の虚勢は、指揮下の兵にとっては気付け薬に成り得る。激流に歯向かうようにモーイズは一歩踏み込んだ。

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― 新着の感想 ―
>狭窄した視点 「点」の面積はゼロ。視点→視野
[一言] 泥臭い。 血と汗と臓腑の匂いが漂って来る泥臭い戦闘だ。 魔力膜の設定は見慣れないけれど、良いなぁ。 気が張っているうちは出血も抑えられるのかぁ。
[気になる点] ヒロインと主人公が子供作ったら化け物みたいな子供が生まれそう。 治癒+鬼火という悪魔。
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